それで夜は、夜は逆に…、痛みがあるので、今度ね、あの、眠れるときはお薬で眠れるんですけど、睡眠薬も出てますから。なんですけど、痛みって、夕方ぐらいから疲れてくるとまた出てくるんですよね。常にあるんだけど、またその、で、夜もまともに眠れてないって言ったほうがいいんでしょうかね。だから、常に、うっつら、うっつらどこかでしながら…、お薬で眠らされてる分、夜熟睡もできないし。だから、余計、体が痛みを感じて。という、そんな生活をもう365日、そんな生活をしていました。うん。で、とにかく朝が、眠れたときは、本当2時間でも3時間でもまとめてグーッと眠れるときはそのまま起きたくないんで(笑)。本当にもう起きたくないし、朝が来なきゃいいのにっていつも思ってたし、起きたくないって。もう目覚めたくない。目覚めなくてもいいやとかって、そういうふうに常に思ってました。で、本当に1日が長かったです。はい。
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たぶん食べるものだとか、まあそうですけど、食べるものはね、あの、家内がかなり細かく、注意してくれてるから問題ないんですが、その、外に出たとき外食。まあ仕事があって、じゃあ、終わって、あの、みんなで食事に行こうとかっていうときは、やはりここに2、3年は、あの、十分注意はしてますね。あの、あんまり油っこいものは食べないとか(笑)。なんかそういうこう、何でしたっけ……、ジャンク。ジャンクフードみたいのには手をなるべく出さないとか。なんかそういったものもたぶん食べるものと、こう、体ってすごく、こう密接な関係がありますよね。ですから、腰痛と食べものってどういう関係があるか僕はよくわからないですが、ただ、体にあまりいい影響を及ぼさないものに関しては、あの、たぶん腰痛だろうが、内臓の病気だろうが、あの…、取らないほうがたぶんいいに決まっているんじゃないかなと僕は思ってますので、あまりそういう食べるものは、あの、遠ざけて、遠ざけようという努力はしてます。
私も、だからなるべくなんかこう、あの、病気になってからはほとんどあの、生協とかで週に1回取り寄せしてるんです。で、それで1週間分のそれを自分でこう……。何ですか。あの、何曜日は何にしようとかって決めて生協で取っているので、そうすると楽なんですよね。必ずもう、7日分のあれを必ずこう、こういうふうに何ですか、(生協の申込用紙に)書いてこう、こういうふうに頼んでるんで、だから献立は決まりやすいんですね。
これはお弁当のおかずになるなとか、そういうふうに考えているので、それは楽なんです。毎日スーパーに行くと大変ですよね。病気になってから、ほとんどこう生協で週に1回頼んだやつ。ほとんど、だからもうスーパーとかに行かなくなっちゃった。だから、スーパーへ行くと安いようで、結構無駄買いしちゃうんですよね。これ(宅配)だと必要なものしか買ってないので、無駄買いしようがないですよね。そういうやり方も非常にいいと思います。
―― そんな食べたりすることに関しては何か影響はありますか。
あの、温かいものを、あんまり熱いものを食べなくなりました。
はい。まあちょっとこういう自分のね、仕事で食べものを作ってますんで、食材とか作ったものの余りとかが、あの、たくさんあるっていったらあれなんですけど、まあ目の前にはあるんで、それで食事を済ませてるっていう感じですね。どうでも食べたいものがあれば、あの、出かけた先で食べるとかっていう感じです。
あの、例えば水がおいしいとか(笑)、それぐらいですかね。野菜がおいしいとか。あの、その、熱いものを、ちょっと温度のあるものを食べなくなったんで、生野菜とかトマトとかキュウリとか今まで結構あんまり好きじゃなかったんですけど、すごくこの(笑)数年間、好きになっちゃって。生野菜がおいしいですね。本当にそれだけで調理も何もしない。まあ、たまに塩をふったりするぐらいなんですけど。食べものの、まあ質が変わった。変わってますね、食べるものが。
―― 味覚も結構あれですかね、敏感になって。
なってると思います。
においとかはやっぱり変わってますね。タバコのにおいとか、ちょっと苦手で。あの、タバコもそうなんですけど、あの、ああいう系統の化学物質系のにおいって嗅ぐと頭痛くなっちゃうんです。そのやっぱり頭が痛いっていうのがいったん痛くなると、ずっとその何時間も続くんで。むしろ、いい匂いはやっぱりすごく、こう、幸せに感じたりとか、花の匂いとか、おかしいかもしれないんですけど。……過敏になっているところがだめなところもあるんですけど、まあ逆に今までに感じないように強く感じるんで。……何ですかね、…いいのか悪いのか、わからないんですけど。両極端なんですけどね。
そのうち全然その固形物が全く、あの、摂取できなくなって、で、カロリーメイト(栄養調整食品)の、あの、一缶200キロカロリーとか、飲むのは、飲むのがあるんですね。で、いろんな味があって、コーンスープ味だとか、ココア味だとか、コーヒー味だとか、まあ何種類かあるんですけど、それを(笑)1日2缶ぐらい飲んで、一応、カロリーを確保してたみたいな。うん。で、まあそれで800(キロカロリー)とか確保すればいいんですけど、ああいうものって1日に2缶しかもう飲めないんですね。あの、嫌、嫌になっちゃって。3缶目以降に手が伸びなかったというか、もう飲めない。それやったら痩せるほうがいいみたいな感じで、まあ、たまたま太っているから痩せてもいいやと思ったのもあったと思ったんですけど。なので、カロリーメイトのあの缶を箱買いして、24缶箱買いして、朝と、まあ夜はもう、ほとんど、飲まなかったですけど、あの、それで、なん、何週間か、1カ月近くは暮らしてました。ウウン。なので、4キロぐらい、そのときはやっぱり体重、落ちましたね。
―― あの、痩せていったりとか、その食事を周りの人と一緒に同じように取れないとか、そこら辺は結構ご負担だったりは……
負担ですね。でも、忘年会に出なくちゃいけなかったりとかってあるじゃないですか。で、食べられないのに行かなくちゃいけなかったりとか、そのつき合いでね、あるでしょう。なので、まあそれは嫌でしたね。うん。…これだけ食べれないっていうふうなのは大変なことだっていうのは、痛くて食べれないんですからね。おなかは空いてるわけだから。おなかが空かなくて、なんかこう食べれないとかっていうのはまだ我慢できるかもしれないんですけど、おなかむちゃむちゃ空いてるわけですよ。でも、その口動かすと痛みが強くなって、その痛みが耐えられないから食べられないっていうのは、かなり苦痛ですよ、やっぱり。
一番ひどかったとき、その悪化したときなんかは食べものも噛めなかったんですね。もう噛むと、こう何ですかね、首に響く。首に響くというか、まあとにかく食べものが噛めなくて。でも、食べたい、食欲はあるんですよ。うん。食欲はあるんだけど、噛めない。あの、噛めない。そのとき何日か食べれないときもあったんですね。で、あの……、でもすぐあの、数日(食べられない)ときはやっぱり食べなきゃ――食べなきゃいけないっていうよりも、もう食べたくて。食べれるものは何かといったら、プリンみたいな軟らかいもの。その、それもね、本当にもう悲しい思いしながら食べるんですけど、でも大丈夫、まだプリンが食べれるじゃないみたいな(笑)。うん。そのときに思ったのは、昔飼ってた猫がもう年を取ってきて噛めなくなっちゃったけど、「カリカリ」を噛めないけど、頑張って噛んでいるっていうのを急に思い出したんですね。ああ、そう言えばあの、ああいう猫も頑張って噛んでたよなとか。そういう、なんかそういうことを急に思い出すんですね。その痛みと闘うときにはなんか、あの、ほかの闘っている人を思い出すっていうんですかね。うん。だから、それを私も思って、大丈夫、まだプリンが食べれる。食べたいと思っているし、食べれるし、あの、だから頑張らなきゃいけない、負けちゃいけないっていうふうに思って。食べれなく――痛くても、その、その軟らかいものをとにかく食べてましたね、そのときはね。もう異常、かなり異常だなと思いましたけどね、そのときは。
いや、私は…、何で自分だったんだろうって、ずっと考えてて。何で病気――まあ病気と言えるかわからないですけど、まあ例えば診断名が付くならその疼痛という病気だったとして、何でその病気は私を選んだんだろうということはもう常日ごろ考えていて。もう自分じゃなきゃいけなかった理由って何だろうって、それを今も正直考えているんですけど。……うん、……そうですね。
だから、逆に、今回こういうこと(インタビューで語ること)をできるというのを新聞記事で見かけて、自分と同じような人に…、何かもうちょっとでも力になれることがあるのであれば、で、自分が話すことで、な、何かしらの力になるのであれば、それができればそこで初めて自分が、自分が病気に選ばれてしまった意味というのはそこにあるかなっていうふうに思います。
…でも、そういうふうに無理やり思おうとしているのかもしれなくて、まあ正直言えば、何でだろう、何で自分だったんだろう…って思いますね。最初に痛みが起こってから、もう7、8年ぐらいなんですけど、正直、女性としては一番いい時期。30代の初めとかって一番いい時期だと思うんですけど。その時期を、やりたいこともできず、行きたいところにも行けず、まあそれで結婚前は――結婚前はというか、結婚してからかな。あの、好きな人と別れなくちゃいけなくなった理由にもなったりしたので。まあ正直、女性が一番いろんなことを謳歌(おうか)できる時期を、病気で過ごさなきゃいけなかった理由って何だろうっていうのは今でも思います。
もう今は痛みを抱えてても、痛みがあっても自分は自分ね。痛みのない自分はもう考えないっておかしいけど、まあそこは、えー、痛みのない自分には、なりたいと、ずっと思っていましたよね。痛みはどこかで消えてほしいって。今は逆に、痛みがあっても自分なんだろうなというところまで、たぶん…年月が過ぎてきたんだろうなって、たぶん思いますね。で。否定っていうか、えーと、これを否定するとね、痛みを否定しちゃうとこれはもう自分じゃないので。痛みはありながら、病気もありながら、まあ、というところを否定していたらね、これからも痛みはあるもんなので、否定をする…必要はないっておかしいけど、否定しなくていいんじゃないかなっていうところになってきたっていう……。
日常生活の中で何が変わったかというと、うーん、何年間、発症して何年間あたりは何かするたんびに「痛い」という。「あ、痛い」とか言うじゃないですか。「痛い」という言葉。今は、痛みがある自分だから、なんか「痛い」っていう言葉はもう体の中、一部……一部っていう表現おかしいね。一部というか…、痛い自分だから、痛いってあんまり使わなくなったんですね。逆に、ほら、なんかちょっとパソコンをやりすぎて目が疲れて…、頭が痛いわっていうところしか使わない。よく、ほら、この病気だとか、痛み、慢性疼痛、抱えてる人は、常に痛み、痛み、痛くてね、痛くて、「ああ、痛い」とか言うでしょう。先に、最初に何か会話するときには、痛いから始まりますよね。それはね、ないです。うん。健常者の人が、元気な人が使う痛みで変わってきたと思う。でも、痛みは全然消えたわけじゃなく、うん…、痛みがあるがために、まあいろいろな弊害はありますよ。あるけれども、それを否定しないことにした。否定したらね、生きていけないので否定しないです、どこでも。はい。
やっぱり人間は、あの、みんな老いていきますしね。その上で、あの、痛い思いとか必ず出てくると思うんですね。それが人よりも多かったり、長い間ある人生だなって。17歳のときからですから、もうほぼ、ほぼ、ずっと痛みととともに、うん、生きてきて、これからもそうだなとは思うんですけども。うん、その中でもね、できるだけのことをやっていこうと思いますし。うん。その強さだったり、思いやりだったりとか、何か培われたんじゃないかなとは思いますね。うん。
まあ、でも本当に波があってね、あの、弱いときもあれば、うん、本当にこう、うん、波がありますけど、それでも何度でも立ち直っていけるっていう強さは養われたんじゃないかなって。うん。何かいいこと、いいことって、うーん、まあ本当に痛みがなければないに越したことはないんですけど、もう受け入れるしかないんですね、本当に。こうなった以上はもう、あのときには戻らない。事故の前に戻らないとかね。もう過去はやっぱり変えられないですから。あの、もうそうなった以上は、もうそれを受け入れて、もう闘っていくのが、まあ自分の人生なんだろうなって、受け入れるだけですかね。うん。
ほかにも、ほかにね、例えば痛みはあるけど、例えば違う面では、ここはラッキーだし、こういうことはできたしとか、あの、うん、全てにおいてだめなわけじゃないっていうことを思って。うん。人生の中でね、あの、みんな、あの、みんなアンフェアですから。いいところもあれば何か悪いこともあり、そのうちの1つというふうに思うしかないかな。うん。
だから、うんと、腰の悪い私、痛みがある私、この私は私、私のこの中に全部引っくるめて私なんだっていうことなんだと思う。…わかりづらいかな(笑)。
―― そんなふうに思えるようになったのは、いつぐらいからで、それは何でそういう考えに至ったのかなっていうのは。
……うん、うん。だから、例えば、うんと、大食いの私もいるよね。うーん。スポーツの好きな私も。それは私という、こういう私なわけでしょ。それと同じように、うん、痛みのある私。…で、具合の悪い私。これも私。で、それを抱えた上で、私、今の私があるっていうことだから。
そう思うようになったのは……、最初は、恨み、つらみ節だったからね。やっぱり2、3年…、2年くらい、1、2年は、ウウン、泣いてたかな、布団かぶって。そこからだ。泣いててもしようがないんだよな、前に進まなきゃいけないんだよなって思えるようになって、受け入れて……。これが私なんだから、これでこれが私の普通の日常生活なんだからって思えて……だと思います(笑)。……だって、できる範囲は確かに、うんと、ちょっと欠けるけれども、その欠け、欠けても、そのできるところで目いっぱい楽しんでやっていけばいいのかなって。