未分類」カテゴリーアーカイブ

大腸がん検診の語り

インタビュー36:プロフィール

関東地方で暮らす山下さん(仮名)は現在、夫と二人暮らし。近くに住む娘が一人いる。山下さんはこれまで二度、大腸がんの診断を受けている。一度目は60歳のときであった。その3年ほど前から、便秘や下痢、便が細くなるなどの自覚症状があり、がんかもしれないと思ったが、受診せずに放っておいた。自分の母親がちょうど同じ60歳のときに胃がんと診断され、全摘手術を受けたが、その後、転移を繰り返しながらも90歳まで生きた。そのこともあり、「がんになったらなったときのことだ」という考えがあったからである。しかし、医療者の親類から受診を強く勧められ、仕方なく検査を受けたところ、初期のがんが見つかり、内視鏡で切ってもらった。
内視鏡による手術ということもあり、体への負担もほとんどなかった。術後、一度だけ検査を受けたが、その後はずっと「ほっぽらかし」の状態だった。しかし、最初の診断から10年経った頃にひどい下痢と出血があり、病院を受診したところ、がんが見つかってしまう。親指大に大きくなっており、その場で切除はできないということで、入院して手術を受けた。また、このとき潰瘍性大腸炎も見つかった。がんについては、既に70歳を過ぎていたこともあり、「まあいいわ」とあまり気にしなかったが、潰瘍性大腸炎は原因も分からず、しかも全腸性ということで、こちらの方が山下さんにとっては深刻な問題であった。
二度目の大腸がんの診断を受けた後は、潰瘍性大腸炎のこともあり、一年に一度は内視鏡検査を受けなければならないと言われている。しかし、近くの大きな病院で二度検査を受けたが、いずれも痛くて入らず、結局最初に通っていた遠方の病院に移って内視鏡の検査を受けている。
検診については、コレステロールや中性脂肪など、日常的に気をつけておかなければいけないものについては自治体の検査を受けているが、がん検診は受けたことがない。もちろん、検診を受けて安心できるという人は受ければいいと思っている。しかし、高齢になってからのがんに関しては、手遅れのものは手遅れだし、そうでなければ、治療をしないでそのままにしておいてもがんで死ぬより、寿命の方が先に来るかもしれない。むしろ、積極的に治療をして、入退院を繰り返したり、抗がん剤の副作用で苦しんだりするよりは、徐々に弱っていった方がいいのではないかと思っている。
また、若い人の検診については、小さながんが早期に発見されて治ったと喜んでいる人もいるが、もしかしたらそのがんはそのままにしておいても進行の遅いがんかもしれない。実際、自分の周囲にも、若い頃に子宮がんと診断されたが、手術を拒否して、今も元気に暮らしている友人がいる。また、がんが見つかっても、若い人の場合、進行が早く、あっという間に亡くなってしまうケースが多いとも聞いている。したがって、医療者や予防医学に対しては申し訳ないが、若い人にとってがん検診がそれほど有効であるとは思えない。

大腸がん検診の語り

インタビュー29:プロフィール

辺見さん(仮名)は公務員として勤務していた。職場では毎年健康診断が実施されていたが、便潜血検査はオプションだったので受けることはなかったし、受けるようにという指導もなかった。異変に気づいたのは、朝排便の後にティッシュペーパーに茶褐色のものが付いた時だった。これまでそのようなことはなかったし、尋常ではないと思い、当日かかりつけ医を受診した。その場で、総合病院を紹介され、救急外来にかかった。そこでは、問診、触診、血液検査をしたが、私から距離をおき医師同士がうつむき、小声で話している様子に不穏な空気を感じた。入院が決まり、CTや内視鏡検査を受け、ステージⅣの「直腸がん、多発性肝転移」と診断され、リンパ節への転移も伴っていた。
がんと告知された時は、実感はなく受け流してしまった感じだった。直腸のがんと肝臓のがんを切除し、抗がん剤治療に取り組むこととなった。しかし、抗がん剤治療中にも関わらず、再度肝転移、肺転移が確認され、治療薬を変えて様子を見たが、がんは縮小せず外科手術を行った。それでも職場復帰を目標に頑張り、一度は復帰したものの、復帰後3ヶ月で再び肝臓と肺に転移した。治療は長期にわたり、仕事を休む必要があったため退職を選択した。術後、排便も健康な時とは違い、日常生活での困難を感じている。病気のことは同僚や上司に特に隠すことはなかった。
直腸の手術の他、肝臓と肺の手術も合わせて計7回の外科手術を受けた。頻繁な入退院を経て、がん患者が置かれている状況はとても厳しいと感じている。がん治療の費用は高く患者の経済的負担も大きい。2人に1人ががんになり、3人に1人ががんで亡くなる時代を考えると、国や地方自治体はがん撲滅のためのプロジェクトを作るなど、一刻も早く真剣に取り組むべきだと考える。辺見さん自身は、忙しい中でパンと牛乳だけなど食生活をおろそかにしていたことが、がん発症の大きな要因だと思っている。
今は自己管理で再発しないように工夫した食生活を実践している。検診を受けることもそのひとつであり、検診を受ける時間はとられるが、たった1日か2日で1年分の安心が得られるのであれば、有給休暇を取ってでも積極的に受けるべきだと思う。
がん患者への支援や予防など国としてやらなくてはいけないことは多々あるが、現場の医療者は本当に頑張っている。医療者を疲弊させないということも、よりよいがん医療を実現するためには大切だと思う。

大腸がん検診の語り

インタビュー28:プロフィール

東海地方で暮らす藤川さん(仮名)は、現在、妻と二人暮らし。結婚して近くに住む息子と娘がいる。藤川さんは36歳のときに胃がんと診断され、手術を受けた。当時、海外に赴任していた藤川さんは、1年に1度、日本に帰国して受けていた人間ドックの検査で異常が見つかる。末期に近い胃がんだった。当時、がんの告知は今ほど行われていなかったが、家族が海外にいるということで、藤川さん本人に直接告知がなされた。術後1ヶ月は非常に辛かったが、それでも体調は次第に回復し、2~3年後には1人前の食事を食べられるまでになった。
手術から3年ほどは再発の不安もあったが、5年が経過した頃からはそのこともあまり気にならなくなっていた。しかし、「もうがんを忘れていた」59歳のとき、今度は大腸がんが見つかってしまう。そのきっかけは下血だった。藤川さんは当初、痔によるものだろうと考え、1ヶ月ほど放っておいたが、やはり気になったため、人間ドックを受診した。そこで検査をしたところ、大腸がんであることが判明した。
思い返せば、マラソンのタイムの低下や体重の減少(普段ほとんど変わらない体重が2キロ減った)、ときおり感じる強い痛みなど、幾つか体調の変化はあったが、食事も普通にできていたし、下血に気づくまでは特にこれといった症状はなかった。
便潜血検査を受けたのはこのときが初めてだった。便を調べるだけの検査ということを知り、「こんな簡単なことは、いろんな検査のときにみんなやればいいのに」と思った。内視鏡検査については、多少の恥ずかしさはあったものの、既に異常の疑いがあったので、「やらないとしょうがない」という気持ちだった。
胃がんの手術後は大変苦しい思いをしたが、大腸がんの手術後は痛みもなく、医学の進歩を感じた。退院後も、泳いだり、ランニングをしたりと、普段の生活でそれほど不自由を感じることはなかった。
大腸がんの術後は、病院で定期的に検査を受けている。また、血圧と体重を毎日測定し、記録をつけるなど、自分でも普段の生活から、体調に異常がないか注意している。そして、もしおかしいと感じることがあれば、すぐに病院に行くようにしている。実際、おしっこの色がいつもと違うので受診したところ、膀胱にがんが見つかったこともあった。
便潜血検査では、がんでない人でも陽性反応が出ることがあり、そのことで「がんかもしれない」と不安になるデメリットもあるが、費用もそれほどかからないし、なにより早期に発見すれば治る確率が高い病気なので、検査は受けた方がよいと思う。がんと宣告されることが怖くて検査を受けない人もいるかもしれないが、早く見つけて治療をすれば、それほど変わりなく生活することができる。がん患者を「普通の人じゃない」と見なす世の中の風潮がなんとか変わることを願っている。

大腸がん検診の語り

インタビュー26:プロフィール

橋本さん(仮名)は現在、首都圏で独り暮らしをしている。70歳を過ぎたあたりの頃、便が細くなっていることが気にかかり、市が行っている便潜血検査を受けたところ、陽性となった。その後受けた内視鏡検査では腸の中に大きなポリープが数個見つかり、病理検査の結果、初期のがんであることが判明した。約2ヶ月後、開腹手術を行い、30センチほど腸を切断したが、幸いにも転移はしておらず、抗がん剤による治療も行われなかった。
2週間ほどで退院し、その後は1ヶ月おきに経過観察を行っていたが、手術から半年後に妻が急に亡くなってしまうなど色々とあり、それ以降病院での検査は受けていない。ただ、現在まで経過は順調で、特に病気をすることもなく過ごしている。がんになった原因については、たばこも昔にやめているし、お酒もあまり飲まないので、「心当たり」はない。ただ、術後は食物繊維を多く取った方がいいのではないかとの思いから、毎朝生野菜を食べるようにしている。手術から7年余りが経過し、今は「これでほぼ大丈夫」という気持ちになっている。
定年前は毎年勤務先の会社で行われる健康診断を受けていたが、それほど細かく検査してくれるわけではないので、4年に1度くらいのペースで人間ドックも受診していた。ただ、その中にも大腸がんの検査はなかった。したがって、便潜血検査を受けたのは、大腸がんの診断につながったこのときが初めてである。
大腸がんと診断されてからは、2~3年おきに便潜血検査*を受けるようにしている。便潜血検査は体への負担が少なく、費用もかからない。なにより、検査を受けておけば「安心感」を得ることができる。確かに便をとるのが面倒ではあるが、それで安心を得られるのであれば、それは「手間のうちには入らない」と思っている。
便潜血検査は簡単に受けられるし、大腸がんは早期に発見できれば治る病気なので、みんなにも是非検査を受けてほしい。一方で、がんになる人がこれだけ増えていることを考えれば、国や自治体の政策として、一定の年齢になった人を対象に便潜血検査の受診を半ば「義務付け」でもいいのではないかとも思う。そうでもしないと、「受けない人は受けない」のではないかと考えている。

*医学的には大腸がん術後は問診、腫瘍マーカー、胸部・腹部のCT検査(直腸の場合骨盤CTや直腸指診)の他、大腸内視鏡検査を受けることが勧められています。(大腸癌治療ガイドライン 医師用2010年版「大腸癌手術後のサーベイランス」

大腸がん検診の語り

インタビュー25:プロフィール

野添さん(仮名)は夫の会社の検診や地域の検診などで、便潜血検査は時々受けていた。2007年に受けた検査で潜血反応が出たが、少し痔の傾向があったため気にすることはなかった。しかし、その後カレーやコーヒーなど刺激のある食品を摂ったあとに下痢をするようになった。ビオフェルミンを薬局で買って飲んだら治ったので継続して服用した。1年くらいたって効かなくなりビオラクミンに変えた。近所のクリニックの医師にこうした市販薬の服用についてたずねたことがあったが、「(ビオフェルミンやビオラクミンは)一生飲んでいてもいい薬」と言われたので大丈夫だと思った。ビオラクミンを飲み始めて1年ほど経った頃、突然下血した。病院に行こうと思ったが腸の精密検査は敷居が高く、女医さんのいる肛門科を探すと近所にあったのですぐに行った。そこで内視鏡検査を受けたが、指で触れるほど入口に近い部分にポリープがあり出血し、その先にカメラを入れることができなくなった。「顔つきの悪い大きなポリープがある」と言われ、がんかもしれないと直感した。
夫の父親が自分と同じような場所にできたポリープを内視鏡で切っていたので、そこに紹介状を書いてもらった。初めて奥まで内視鏡で見て、直腸がんと診断された。とにかく、お腹を切りたくないという思いが強かったので、何とか内視鏡で取ってもらいたいと望み、幸いきれいに切除できた。思い返してみれば夜中に腰痛が酷かった。手術のあと痛みはなくなったので、夜膀胱に尿がたまって腫瘍を圧迫していたのかもしれない。予後は順調で半年に1度の内視鏡検査やCT検査で経過観察をしながら2年が経った。
ところが、検診でリンパ節が腫れていることがわかり、3ヵ所生検したうち1ヶ所から正常でない細胞が見つかって2011年にリンパ節郭清の外科手術を受けた。術後2週間たった頃、これまでより細かいスライスでCTを撮ることになり肝臓と肺への転移がわかった。やっと手術が終わったと思ったのに、このような結果が伝えられ落胆した。抗がん剤はフォルフィリ、フォルフォックスと投与されるうちに、手足症候群という副作用で続けることができなくなった。ゼローダに変えてもらったが、やはり手足の腫れはひどく、顔を洗うのも億劫になるほどのだるさもある。夫はインターネットで調べたり医師の友人に相談したりして色々な治療を探してくれる。抗がん剤の副作用を和らげるために免疫療法を受けたり、今は重粒子線の治験に参加できるかどうか調べているところである。
今思えば、最初の内視鏡手術をした後の2年間は抗がん剤治療がなく、夫と温泉に行くなどしてご褒美のような宝物のような時間だった。便潜血検査が陽性になってからすぐに精密検査をすればがんを早期に発見できたのかもしれないが、その時内視鏡での切除という技術が使えたかは疑問だし外科手術の後人工肛門になった可能性もある。あれこれと振り返るよりも、できればがんのことは忘れて前を向いて生きていきたい。同世代の親しい友人には病気のことを話し、40歳を過ぎたら内視鏡検査を受けた方が良いと勧めている。

大腸がん検診の語り

インタビュー24:プロフィール

根本さん(仮名)は関西地方にある1000人ほどの村の村長をしている。20歳のころに盲腸(虫垂炎)の手術をしたが、それ以来入院したことはなく元気に過ごしてきた。便潜血検査は職場の検診(事業所検診)と任意の人間ドックの両方で受けてきた。必ずと言ってよいほど、潜血反応が出ていた。10年前に周りの人たちから、一度精密検査を受けた方が良いのでは、と言われ触診と注腸検査、そして内視鏡検査を受けた。出血はしていたが、異常なしという結果だったので、それ以来検診で便の潜血反応が出ても、痔のせいだと思って精密検査は受けてこなかった。検診の結果を説明する医師から潜血反応を指摘されても、「いや、痔ですから」とこちらが説明し自己診断していた。そのうちに、便が細くなり、軟便で、朝のお通じが1回では済まなくなってきた。
しかし、平成21年頃からトイレに行くと血がパッと出たり、何もないのに下着が汚れることがあり、便にも血が付くことも多くなってきたことから、翌年1月に痔の専門の医師をたずねた。「いぼ痔と切れ痔」と言われ薬をもらったが、一向に良くなる気配がなかった。この頃、ポリープを4カ所とった、という人の話を聞き、ポリープを疑い始めた。ポリープの手術をして細かった便が太くなった、と聞いたので、もう一度痔の病院に行き、便の細さについてたずねたところ、根本さんの便が細いのは痔のせいではない、とはっきり言われた。このことから大腸の精密検査を受けようと決意し近所の開業医にかかった。3月だった。すぐに内視鏡検査をしてもらい、がんだと診断された。「もっと早う来たら良かったな」と言われたのが、もう手遅れという意味だと思い、落胆した。10年前の精密検査のことも話したが、「そんなの化石や」と言われ、これまで自己診断してきたことを反省した。
総合病院で働く知り合いの医師に連絡し、3月中旬に入院し、手術を受けた。心配した転移はなく、最初に言われたステージⅢという数値は、ステージⅠに下がった。大きながんだったが、抗がん剤は「絶対効くというわけではない」「患者さんの選択です」と医師に言われ使用しないことにした。母と姉が抗がん剤を使ったことがあり、強い副作用を思い出したからだ。病院では色々な医療者が協力して仕事をしており、みな親切だった。医師中心から患者中心に変わったと感じた。
今は半年に一度の定期検診と1年に1回内視鏡検査を受けている。なぜ自分だけががんになったのだろうと悲観したこともあったが、二人にひとりはがんになる時代だ、と病気をしてから知った。病気になった頃は「がんになりました」と人前でなかなか言えなかったが、今はできるだけ多くの人に伝えていきたいと思い、村報のコラムにも闘病経験を書いたところである。がん検診受診率の高い村で何度か表彰されたこともあるので、今後も啓発活動を続けていきたいと思っている。

大腸がん検診の語り

インタビュー23:プロフィール

沼田さん(仮名)は35年前下痢が40日続いたことがあった。近所の開業医にかかっていたが白血病かもしれないと言われて医師に不信を覚え、検査専門の病院に移った。しかしそこでも、腸の検査はせずに1か月が過ぎたころ、夜に突然便意をもよおしトイレに行くと真っ黒な血の塊が二つおりきてきた。紙に取ってビニールに包み、冷蔵庫に入れ、翌朝病院に持っていくとすぐに大腸の検査をしてくれた。この時は内視鏡検査ではなくバリウムを入れる(注腸)検査だった。医師は驚いた声をあげ、沼田さん自身も「自分の体がすごいことになっている」と自覚した。医師に「自分も病院を探すけれどあなたもほうぼう当たりなさい」と言われ、実家の近くの病院を含めて検討したが、その頃には遠方に行く体力もなく結局自宅から近い病院を知り合いから紹介され、そちらに行った。そこでも検査をしてもらい、すぐに入院となった。
入院した病院で、インターンを終えたばかりの若い医師が沼田さんの手術を担当したいと名乗りをあげた。お酒もたばこもやらない普通の主婦がこのような病気になったのを可愛そうに思ったのかもしれない。胃の下から患部である上行結腸まで30センチほど大腸を切った。当時としては大手術で看護師さんたちも気を遣ってくれたが、これまでに痔と指の手術をしており、その時経験した非常に強い痛みに比べれば耐えられるものだった。退院する時に、担当の医師が「この病気はストレスが90%の病気だから、ストレスをためないようにしなさい」と言っていたのが心に残っている。家族で仕事をしていることから、舅姑、義妹二人と同居し家事は自分が全てやっていた。夫は毎日見舞いに来てくれたものの、夫の家族は50日の入院の間一度も来なかった。病院のスタッフはそうしたことから自分の生活状況を察したのかもしれない。
医師とはこの後も良い関係が続いた。退院後、一度再発が疑われたことがあったが大事には至らず、基本的には1年に1度の内視鏡検査を続けてきた。ポリープが見つかったこともあったので、年に2回したこともある。これまでの35年間で45回以上は内視鏡検査をしたのではないだろうか。最近は麻酔ができるようになったので検査が楽になったが、痛みがあるということは検査が上手くいかない時にわかるきっかけになるので大切だと思っている。退院後は強い抗がん剤を使ったこともあったが副作用のため断念し、医師に処方された薬を10年ほど飲んだのち、「ここまできたら、がんの芽はどこにもない」「これからはからだを丈夫にする薬にしようね」と言われ、漢方(霊芝)に切り替えた。飲み始めてから、12年ほどで薬事法が変わり医師からその漢方が処方されなくなるまで飲み続けた。今は医師の息子が開業しており、そこに通っている。これまで正面切って「がんだ」と言われたことはないが、それは医師の繊細さ故だと思っている。
義妹二人は結婚し、夫、舅、姑を看取って家業を続けつつ一人暮らしの毎日になった。もともと料理は好きで、食材にも気を配っている。ただ、健康を維持する方法は人のまねをすれば良いというものではない。自分に合った方法で快適に過ごせる術を身に着ける方が大切だと思っている。

大腸がん検診の語り

インタビュー22:プロフィール

西野さん(仮名)は自分はがんにはならないだろうと思っており、これまで地域の検診でも便潜血検査は受けてこなかった。しかし、2011年8月に便に血が付いていることに気づき、インターネットで便潜血検査を申し込んだ。当時喫茶店を経営しており、比較的高齢のお客さんが多かったせいか、がんの話を聞くことは度々あった。肛門からの出血は痔が原因のこともあるが大腸がんの症状のひとつであることから、もしかしたら大腸がんなのかもしれないと心配になった。早く発見して早く治療した人は転移や再発をしている人が少ないと感じていたことから、地域の検診を待つのではなく、インターネットを調べて、薬局サイトで見つけた会社に申し込んだ。病院に行くという方法もあったのだろうが、検便で病院に行き看護師さんと話すのは少し恥ずかしかった。インターネットなら誰とも話さずに申し込めるし、忙しい人も病院の時間に合わせる必要がないので良いと思う。
けれども、趣味のマラソンの大会が10月にあり、実際にはそれが終わってから検査をした。結果は2度の採便が両方とも陽性だったため、近所のかかりつけ医に行き、その場で総合病院に紹介状を書いてもらい、翌週には総合病院の受付をすませた。とにかく早い方が良いという気持ちが強かったので、医師を選ぶというよりも、今日診てもらえる先生にしてください、とお願いした。総合病院で初めて内視鏡検査をし、3つのポリープをとってやれやれと思ったが、細胞の成分を検査した結果、ひとつのポリープが悪性とわかった。ステージ1だったが、皮膚を1枚超えていたら手術という境界の数値だったため、医師は手術をするか「どちらにしますか」と聞いた。「お願いします」と答えた。色々な人に聞いたら、きっと手術が怖くなって受けられなくなるだろうと思ったし、妻も一緒にいて反対しなかったためである。帰宅して手術までは図書館に行ったりインターネットで調べて、やはり怖くなった。「切らないでいい」という情報はできるだけ見ないようにした。
その後、検査入院中に行った大腸カメラや胃カメラ、注腸検査、点滴などみな苦しかった。注腸検査ではバリウムでアレルギーが出た。歯を食いしばって耐えていたせいか、歯が痛くなったりもしたが、手術の後麻酔のせいかがくっと元に戻ったような気がして、良くなった。術後は歩行訓練で気分が悪くなったり点滴がなくならないか心配で夜眠れなかったり、また便がなかなか出ないため退院前に気をもんだこともあった。今は3か月に一度検査を受けているが、幸い転移はなく、抗がん剤も使っていない。医師は「何を食べても良いですよ」と言ってくれるが、消化の悪いものや便にそのまま出てくるような野菜の皮などは食べないように気を配っている。もう少し早くわかれば、開腹手術はせずに内視鏡検査の時に切って終わったかもしれない。便潜血検査は痛い検査ではないので、他の人には検診を是非受けてほしいと思っている。

大腸がん検診の語り

インタビュー21:プロフィール

名取さん(仮名)は若い頃から痔があったので、肛門からの出血には慣れていた。便潜血検査は地域の検診と組合の検診のふたつを受けており、地域の検診は2回採便、組合の方は1回採便という方式だった。地域検診の検便はオプションなので時々抜かすことはあったが、基本的には毎年受けており、結果は陽性の時もあれば陰性の時もあった。痔からの出血で結果が左右されていると思っていたので、精密検査は受けなかった。
ところが、8年前に市販の薬をひと箱使っても出血が止まらないことがあった。同業者の寄り合いで仲間に話したところ、「痔かもしれないけど、がんかもしれない」と言われ病院を紹介された。そこで内視鏡検査をしたところ、大きながんが発見され途中でカメラが通らなくなった。自分も映像を見ていたが、鉛筆1本分くらいの隙間しかなく、肉の塊に囲まれていた。担当医師の出身校である大学病院を紹介され、すぐに行って大腸がんだと診断された。手術までの1週間はとても辛かった。映像で見た肉の塊はいかにも悪性という感じだったし非常に大きかった。60歳になったら死んでも良いと言ってきたが、覚悟を決めることはできなかった。
大きながんは、手術で取り除くことができ幸いに転移はなかった。転移がないとわかった段階でステージは2になった。こういったケースは非常に稀なのか、医師に摘出したがんを標本として提供してほしいと頼まれ承諾した。今でも大学病院にアルコール漬けになって置かれているだろう。7年モノと言われたがんだが、思い返してみれば7年前の検診で陽性になっており、医師に内視鏡検査を勧められたにも関わらず受検しなかった。後でがんのことを話したらとても怒られたが、その時も出血は痔のためだと思っていた。
けれども、病院に行かなかった理由がすべて痔だという思い込みのせいかといえば、病院に行って大きな病気を発見されるのが怖かったということもあると思う。4人きょうだいだが、自分も含めて全員がんになっている。幸い全員いまでも元気だが、血のつながったいとこは大腸がんで自分よりも早く亡くなってしまった。転移があったということだった。自分が転移しなかったのは、妻が作ってくれた醤油漬けのにんにくを毎日食べていたせいかもしれない。本当に運が良かったと思っている。
ただ、がんになって小さい時に罹ったポリオが再発した(ポリオ後後遺症:ポスト・ポリオ・シンドロームPPS)。もちろん再発しない人もいるのだが、自分は今の時点で左半身がマヒしてきたし、これからも進行するだろう。がんの再発よりもそちらの方が心配だ。
がんについては、手術から5年たって医師から「卒業」のお墨付きをもらったが、放り出されたようで不安である。定期検診で内視鏡検査をした際に小さなポリープが見つかり切除したことも何度かあったので、自分で予約して毎年内視鏡検査を受けるようにしている。友達にも、少しでもおかしいと思ったら内視鏡検査を受けるように勧めている。