投稿者「dipex-j」のアーカイブ

乳がんの語り

がんだとわかって中学に入学した娘に伝えたとき、「そう」と言っただけで、どんな風に感じのたかわからなかった(手話・通訳付)

わたしが、おかしいなって、最初、おかしいなって思った時が、小学校5~6年、5年ぐらいでしたね。で、実際にがんが見つかったのは、中学校入ったあとです。娘は。

―― わかりました。じゃあ、娘さんには、どんなかたちで伝えられたのかってことも、ちょっと教えてください。

うーん、そのまま言いました。そのまま、がん。そしたら、「そう」だって。「あ、そう」って言ったんですね。中学の時、がんは詳しくわかんなかったのか、たまたま、自分に対しておじいちゃんですね。わたしの父ですよね。がんっていうのを見てたので、わたしも、こう、同じがんっていうような感じで見たかなー、と。まあ、どんなふうに考えたかわかりませんけれども、自分なりには、たぶん苦しいことたくさんあったと思うんですけれども、学校生活で忙しいってこともあったので。うーん。まあまあ、娘は娘の、思春期の、まあ、反抗期とかもあって、まあ、わたし自身もあんまり言わないで、「大丈夫よ。お母さん、大丈夫よ」っていうような感じで、うん。まあ、そのまんま言いました。うん。ま、主人は、いろいろ手伝ってくれたので、はい。それがあったお蔭で。はい。あと、犬がいたんですね。愛犬がいたので、それと遊ぶということも、精神的な面で楽になった、助けられたっていうふうに、ところがありますね。

乳がんの語り

がんだと確定した後、夫に治療のことを含めて、詳しくわかるように伝えた。夫はとても心配して、上司に相談し、療養中は残業せず、早く帰宅するようになった(手話・通訳付)

その時に、結果をはっきり、「がんです」って言われた時に、「100パーセント、もう、がん、間違いないです」って言われた時、その時に、これからの方針の、治療方針の説明をされた時に「ご主人には?」って聞かれたんですね。ですから、「検査したことは言ってますけれども、結果は今日伺ったんで、今晩話すつもりです」というふうに言ったんですけれども。「ご主人にしっかり伝えてください」っていうふうに言って、「わたしも当然伝えますよ」とは言ったんですが、その夜、ちょっと仕事で、残業で遅く帰って来たんですが、主人の顔が、疲れてるかな、どうかな、なんて見て、帰ってくると、主人のほうから「結果はどうだったんだ」っていうふうに聞かれたんですね。それで、「うん…ねえ、驚かないで。落ち着いて聞いてね」って言ったんです。「やっぱり悪かったの?」っていうことで、「そう」とうなずいたんです。「手術するの?」っていう感じで、「いやいや、おそらく点滴やなんかの治療になると思う」って。「それ、何、何、何やるの?」って言うから、ってことで、その時「抗がん剤」って言ったんですね。「つまり、がんを小さくするために、まず、抗がん剤の治療を受けたあと手術になる」っていうふうに、「具体的なことは、また改めて相談するけど」っていうような感じで言ったんです。

主人は「手術したほうがいいんじゃないか」っていうような感じだったんですけど。早く取ったほうがいいっていうふうに思ったんでしょうけれども。まあ、「乳がんは全身のがんだから、まず抗がん剤を受けて、体のがんを、体のがんを殺す。あちこち殺したあと、手術になる」っていうような説明をしたんですね。まあ、主人がわかるように、丁寧に細かい、具体的に話したんですけども、主人は、「ああ、抗がん剤を受けるのか。それは入院するのか」っていうような感じで。で、「うん、1回目は入院する。2回目からはいらない。病院に通えば、通院すればいいんだから」っていうようなことを説明したんですね。で、「2年間?」とか言って、「まず7ヶ月間って、お医者さんには言われたけど」っていうように、具体的に、ひとつひとつ説明しました。

「病院に僕は一緒に行ったほうがいいの?」っていうようなことで、「大丈夫、大丈夫。わたし一人で行ける。通訳、一緒に行ってもらうわよ」っていうようなかたちで話した時に、主人もいろいろ考えたんでしょうね。次の日ですね、会社の上司に報告したらしいんです。「実は、妻が乳がんということがわかりました。これから入院したり治療したり、いろいろ必要になることがあります。ですから、しばらくの間は、残業はさせないで、定時、5時で帰れるようにしていただけますか」というように上司に話したんですね。上司からの理解も得られて、「奥さんを助けなきゃいけないよ」なんていう感じで、逆に、「奥さんのために」っていうふうに言われて。その時に、帰った日ですね、「明日から残業はしない」って言うんですね。「いや、まだ、今度治療が始まったあと、お願い」っていうような感じで言ったんですけどれも、とにかく、その上司の方も理解がすごくあって、そのお蔭で、主人も、いろいろわたしに気遣ってくれて。入院の時も、通院の時も、苦しい時もきちんと定時に帰って来てくれて、お掃除など、家の中のことをいろいろやってくれました。ほんとに助けてもらいました。やっぱり、その上司の理解ですね。そのお蔭だと思います。

乳がんの語り

8年経っても転移の不安はどこかにあるが、体に気をつけて悪いことは考えず、前向きに楽しいことだけを考えて過ごすようにしている(手話・通訳付)

その代わりに、病院のこと考えないように、病気のこと考えないようにして、仕事に戻ったほうがいいかな、というふうにも思ったんですけれども、やはり父のこともありますし。うーん、残念だけど、父は途中で亡くなったんですけれども、そのショックもあったんですね。実際に、自分も転移して、母がその時残ったんですけれども、母のためにも先に自分が死ぬようなことではならない。母より先に死ぬようなことがあってはならない、というふうに、自分の中で、気を付けよう、注意しよう、悪いことは考えないようにしよう、というふうに思って。とにかく、悪いことは考えないように、楽しいことだけを考えればいいというふうに思って。また、主人に言われたんですね。「そんな、あんまり考えるんじゃないよ」って。「楽しいこと、旅行に行きなさい」とか、そんなふうに主人が言ってくれたんですね。「あ、旅行も楽しいからいいわね」なんていうことで、友達と一緒に行ったりとか。

とにかく、楽しいことを考えよう、悪いことのほうに気持ちがいかないように、いつもいつも、楽しいこと、楽しいことっていうふうに考えるようにしてました。やはり、やっぱり葛藤はあるんですね。胸の中で。心の中で、大丈夫っていうのと、悪くなるんじゃないかっていう、その葛藤、揺れ動きですかね。そういうのが常にありました。そんな繰り返しでしたね。実際に、今も、実は不安はあるんです。8年たちましたけれども、転移の不安っていうのは、いつもあります。どこかにあります。でも、「うん、大丈夫。自分を信じて大丈夫。大丈夫ということを信じて、前向きにならなきゃいけない」と思って。まあ、この、そんな感じですね。で、今まできました。

乳がんの語り

術後抗がん剤治療を受けたが、肝機能が低下し、倦怠感が辛くて治療中止を決めた。夫は続けてほしかったと思うが、意思を尊重してくれた(手話・通訳付)

放射線治療が終わったあと、次は抗がん剤を飲む、点滴ではなかったんです。注射とか点滴ではなく、飲む。「3年間飲まなければいけない、毎日飲む」というふうなことを言われて、その時、毎日飲むのを忘れたりとか、また、副作用はどうなのかっていうこと、お医者さんにいろいろ聞きました。その結果、自分も、「もしも本当に嫌になってやめたいと思った場合はやめてもいい?」って言ったら、「はい。自分で決めてください」っていうふうに言われたんですね。

3年間、毎日飲むのはできるんじゃないかな、と思ったんですけど、やっぱり副作用がひどくて、ものすごく疲れるんですね。っていうか、肝臓の機能が低下してしまったんですね。疲れというよりも、うーん、数値を見たら、もう、これはもうだめだということでストップ、お休み。薬はお休み、1ヶ月間、休んだんですね。(休むよう)言われたんです。1ヶ月間ということで。

で、休んで、体、やはり元気になりますよね。ああ、こういうものなんだ、と思って、1ヶ月後、薬の治療が始まる。飲み始めたら、やっぱり、また疲れやすくなってしまうんですよね。波があったんですね。休んだりとか、治療を続けたり、またお休みするっていう、その繰り返しだったんです。で、これは、とてもじゃないけどっていう感じで、こんなふうに休んでたら5年ぐらいかかっちゃうんじゃないかしらと思うと、もう、これはもう、この生活はとてもじゃないけど続けられないと思って、2年の途中ぐらいで、ちょっと手前ぐらいでやめました。

「やめたい」と言ったら、お医者さんも「ああ、いいですよ」っていうことで。「もう、治療法は他にはないです」ということで、「それでもいい」と。治療法はない。「あとはもう定期的な検査だけ、定期検査だけになります」というふうに言われて、自分でもそれも納得して、とにかく、薬は、もう、もう二度と嫌だということで、はっきり「やめます」ということにしました。そのあとは、まあ、定期検査は、今まで、ずっと今日まで続けています。

―― やめる時に、ご主人様とかには相談されたんですか。

はい。主人にも相談しました。主人は「やめて大丈夫なのか?」っていうふうに言ったんですね。「がんが残ってるんじゃないか」って言われたんだけれども、とてもじゃないけど自分では続けられない。「見てわかるでしょう?」まあ、夫は「しょうがないだろう」とは言うんですけど、とにかく、ほんとに、疲れて疲れて、とても耐えられない。もう、いい、ということですね。「あと、もうどうなっても構わない。今までこれだけ一生懸命やってきたんだから、もうこれで終わりでいい。自分はやるだけやった」と言って。主人も、「うん。それなら」ということで認めてくれました。実際、やっぱり、最後まで、主人は続けてほしかったと思うけれども、「自分で決めたことだから」ということで、わたしを尊重してくれて、納得してくれました。

乳がんの語り

がんが大きく、トリプルネガティブでリンパ節転移があり、医師に術前抗がん剤治療を勧められた。本で調べてわかっていたので、納得して治療を受けた(手話・通訳付)

まず、治療方法ですけれども、わたしの乳がんの場合は、トリプルネガティブというタイプだったんですね。つまり、ホルモンでは陰性だったんです。HER2陰性だったんですね。ですので、要するに、抗がん剤治療だけということで、他の方法がないっていうものでした。でも、まあ、見つかった時は、かなり、ちょっと大きかったんですね。ちょっと大きかったんです。また、リンパにも転移してた。それは、はっきりわかってたんです。ですから、手術の前に抗がん剤治療で点滴をしなければいけないというふうに、あの、言われたんです。医師から。その前に、自分でも本で調べてて、手術前、術前治療を、抗がん剤を受ける方法があるっていうのは、なんか、8年ぐらい前(2007年当時)から、もう、一般的、8年前は一般的な治療方法だったので、自分でも納得できました。その方法は。で、納得して受けました。

手術の前に抗がん剤治療を受ければ効果があるかどうか、ま、自分でもわかりますよね。小さくなった、なくなったというような、そういうような、自分でもわかるというのはいい面ですよね。そういうのも、前もって自分で勉強してわかってました。なので、納得して受けました。でも、薬の種類がたくさんあるんですね。どれがいいのか、これがいいのか、悪いのか。意外に、主治医の先生のお話だと、「この方法が一番いい」というふうに言われたんですね。「トリプルネガティブタイプなので、薬はこの薬がいい。これが70パーセント効果がある」というような説明がありました。で、もう70パーセントだったら効果があるだろうから自分としても期待をしてたんです。で、それを納得して選んで受けました。その方法で治療を進めていきました。

乳がんの語り

がんを知って、周囲から水や薬など高いものをいろいろと勧められるが、「ありがとう。買うときは頼むね」と言ってやんわり断っている(手話・通訳付)

そうですね。水、なんだっけな。名前忘れてしまったんですけど、なんか、いいお水があるとか。「この水がいいよ」とか、こういう薬、薬じゃなくてサプリメント、「こういうのがいいよ」とか、「おすすめよ」なんていうふうに。すごい高いんですよね。どれもこれも。ほんとに効果があるのかな、とも思ったし。まあ「情報ありがとう」ということで、「検討しておきます。考えておきます」ぐらいで、あとで調べると、なんか、ものすごいデータがあったりするんですけど、これは、ちょっとほんとなのかどうか、ちょっと自分では判断がつかないので、もうこれはいい、必要はないというふうに思って。あの、断らないんですけどね。「あ、考えてみるわね」なんて、うまく、こう話合わせるような感じで。「買う時は、まあ、言うのでお願いします」みたいな感じで、うまく、やんわりと断ってるっていうか、まあ、うん、そんな感じで。確かに、情報をくださるのはすごくありがたいんですけれども、やっぱり、自分は受けなかったですね。

乳がんの語り

本当に仲のよい友達4人に話したら、頑張れとは言わず、普通通りに接してくれた。反応はいろいろだが、今は少しずつ周囲の人に伝えている(手話・通訳付)

ある友達に、本当に仲いい友達なんですけれども。4人、4人いるんですけど、その4人だけには言ってあったんですね。がんが見つかったって。これから手術とかいろいろ治療が始まるっていうふうに、4人にだけには言いました。で、たまたま、あ、4人の中の近しい人に、あの、うん。近しい人に、がんが経験した人がいたんですね。だから理解があったんです。だから、この4人が病院にお見舞いに来て、入院中、お見舞いに来てくれたりして、ほんとに、そんなに「頑張れ、頑張れ」とは言わないんですね。「これ、おいしいもの、食べられる時、食べてね」なんていう感じで、ただ、「頑張れ」っていうことは一言も言わなかったんですね。「頑張れ」って言われると、逆にプレッシャーっていうか、気持ちに落ち込んだりするけど、その4人はわかってるので、「頑張って」っていうことは一言も言わなかった。ほんとに普通に、いつものように接してくれたんですね。だから、そのお蔭で、すごい気が楽になったと思うんで、ほんとに4人には感謝してます。

実は、他の友達には言わなかったんです。誰にも言えない、他の友達には言ってませんね。まあ、なんか、悪いうわさが広まってしまうのが嫌だったので、変に。だから、主人にそんなことで迷惑、なんか好奇心持って話されたりしたら嫌ですし、他の人たちには言わなかったんです。しばらくの間は言わなかったんです。でも、手術終わって、あ、無治療になってから、今から2年ぐらい前から、実は以前、自分は、あ、「突然、途中で会わなくなったけど…」っていうようなことを言われた時には、「実はがんだったの」って。「なんで言ってくれなかったの」なんては言われてしまうんだけれども、まあ、「ごめんなさい」っていうことで。「言ってくれればいいのに」なんて、「寂しかったわ」なんていうふうに言ってくれる人もいたんですけれども、がんだからって、ちょっと、こう、あの、友達関係がなくなってしまうっていう、そういう人もいるので。まあ、そういう人は、まあいいです。とにかく。今は、もう、がんになったんだっていうことは、少しずつ言うようにしてます。反応もいろいろですね。その人によって。

乳がんの語り

皮膚移植のため、術後1ヶ月腕を固定していたので、リハビリが大変だった。回復に1年半かかったが、手話のできる看護師がいて励みになった(手話・通訳付)

1年間、抗がん剤の治療をして、小さくならない、効果がなかったということで。でも、幸いなことに、リンパの転移だけで、他の(離れた)臓器とか、他には全然転移してなかったのね。CTとかMRI、いろいろな検査をしましたけど、その結果、(リンパや皮膚の)他に転移はないってことだったんです。なので、「手術を受けましょう」ということで、やはり全摘ですね。乳房温存はちょっと無理だと言われて、全摘ということで。また、皮膚の、皮膚の転移というか、つまり、こう、皮膚になんか、うーん、「皮膚の転移ある場合は全部取らなければいけない」というふうに主治医に言われたんですね。要するに、「お腹から皮膚を、全摘の場合、お腹から皮膚を胸に付けなければならない。そして傷を閉じるというようなかたち」というふうに言われました。そういうふうに、主治医の先生から、前もって全部の説明を受けました。で、自分でも納得して、納得できました。

手術、で、そのあと、手術のあとが大変だったんですね。皮膚を移植したために、手術したあと、動けないように、1ヶ月間、手をぐるぐる巻きにされたんですね。そういうふうに主治医に言われたんですね。で、入院も長くなるというふうに言われたんです。それも全部仕方がない。普通だと、1週間か10日で終わる手術なのに、1ヶ月間、わたしの場合は1ヶ月間、入院しました。長かったんですけれども、自分では長く感じたんですけども、その間、リハビリもして腕を上げることとか、やっぱりつらかったですね。それが、やっぱり、ずっと、こう、皮膚がこう、きちんと、こう、くっつくまで、やっぱり1ヶ月間かかったために、リハビリも、なかなか動かせないので固まってしまったんですね。だから、それを治すのは、ほんっとに、1年半ぐらいリハビリはかかりました。でも、どうにか、こう腕も上がるようになって、使えるようになるまでには、やっぱり1年以上、1年半ぐらいかかりましたね。

そのリハビリは大変だったですけれども、幸いに、リハビリする場所は、その人たちが、すごくいい人が多かったんです。その中で、手話ができる看護師さんがいたので、いつも行くたびに手話でお話ができたというのがありましたね。「今日、5ミリ上がったよ。上がるようになったよ」なんて、「良かったね」なんて、そんな話をするようなこと。やっぱり、その時にはすごい楽しかったですね。リハビリに行く時が、一番楽しかったです。

乳がんの語り

かかりつけ医から紹介された病院でマンモグラフィを受け、がんだとわかり、真っ白になった。伝えたときの母のショックを受けた顔が忘れられない(手話・通訳付)

風邪とかインフルエンザとか、熱とかがあった時に行くかかりつけ医に、まず相談しようかしらと思って、行きました。で、相談した時に、まずエコーがあったのでエコーを取ってもらったんですね。やっぱり、「ちょっとおかしい。何かある」ということで、「やはりもっと具体的な検査、マンモとかそういった検査を調べなきゃいけない」と言うけれども、「自分の病院にはない」と。「だから、ちょっと大きな病院を紹介します」と言われて紹介状をいただいて、その病院に行ってマンモをしました。

その時は1人だったんで、1人で行ったんです。検査だから1人でも大丈夫かしら、と思って行ったんですね。家族にも両親にも言わないで、自分だけで検査に行きました。で、そのあと、結果は、いつも行っている、そのかかりつけの病院から連絡があって、検査結果を聞かされ、やっぱり、うーん、「大きい病院を紹介します」というふうに言われたんですね。で、自分の中では、やっぱりがんなんだ、がんに間違いないっていうふうにわかりました。

でも、まあ、ちょっとそれは言われてしまったらショックでしたけれども、その時に、どうやって家に帰ったか、まったく覚えてないんですね。とにかくパニック状態。もう真っ白で。まず、父ががんになった次に、自分、娘のわたしもまたがんになるなんて、思ってもいなかったので、母にどうしよう、なんて言えばいいんだろうか。母はもっとショックだろうな、どうしたらいいのかしら。また、家族にも言いにくい。娘はまだ小さい。主人にもどうやって伝えたらいいだろうって、それはすごい悩みました。

とにかく、母に言いました。やっぱり大きな病院に行ったほうがいいっていうふうに、がんかな、がんかもしれない、っていうふうに言ったんですね。母も、やっぱりものすごいショックですね。母の、その時の顔は、もう忘れられませんね。病院から帰ったのか、どうやって帰ったのかわからなかったけども、母の顔だけは覚えていました。

乳がんの語り

ろう者の場合、相手の言っていることがわからなくて不安になり、検診に行くのを躊躇してしまうが、自分は元気だから大丈夫と思わず、検診を受けてほしい(手話・通訳付)

ろうだから行かないっていうか、というのではなくって、ろうだから、ちょっと難しい、遠慮するっていうか、自分が聞こえないから、検診に行っても聞こえません、聞こえないですよね。何やってるかわからないですよね。だから、例えばマンモでも、「脱いでください」って言われても、なんで脱がなきゃいけないのか、どうやったらいいのか。でも聞くこともできない。「これからマンモをしますよ。こういうふうに上から挟みますよ」なんていうふうに情報があればいいんですけれども、書いてもらっても、やっぱりなんか、よくわからないっていうこともありますよね。だから、行く前に、もう、ちょっと想像して不安になってしまって、行くのやめようっていう人が多いんですよね。

検診の場合は、まず、行政から連絡がきますよね。無料検診とかそういうのがありますね。胃だとか肺だとか。女性の場合は、乳がん、子宮、いろいろな種類があります。検診、それ、結構やっぱりね、そのまま行かないで捨てちゃう人いるんですよね。聴者も同じ、聞こえる人も同じだと思います。自分は元気だから大丈夫だ、っていうことで、やめて。必要ないって思うろう者、結構、結構、実際いるんですよね。まあ、行ってみようかな、でも、自分は聞こえないから、ろう者だから、言ってることがわからない。どうやってやったらいいのかもわからないし、だから、もういいや、ってことで行かなくなってしまう人がいるんですね。聴者と、聞こえる人に頼むのも、やっぱり、ちょっと、うーん、裸になるし、なんか自分のことを知られてしまうのもちょっと心配だし、っていろいろ考えてしまうんですね。あれもこれもって想像してしまって、そして結局、心配になってしまって、やっぱやめよう、っていうふうに思ってしまうんですね。

ま、聴者も、確かに、聞こえる人もいると思いますけれども。うーん。まずできることは、とにかく元気なんだ、体、具合悪くないんだ、大丈夫なんだ、っていうふうに思ってる人は、やっぱり多いんですね。がんというのは、最初はわからないわけですよね。気付かない。自分では。最後になって、重くなってから初めて体がおかしいとわかると、進行してる。かなり。その前に、やはり見つけなければいけないですよね。ほんとに、そうでなければ、早期に見つかれば生きていくことができる。そういうことをよく知らない人が多いんですよね。だから、つまり正しい情報がない。わたしたち聞こえない人たちは、(特に)きちんと情報を得るっていうことが必要だと思います。