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診断時:42歳
インタビュー時:45歳(2008年1月)
東海地方在住。2005年に乳がんと診断され、右乳房切除術とリンパ節郭清術、術後抗がん剤治療、放射線療法を受けた。会社員。治療中、治療後はしばらく休職。夫と大学生の子どもと暮らしていたが、治療中に夫と別居した。
語りの内容
11月の半ば。9月に始まって、完全になくなったのが、1ケ月ぐらいで。もう本当に完全に、ツルンという感じでなくなったときには、もう。体中の体毛が全部抜けるんですよ。眉毛から睫毛から全部。で、顔も腫れぼったくなっちゃって、「これは、ああ、すごく嫌だな」っていう。もう、もうとにかく嫌だなって。もう人に会いたくないっていう気持ちもあるんだけれども、何か、自分の中でね、「家にこもったら絶対に駄目になっちゃう」っていう何かが働いたんでしょうね。お友達も、そのときに、「外に行こう。行こう」って。「嫌だろうけれど」。人混みは駄目だって言われてたから、「人混みじゃないところで、例えば、日帰りの温泉で、貸切湯ができるところもあるし、ね、そういうところ行こう。おいしいもん、食べに行こう」って。かつらは、一応、用意はしてあったんだけれども、どうもかつらに違和感があって。その用意をしたのがね、髪の毛があるときのサイズで用意しちゃったから、合わなくなったので、で、合わないから、なかなかやれなかったんですね。で、「バンダナをして、その上にかつらやってても、どうしてもずれちゃう」って言って。で、そのかつらを直しに行くにもね、おしゃれ専門店のところで買ったやつだから、すごく抵抗があって、もうずっと帽子かぶって、お友達からいただいたその帽子とか、バンダナとか。で、お友達が、一緒にね、「じゃあ、一緒にバンダナやろうよ」って言ってくれて。もうとにかく、どっか行くんだったら、同じその100均で買ってきたバンダナをみんなで巻いて。そういう友達がいたから、家にこもらずにいられた。
インタビュー01
- 会社の婦人科検診の機会にマンモグラフィで異常が見つかった
- 医師より病理診断の結果を一人で聞いた。リンパ節に転移があったことや今後の治療について一旦は受け止めたが、一人になると「何で?私が」と思った
- 近くでマンモグラフィのある病院が3つくらいしかなく、その中からなじみのある病院を選んだ
- もう乳房がないということはわかっていたが、術後2日間は胸を見ることができなかった
- 頭髪も睫毛や眉毛も抜けてしまい、人に会いたくなかったが、友人が一緒にバンダナをつけて出かけようと誘ってくれたので、出かけることができた
- 1~2ヶ月で復帰するつもりで乳がんだと上司に伝えたが、術後の病理診断でリンパ節転移がわかったので、復帰を求められてもすぐには無理だということを改めて会社に伝えた
- 当初の予定より長引いて10ヶ月休職したが、復帰後1ヶ月半は半日勤務で徐々に慣らして、所属もストレスの少ない部署に替えてもらえたので、とてもありがたかった
- 夫もどう接したらいいかわからず葛藤していたと思うが、何か声をかけてほしかった。お互いの気持ちがすれ違い、別居することになった