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乳がんの語り

徐々にしこりが大きくなり、これはがんだと思った。まな板の上の鯉という状態で、どのような結果が出ても受け入れて、自分ができる最善を尽くすのみと考えた

―――やっぱり(しこりが)大きくなってきて、これはっていうふうなご自身でも思われたとき、そのご自身で大きくなったっていうことを見つけたときの気持ちはどんな感じでしたか。

いやあ、やっぱり、これはまずいほうやな(笑)っていうような、そやから、ほんとの正直、もう、そのときの本音ですね。うーん、これは、いいほうじゃないなと。うーん。だから、逆に言うと、もうまな板の上の鯉。どういうふうな結果がでても受け入れて、うーん、ま、先生の言うとおりに、これは治療しなければ駄目だなと、えー、もう、その時点でだからもうまな板の上の鯉、どういうふうな結果が出ても、それは受け入れようという状態でした。

―――じゃ、あのー、気持ち的には、もう、自分で大きくなったこと、見付けたときにがんじゃないかなっていう、そのもう覚悟的なものができていたっていう…

です、はい。

―――そのときに、こう、まあ、お仕事なり生活なりすごく忙しく充実して、こう、まわってきてたところで、あれ、がんじゃないかなと思われたときに、何か大きく変化したりとか、うーん、何でしょう、気持ちだけじゃ、ま、気持ちとか、見通しとか、何かこう変わったり…

うーん、あの、基本的にね、その辺何もないんです、すなわち、今、現実的にこうなった、じゃ、今どういうふうにできるんか。だから、自分ができないことまでできないわけですから、自分ができる範囲で最善を尽くすのみ、もう、これだけなんですよ。だから、あと、例えば、その自分の思い通りにいかずに体が動かない、もしくは、あのー、手がね、自由にならないとかっていうになれば、それなりの方策を考えたらいいんであって。あのー、その時点では、何ら、その、何ていうんかな、こうなったらどうしょうとか、ああなったらどうしょうっていうのは、何も考えていなかったですね(笑)。

―――あのー、事実として、あ、がんになったんだな、自分がっていう、こう、淡々と受け止めて。まあ、ショックは受けたけど、でも、先の不安は持たなかったということですね。

全然持たなかったですね。だから、逆に言うと、あまり冗談がきつすぎて、うちの嫁はんびっくりしていましたけども、こうやっていったって、「別に、干しぶどうぺたんと接着剤でつけとったら、そんな男やし」って言ったら、「お父さん、何を言うてんですか、先生の前で」って言うぐらい。

乳がんの語り

乳房切除後2日目からリハビリを行い、元通りに動かせるようになったつもりだが、左右のバランスが均等ではなく、水泳では右の方が腕の回しが悪いと指摘される

確かに、そりゃ、みんな(がんを)取らないよりは、あのー、取ったほうが治るいうのは確実なんでしょうけども。しかし、それによってね、人間の身に、体がね、右左均等といったらおかしいですけども、バランスがとれなくなっちゃうっていうのがありますし。あのー、運動していると、どうしても、やはり、リンパをとった関係で、右肩の周りがね、どうしても左より悪いっていう。これは、あのー、水泳をしているとよう指摘されるんです。だから、そういう、あのー、ちょっとした部分で、そのマイナスの部分出ていますけども。あのー、1回目で入院する前、全部、そのリハビリの訓練をやらされるんですよ。だから、健常者がいわゆる右手をぱっとこう伸ばしたときに、どれぐらいなのかというものを、まずしるしをつけとくんです。手術をして2日目ぐらいからかな、あのー、ちょっとずつ、こう、伸ばしなさいって。ええ、ところが、女性の場合は、痛がって、いわゆる、その怖がって伸ばさないんですって。と、ものの1週間もしないうちに筋肉がかたまって、もういつもと同じように、あのー、届かなくなっちゃう。ところが、わたしら、もう、意地でも、そんな伸ばしたろっていう気です。で、1週間経たないうちにもとと同じところには、ちゃんと届くようになっているんです。

―――周りは、その、女性ばっかりとか、そういうことではなかったですか。どういう病棟で、そのリハビリの練習も女性たちと一緒にでしたか。

リハビリの練習は、これ、あのー、全部、あのー、個室というか、部屋の中でも、あのー、看護師さんが来て、「はい、時間ですよ」って、「きょうは、みんなこれね」ちうて、あのー、来ていましたから。だから、周りの人たちと同じような、あのー、同じようにっていうあれはなかったです。もう完全に、あのー、個人的に、その「リハビリの時間ですよ」言うて、ま、教本もらって、1日目がこれ2日目がこれいうて。やらされていましたけども。

乳がんの語り

男性で乳房切除術を受け、4か所に傷があるが、水泳や入浴で恥ずかしいという気持ちは全然なくありのままでいる。友人には触ってみるよう言うこともある

今でも、ですから、あのー、トライアスロンやっていますんで、あの、水泳、えー、ね、あのー、もう、もちろんお風呂入るにしたって、全然、その隠しも何もしないんですよ。うん、自分がこういうふうになったんであって、それが恥ずかしいとかっていう、そういう気は全然ないんで。もう、全く、そのまんま、ありのまんま、これが、まあ、一番、何ていうのかな、その変にストレスをためない。うん、あのー、方法というかね、じゃないかなと思います。へたにいいように見せようとか、言われたら恥ずかしいなとかっていうふうになっちゃうと、どうしてもそこの部分でね、引っ込みじあんというか、マイナスのほうになっちゃってね。それはしないようにしています。

―――今、その、もう冬でも、そのまんまっておっしゃられていたんですけど、傷口っていうのは、やっぱり、こう、傷って分かったりとか、へこんだりっていうかたちに、あのー、男性の場合なりますか。

してます。してます。ですから、わたしの場合ですと、結局3度手術をしていますから、えー、3カ所プラスリンパ節をとったほうの傷と。ですから、都合4カ所、うん、右胸に全部集中しています。

―――じゃ、かなり、こう、見た目痛々しいような感じでしょうかね。

いやあ……どうでしょうね。わたしが、そんな見たほうの人間になったことがないんであれですけども。別にこれみよがしに、みんな、あのー、見せようとは思いませんけど。それなりに治ってきているんで、そんなに、あのー、っていう気はあるんですけどね。

―――何か、あのー、周りの方に、同僚の方やお友達一緒にお風呂に入られて言われたりとかっていうことはあります?

全然ないです。1回もないです。逆にわたしのほうが、言っています。「いや、これ乳がんを手術して」言って「ちょっと触ってみい」とかね……うん。言われたことは、逆に言うと1回もないです。

―――皆さん、そういうとき触られるんですか。

触りますよ。

―――ほんとに。

触ります、触ります。

乳がんの語り

再発時は抗がん剤治療を受け、脱毛したので、取引先にわかってしまった。それから心配して「これはがんに効く」と海外からもいろいろ送られてくるようになった

2回目の場合、これが、あのー、いわゆる再発だったんです、転移じゃなくて。ですから、再発でしたんで、とりあえず、これはもう定期検査で分かって、で、手術も、これ日帰り、入院なし。ところが、今回は、もう、「薬治療(ホルモン療法)は駄目ですよ」と。「抗がん剤治療してください」言うて。6回ぐらいかな、半年ぐらい。これやるはずだったんですけど。1回目の抗がん剤治療で、1週間たたないうちに、全部髪抜けちゃったんですよ。

それで、当然、これ、次のアメリカ出張のときにかつらを作ろうかと思ったんですけども。まあ、そこまでしてなあ、隠しだてする必要あるかなということで、バンダナ…バンダナ巻いて、それで、食事のときだけは、ね、男性ですんで、帽子と同じように、これ外したら、みんなびっくりしちゃって……。どうしたんだって言ったら、もう、そのあとが大変だった。「こんな薬が、こんな飲み物がいい」かな言うて、「飲め」言うて、アメリカ何かから送ってくるんですよ。だから、そういう要らぬ、その心配をかけたくなかったいうのが本当なんですけども。残念ながら2回目の場合はね、これはもう先生に言われて、抗がん剤治療せざるをえんかったっていうのが、最終的にはお客さんに分かっちゃったなっていう…

乳がんの語り

最初の手術は、ただ1週間休むと言って病院に携帯やパソコンを持ち込み、社内外に伝えなかった。不用意に心配かけたくなかったのが大きい

一番最初に、やはり危惧したのは、どうしても抗がん剤治療すると、髪の毛抜けちゃうんですよね。で、とりあえず、1回目の手術のあと、どういうふうな治療法があるかということで、わたしが選択したのがいわゆる薬の治療(ホルモン療法)、で、抗がん剤は打たないということで、手術して1週間で退院して、えー、国内も海外も誰にも言わずに、いわゆる入院して手術して退院したんです。

会社には、当然、これ1週間休みとるし、あのー、電話は携帯のほうに電話するようにということで。あと、もう、病室にパソコン持ち込んで、で、そこから返事を出すというかっこうとっていましたんで。基本的には、もう、取引先もメーカーさんも(がんになったことは)分からないという状態で、1回目はね、やったんです。

基本的に、まず、そのお見舞いやって来られるのが、一番、わたしとしたら、うん、あのー、ま、迷惑をかけるなっていう部分があったんで。それから、あのときは、とりあえず、そうですね。うちの事務所が、えー、新しいほうに移るときだったんですよ。で、それが、ちょうど退院した次の日の日曜日だったかな。土曜日に退院して、日曜日に、だから、知らない顔して。もちろん、その取引先もお手伝いに来ていましたから。それから、全然何も知らない状態でもうお付き合いしていたっていう。だから、あんまり、その不用意に心配かけたくなかったしっていう。それが一番大きかったですね。

―――何か、その、お話になることで、まあ、心配をかけたくなかったていう以上に仕事に影響するとかっていうようなことはあったんでしょうか。

あのね、基本的にうちの場合は、95%以上が輸出なんですよ。ですから、直接的にその心配っていうのはないとは思うんです。仕事に影響はないと思うんですけども。

乳がんの語り

健診で医師に精査を勧められたとき、すぐに専門の病院に行けばよかった。放っておいたら、最初は米粒大だったものが半年後には外から見てもわかるようになっていた

会社の健康診断の触診でね、いわゆる、「ちょっとこれおかしいから」って、「専門のみんな病院に行って診てもらってくださいよ」って言ったときに、さっと行きゃよかったんです。ええ、ところが、うちの嫁さんと、そんな話をしてもね、男性だし、乳線ないしねって、まあ、われわれみんな素人でそういう誤解をしていて、そうだよね、そうだよねっていう、いわゆる変なところで妥協しちゃって、で、ほっといたというのは、一番よくなかったというね。

―――最初の、その健診のときっていうのは、ご自身で、あっ、あるなって気付かれるような?どんな感じだったんでしょう。

え、あのね、それこそ、米粒になっているか、なっていないかでしょうね、はい。それで、われわれ、女性のように、乳房って大きくないですから、いわゆる触診したら、ある程度自分でもその感じるんですよね。分かるんです。でも、これぐらいなあ、何かのそんなしこり違うんかなあなんていう、そっちのほうに、わざとそのいいほうにいいほうにそのとっちゃうっていう。うん、でも、結果的には、逆でしたけどね、今回の場合はね。

―――男性も、健診で触診ってするんですか。

たまたまなんでしょうけどね、一応、聴診器、当てたりとか、いろいろしますでしょう。その健康診断の内容にもよるんでしょうけど。うーん、その中で、たまたまそういうふうに言われたっていうのが、何かやっぱりあったんでしょうかな。

―――外見に、何か出っばっているとかっていうんじゃなかったんですか。

あ、それはね、そこまでは、まだいっていなかったと思います。それこそ、半年経った状態では、もう誰が見ても分かるぐらい大きくなっていました。

―――あ、外からもですか。

はい、外からも…

乳がんの語り

会社の健診でしこりを指摘されたが、まさか男性がなるとは思わず、そのままにした。半年後、大きくなってきて受診したら、乳がんとわかり、青天の霹靂だった

一応、2002年の夏の会社の健康診断、このときの触診で、ちょっと違和感があるから専門医にという、こういう依頼を受けたんですけども、まあ、うちへ帰って嫁さんと話したら、「男性やし、乳腺がないから違うよね」言うて、半年ほどほっていたというのが現状です。ええ、だから、そのときは、もう、すでに体重を落とすために50の手習いじゃないですけども、マラソンを始めたっていう時期で、えー、忙しさにもかまけて、まあ、病院に行かなかったと。
ところが、だんだんやはり大きくなってきて、半年ぐらい経ったら、結構、自分で意識しちゃって、これはちょっとおかしいなと。で、近くの病院に行ったんですけども、もう即、…「これは、うちじゃもう手におえません」と言われて。で、「紹介状書くから好きなところ行って」、で、とりあえず、「じゃ、この病院をお願いします」と言ったのはいいんですけども、「すぐに行ってください」と言われて、次の日に行ったんですけども。もう、向こうは、待っていて、で、即、女性と同じようにいわゆる乳房というか、われわれみんな男性(乳房は)ないですけども、マンモグラフィー撮られるのに、もう、寄せ集めて、痛い、痛いで、で、結果的にこう(乳がん)ですよねと、まあ、分かっていましたけども。じゃ、選択肢は何があるんですかということで、1回目、これが2003年の2月かな、に、一応、第1回目の全身麻酔の手術を受けたいうのが現状です。
だから、それまではね、そういうふうな意識いうのは全然なかったもんですから、えー、ましてや、みんな男性が乳がんにかかるいうのは、青天の霹靂以外に何ものもなかったっていうのが現状ですわ。