投稿者「dipex-j」のアーカイブ

慢性の痛みの語り

リウマチの人の集まりに行ったら自分より重症の人が多く、自分には合わないと思い、その後は行っておらず、同じ病気の人のことはあまり知らない

―― 同じように、リウマチを持っている人同士のおつき合いっていうのはありますか?

ないんです。

―― あ、ないんですか。

ええ。それで、あの、リウマチの、リウマチ学会とかって何かあるの、あるんですよね。1回だけね、大学病院で聞いたから、行ったんですけど、どうも私は自分でね、自分にちょっと合わないみたいな気がしたの。もっともっと、私よりもっとひどい大変な人が――手術したり、車いすへ乗ったり、もっと私よりもっともっと痛くて大変な人がいるんだなってことはわかったんですけど。だから、それからはあんまりそういうところへ出ないでね。だから、リウマチの方は、あんまし、よく知らないんですよ。

慢性の痛みの語り

当初は患者会には参加したくないと思っていたが、自分の病気(家族性地中海熱)は非常に珍しいので、同病の人は同じ苦しみを経験する大事な「戦友」のように思えてきた

家族性地中海熱という)病気がわかってからは…(それ以前は)同じ病気の人たちで患者会というのがあるってよくテレビなんかを見てて、どういう気持ちで患者会ってあるんだろうと。で、私、もし病気が判明しても、ああいうものには加わりたくないなんて思っていたんですが、やっぱり自分の病気が日本に300人~500人しかいないってわかると、とても大事な集まりのような気がして。で、自分と同じ苦しみをね、やっぱり味わって生きてきたんだなと思うと、とてもみんな大事な戦友のような気持ちでいます。

慢性の痛みの語り

初めて婦人科疾患の自助グループに参加したときには「同病相哀れむ」感じで惨めだという思いが強かったが、何度か通って話をするうちに肩の荷を下ろせる気持ちになった

正直、参加したときは、初めて行ったときには、「ああ、本当に行って良かった」とはお世辞にも言えなくて。それまで自分が、いろいろとセミナーに行ったり、人の会合に行ったりするときには、今のピアノを指導するというふうな仕事の中で、あるいは、自分のスキルアップですとか、あとは自分がもっと、力を高めていって、向上するために人が集まって研鑽を積んで、その中でいろいろと、実力をつけて、場合によったら、試験等でパスしていくというふうな、そういう集まりにしか行ったことがなかったので。正直なところ初日は「同病相哀れむ」という感じで、とても惨めな気持ちになって帰ってきたというのが、本当に、強烈な思いでした。で、あまりにちょっとその「同病相哀れむ」という、もう惨めだなという思いが強かったために、帰ってきてからしばらくはこのことを考えたくないって思うぐらい、追い込まれました。

ただ、そうしているうちにも具合が悪くなってくるので、そうも言っていられないので、また次のときにも、また自助グループに参加をしたんですが、そうしたら少しずつやっぱり気持ちが軽くなってきまして。で、だんだん、「ああ、やっぱりここへ来て話せるということはありがたいな」というふうに思うようになりました。で、何より自分自身がそれまで、私の…「これって私だけ?」という、今の痛みや、今の(経血の)量や、今の状態っていうのは自分だけのことなんだろうか、それともみんな案外こういうもんで、みんな黙っているだけで、私がその痛みに対するこらえ性がないんじゃないかとか、正常の範囲なんじゃないかと思っていたことについて、同じ疾病を抱えている人たちで、「ああ、ある、ある、ある」とか、そういうふうなことがいっぱいある中で、何が普通で、で、何が問題なのかということがだんだんわかってきまして。あの、自分で家の中で1人で悶々とこれっておかしいんじゃないか、それとも案外みんなこうなんじゃないかというふうに思わなくていいんだっていうことで、通うことで肩の荷が下ろせるような気持ちに変わっていきました。

慢性の痛みの語り

痛みで苦しんでいる人とは、家族にも分からない痛みの経験を共有する者同士なので、何時間も電話で話すことがある

やっぱし、あの、患者同士が同じ痛みで苦しんでるという、痛みがわかるというかね。同じ痛みではないんですけども、少しでも痛みがわかってくれる人と話ができて良かったと。家族でもわからないのに、やっぱし同じ患者であれば、ある程度わかってもらえるから、それだけでも気が楽になりましたということは言われますね。

―― お話するのは、どれぐらいの時間お話するんですか。

長いときはもう2時間、3時間。僕もあの、手が悪いので、受話器でなくてイヤホンとマイクで話してるんですけど、長い人であれば5時間話したこともありますしね。携帯電話、あの、バッテリーがなくなるぐらい(笑)。もう話が尽きないわけですね。もう向こうの方もやっぱり誰に話していいとかいっても、周りにいないわけですね。患者もその近くにいない。そうすると遠いところでも、まあ今、電話がある程度、ね、長時間かけられるようになった時代ですから、そういう面ではつながっていますね。インターネットもつながっていますし。いろんな患者さんの、まあ悩みというかね。少しでも、楽になればということは、僕も努力はしているんですけどね。

慢性の痛みの語り

同じ症状の患者のネットワークを作りたいが、痛みは根本的に共有できないので、がん患者のようにポジティブに問題意識を共有することが難しい面もある

できれば、こう同じような人たちとのネットワークっていうのを作りたいんですが、なかなか難しくて。例えば、がん患者さんのネットワークみたいなのだと比較的ポジティブにね、やって、もう問題意識も共有しやすいし。ただ、この「痛みを共有できない」っていうところは根本にあって。同じ似た者同士でも、なかなか共有できない部分もあるし、なかなかこれ、難しいんですけども。やはり少しこう同じ痛む人たちとのネットワークづくりっていうことは、やっぱり数あるっていうことは、何らかの相手がいるとか…、うーん、そういうことはあの、まあ力になってくと思うので。何かそういう方向性は見出せないのかなというようなことは考えてはいますね、今のところでは。

慢性の痛みの語り

完全に痛みが無くなったら嬉しいがそれをゴールとするのではなく、どこかで折り合いをつけて、痛みがあっても生活を楽しめるようにしていきたい

あの、生活も人の気持ちもすべていろいろなことが複雑に絡まり合っているので、一筋縄では全くいかないですよね。一筋縄ではいかないので、逆に……、どこかでこう…、まあ…、妥協をするっていうわけではないんですけど、どこかでこう…、間の、点を見つけるっていうんですか。その完全に痛みがなくなるというのがゴールではなく。もしそうなればうれしいけれども、それがゴールなのではなくて、…どこかでこう折り合いをつけて、痛みがあるならあるで、少なくとも今の段階の痛みならば、あの、生活はできるので、痛みがあっても楽しむことは(笑)、楽しみながら。で、気持ちの上でも、まあ、人間誰でも落ち込むときもあれば、とても元気なときもあるので。それと、そうした心の状態と体の状態がどこかでこう折り合いをつけながら、あの、それなりにこう何ていうんでしょうか、沈みきるのではなくて(笑)。あの…、生活、楽しむことを楽しみながら。でも、痛みを無理やりなくそうと思うのではなくて、そういう痛みを受け入れて、それも自分の一部だから……、それも自分の一部と思って…、まあ、うん、生活を続けていくのが――いかれたらいいなと思います。

慢性の痛みの語り

エスカレーターはなるべく使わず、階段を使うようにしたり、散歩することで運動不足を解消すれば、腰にもよい影響がでるのではと思う

それと、やっぱり適度な運動、ですよね。ですから、例えば仕事でこう、どこかへ出かけて、何人かでほかへ移動するときに電車で、大体最近はこう、みんな駅、エスカレーターが備わっていますよね。大体皆さん、そこを乗るんですが、僕は、自力で階段を上って、あの、チームワークを壊すというふうによく言われているんですけれども。極力そういう駅でも、エスカレーターとかは使わないようになるべく、そういうふうにして、やや、その運動不足を解消すれば、たぶん腰にも少しいい影響が出るんじゃないかなと思って、そんなことはしてますけども。

特に腰の痛みがあるから、何か自分の行動が制限されるという、まあ趣味の面では特に感じたことはないんですけれども、逆にその…、歩いて、その運動不足を解消する、あるいはその適度な運動をすることによって、腰の痛みというのも解消できるんだろうなというふうに考えたので、一日…、できれば40分ぐらいは、30分~40分は歩くように実はしてるんです。で、まあ、ここのところちょっと毎日歩いているわけではないですけれども、あの、前日歩かなければ今日、昨日の分もちょっとプラスαで歩こうかなとか、あの、そういったことはしています。

歩く場所もその町の中、ぶらぶら歩くんじゃなくて、なるべくこう、自然がたくさんあるところ。あの、うちのそばに、あの、川があるんですけど、そこの土手をこう、まあ往復歩くと大体40分、30分か40分なんですが。あの……、うん、若いころには感じなかった、なんかその季節の移ろいとか、何か変化とか川の水のにおいとか、草のにおいとか、なんかそういったものが、あの、最近感じられて、意外といいもんだなと。腰が悪くなるのもいいもんだなというふうに(笑)思ったこともありますけど。

慢性の痛みの語り

軽い運動や深呼吸、腹式呼吸を生活の中に取り入れている。ストレッチは心地よいところまで伸ばすと痛くなるのでその手前までやめておくようにしている

ベランダに出て、ストレッチをしたり、深呼吸をしたり、シャワーを浴びたり、いろんなことをしてますけどね。僕は体を動かすということが、まあ主ですね。強く動かすんではなく、あの、ストレッチも心地良いところまでいったらだめと言われたんですよ。その手前でやめなさいと。心地良いところまでいくと痛みが増強するよというのが、まあ一部のお医者さんで言う意見なんですね。僕もそこまでいくと確かに痛みが出ます。そこの手前でやめておくのが今の対症療法というかね。気を紛らわすのにつながっているみたいですけどね。

―― その幾つか方法を取った中で一番効果があるというか、それとも複数何か使うことで効果が生まれてくるんでしょうか。

軽い運動するということと思います、僕はね。気分転換に軽い運動。深呼吸とか、まあ腹式呼吸はありましたけども、そういうリラックス。気持ちをリラックスさせるというかね。それが一番の治療みたいですけど。

慢性の痛みの語り

夕方、痛みが強くなるため、夕飯をつくるのが一番つらい。休み休みやればいいというが、しんどくても一気にやってできたほうが満足感、達成感があってよい

―― 痛みと折り合いをつけながら生活しているっていうことはおっしゃっていただいたんですが、痛みがあるために日常生活に何らか影響っていうのが出ているかなと思うんですが、その辺りはいかがでしょうか。

そうですね。一番やっぱりあの、夕飯ぐらいの時間になると、やっぱり限界が来るときがあって。でも、食事は作らなきゃいけないので、それが一番つらいですかね。その時間が結構もうなんか、一番痛いと吐き気がしてきます。痛すぎて、もう気持ちが悪い状況になったり、あとは何だろう。うーんと、で電池が切れるじゃないですけど、自分のもうバッテリーが切れたような感じで、なんか脂汗が出てくるような感じで、うん、そういう時間が一番つらくて、そうですね。でも、何とか本当はペーシングというのを聞いたことあるんですけど、あの、休み休みやればいいらしいんですが。自分は、なんかまあ休んでも、またあの体がしんどくなるんだったら一気に片付けたいって思ってしまって、わーっとやってしまうんですけど。でも、できたときにはすごく満足感が、自分で何か達成感じゃないですけど、「ああ、今日も夕ご飯できた」って言って、主人が「おいしい」って食べてくれたら自分はうれしいですし。やれないことよりは、あの、体がしんどくても、できたほうがいいなと思って、それをやってます。

慢性の痛みの語り

風呂掃除は前に屈むときに痛いが、リハビリだと言い聞かせてやっている。家事は全般的に慣れてできるようになり、それが生きがいにもなっている

やっぱりその掃除したり、特に風呂掃除はこう屈まなきゃいけないんで痛いですけども、自分じゃ、もうリハビリ、リハビリって言い聞かせながらやっているんですね。痛いけども、まあ前に屈むということが今ほとんどできないので、風呂洗うときはもうしようがないですね。痛いけども、洗います。30分ぐらい痛くてちょっとそこで休んでいますけども、リハビリだなと思っています。お医者さまからも別に、「痛いからって、ずっと、ほら、屈まないでいると全然、前に、か、屈めなくなっちゃうよ」って言われているんで、まあ風呂掃除はもうやらざるを得ないですから、痛いけども、我慢してます。ただ、やっぱり掃除の後は、ちょっと非常に痛みは厳しいです。でも、30分ぐらいで治るから、まあいい。

掃除は別に全然問題ないです。炊事も問題ないですけども、炊事のとき首がちょっと傾いちゃって、上のものがちょっと取りづらいというのはあるんですけど、それもまあ…、慣れですよね。全部慣れちゃいました、最近。3年ぐらい、ずっと痛いですから。炊事、洗濯…、料理については別に。今日は痛くて、ちょっと無理だっていうことは、退院した直後はあったんですけど、ここ、ここ1年は全くないですね。退院した直後はちょっと、妻にメールして、「ちょっともう今日は無理だから、何か買ってきて」とかって言ったことありますけど、ここ1年間はほとんどなく、炊事、家事関係は全般的にできています。<7秒>まあそれが逆に生きがいになっています。やることによって。