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診断時:56歳(2002年6月)
インタビュー時:67歳(2014年3月)
近畿地方在住。検診でしこりを指摘されたが、がんとは思わず放置。半年後しこりが大きくなって病院に行き、乳がんと診断された。その後、右乳房に局所再発し、摘出術や抗がん剤治療を受けた。会社役員で、診断当時は家族以外には言わずに治療を受けたが、抗がん剤治療後には公表するようになった。
語りの内容
だから、1回目の手術から3回まで同じ主治医の先生で同じ病院でやっています。
―――そこの病院は、あのー、ご自身で、こう、選ばれて、ここがいいなっていうことで行ったんでしょうか。
あのね、これは、わたしが、いわゆるその生命保険というか、入ってる、いわゆるそっちの関連で、何とかの病院で1ぺん診てほしいなっていうのがあったんです。ところが、そういう、あのー、生保といわゆる医療とは分離しているんですよね。だから、そういう生命保険、うちの関連あれで入っていても、ね、言うたらどっか紹介状がないと駄目ですよとかっていう状態だったんです。うん、でも、みんなきれいな病院だし、うーん、1ぺんあすこっていうことで、うん、まあ、そこにお願いしますいう具合に頼んだんですけども。
―――そこは、まあ、乳がんになったからっていうのではなくて、その前からかかるんならそこがいいなっていうようなものをもっていて、そこにしたという感じですか。
そうですね。あのー、基本的に、だから、おうちの近くの病院いうのは、それなりに、あのー、便利だったし、あのー、よかったんですけども、やはり、その病院もね、いろいろ経営難で、「これやってください」言うたら、「ごめん、もうその機械売っちゃった」言って「レントゲンはあるけどね」とかね。うーん、だから、だんだんそういうクリニック的な、だから、入院患者も、ほとんど受け入れないでっていうふうに、どんどんどんどん、うーん、なっちゃって。今はもう使っていないですけども。
―――そうなんですね。分かりました。じゃ、もう、その最初に行った病院で、今までお付き合いできるようないい主治医に出会えたっていうことなんでしょうかね。
そうですね、はい。それも、あのー、感謝しています。ですから、…まあ、先生から言ったら、ねえ、10年このかた、うん、まあまあ、でも、それなりに、だから、走る、今度、先生、走りまっせ。うん。そういうのもひっくるめて。それから、まあまあ、これもめぐり合いかなと思っていますんですね。
インタビュー52
- 会社の健診でしこりを指摘されたが、まさか男性がなるとは思わず、そのままにした。半年後、大きくなってきて受診したら、乳がんとわかり、青天の霹靂だった
- 健診で医師に精査を勧められたとき、すぐに専門の病院に行けばよかった。放っておいたら、最初は米粒大だったものが半年後には外から見てもわかるようになっていた
- 最初の手術は、ただ1週間休むと言って病院に携帯やパソコンを持ち込み、社内外に伝えなかった。不用意に心配かけたくなかったのが大きい
- 再発時は抗がん剤治療を受け、脱毛したので、取引先にわかってしまった。それから心配して「これはがんに効く」と海外からもいろいろ送られてくるようになった
- 男性で乳房切除術を受け、4か所に傷があるが、水泳や入浴で恥ずかしいという気持ちは全然なくありのままでいる。友人には触ってみるよう言うこともある
- 乳房切除後2日目からリハビリを行い、元通りに動かせるようになったつもりだが、左右のバランスが均等ではなく、水泳では右の方が腕の回しが悪いと指摘される
- 徐々にしこりが大きくなり、これはがんだと思った。まな板の上の鯉という状態で、どのような結果が出ても受け入れて、自分ができる最善を尽くすのみと考えた
- 以前から生命保険の関係でかかりたいと思っていた病院があり、そこで治療を受けることにした。話の分かる主治医とは10年の付き合いとなり感謝している
- 主治医はさまざまな検査結果をもとに判断し、その都度最善を尽くしてやってくれているはず。疑心暗鬼になってしまわず、信頼関係が大事だと思う
- 抗がん剤治療中は2、3日排便がないこともあり耐え難い苦しさだった。症状をメモしておき診察時に主治医に伝えて下剤を出してもらった
- ホルモン療法中に動悸・息切れが多くなったと感じ、マラソンをするような自分なのにおかしいと思った。主治医に聞くと薬の影響もあるが、年齢のせいもあるのではと言われた
- ホルモン療法で女性ホルモンを抑制しているので、今は女性から男性に変わりつつあるのだと思う。通常の男性と同じホルモンバランスになったら男としてどうなるか興味がある
- 乳がんが女性ホルモンの影響を受けて大きくなることを知って、自分は普通の男性と違って、性格や行動が女性的な面があるような気がしている
- 男として家庭の維持、そして会社の経営の安定を支えにしてやってきたが、病気のことは誰かに相談したり、話したりすることはなかった