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乳がんの語り

体調不良で検査をしたら、たまたま転移が見つかった。遺伝性と診断されていてがんとは切っても切れない関係にあると思っていたので、ついにそのときがきたと感じた

ホルモン療法は、最初の2009年のときから数えて、合計で10年ということで言われていたんですが、まあ、その治療をしている間に2016年、その局所再発が分かったときから3年後に、今度はがんが肝臓に転移していることが分かりまして、いわゆるステージⅣということで、これまでは、がんを治すことを目標に治療をしてきたんですが、そのときから、その肝臓に転移が分かったときからは、いわゆる延命治療というかたちで、完治は望めないので、薬を飲みながら、治療をしながらより良く、より長く生きるということが目標に、治療の目標になりました。

体調不良が続いていて検査を受けたんですけど、その体調不良が直接、転移していたからの不調ではなかったんですが、まあ、たまたま体調不良が何かのサインになって検査を、いつもより多く受けたところ肝臓に転移しているっていうことが分かったんですが。そのときはやっぱり、まあ、ショックではあったんですけど…、まあ、いつかそういうときがくるのかなっていうのを心の中で思っていたので、ついにそのときがきたんだなと思って。で、あの、私の乳がんは遺伝性の乳がんといって、最初のほうに、乳がん、がん家系だと言ったんですけど。

遺伝子検査を受けたときに遺伝子変異が見つかって、で、遺伝性乳がん・卵巣がん症候群と診断されていたので、そのときから私はがんとは切っても切れない関係にあるんだなとは思っていたので、ここで、再発、肝臓に転移したときに…、あ、ついにそのときがきたんだなって感じました。

乳がんの語り

主治医から皮膚移植をした医師が丁寧に縫ってくれたと聞かされていたので、傷跡は想像通り綺麗で、自分としても変な感じがしなかった(手話・通訳付)

手術したばかりは、1ヶ月間ぐらいは、ガーゼみたいなのがあって自分では見えなかったですよね。手術したあと、3週間、3週間後ですか。ガーゼを取って自分で見ることができたんですね。その時は、まあ、想像通りだったな、と思ったけど、意外と奇麗だったんですよね。手術の跡が。縫い方が非常に奇麗だったんです。細かく丁寧に縫ってあったんで。想像では、かなり傷がひどいんじゃないかと思ってたんですが、奇麗に縫ってあったので。いや、ちょっとわからないぐらい奇麗だったんですね。

だから、うわ、これは不思議だわ、と思って、そのあと主治医に聞いたらば、手術してる間、わたしは寝ちゃってますよね。わかりませんよね。えー、8時間。8時間かかったそうなんですけれども、まず、主治医の先生ががんを取ったのは2時間ぐらい、2時間半ぐらいですかね。その次に、皮膚の移植のその先生が長かったですね。5時間ぐらいかかったということで、本当に一生懸命に丁寧に、奇麗に縫ってくれた。本当に丁寧にやってくださったらしいんですね。だから、時間がすごい長くかかったということで。主治医の先生も、「なんで長いんだろうな、おかしいな」なんて言って、ちょっと手術室に見に行ったりしたぐらいだったんですけども、「あ、今、きちんと奇麗に縫ってるんだ」ということで、家族みんなに、「今、ちょっと丁寧に、奇麗に縫ってるから時間がかかるんです」っていうように説明してくださったみたいです。

だから、5時間以上かけて、ほんとに縫ってくださったということで、その分奇麗だったんですね。自分で見ても、なんか変な感じしなかったんですよね。だから、今見ても、自分で納得できる傷だったんですね。だから、再建は、まあ、もうちょっと考えないというか、いいかしら、っていうふうに思いました。今は、もう主人も娘も、見ても、もう全然慣れてしまって、「(胸が)ない。ふーん」っていうぐらいですね。わたしも、まあ、いいやっていうような感じですかね。そんな状況です。

乳がんの語り

手術室に入るまでは手話通訳がいたが、それ以後は紙に書かれたものを見せられた。緊張もあり、よくわからないまま麻酔がかかった(手話・通訳付)

もう一つは、手術の時。うーん、ちょっと、朝でしたかね。朝、10、9時かな。9時、手術の時にそう言われましたよね。それで準備しますよね。もちろん、(手話)通訳は、その時は来てくれます。家族も来てくれます。で、通訳の人が来てくれて、手話で情報を教えてくれます。それから手術室に運ばれますよね。そこまでは、通訳してもらえます。

でも、手術室に実際に入ったあとは、もう通訳は一緒に入って来られないので、もうまったく(情報は)ないですよね。手術室の中では、看護師さんがいますけれども。前、その前の夜でした。看護師さんと、手術担当、あと麻酔の先生が来てくれて、細かい説明してくれたんです。「コミュニケーション、どうしましょうか」なんていうかたちで、紙に、こう書く。「そういう準備をします」とは言ってくださいました。紙に書いて準備をしてくれました。「これから麻酔を入れます」とか、「これから何をやります」っていうようなのを書いてくれて準備をしてくれたので、わかりましたけれども、手術室に入って、やっぱり緊張しますよね、ものすごく。紙、寝てるところに、紙をバッと出されても、なんか、次々めくられても、「あ、ちょっと待ってください。さっき、なんだったかしら」なんて、やっぱりちょっとわからないまま進んでしまった。で、あっという間に寝てしまった。麻酔が効いてしまって寝てしまったっていうような感じでした。

うーん、ま、確かに、心の準備ですね。これから何をやるってことがわかれば、もっと安心できたと思いますけれども。やっぱり、紙に書いてくれても、すぐにこう、読めないんですよね。次々とめくられても、やはり、なかなか自分で読み取ることも難しいし、そのあと嫌になってしまって、「どうでもいいです、お任せします」なんていう気持ちになってしまったんですね。その時、手術の時は、やはり手話できる人が誰かいれば、「これから、これやりますよ。次、麻酔なりますよ。次に胸を開きますよ」みたいな感じで、これから次のことを言っていただければ、手話で見られれば安心できたんだけれども、いや、そこまでは、やはり難しかった。なかったですね。やっぱり、それはちょっと残念ですね。

とにかく、まあ、結果的には成功したわけですから、それはいいんですけれども、今思い出すと、細かいところがわからなかったな、通訳があればよかったな、情報保障がきちんとされてなかったっていうようなことを思いますね。

乳がんの語り

男として家庭の維持、そして会社の経営の安定を支えにしてやってきたが、病気のことは誰かに相談したり、話したりすることはなかった

一応、男として、まず、家庭というものが、えー、通常通り、ね、維持できること。それから、まあ、わたしの場合は、一応小さいながら会社経営していますんで、会社というものの、いわゆる、その商売というものがいかに安定した状態で、万が一、わたしに何かがあっても、いわゆる継続して、その営業できるかっていう部分だけ。ほかの部分では、あまり、何ていうかな、心配していなかったですね。もうそこだけ。だから、そういうふうになるようになれば、まあ、あのー、いざというときに、でも、ちゃんと、みんな、皆さん乗り越えられるかなっていう気はしていましたんでね、はい。

―――その、維持していこう、家庭のこと、会社のこと、そのために、何か特別なさったこと、周りの人に働きかけたりとか、ご自分で気にかけたりとか。

(笑)何もないです。あのー、これ繰り返しになりますけども、いわゆる、その他人に依存をまずしない。それから、いわゆる、そのー、自分の将来というのは、自分が切り開いて自分が結論を出さないと、駄目と思っていますんでね。だから、そういう意味では、誰かに言うてって、いうようななかったですね。ええ、全く、その病気以外のことであれば、あのー、ざっくばらんに相談したりとかっていうのはあります。これは、なぜかというと、そういう利害関係が何も出てこない…ものごとであれば、そういう、あのー、相談したりとか、話したりとかっていうのはしますけども、それによって、やはり、みんなどちらかが、いわゆる、その利害というものが出てくる発生するんであれば、基本的には、わたしは、そういうものは、依存しないっていう方法なんで、方法というか方向なんで、はい、言わないですね。だから、こうなったら、あのー、こういうふうにしてなとかっていう、そういう依頼はもちろんしないし、病気になったことによる、その相談ごというのは、ほんとになかったですね。はい。

乳がんの語り

乳がんが女性ホルモンの影響を受けて大きくなることを知って、自分は普通の男性と違って、性格や行動が女性的な面があるような気がしている

―――女性がなりやすい乳がんになるっていう。そういうのって、こう男性性に、こう、影響するんでしょうか。

していると思います。あのー、基本的に、何っていうかな、わたしがフェミニスト、いわゆる、その女性の味方っていう。それは、なぜかいうと、同類に思っちゃっているんですよね。うん、男なんですけども、いわゆる、そのー、考え方っていうか、性格というか、そっちが女性のほうに近い違うかなって、自分で勝手に思っています。

―――ああ、その乳がんって分かってから。

はい。その原因が何だかっていうもの分かって。だから、未だに会社で言っていますけども、まだ、男になりきってないねんっていう感じ。(笑)

―――自分としては、100%男性っていうのではない、もう少し、中性的なイメージに、自分自身がなりましたか。

うーん、それ、そこまではないですね。当然、その男性としての機能をも、ちゃんと、あのー、はたしていますし。だから、そういう部分じゃなくて、えー、物事のその考え方というか、判断の仕方というものが、どっちかいうと、その男性的じゃなくて女性的な、そのー、判断の仕方違うかなって。逆に言うと、その、めそめそしたりとか、変なところですぐに涙ぽろぽろ流したりとか。うーん、ていう部分。何か、ちょっと、強いのは、これ、やっぱりそういうちょっと女性的な面があるんかなっていう。そういう気はしますけども。

ただ、あのー、思い返すと、ホルモンのバランスというのが、通常の男性と、あ、違っているんだなっていうのは、認識させられたし。あのー、基本的に言うと、そういう、いわゆる、そのバランス、ホルモンのバランスというものが違うことによって、自分がその考えていること、行動していることが、ああ、ちょっと女性よりだなっていう部分は、逆に言うと、この病気によって認識させられたっていう部分はありますね。

乳がんの語り

ホルモン療法で女性ホルモンを抑制しているので、今は女性から男性に変わりつつあるのだと思う。通常の男性と同じホルモンバランスになったら男としてどうなるか興味がある

―――男性性とかセクシュアリティとかそういうところに、治療であるとか、ま、手術であるとか、乳がんになったっていう事実は、精神面でとか、影響っていうのはございましたか。

とりたててはないですけども、やはり、あのー、今現在、わたしは、女性から男性に変わりつつある、生まれ変わりつつあるっていう状態なんで。ま、年齢的なもんもあるんで、そのー、若いときのような、その、精力いうのは、もちろん、減退してますけども、あのー、興味があるのは、いわゆる通常の男性と同じようなホルモンのバランスになったとき、どういうふうにね、その男として、どういうふうになるんだろうっていう興味はあるんです。ただ、年齢的なもんがあるんでね。多分に、その、若いときと同じように、あのー、っていうのはないかと思うんですけども、まあ、これも一つの経験みたいなもんで、いい、あのー、経験をするんかなっていう気はします。今までは、あのー、何もないですよ、ええ、その、女性ホルモンが多いから、そんな、あのー、精力がないとかっていうのはないです。ええ、同じようにやはりそういうものはあるし、するんですけども、これが、あのー、ホルモンのバランスが、従来と変わったときに、どういうふうに出てくるか、これはこれで興味があるなとは思っています。

乳がんの語り

ホルモン療法中に動悸・息切れが多くなったと感じ、マラソンをするような自分なのにおかしいと思った。主治医に聞くと薬の影響もあるが、年齢のせいもあるのではと言われた

薬の種類にもよるんでしょうけれども、どっちかというと、あのー、わたしは低血圧のほうなんですよ。大体、110の70ぐらいなんです。ところが、薬を変えられることによって、あのー、動悸息切れ、これが頻度が多くなった、あのー、時期があるんです。

―――えーと、ホルモン剤の種類。

薬の種類でしょうね。だから、それは、あのー、そのときに、先生に言うて、「実は、最近、こういうふうに、階段登っても、あのー、動悸息切れがするんですよ」って、「これ、薬の影響あるんですか」って言われたときに、「そうだね。薬の影響あるけどねえ」ってひと呼吸おいてから、「年齢のせいもあると思うけど」って言われちゃって(笑)。だって、わたし、そういうマラソンやっているような、主治医の先生知っていますからね。うん、そういう、マラソン、ちょっと階段登って動悸息切れしていたら走れないですからの。だから、おかしいなとは思っていたんですけども、まあ、まあ、それぐらいかな。あとは、男性だから、うーん、その困ったとか、うん、こんな体験したいうの、正直言うて、ないですね。うん。

―――その動悸息切れは、自然に治ったんですか。

ですね、はい。

―――薬は、そのまま。

えーとね、替えているかもしれません。うん、いや、ある日突然、あのー、行ったらね、ぽっと替わるとき、替わっとるときありますんで、あれ、今まで、ああいう薬飲んでたのに、何でこんなんこれだっていう部分があるんで。まあ、その辺は、ある程度考慮して、処方してくれているのかなっていう気はします。

乳がんの語り

抗がん剤治療中は2、3日排便がないこともあり耐え難い苦しさだった。症状をメモしておき診察時に主治医に伝えて下剤を出してもらった

抗がん剤、治療しちゃうと、どうしても、それの影響で、あのー、便秘になりがちであると。ところが、その便秘がむちゃむちゃ出ないんですよね。

―――もともと便秘気味とかだったんですか。

いえ、いえ、もう1日1度は、あのー、ちゃんとおつうじがあるっていうほうなんで。ええ、もう、それこそ、2日も3日もなんていったら、わたしは耐えられないほうなんで。だから、それはもう先生に言ってもなかなかうまいことっていうのはなく、あの苦しさっていうのは、また違う意味でね、ありましたけども。別に今振り返ってどうのこうのいうのは正直言ってないですね。

―――その便秘は、そのときのことで、あのー、結構なんですけど、どういうふうに対処されたんですか。

あのー、友達に実はこうこうこうやでと言ったら、「こんなもん使ったらどうや、あんなもん使ったらどうや」って。それは、試したんですけども、駄目です。

―――それは、何か、こう民間療法的なとか、下剤とか、あのー、漢方とか。

そうです、そうです、やってみたんですけど、あれは、また違う苦しさがありますね。

―――最終的には、病院でもらう下剤とかですか。

えーと、最終的には、それでもって、何とか、おつうじが、通じたという。えー、…苦しかったですね。

―――その時期っていうのは、抗がん剤を1カ月に1ぺんぐらいやるじゃないですか、その時期ずうっと苦しい状況なのか、何か、こう、波があるんでしょうかね。

えーとね、いったん、ですから、あのー、初めて、必ず1回目の抗がん剤の治療をしたら、自分が何を感じたかっていうのメモしとくんですよ。で、次のいわゆる、あのー、抗がん剤治療するとき必ず面接ありますから、主治医の先生と。実は、1回ね、こうこうこうで、こういうふうな症状でました、ああいうふうな症状でましたっていうて説明をして、先生が「これはこうだよ」っていう説明を今度は返してくれて、で、いわゆる症状が、あのー、改善しない場合には、今、さっき言うたような、例えば、その、下剤というか、何にかという部分、もしくは薬を変えたりとかいうのはありました。だから、ずうっとじゃなかったです。あれは、半年も、とってもやだけど、なっとったらえらいことですわ。

乳がんの語り

主治医はさまざまな検査結果をもとに判断し、その都度最善を尽くしてやってくれているはず。疑心暗鬼になってしまわず、信頼関係が大事だと思う

―――今、よく、セカンドオピニオンっていう言葉使われますけれども、治療の方針とかそういうこと含めて、ここ、このまま進んでいいのかどうかっていうところで、ほかの病院で1度かかってみようとかっていうことは、今まではなかったでしょうか。

わたし個人はないです。ただ、あのー、同じように乳がんを手術した女性の場合に話を聞くと、いわゆるこの病院でいいんだろうか。この診断が本当に正しいんやろうかって。いわゆる、この方法が、本当に唯一無二なんだろうかっていうので、今のセカンドオピニオンじゃないですけども、ほかの病院に行って、いわゆる、同じような病院で診断を受けてっていう、あのー、したっていう女性は知っています。ただ、わたしはそこまでいっていないです。

―――それをあえてしないっていうほど、ちゃんとした理由があったか分からないですけれども、あのー、ここまで、そんなに疑問とかはなく、あのー、治療を進めてこられたっていうことなんでしょうかね。

そういうふうに受け取ったほうがいいでしょうね。いわゆる疑心暗鬼になってしまうと、やはり、出る結果も疑心暗鬼なものになっちゃうんで。やはり、みんな、その都度最善を尽くしてやってくれているはずなんでね。ただ、今のその医療いうのは、みんな分業制ですから、あのー、CTを撮る人、ねえ、エコーを撮る人、血液採取する人、みんな分かれていますから。その、いわゆる情報を、いわゆる、その、もとに判断するいうのが主治医の先生であって、主治医の先生が、みんな付きっきりで全部やっているわけじゃないんでね、最近。ええ、だから、そういう部分で、ほんとに、じゃ、どこまで、その認識しているんかなっていうのはあるんですけども、やはり、みんな、あのー、MRI撮りゃMRIの画面を見せて、こうこうこうだよ、シンチグラフィ撮ったらシンチグラフィでこうこうこういうふうになっているから、ああ、大丈夫だねっていうふうに、あのー、説明ちゃんとしてくれているんで、まあ、まあ、信頼関係でしょう、あとは。

乳がんの語り

以前から生命保険の関係でかかりたいと思っていた病院があり、そこで治療を受けることにした。話の分かる主治医とは10年の付き合いとなり感謝している

だから、1回目の手術から3回まで同じ主治医の先生で同じ病院でやっています。

―――そこの病院は、あのー、ご自身で、こう、選ばれて、ここがいいなっていうことで行ったんでしょうか。

あのね、これは、わたしが、いわゆるその生命保険というか、入ってる、いわゆるそっちの関連で、何とかの病院で1ぺん診てほしいなっていうのがあったんです。ところが、そういう、あのー、生保といわゆる医療とは分離しているんですよね。だから、そういう生命保険、うちの関連あれで入っていても、ね、言うたらどっか紹介状がないと駄目ですよとかっていう状態だったんです。うん、でも、みんなきれいな病院だし、うーん、1ぺんあすこっていうことで、うん、まあ、そこにお願いしますいう具合に頼んだんですけども。

―――そこは、まあ、乳がんになったからっていうのではなくて、その前からかかるんならそこがいいなっていうようなものをもっていて、そこにしたという感じですか。

そうですね。あのー、基本的に、だから、おうちの近くの病院いうのは、それなりに、あのー、便利だったし、あのー、よかったんですけども、やはり、その病院もね、いろいろ経営難で、「これやってください」言うたら、「ごめん、もうその機械売っちゃった」言って「レントゲンはあるけどね」とかね。うーん、だから、だんだんそういうクリニック的な、だから、入院患者も、ほとんど受け入れないでっていうふうに、どんどんどんどん、うーん、なっちゃって。今はもう使っていないですけども。

―――そうなんですね。分かりました。じゃ、もう、その最初に行った病院で、今までお付き合いできるようないい主治医に出会えたっていうことなんでしょうかね。

そうですね、はい。それも、あのー、感謝しています。ですから、…まあ、先生から言ったら、ねえ、10年このかた、うん、まあまあ、でも、それなりに、だから、走る、今度、先生、走りまっせ。うん。そういうのもひっくるめて。それから、まあまあ、これもめぐり合いかなと思っていますんですね。