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診断時:37歳
インタビュー時:41歳(2008年9月)
離島在住。2004年3月、左乳がんを診断され、左乳房温存術+腋窩リンパ節郭清術、放射線療法を受け、ホルモン療法を開始。2006年1月、右乳がんの診断で右乳房温存術を受けた。2008年春には、境界悪性卵巣腫瘍で左卵巣摘出術を受けた。当時は母親と姉弟の4人暮らしで看護師をしていた。現在は、マッサージサロンを開き、1人暮らし。
語りの内容
実は私、手術終わって半年…1年ぐらい、友達にも言えなかったんですよ。だから、知ってるのは職場の、同僚と、あと、本当に身近な家族、それぐらい。で、友達にも言って…まあ、友達の1人ぐらいですかね。たまたま、「あ、そういえば最近見ないよね」って言ったときに、「実はね」っていう感じで。あと、ほかの人に誰にも言えなかった部分あったんですけど。
そのときに、本当、1年以上経ったときに、友達に「実はね」って言ったときに、「すごい何か水臭いね」って言われたんですよ。「何でもっと早く言わないの」って言われて、何か普通に、まあ、手術のときはもちろん、あれだけど、何て言うの、手術終わって1カ月ぐらいは、何かそう、スポーツもできなかったし、外へもあまり行けなかったんですけど、その後とか交流は普通にあったので、だから、まさか私がそんなことをしてたって誰も知らないんです。周りとか。だから、「すごい水臭いね」って言われて。
で、私の中では、こう、相手のこと思って言ってなかったつもりだったのが、逆に相手を傷付けていたなっていうのがすごくあります。相手を傷付けてたし。逆に、何て言うんですか。相手を傷付けたっていうのと、言うことで自分が苦しくなるから、あえて言わなかった。触れたくなかったっていうのが、多分、正直な気持ちでしたね、そのときは。こう、「実はね、私、乳がんって言われてね、手術したんだよ」って、話をすることって、そのときのつらい気持ちがまたよみがえってくるじゃないですか。だから、あえて触れたくなかった。だから、誰にも言わなかったっていうのが(笑)、まあ、正直な話。後になって気が付いたのは、まあ、そういうところだと思いますね。
――まだ自分の気持ちがこう、準備ができてなかったって感じですか?
そうですね。受け入れていなかった。あえて、こう、明るく振る舞って。忘れたかった。避けていたっていうんですか。うん。でも、それが、受け入れてるつもりだったんですよ、自分では。でも、そうじゃなくって、あえて見ないようにしてたっていう。だから、「そこにはお願いだから触れないでね」って感じでしたね、きっと。
インタビュー36
- あまりにあっさりと告知されたので、びっくりしたが、深刻に切りだされるよりよかったのかもしれない
- 看護師の姉の勧めで、乳腺専門クリニックに行った。患者同志の交流がしやすいのがメリット。手術などは別の病院に行く必要があり、馴染みのないスタッフだと不安になることもある
- 当面は結婚や出産の予定がなく、再発防止を優先してホルモン治療をすることにした
- セカンド・オピニオンを考える余裕がなかったし、自分で選択できるということも頭になかった
- しこりだけとるというのがイメージできず、ぼこっと空くのかと思って、術後1日2日は傷を見ることができなったが、形もボリュームもそんなに変わってなくてよかった
- 乳腺専門クリニックだったので入院患者は皆乳がんで比較的元気な人が多く、一緒にリハビリをしたり、外出許可をもらってコーヒーを飲みに行ったりして、楽しい入院生活だった
- 半日だけ出勤してそのあと放射線治療に通っていたが、生活にはほとんど影響がなく、運動不足解消のためにバドミントンをしていた
- 乳がんの自分を受け入れてくれる彼ができたが、卵巣の病気も見つかり、自分自身は大丈夫だと思っていても、彼にとっては心配しかなく別れることになった
- 乳がんとわかってしばらくは自分も苦しかったし、相手を気遣って、病気のことを言えなかった。1年ほどして伝えたら、友人に水臭いと言われた
- 結婚や出産が難しいかもしれないというショックと、更年期障害が重なり、一時はうつ的になったが、同病者との交流で悩んでいるのは自分一人じゃないと癒された