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大腸がん検診の語り

インタビュー20:プロフィール

戸村さん(仮名)は、看護師として働いていた25歳のころから、肛門にかゆみを感じるようになった。特に寝る前がひどく、体も疲れやすくなり、夜勤明けなどは寝ていることが多かった。痔かもしれないと思い肛門科を受診することも考えたが、病院に行くことへの恥ずかしさや躊躇があり、家族も「嫁入り前の娘が行くような病院ではない」と言っていたので、先延ばしにしていた。しかし、旅行先で発熱した際に坐薬を入れた時に痛みが強く、出血もしたことから、病院に行くことを決意した。近所の病院にはかかりたくないと思っていたので、友達に教えてもらった隣の市の有名な肛門科専門病院にかかった。その時は、痔がありますね、という話だった。後日、痔の手術に行って、細胞を取ったところ、それががんだということがわかった。それまで痔だと信じていたので、がんだと聞いたときはとても驚いた。自分の家に電話するのに、電話番号を4、5回押し間違えたぐらいだった。家族もびっくりしたと思う。
実は、職場の検診で便潜血検査は毎年受けていた。けれども一度も陽性になったことがなく、自覚症状と言えばかゆみと疲れ、それからお酒を飲んだ後にお腹を壊すようになったことくらいだった。
がんだとわかって、がん専門病院に紹介状を書いてもらい、すぐに入院した。内視鏡検査の他に注腸検査やCTをとった。血液検査もしたところ、腫瘍マーカーがプラスであった。手術の際、リンパ節を2ヶ所切除した。そのうち1ヶ所はがんだった。抗がん剤も使ったが、色素沈着がひどかったので途中でやめた。その後10年間定期検査を受け、今は特に通院せず再発もしていない。
主治医はとても良い医師だった。人工肛門はきれいだし、性生活や出産についてたずねた時「大丈夫、大丈夫、何人でも産めるから」と言われたのは励みになった。大腸がんがわかる前に付き合っていた男性とは別れ、人工肛門造設後に知り合った男性と結婚した。人工肛門を造設していることは、付き合って3か月くらいで伝えた。結婚する時夫の両親にも言ったが、責められるようなことはなく、2人の子どもにも恵まれた。
仕事は、手術の後にも続けていたが、消化器外科での勤務だったため、がんで亡くなっていく人を見るのはストレスだった。夜勤も体に合わないような気がして、一回仕事を辞め、保健師になるための勉強をした。その後健康づくりセンターのような公的な施設で働いた。健康な人たちが対象なので、気は楽だった。けれども、出産を機に退職し、2人目の子どもが成長したので、健診センターで働き始め今に至っている。
検診は大切だと思い、聞かれれば人にも勧めるが、検診だけしていれば良いというものではないと思う。体の異常に敏感になり、早い段階で病気に気づくのが大切だと思う。自分の場合には医療者に恵まれ、同業者あるいは同世代のオストメイトの女性との出会いで随分と勇気をもらった。患者会では結婚や出産で悩んでいる人も多い。このインタビューがそういう人たちの助けになることを望んでいる。

大腸がん検診の語り

インタビュー18:プロフィール

医療関係の仕事に就く辻さん(仮名)は、毎年職場の健康診断を受けてきた。2008年に便潜血検査で陽性反応が出たものの、忙しい、面倒、恥ずかしい、がんになるはずがないとの思いから、このときは精密検査を受けなかった。実際、便通異常などの自覚症状は何もなく、おそらくは痔による出血だろうと考えていた。
その後も便潜血検査では陽性反応が出たが、やはり精密検査は受けず、2年余りの間放置していた。だが、2010年の8月、毎年行っている山登りで体調の異常に気づく。いつもは3回の休憩で頂上に着くのが、この年は倍の6回休憩を入れないと登頂できなかった。これはおかしいと思い、帰って早々に貧血検査を行ったところ、成人男性の平均の半分ほどの値しかなかったため、すぐに精密検査の予約を入れた。
その3日後に受けた内視鏡検査で、大腸に腫瘍が見つかってしまう。病変が広範囲に確認されたため、すぐに手術をすることになった。がんができた場所は盲腸近辺で、腹腔鏡手術の対象になるかは微妙だったが、できるだけ早く仕事に復帰したかった辻さんは、医師に無理やりお願いをして腹腔鏡で手術を受けた。
手術はうまくいき、術後の回復も順調だったため、1週間で退院できた。ただ、詳しい検査の結果、がんはステージⅢbまで進行しており、リンパ節などへも転移していたため、抗がん剤治療が行われることになった。既に仕事に復帰していたこともあり、治療は基本的に外来で受けた。抗がん剤治療のやり方は昔に比べて格段に進歩しており、患者のQOLもずいぶんと改善されていることが実感できたが、食欲不振や吐き気、手の神経の痺れ、顔の冷感過敏などさまざまな副作用があり、それについては我慢の連続だった。
最初に便潜血検査で陽性反応が出たときに精密検査を受けておけば、もう少し早期の段階でがんが見つかったのに、という思いはある。ステージⅢbということで、自分の将来についても楽観はしていない。時々眠れなくなることもあるが、とにかく悔いが残らないよう、今できることを全部するという気持ちで、趣味などにもこれまで以上に熱心に取り組んでいる。そうした意味では、前の10年より多少充実はしているようにも感じている。ただ、全体としてみたときに、やはりがん患者への治療後のフォロー体制は不十分であり、国にはがんになった後のアフターケアにも力を入れてほしいと思っている。
がんは自分で防ぐのが難しい病気であり、やはり検診で早期に発見することが重要になるが、大腸がんに関しては、便潜血検査で陽性反応が出ても精密検査を受けない人が多いというのが現状である。そこには、羞恥心や面倒さ、経済的なコストの問題などがあって、解決は難しいのかもしれないが、例えば、身近な人が大腸がんになったと聞けば、少しは自分も気をつけようとなるので、そういう人たちの経験談を聞ける機会を作っていくのが一番いいのではないかと思う。

大腸がん検診の語り

インタビュー17:プロフィール

渡辺さん(仮名)は企業で仕事をしているときは、ずっと会社の健康診断を受けてきた。メタボで注意を受けたことはあるが、便潜血検査で引っかかったことはないと思う。定年退職後は、町の健康診断を受けており、やはりメタボではあまり良い結果でなかったので、保健師から電話がかかってきていた。
実は在職中に3つの保険に入っており、退職後も継続していたが、そのうち2つを個人保険にかけ替えようと思った。2つの保険をやめ、新しい保険に入るために、近所のかかりつけ医に健康診断を受けに行った。これまでも町の健診を受けていたので、便潜血検査の結果が書かれている検診表を持参した。医師は検診表にプラス(+)の記号が3つもついていたことに驚いたようだった。「私には責任が持てない」とまで言われたが、これまでこれといった自覚症状がなかったので自分でも驚いた。たまに便に血が混じっていることはあったが、あまり気に留めていなかった。予定を変更して、すぐに内視鏡検査を受けた。大きなぼてっとしたがんを画面で見た時にはショックだった。紹介された病院に行き、もう一度内視鏡検査を受けた。やはりがんだということだったので、すぐに手術を受けた。ステージ2~3ということだったが、術後も順調に回復し、抗がん剤治療はせずに1年半元気に過ごしている。
快復が早く、今も元気なのは、趣味で続けている合唱が良い影響を与えているからだと思う。大きな声をだし、腹式呼吸の練習、言語を覚えるなど、エネルギーは使うが、その分自然に体力がついていたのではないだろうか。
いま振り返ってみて、保険のかけ替えがきっかけでがんが見つかったのは、少し複雑な気持ちである。前の保険をやめずにかけ続けていれば手術の費用は出たが、検診表を医師に見せることもなかった。町の健診には、大腸がん検診の他に胃がんの検診もあって、それにはフォローがあるようだ。だが、大腸がん検診でここまで結果が悪いのに、病院に行くように勧める文章はなく、電話もかかってこなかった。プラス(+)が多いとたくさん出血していることだと知らなかったのは、自分が無知だったせいなのだが、やはり教えてほしかった。町はがん検診を受けましょう、と受診を勧めているが、同時にこうしたフォローもなくてはいけないと思う。

大腸がん検診の語り

インタビュー16:プロフィール

竹田さん(仮名)は2010年、大腸がんの診断を受けた。きっかけは毎年会社で受けている健康診断だった。会社の健診には検便も入っているが、その年は提出した二日分のどちらかに血が混じっていたということで、精密検査を受けるよう通知があった。二回とも陽性反応が出たわけではないし、実際に検査を受けたら痔やポリープだったという話もよく聞いていたので、あまり深刻に考えていなかった。だが、勤めている会社の社長が過去に大腸がんを経験していることもあり、再三にわたって精密検査を受けるよう勧められた。そこで、社長に紹介された大学病院で内視鏡検査を受けたところ、大腸にがんが見つかった。
内視鏡検査は二度受けた。一度目に肛門から10センチのところにがんが見つかったが、このときは入りが悪く、腸の奥まで見ることができなかった。そこで1週間後に再度検査を受けた。このときはスムーズにカメラが入り、全体を調べたが、結局がんは最初に見つかった一箇所だけだったことが分かり、ほっとする思いだった。
幸い見つかったがんは早期で、命に別条はないということだった。ただ、発生部位が肛門付近だったため、医師からは人工肛門になる可能性も伝えられた。渡された手引きを呼んで自分なりに理解はしたものの、やはり不安はあった。もうひとつ、非常に心配だったのが治療費のことである。がんの治療にはお金がかかると聞いていたし、子どもたちの学費や生活費のこともあったからだ。そこで、経験者である勤め先の社長に相談したところ、治療費を補助してくれる制度があることを教えてもらい、全額支払わずに手術を受けることができた。
2週間ほど入院し、それからほどなくして仕事に復帰した。食事に関しては、野菜をとるよう心がけ、消化しづらいものはなるべく避けるよう注意している。術後に一番大変だったのは、排便に関することである。手術で肛門の筋肉をとった関係で、排便時の抑えがきかなくなり、一日に15回から20回ほどトイレに行かなければならない。営業で外回りも多いため、外出時には紙おむつを携帯し、危ないと思うときは付けるようにしている。
診察をした医師からは運が良かったと言われた。もし今回精密検査を受けなければ、その間にがんは大きくなっていただろうし、翌年の定期検診で必ずしも陽性反応が出るとは限らないからだ。そういったこともあって、現在では精密検査を受けることの大切さを感じている。
今回は勤務する会社の社長からの強い働きかけがあって再検査を受けたわけだが、以前勤めていた大企業であれば、精密検査は受けなかったのではないかと思っている。そこでは、再検査などについて会社からの指示などは何もなく、受けるか受けないかは個々の社員に任されていたからだ。その点、今の会社は、少ない人数だからこそ、社長は従業員の健康を大事に考えているし、検査などで仕事を抜けたときにも他の人がカバーしてくれるなど、社員の団結力を感じる。

大腸がん検診の語り

インタビュー15:プロフィール

副島さん(仮名)は13年前、51歳のときに大腸がんの診断を受けた。その数年前から排便時に痛みがあったが、仕事が忙しかったのと、病院でお尻を見られるのが恥ずかしい、何か言われるのが怖いという思いもあり、検査には行かなかった。しばらく市販の坐薬を使いながら我慢していたが、とうとう耐えられないほどの激痛になったため肛門科を受診したところ、大学病院を紹介され、そこでがんであることを告げられる。痛みの原因はずっと痔だろうと思っていたし、いつまでも自分は元気だと思っていたので、告知を受けたときは、これからどうしたらいいのかと頭が真っ白になった。
がんになれば入院して病院から出られなくなるというイメージがあったので、自分の体よりも先に会社のことが心配だった。医師からはがんが破裂*する前に手術をした方がいいと言われたが、会社の引き継ぎのために1ヶ月待ってもらった。
がんは直腸にできていたため、人工肛門を造設することになった。ストーマについては、しょうがないという思いで、それほど強烈なイメージはなかった。ただ、術後はお尻の脇から管が出ているためにちゃんと座ることができず、また、自分で排尿もできなかったので、むしろそちらの方が大変だった。結局、2ヶ月ほど入院し、その後1ヶ月間自宅療養した後、会社に復帰した。
会社でやっている1年に1回の健康診断は毎年受けていた。その検査項目に検便も入っていて、陽性反応が出たことも何度かあったが、翌年も続けて陽性になったという記憶はなく、「こんなもんか」という程度の意識だった。また、検便が大腸がんの検査であることも当時は知らなかった。そうしたこともあって、これまできちんと検査を受けていなかったことについては反省しきりである。特に大腸がんは自覚症状がまずないため、検便で陽性反応が出たときは精密検査を受けた方がいいと思う。早期に発見できれば、内視鏡で取ることも十分可能だからだ。とにかく怖がらずに病院に行くことが大切で、そのことは自分の会社の社員などにも強調している。
がんになったことでメリットがあるとすれば、医療者との距離が縮まったことである。それまで病院は嫌いだったが、退院後は体調管理に対する意識が随分と変わり、ちょっとした変化があればすぐに医師に相談するようにしている。実際それで大きな病気(狭心症と心筋症)を早期に発見できたこともあった。がんと診断されてから13年が経過したが、幸いにもこれまで転移はなかった。ただ、がんになりやすい体質だと思うので、定期的に検診を受けるようにしている。
胃がんや肺がんなどに比べ、大腸がんに関する世間の意識は低いように感じる。実際、大腸がんになるとどういうことが起こるのかについてはあまり知られていない。そこで、自分たち経験者が様々な形で情報を発信していくことが重要だと考え、ウェブでブログを公開したり、オストメイトの患者会で積極的に活動を行っている。
*がん自体の破裂(がん部穿孔)もありますが、それよりも先に腸閉塞や口側腸管の穿孔など非がん部穿孔の方が一般的です。

大腸がん検診の語り

インタビュー13:プロフィール

鈴木さん(仮名)はもともと血圧が高かったため、夫が通っている内科医院に付き添ったときに、血圧を調べてもらった。ついでに血液検査を受けたところ、ひどい貧血になっていることがわかり、体内からの出血が疑われ、便潜血検査を受けた。息子と息子の配偶者(嫁)、そして娘の配偶者(婿)が医師であり、中でも嫁は内科医なので、普段から検査受けるとその結果をファックスで送っている。嫁は血液検査の結果が悪いことに驚き、その後便潜血検査で陽性反応が出たことから、内視鏡検査を強く勧めた。検査を受けた診療所の医師には鉄剤を処方されたが、結局内視鏡検査を受けたことで、S字結腸のがんがわかった。
実は内視鏡検査はとても怖かった。昔OLをしていた頃、胃の内視鏡検査が怖くて途中で逃げ出したことがある。内視鏡で、腸に穴が開くと聞いたこともある。どこの病院が痛くないかと情報を集めて色々なこと聞き、この地域では評判の良い経験豊かな医師に内視鏡検査をしてもらった。検査は思いのほか楽だった。ただ、S字結腸で内視鏡が入らなくなり、その場でがんと診断された。便通がずっと良かったため、カメラが通らないのは意外だった。転移が心配されたため、胃の内視鏡検査も受けたが、こちらも辛いところを少し我慢すれば楽になった。手術が決まった後子どもたちが連絡を取り合って、手術の日取りや準備も整えてくれたため、自分で病気について調べることはしなかった。ただ、腎臓のわきに水がたまっており、そのせいなのか手術の時間が予想以上に長かったようだ。麻酔が早めに切れてきて、術後はとにかく痛かった。また、「念のため」と言われて服用した抗がん剤の副作用で肝炎になり、抗がん剤を飲むのをやめたところ体調は回復したが、逆に再発を心配している。全部取りきった、と聞いていたのに抗がん剤を飲まなくてはいけないのも不安だったが、外科専門の婿が大丈夫だと説明してくれた。
親しい友人が10年ほど前に大腸がんで亡くなっている。その人は、腸の上の方でしこりが外から触ってわかるくらいに大きくなっていたが、最初は異常が診断されず、かなり悪くなってからわかった。この他に自分のきょうだいもがんで亡くなっているので、がんのことは身近だったはずなのだが、母が脳梗塞だったので、そちらの方を気にしていた。だが、術後の食事療法のせいか、今では血圧は問題なくなっている。
若いころ検診車で胸を見てもらった(胸部レントゲン検査)程度で、その後健診を全く受けなかったのは、体に自信があったことと、自営業を営んでおり毎日が忙しくて受診するのが億劫だったことなどが理由である。けれども自覚症状が全くなかったのに、5年前から大腸がんがあったと聞いて、今でも信じられない。たまたま血液検査を受けることがなかったら、もっと悪くなっていたかもしれないので、今は検診が重要であると強く感じる。

大腸がん検診の語り

インタビュー12:プロフィール

清水さん(仮名)は関西地方在住の会社員である。会社では年に1度の健康診断の他、ある一定年齢以上になると人間ドックの受診を勧められ、補助も出る。その人間ドックの検便で潜血反応が陽性と出たのは40歳を過ぎてからだった。一度目は痔だと思って無視したが、1年後の人間ドックでまた潜血反応が出たので、精密検査を受けたところ、S字(S状)結腸と直腸に3つのポリープが見つかった。その場で電気メス(*1)を使って切除したが、悪性かもしれない、と医師に言われ、その後の細胞診の結果S字(S状)結腸にできていたものががんだとわかった。痛みや違和感はなかったが、思い返してみれば便が細くなった感じはしていた。出血もしていたかもしれないが、目が見えないし、他人に見てもらうこともないのでわからなかった。
すべて切除したということだったので、不安な部分とホッとした部分が半々という感じだった。会社を休んだわけではなく抗がん剤の治療もしなかったので、会社にはがんだったことは言っていない。がん保険に入っているが、保険会社に手術はしたことを報告したところ何故か数年たって、満額が保障された。
早期で発見されたのは本当に良かったと思っており、他の人にも受けるように勧めている。がんになってから5年後に、自分の父親が便の出方が悪いと言い出したので、一度検診を受けたらどうかと勧めたところ、自分より大きながんが見つかった。開腹手術か内視鏡の手術かギリギリのところだったが、何とか内視鏡で取り除くことができた。けれども、検診を受ければ絶対大丈夫だとは思っていない。妻の父は検診を受けていて、異常がない、という結果だったにもかかわらず、検診の1年後に容体が悪くなり大腸がんで亡くなった。妻は、大腸がん検診を信じてはいないと思う。
だが、特に目の見えない人にとって検診は大切だと感じている。自分で見ることができない異常が発見できるからだ。しかし、多くの視覚障碍者は会社に就職しておらず検診の補助は出ないし機会も限られている。また、自分は結婚していて妻が病院に同行しているが、パートナーがいなければガイドヘルパーと一緒に診断結果を聞くことは、プライバシーの問題もあるので難しい。
実は、大腸がんになる数年前に視力を失った。先天性の弱視で少しずつ見えなくなる病気だが、障碍者枠で会社に入ったころは、まだ見えていた。自分では60歳ころまで見えるだろうと予想していたが、30歳代は仕事が非常に忙しくストレスもたまったせいか、40歳半ばで全盲になり、ショックだった。大腸がんにもかかって、まさにダブルパンチだった。見えなくても生きていけるが、がんは死ぬかもしれないという恐怖があった。しかし、それを機にやりたいことを先延ばししてはいけない、と思うようになり、体を鍛えようと考えた。最初は、散歩から始めたが、それがランニングになり、マラソンを完走するまでになった。51歳からトライアスロンにも挑戦している。体も引き締まり、体調も良い。これからも前向きに生きていきたい。

*1:高周波電流

大腸がん検診の語り

インタビュー11:プロフィール

佐々木さん(仮名)は関西地方在住で、定年退職後は家事調停委員を務めている。勤務していた会社では、春と秋に健康診断が行われており、35歳になるとそれに加えて人間ドックを受けるように勧奨されていた。転勤が多かったため、色々な場所で受けてきたが、定年で退職してからは現在住んでいる地域の総合病院で継続して受診している。現役時代は、実費を支給されていたが、退職してからは補助の上限がある。ただし、健康には代えられないので、ピロリ菌のチェックや、前立腺に関係する項目など、自分で検査項目を加えている。検査の結果は、郵送で送られてくるが、現役時代、会社の産業医でもあった近所のかかりつけ医に持っていき、内容をチェックしてもらっている。
現役時代の2001年に胃がんになり、退職後の2008年に大腸がんに罹った。定期検診や人間ドックで所見が出たのがきっかけである。大腸がんの時は便潜血検査で潜血反応が出た。結果が書かれた用紙に「要精検」と書かれていたため、いつもの通りかかりつけ医に報告に行ったときに相談し、別の病院を紹介してもらった。その病院は、検査のリスクや方法、実際に内視鏡を入れて何が見えるか、ということが10分ほどで説明されていた。それを見て恐怖感もあったが、検査の安心感や医師への信頼感も生まれた。このほかに、別の場所への転移を調べるためPETを行った。S字結腸にがんがあることがわかったが、ごく初期のもので入院は3週間ほどで、2か月くらいで社会復帰できた。
胃がんの時と比べて、術後の回復は早かったし、リハビリの辛さもあまりなかった。胃がんから7年たっているので麻酔などの医療の進歩があるのだろうし、自分も胃がんの時の経験から心積もりしていたためかもしれない。胃がんも会社の定期検診で見つかっており、胃は1/3になったが快食快眠である。その時は検査機関冥利に尽きると言われたが、今回の大腸がんでも早期に発見できて良かったと思う。セカンド・オピニオン、サード・オピニオンと色々な先生の意見を聞く人もいるのだろうが、自分は医師を信じて早く処置してきた。悪いものを体内に留めておくのは嫌だったし、がんが進行するのも怖かった。インターネットでもS字結腸のがんについて調べ、自分の程度であれば人工肛門にはならないだろうと予想をつけた。
これからの医療の課題として、地域の病院のネットワークが大切だと思う。町医者(かかりつけ医)、検査機関、総合病院が患者の健康状態のデータを共有していけば、特に高齢者など病院に行くこと自体が大変な人は、より良い医療が必要な時に受けられるのではないだろうか。妻の両親が健在だがかなり高齢になってきているので、往診を含めた地域のネットワークづくりに期待している。

大腸がん検診の語り

インタビュー07:プロフィール

木下さん(仮名)は首都圏在住の会社員である。2004年から受け始めた職場の人間ドックには便潜血検査が入っているので、大腸がん検診も毎年受けている。便秘気味ではあったが太い便が出ていたので、まさか大腸がんにかかるとは思ってもみなかった。一般的に言われる大腸がんの症状、例えば便が細くなる、下痢と便秘を繰り返すということは直腸がんやS字結腸のがんなど、肛門に近い部位の症状であることを知ったのは、がんにかかってからだ。だから、便潜血検査で陽性となり、内視鏡検査を受けて大腸がんではないかと言われたときにはとても驚いた。
大腸内視鏡検査は自分で探した検診を専門にする病院で受けた。内視鏡検査のリスクはインターネットで病院を探すときに色々調べたので知っていた。検査は痛みもあるが下剤を2リットルも飲まなくてはいけないのが辛かった。レベル5、つまり悪性と判定された。開腹手術が必要だと言われ、紹介状を持って、職場近くの大学病院に行った。大学病院では、CT検査でリンパ節に転移があるかどうか調べ、注腸検査も受けた。幸い転移はなく、注腸検査では上行結腸にがんがあることがわかった。がんは2cmのポリープの上に1cmほどの大きさでできており、ごく初期の状態で発見された。上行結腸は腹壁にくっついているので、がんの部分だけを切るのではなく上行結腸全てを切る、つまり盲腸と横行結腸をつなぐ手術が必要だと聞いた。結局、手術は腹腔鏡手術で行った。以前から腫れていると指摘されていた卵巣と、胆石のある胆のうも一緒に手術した。計5時間かかった。術後は、麻酔が合わなくて辛かったり、腹腔鏡を入れたお臍の周囲から出血したりとトラブルもあったが、術後の抗がん剤治療などは一切なく、入院も10日と短かった。退院してから10日ほど休んで、仕事に復帰したので、結局仕事を休んだのは3週間くらいだったと思う。費用も安く済んだ。これも、検診を受け、早期にがんが発見できたおかけだと思っている。知り合いにも検診を受けることを勧めている。
手術後のケアは、大腸がんのガイドラインに沿って適切に行われていると思う。ガイドラインはインターネットで調べて知った。大学では薬学を学び薬剤師の資格ももっているので、専門的な文書を読むのにそれほど抵抗はない。ガイドラインで示されたことをやっていなければ、医師に質問をするだろうが、今のところ大丈夫だ。だが、手術の後の痛みは長く続く。術後1年たった今でも、伸びをすると手術したところは痛いし、お腹がすき過ぎると腸が痛くなる。このあたりは医療者にはわからないかもしれない。
2011年術後1年たった検査でポリープが見つかった。6~7ミリの大きさになっていたが、手術の前後の検査では見つからなかったので、大腸内視鏡検査も完ぺきではないとは思っている。だが、術後の定期的なCT検査や腫瘍マーカーなどで他の臓器のがんのチェックもできているし、食生活にも気をつけるようになったのは一病息災だろう。

大腸がん検診の語り

インタビュー04:プロフィール

江口さん(仮名)は現役時代、複数の会社を経営しており非常に多忙な毎日を送っていた。それでもやってこれたのは自分が健康であったためで、実際に大きな病気もしなかった。健康診断は社員が受けている検査を自分も受けており、検便で異常を指摘されたことはなかった(検便が大腸がんの便潜血検査として行われていることは知らなかった)。自分は健康だ、という意識があったため、あえてがんの検査を受けようとは思わなかった。その後、妻が闘病の末他界、仕事の方も会長職に退き、会社の健康診断を受けることはなくなった。地域の健康診断のお知らせは来ていたが、それを受けに行こうとは思わなかった。
2008年に何の前触れもなく、突然腹痛を感じた。一向に収まらなかったため、妻が生前入院していた病院に電話をしてタクシーで乗り入れた。後から知り合いの民生委員にその話をすると、言ってくれれば良かったのに、と同情してくれたが、そういった余裕すらないほどの痛みだった。そのまま検査、入院となり、大腸がんであることを知らされた。診断時の年齢は74歳である。結局手術をすることとなり、その後の静養も合わせると45日ほど入院した。特に患者同士で友だちになることはなく、一度も自宅に帰れず、心細い思いをした。入院中印象的だったのは、腸の中を見る検査(大腸内視鏡検査もあるが、この検査は注腸検査だと思われる)だった。1時間ほどの検査だったが、お腹が膨れぐるぐる回されて、とてもつらい経験だった。もう二度とあの検査は受けたくない。無事退院した時は嬉しかった。妻の治療でお世話になった医師や看護師とは顔見知りであり、自分にもよくしてくれたと思う。
今は40日に1回、血液検査やX線の検査でその病院に通っている。抗がん剤は髪の毛が抜けるのが嫌なので、入院中は数回受けたが退院してからは受けていない。転移や再発の不安はあるが、現在の健康状態については医師には大丈夫と言われているので、それを信じている。大腸がんの検診(内視鏡検査)もそろそろ受けた方が良いかと思い、医師に打診することもあるが、今のところしていない。日常生活では、お酒や肉など体に悪いものは控えており、散歩を毎日するなど、健康に気を使っている。手術の前には便秘がちだったが、今は毎日お通じがあるし、特に不自由なく快適に過ごしている。病院にもきちんと通い、帰りに買い物をして帰るのも楽しみのひとつになっている。