投稿者「dipex-j」のアーカイブ

英国人の乳がんの語り

ペニーは、5年間のタモキシフェンの服用の後、アリミデックスの服用を始めてから現在まで、ほぼ5年が経とうとしているが、もうすぐその服用を止めていいかどうかが分かるということです。

過去10年間の、最初の5年間は確実に、半年ごとに腫瘍専門医の診察を受け、その次は半年後にコンサルタントの元へ通っていました。つまり私は、年2回診察を受けていたのです。5年経った時にタモキシフェンの服用を止めました。その時「これからどうなるのかしら」と思いました。「はい、これで終わりですよ。」という段階になったのです。それで突然、「どうしよう、頼みの綱が切れてしまった!」と思いました。その後1週間も経たないうちに腫瘍専門医から電話がかかってきました。「一度病院に来て頂きたいのですが。」ええ、もちろんその時には、先生が私の治療を何か誤ったのだと思い、パニック状態に陥ってしまいました。

とにかく、用件は、近年の調査では、エストロゲン陽性腫瘍を持ち、卵巣摘出を行った人で、早期月経停止をした私のような年齢の女性は、5年間のアリミデックスを服用することが推奨されているということでした。その時点では、2年間の服用と言われていました。そういうわけで、私はタモキシフェンの服用を止め、引き続きアリミデックスを服用することになったのです。

結局私はコンサルタント、失礼しました、腫瘍専門医の元には行きませんでした。それ以来、彼女の元を訪れていません。しかし、コンサルタントの元へは引き続き通っていました。「絶対にそうしなさい、というわけではないのですが、引き続き年に一度の通院をされても結構ですよ。」先生方はそう仰っていました。年に一度の通院、これは私自身の心の平穏のために、自分で選んだことです。そして、そうすることで、薬や治療法の新しい情報が入りますし。実際、来週コンサルタントの元に行きます。これでアリミデックスの服用も5年になります。いつもコンサルタントの元を訪ねるたび、いつもあともう1年は服用するようにということでしたから、今度こそは期待しています。「これでアリミデックスの服用は終わりですよ。術後10年ですからね。」と言われたいですね。

英国人の乳がんの語り

ジリアンはタモキシフェンの服用でひどいほてりを経験したが、アリミデックスで副作用を経験することはなかった。しかし、DCISと診断されたため、約6ヵ月後、彼女はアリミデックスの服用を中止しなければならなかった。

私の考えでは、本当に十分回復したとなんとなく思っていました。その後、唯一の後遺症のようなものは、毎日タモキシフェンを服用しなければいけなかったということでした。

いつからタモキシフェンの服用を始めなければいけませんでしたか?

その後、かなり早かったです。処方されたのが、病理検査の後すぐだったように思います。検査を確認し、エストロゲンが影響した可能性があったため、タモキシフェンを処方されました。

放射線治療の前でしたか?

はい。

放射線治療の前

ええ、開始しました。

タモキシフェンについてどう思いましたか。何か副作用あるいは、ほてりはありましたか。

結局はその名前を覚えられませんでした。おそらく1年にわたって服用していました。更年期障害はまだ続いているんだわって思ったくらいほてりがひどかったんです。2006年末の定期健診まで続いたように思います。憂鬱が続いたままでした。ほてりが憂鬱な気分にさせるんです。これは副作用かもしれないわって彼女は言いました。そして、あの薬に変更になったのです。不運にも再度癌になる前にしばらくの間だけ服用しましたが、変更となって症状は良くなりました。

何に変更したのですか。

名前も覚えていません。

アリミデックスでしたか?

ええ、そうです。

アリミデックス

ええ、アリミデックスです。その薬は全く問題ありませんでした。

全く副作用はなかったのですか?

全くありませんでした。

なかったのですね。それで、毎日服用したのですね。

ええ。

全くなかった。ほてりもですか?

ほてりはなくなりました。

どのくらいの期間、アリミデックスを服用していましたか?

あいにく6ヵ月間くらいだった思います。服用し続けていたらって思います。もっと長く服用していたら生活にもっとゆとりができたじゃないかって・・。いえ、でもこれはかなり、これが再度癌になったことが分かる前の最後の期間のようでした。

英国人の乳がんの語り

イングリッドはアリミデックスを服用してから、関節痛、吐き気、ホットフラッシュに悩まされたが、吐き気は時がたつにつれてなくなっていった。

私はアリミデックスを服用していました。後から考えると記憶が確かでないことが時々あるということはお分かりになっていただけますよね。いつからアリミデックスを服用し始めたかはっきり覚えていませんが、私の記憶が正しければ、最初の、いえ、最後の化学療法を受けた後だったように思います。そう、その時にアリミデックスを飲み始めたのです。アリミデックスの服用で、朝起きると右手の指の関節や足の指が痛むようになりました。吐き気もありました。関節の痛みは、日中になると和らぎましたが、朝起きたばかりの時はまるで皮の長手袋をはめているような感じでした。関節に疲労感があり、重い感じがするのです。それが私の体験したことです。吐き気や体の内側から焼けつくような感じは、1日で妊娠初期と更年期障害を経験するような感じです。それを同時に経験しなくて本当によかったけれど。

18カ月たった今でも、副作用はありますか?

少しあります。吐き気はおさまりました。でも、それもつい最近のことです。クリスマスにも1月の始めにもありました。でも、この6週間くらいで吐き気も含め、ずい分変化がありました。体の中から焼けつくような感じはもうありません。今はホットフラッシュ(ほてり 熱感)、のような症状があります。そう、いつも夜11時頃、決まってこう思うのです。「眠りたいけど、眠らないほうがいい。今は暑すぎる。」と。そんなことがあるのです。そして、時々、朝、目覚めた時、暑くて汗でべっとりしているのを感じるのです。これがホットフラッシュなのですが、それもずい分よくなりました。

それで、どれくらいの期間、アリミデックスを服用しなければならないのですか?

もうあと3年です。

英国人の乳がんの語り

ベリテの視覚障害は、ある眼科医の治療によって改善した。また、彼女は、皮膚治療のために、フランスで買った様々なクリームを使用した。

ベリテの視覚障害は、ある眼科医の治療によって改善した。また、彼女は、皮膚治療のために、フランスで買った様々なクリームを使用した。

私は、タモキシフェンを渡されました。そして一週間後、目を覚ますと、片目が見えないことに気づきました。それで、腫瘍医に診てもらいに行くと、彼は「うーん、今までこういうのは見たことがないな」と言いました。幸いなことに、病院牧師が外を通り過ぎたので、私は彼をつかまえて言いました。「牧師さま、私はどうしたらいいでしょうか」と。彼はこう言いました。「ああ、それはタモキシフェンの副作用ですよ。このことは認識されています。私の資料で調べましょう」。はたして資料には、この薬の服用者のうちXパーセントの人の目に、こうした症状が出ると書いてありました。それで、あるフランス人眼科医の診察を受けに行ったところ、この症状は見事に治りました。

それから、眼科医の治療を終えて2、3日した頃、目を覚ました時にシーツが血まみれになっていました。体中にものすごい皮膚病変が起こり、皮膚がむけるやら何やら、ひどいことになっていました。それで私は、再び病院へ駆けつけました。すると、看護師はさらに皮膚を剥がし、「ああ、こういうのはどうしたらいいか分からないわ」と言いました。それで、私は自分で皮膚科医の診察予約をしたのですが、その医師は私に対して平然と「お年のせいですね」と言うのです。ええ、自分がいい年なのは百も承知していますけど、もし年齢のせいだとしたら、とうてい一夜でこんなことにはなりませんよね。それで、このことの説明を求めましたが、彼は「質問に答える時間がない」と言って、立ち去ったのです。

それで、この時、私は「いいえ、本当に、これは深刻な問題よ」と思いました。そうして、インターネットで調べたところ、フランスがこの方面の治療でもっとも優れていることが分かりました。そこで、私はラ・ロッシュ・ポゼ(ターマルセンター)へ向かいました。そこでは年間約8,000例の皮膚病を治療しています。だから、ここなら間違いないと、私は考えました。思った通り、彼らは皮膚病を熟知していました。たくさんの素晴らしい薬を処方し、とても詳しく精密検査をしてくれました。綿棒で、組織や分泌物等の検体を取ったりしました。そして私は、大箱一杯分のすばらしい薬を持って帰宅しました。それ以来、皮膚の病変部分が破れそうになる度に、薬をたっぷりと塗っています。

英国人の乳がんの語り

ペニーさんのご主人は、ほぼ毎晩、彼女の乳房切除痕をマッサージしている。性行為は早期の更年期の為に変わった。彼は終始協力的に彼女に接しているという。

主人は私と一緒に直面して乗り切ってきました。「本当に難しいことだと思うわ。私の主人は乳房切除のことを話したがらないし、傷跡を見たがらないもの。」とか、「私の主人は胸が好きなのよね。だから、彼には傷を見せられないし、裸になってからパジャマかナイトドレスを彼がベッドに来るまでに着るの。」と仰る方たちと話をしました。私は大物なので、ベッドに入る時は、何も身に着けません。切除後もそうです。ガーゼや包帯は別ですけれどね。言うまでもないことですが、私達は傷が癒えることを望んでいます。主人は、休暇に出かけている時や、夜遅くなってしまった時以外は、毎晩あることをしてくれます。私は、アロエベラジェルを使っています。切除を手術を受けた日から、私はこれを使っており、主人が私の傷組織へマッサージをしながら塗ってくれます。リンパ浮腫の発生を防ぐために、傷痕だけでなく、腕周りから背中へとリンパの流れを促すマッサージのやり方を主人に教えたのです。これはとても大切なことなのです。そういうわけで、主人はいつも私の傷口に触れています。

一番大切なことは、切除後にガーゼを最初に取る時から、ご主人やパートナーが立ち添って一緒に見るように配慮することです。
なぜなら、何があったとしても結局のところは、前と変わらない、同じ性格の、同じ人間なのですから。だから、話し合ってください。お互いに会話をすることこそが、最も大切なことなのですから。

性生活の観点から言えば、たしかに私達の性生活は変わりました。ですが、それは、身体のほてりなどという大半が、更年期に入ったからという理由だったと思います。「あぁ、なんてことでしょう。どこもかしこも暑いわ。」とか、膣の乾燥も経験しました。しかし、パートナーとお互いこういったことを話し合う機会を設けたり、主治医へ相談することは、とても大切なことです。今では、そういったことをサポートする物などが整っているので、恐れずに聞いてみるとよいでしょう。

英国人の乳がんの語り

イングリッドは癌のことを考えず、熱中できる企画や計画を持つことを勧めている。彼女と夫はドイツの農場にある家に引っ越す計画を立てた。

窮状を打破する策として、癌とは関係のないことで、誰かと共同の計画を立てることを勧めます。

実際に役に立ったのは、夫と一緒に農場の家を持つ計画を立て、それを実行することでした。夫と一緒に行い、夫と一緒に話しました。それは、私達の将来のためのものでした。そして、多分、それはとても役に立つことなのです。その他には、休暇の計画を練るとか、回復したら誰かと一緒にできることを計画するのもよいかもしれません。計画を立てて、誰かと一緒にそれをやり続けるのです。とにかく、癌と全く関係のないことを話し、こんなことを言ってみるのです。「ああ、キッチンのことでいいことを思いついたわ。出来るかしら?やるべきかしら?」そんなようなことです。または、「ああ、リビングの家具ね。こうする?それともああする?どうしようかしら?」そして、「ああ、いい考えが浮かんだわ。これもあれもすれば、きっと素敵よ。」こんなようなことです。

「何色のカーテン?」とか考えることです。癌のことは何も考えず、未来のことを考えるのです。誰かとの未来のために何かをするのです。そして、そう、私は治療を受けている時、「実現できるかしら?」と自分に問いかけていました。私はすぐに思いました、「もちろんよ。」と。

英国人の乳がんの語り

ペニーさんは、世の中の女性たちに対し、このようにアドバイスしている。診察を受けるときは、誰かと一緒に行ってください。そして、どうか焦らないでください。

質問をすることです。あなたが検査を受けに行く時、誰かと必ず一緒に行ってください。ご両親であったり、パートナーだったり、親友だったり、どなたでもけっこうです。そう申しますのは、そういった詳しい検査を受ける時は、先生たちがお話していることを全て聞いているつもりでも、聞き逃していることがあるからです。人は、都合のよいことだけを聞いてしまうものなのです。

それから、検査前に疑問に思っていることを全て書き出しましょう。私もかつてかなりたくさんの疑問を持ち、診察に行く度に彼らに疑問をぶつけていました。コンサルタントは病気について熟知している上、経験も豊富だったので、とても信頼ができました。彼らは、あなたの質問にすべて答えてくれるでしょう。でも、あなたが必要としていることは、ただ一つのその答えなのかもしれません。私にとってコンサルタントは、その質問を確かめ、答えを得られる存在です。

そして、どうか焦らないでください。私達は皆患者なのです。えぇ、たしかに診察時間はとてもタイトです。そして、自分が周りに迷惑をかけているかのように感じないでください。今でも覚えています。病室にいたとき、私はまだ37歳でした。もうその病院は取り壊され、今は新しい病院が建っています。20人ほど他の女性が入院している大部屋におり、他の入院患者さんは癌患者ばかりだけでなく、それぞれ病状は様々でした。そのうちの何人かは、非常にお年を召していらっしゃいました。その中で、その病室の片隅に私のベッドがあったのは幸いでした。そこにいた他の多くの方々が、私以上に看護を必要としている方々なのだと感じていました。思い返してみると、私もまた看護を必要としている患者であったことも実感しました。

だから、どうか質問をすることを恐れないでください。彼らはあなたをお世話するためにいるのですから。彼らは時に多くの情報をくれますから、誰かと一緒に行ってくださいね。「彼らは何を言ってるの?どういうつもりでそんなことを言うのかしら?」そんなふうに思うことでしょう。そして、彼らが病室を出て行ったあとに、いろんな疑問が湧いてきたら、あなたはナースコールをするでしょう。そのために彼らはそこにいるのです。彼らは、あなたを助けるためにそこにいます。彼らを呼ぶことを、どうか恐れないでください。

自分の体に異変を感じ、私はもう一つの胸のマンモグラフィーをとりに行かなければなりませんでした。最初の5年間は、年1回それを受けていました。今は2年ごとに受けています。いつも結果を待っているような感じではありますが、迷惑をかけたり、電話をかけて問い合わせたりするような人間になりたくありません。乳癌だと知ってから、私の担当の看護師さんがこう仰ったことがあります。「あなたが私を呼んだら、あなたの容態を確認しに行くわ。そしてもし、何かあなたが知りたいことがあれば、私がコンサルタントにそれを聞いてきますから。」と。そうです。彼らはあなたのためにそこにいるのです。

最終的には、人を利用することです。利用というのは、少し語弊があると思いますが。もし、あなたの周りに同じ年頃の女性たちがいるなら、その人たちのことを知り、考えなどを共有してください。なぜなら、そうしたことで私達はとても楽しい時間を過ごしたからです。外に出かけ、素晴らしい時間を過ごしました。私達は、お互いにからかいあったりしていましたよ。きっと振り返ると思います。だって、本当に大変な体験でしたから。今は偶然どこかで出会っても、そのことには触れて話すようなことは、ほとんどありません。

英国人の乳がんの語り

ペニーさんは、自分の楽しみの時間を前より持つようになった。彼女は、勉強をしたり、サックスのレッスンを受けたりしている。彼女は、ファッションショーにまで参加している。

私がパートに出ていた時、ちょうど何かスキルアップのためにやってみようかと考えていた頃でした。私自身、人事関係部門での資格を取得したいと思っていたので、 大学に戻り、1年教養課程を取りました。どうやって再び勉強をするか知るためです。本当に充実していました。それから、3年過程のコースを取りました。私はずっとサックスを演奏したいと願っていました。私の義兄は、音楽好きで、ギターなんかを弾いたりするような人間でした。その彼が、私の誕生日にサックスをくれました。なので、3年ほどサックスのレッスンを受けたのです。本当に素晴らしかったです。自分の能力の範囲内で、いろんなことにチャレンジしてきました。友人と一緒に18カ月働いた後、地方自治体でフルタイムの研修生担当のマネージャーとして復帰しました。働いてもう7年になりますよ。振り返ると改めて思います。「いやはや・・・時が経つのは早いものです」

この間にも私は他の活動も行っていました。18か月の研修期間中の早い段階で、私は2人の女性に、彼らの仕事を手伝ってくれないかと声をかけられました。彼女たちは、地元で、乳房切除を行った女性の衣類を扱ったビジネスを行っている、とのこと。お金の為でなく、彼女たちの助けになるのなら、と引き受けることにしたのです。彼女たちは、ウェブ上に載せるパンフレットを作りたいとのことだったので、私は友人と協力して、他の乳癌患者の3人の女性に会いました。私達は、いろんな種類の服を着て、たくさんの写真を撮りました。ホテルやそこのプールなどが撮影場所です。私達の名前は、パンフレットやウェブサイトに載り、とてもよい経験をしたと思っております。
実際に切除をした女性自身が、乳房切除を行った女性向けの服のモデルとなること、これは本当に重要なことだと思います。多くのモデル女性たちが切除女性向けの服を着用した様子は、本当に素敵に見えますよね。ですが、申し訳ないのですが、それはリアリティのある着用例の写真ではないのです。着用モデルは、切除手術を受けた方が行う必要がある、と私は考えます。実際に着用した場合の感じが伝わりますから。「見てください」「これを着たら素敵ですよ」と。

だから、地元の会社の為に、そういった活動をしました。そして、彼らの為に2回ファッションショーにも出ました。その2つのショーは、乳癌のことを知ってもらう為のグループのものだったと思います。

ある人は「アモエナ」。またある人は「アムーナ」と呼ぶ素晴らしい雑誌があります。ウェブサイト上にあるもので、年2回の発刊です。その雑誌を通して、それぞれが経験したことなどを、その中で公表するのです。あなたも書き込みができますよ。この雑誌の記事は、乳癌についてや、その薬について、治療法などの情報提供を行っており、我々患者にとっては、とても有意義な内容になっています。また、サイト内にはリンクが貼っており、乳房切除を行った女性の為の水着やブラジャー、衣類のカタログも載せてあります。私は、彼らにこうメールを打ちました。「もし、あなたが誰かの為に何かしたいと思っているなら、本当に嬉しく思っています。喜んで参加させて頂きます。今までいろんな方々から助けて頂いた分を返していくことが、私のすべき事だと思うから」

英国人の乳がんの語り

ジリアンは順調に回復しているが、ときどき少し気分が落ち込むことがある。癌になったことのない友達や家族は、ジリアンの気持ちを理解するのが難しいと感じることがよくある。

もし、ひょっとしたら脱毛やリンパ浮腫かもしれない状況で言うようなことについて話すなら、そして、「ええ、でもあなたは少なくとも生きています。」と同じようなことについて話すなら、それは本当に異様だという事あるいはそう言えるような時が数回ありました。でもそれは、「ええ、私が生きていることは分かっています。そして本当にありがたく思っていますが、でも私は愚痴や不満をただ言いたいのです。なぜなら、これは本当に私を落胆させるような事だからです。」と言うようなことです。

そして彼らが善かれと思ってやっていると私は思います。それは、「ほら、気持ちを前向きに持って、元気を出して、あなたは生きているのよ」と言おうとしているようなものです。そしてそれは、「ええ、分かっています。そう言ってもらえることが本当に幸せなことだって。でも私には、ただこのこと、つまりあなたにとっては癌に比べてこんなに重要な事について、でも私にとってこのほかならぬ日にこんな重要なことについて鬱憤を晴らすことができることが本当に必要なのです。」というようなことです。「10分だけ時間をちょうだい、不満を言いたい」ということが私は欲しいし、そういうようなことは数回あります。癌のことで不満を言ったことはないですし、癌について不満を言っているつもりはありませんよ。私はほんの少し言いたいだけですよ。そして、大丈夫、心配しないでねと言いたいだけなのです。

英国人の乳がんの語り

女性が治療から回復するには2,3年かかるということを知って、イングリッドはほっとした。しかし、そのことをもっと早く知りたかったと思った。

1月に乳がんの手術を受け、翌年の3月に人工股関節の置換手術を受けました。だから、倦怠感を感じるのかは、分からないけれど、多分、乳がんと股関節の手術と年齢から来るものでしょう。

私にはまず何が出来るでしょう。年齢には何も対処することができません。それは人間として仕方のないことですから。でも、関節の問題や乳がんから来る体力や気力の問題はどうでしょう?両方とも、だんだん良くなってきているのは分かっています。しかし、「どれだけ続くのかしら?」ということなのです。私が考えていたよりもずっとずっと長くかかっているのです。私は目標を設定しました。これこれまでに私はこれこれができるようになる、というように。そうして、今もまだ私はゴールに向かって進み続けています。

「すっかり良くなるには2,3年はかかるけど、だんだん良くなっていくと大勢の女性から聞いたわよ。」と言われたのにはほっとしました。でも同時に怒りも覚えました。もしそれが知られていたら、それが事実だとしたら、そういうものだとして受け入れられたでしょうに。雇い主はそのことを知っておく必要があります。どれくらい仕事ができるかということに影響あることですから。これが現実です。すっかり回復するには2,3年かかるという事実は受け入れられるべきだし、もっと先を見据えるべきでしょう。