投稿者「dipex-j」のアーカイブ

慢性の痛みの語り

痛みが続いていることについては受け入れるしかない。神様、仏様が痛みに耐えられる人間だと思ったから与えられた試練だと思うしかない(音声のみ)

―― そういう痛みがこう、ずっと続いているということに対して何かお考えございますか。

もう受け入れるしかない。私の体はこういう体なんだから、じゃあ、これに対してなるだけ痛みが、あ…、ないように、生活をしてくっていう考え、ですね。…どうしようもないですね。もう痛みをなくすということは無理ですし、これからもどんどんもっと痛みを増していくので。やっぱり神様、仏様が、それ、私にはそれが耐えられるような人間だと思ったから、病気をお与えになったというふうに思うしかないなっていうような。神・仏の領域を信じるしかない。

でも、それを、そういうような神・仏のことを言ったり、霊のことを言うと先生から、「おまえは何をやってたんだ」って言われて。最先端の科学のことをやってた人間としては、だからそういうことを言っちゃいけないんだろうけども、やっぱり神・仏っていうものが与えた試練っていうものかなというような、スピリチュアルな世界のほうへ入っていくしかないかなって。だから、それを受け入れて生活をしていくというのが…、今の自分だと思います。

慢性の痛みの語り

以前は線維筋痛症に対し闘おう、乗り越えようという気持ちが先走っていた。受け入れることはまだできないものの、手ごわい隣人として接していこうと思っている

この病気に関しては、私は前は、闘っていこうとか乗り越えようとか、そういう気持ちばっかり先走っていたんですね。ですが、この病気に関しては、乗り越えようとか闘ってやろうとか、そういう気持ちを持ったらだめです。あの、受け入ること――受け入れることはまだできないんですが、やっぱりある程度受け止めてやって、うまくこう一緒に。隣にいつも居はる人、手強い怖い人と思うような感じで接していかないとだめだなって、こう、あらためて思いますね。

―― 何かそういうふうに最初は思えなかったのが、そういう今は隣にいる人というふうに考えられたのは、何か、こう、きっかけがあったんでしょうか。

あのね、この病気ね、いつか治ると思ってたんですよ。で、痛みも治まってくれると思ってたんですが、なかなかそれがどいてくれないんですね。ここにいつもおられるんですね。

慢性の痛みの語り

この壁は乗り越えられないと明らかにわかったらそれは「受け入れ」。諦めたことが日常になって諦めたとも思わなくなるのが受け入れではないか?

―― そうすると、そのあきらめと受け入れの違いみたいなことをおっしゃっていたところで言うと、もうちょっとそこを、説明をしていただけたらと。

いや、私もわからないです。あきらめと受け入れね。ただ、あの、この話は理学療法士さんとも何回かしたことがあって。「「諦める」の「あきらめる」って、この漢字で明るいという字を書くんだよ」というふうに言われて。あの、「2種類あるんだよ」って。明らかにする。明らかにするほうの、「あきらめる」が「受け入れる」じゃないかなみたいな感じで…。何だ、何でしょうね。……うまく言えないんですけど。こう、何とかしたいと壁の中で、壁の前でバタ、うーん、もがいているうちはあきらめてないですよね。だけど、この壁は越えられないと、わかったら、それが受け入れ。あきらめ、明らかにするほう。

で、もう、最初は、あの、「あーあ」のあきらめでいいと思うんですよ。もうあきらめましたって。何でもそう。恋愛とかでもそうじゃないですか。恋をして失恋して、最初あきらめるじゃないですか(笑)。「はー」って。それは、あきらめるは全然いいと思うんですけど、あきらめた後に受け入れる。何かこう、それが日常になっていくっていうか。あきらめた後に、それがもう受け入れなんて普通自覚しないですよね。あきらめたと思わなくなったときみたいな。

―― 立ち直ったというわけではないんですね。

立ち直るっていうと、なんかこう。

―― 恋愛だとそっち。

リターンみたいな感じがするんですけど(笑)。あきらめたと思わなくなるのが受け入れなのか(笑)。

―― ご自身は、今、受け入れたって感じですか。

と思ってるんですけど。

慢性の痛みの語り

痛みは日常になっていて、痛みから逃げてはだめだと言われている。それはあきらめとも違い、ありのままを受け入れることだ

―― 今、痛みがすごくあってつらいときに、何かこう意識的に、その、た、耐えるために何か意識的にやってることっていうのはあるんですか。

これがですね、日常に、なってきてますんですよね。ですから、これを抑えるために何かっていうことは、特にないんですね。はい。ですから、いわゆるその、この(病院でもらったモットーのリストの)2番目になるかもわかんないけども、逃げちゃだめだということで、痛いのは痛いんで、しようがないんだっていう、その思いは、あるんですね。いろんな手を打っても、無駄だったということで。もう本当に……、そのあきらめともまた違うということも、よくこう言われるんですけども。まあ、逃げないっていうんですかね。ま、痛みは痛みとしてもう受け入れるってことですかね、今は。

―― でも、何で私だけがというようなね、こんな目に遭うのかとか、そういうふうな思いは持たれないですか。

いや、最初は持ちましたよ。うん。でも、これも受け入れるしかないな。はい。

痛いけど、ありのままに受け入れることですよね。痛いのは痛いなりに。何も治療方法がなかったら受け入れるしかない、と思うんですね。はい。うーん。じゃないかなあと思うんですよね。

慢性の痛みの語り

腰の痛みはもう良くならないと諦めているが、それはネガティブな意味ではなく、痛みと仲良く同居していくしかないといった意味での諦めだ

……もう、…腰の痛みというのは、実はもう良くならないだろうなと、回復しないだろう、元には戻らないだろうなっていうふうには、もうあきらめているんです、実は。うん。ですから、これ以上痛くならないように、えー、するのが、あの、今の自分の、こう、やらなきゃいけないことだと思っていますので、まあ痛みと一緒に、あの、生活していくというか、同居していくというか。これはもう、あの、変えられない事実なので、えー、うまく仲良く、あの、やっていくしかないと。腰を怒らせないように、だまし、だましやっていくしかないというふうに、もうほぼあきらめながら、えー…、生活しているのが実態です。

やはり、あの…、5つぐらいそういったね、医療関係、医療施設といいますか、病院も含めて行って、まあ自分のこの、かかり方というのが、そのお世話になり方というのがやっぱり1つ問題はあったかと思うんですが、あの…、5つぐらい行って、なかなか良くならないというのは、これはもう、あの、良くならないんだろうと(笑)。どこに行っても良くならないんじゃないだろうかというふうに、あの、思って。えー、だったら、あの、それとうまくおつき合いしていくしかないだろうなと。で、えー、さっき申し上げたように、あの、まあ日ごろの、あの、なんか自分のこう生活の仕方。その階段の上り下りをなるべく積極的にするとか、えー、朝起きたらその、から、体を伸ばすとか、腰を曲げるとか、どうしてもゆっくりなんですけれども。なんかそういうその自分の生活をこう、新たにこうリズムを作っていくと。そういうふうにしながら、あの、痛みと仲良く同居するしかないのかなというふうに。そういった意味でのあきらめという、のは持ってます。あきらめというのが、こうネガティブな意味ではなくて、やはりうまくこう妥協しながらというか、なんかそういう意味のあきらめということだと思うんですけども。

慢性の痛みの語り

リウマチで楽器の演奏は諦めたが、友人に誘われて参加した合唱で、長丁場の曲を歌いきることができ、それが転機となってできることをやっていこうと考えるようになった

私は、あの、小さいころからずっと音楽やってて、あの、ピアノを弾いて、ピアノを習ってて、まあ吹奏楽やらオーケストラやらっていうのもずっとやってきたんですね。で、まあ、大人になって、あんまりやってないけれども、いつかはまたピアノ弾いたり、吹奏楽、あの、オーケストラやったりっていうのは、やろうねっていうふうにお友達とも言ってたりしたんですけれども。こう…、あの…、ちょうど、その、まあ言ったら、リウマチひどくなったときにもうできないんですよ。もう絶対楽器はできない。で、すごく、今までずっと音楽やってたのに、すっごい絶望した時期っていうのがあって。で、もう音楽なんかも一生できないじゃんと思ってたんですけれども。

ちょっと、たまたまそのときに、あの、合唱の、こう、誘ってくださ――合唱を一緒にやろうって、まあそれ、リウマチになる前に、わかる前から誘ってくださってた方がいて。で、一緒にその、まあ一応、嫌々だったんだ――嫌々っていうか、自分もしんどいし、もうあの、洋服着替えるのもしんどかった時期だから行きたくなかったんですけれども、でも、まあ、せっかく誘ってくださってるし、一緒に歌、まあ行こうかと思って、一応約束もしたしって行ったんですね。

で、行って、まあ言うたら、ベートーベンの第九だったので、まあ合唱の部分だったんですけれども、歌って、もう本当にあの、何ですか、そのときってもう音楽もう絶対できないと思ってたのに、あ、私、なんか、いや、歌えるじゃんと思って。長丁場、30分ぐらい立っていないといけないし、もうこれ、途中で座るかなとか思ってたんですけれども、いや、こんなに痛くても、もう本当に音楽なんかできないと思って絶望してたのに、あ、私、まだできることあると思ったんです。

なんで、このできることがあったことで、あ、できることに向けて、あの、少しでも。やっぱりいろいろやっていかなくちゃいけないんだなっていうのを感じたっていうのは、それはすごく、あの、考え方の転機になったと思います。ずっと絶望してたら家の中でじっとしてるだけで。あ、痛いんだと思って、痛い、痛いからもう何もしたくないって、なるじゃないですか。そうじゃなくて、いや、まだ、こ、ここはできる。ここは失っちゃっても、だからピアノはもう弾けないですし、バイオリンももう弾けないんで、で、それはわかる。で、まあ、やりたいなと思っても、まあ弾けない。だけども、でも歌はまだ歌える。で、音楽っていう全部のことからしたら音楽はできるじゃないかっていうふうに、すごく思って、

もう終わったときに何かもう、ボロボロ泣いちゃって。もう、その、言ったら、出来あがったっていう感動もあったんですけれども、もう本当ボロボロ泣いて。たぶんお友達、誘ってくれたお友達は、みんなで頑張ったねっていうことで、誘ってくれて泣いてるんだと思ってたんですけど、私自身は帰ったときに、あ、まだ、私、できることあったっていうのをすごく思った覚えがあるの。なんで、その辺りから少しずつやっぱり、こう、意識が変わっていったんじゃないのかなっていうふうに思う。自分が、じゃあ、この残ってるものを使うのにはどうしたいいのかっていうのを、あの、やっぱ考えていったのが…、そう、転機と言えばその辺りが転機だと思います、たぶん。

慢性の痛みの語り

病気が治らなくても、それと一緒に歩んでいける自信を今持てているのは、こんな状況の中でも、夢をあきらめずに博士号を取ったことがきっかけになったと思う

リウマチになっても、えーと、痛みがあっても、あの、頑張れる自分というのが、頑張れるというか、おかしいけど、何ていうのかな、それと一緒にこう共存して来れた自分の10年ぐらいがあるので、あの、今からもやれるっていう、何ていうのかな、自信みたいなのが今はあるんですね。でも、その前は、あの、さっき話したように敗北感だったり、自分がうまくやれない。それから、えっと、いつどうなるかわかんない。もしかしたら手もこう、もう曲がっちゃって、足も曲がっちゃって歩けなくなるかもしれないとか、いろいろなこう…、何ていうのかな、不安とかがあったので、あの、そこから今は、あの、痛みがあっても、あの…、その病気が治らなくてもそれと一緒に歩んでいこうっていう、なんかこう自分の中で…、うーん、なんかストンと、どっかで落ちたんだと思うんですけど。それとの前と後はかなり違うかもしれないですね。

1つはたぶん、こんな状況の中で私がたぶん博士号を取ったことなんですよ。…なので、私は、えっと、もう子どもを抱えてこんな状況で、あの、たぶんこれはね、取れないだろうと自分の中で思ってたんですね。な、だけども、人が、えっと、4年かかるのを私は20年かかっても取ろうというふうに思ってたんですよ。それ、1つは、自分の何かこう意地だったところがあって。…たぶんそれが取れたときに、あの、自分がそれで達成したときに、「あ、こんな病気があっても痛みがあっても、あの、やれるんだ」っていう、なんかこう、自分、に向き合えた。えっと、たぶんそれが一番大きいんじゃないかなと思うんですよね。

―― そこが大きな節目という。

うん。だからね、あきらめ、あきらめなくて良かった。だから、夢って、別にそれは私の夢だったかもしれないけど、あの、どんな人でも、何か夢って捨てちゃだめよねっていうのはそのときになんか思ったし、あの、それがなんか自分の中で1つ得たときに、「あ、これからもやれるんだ」っていう、本当に自分の中のストンっていう、そのきっかけだったような気がします。

慢性の痛みの語り

以前は完全な健康体を目指していたが、10年スパンで見ると結局悪化していて、元気でバリバリ働くのは絶対無理だとわかった。たぶん一生つきあうんだなという覚悟は出てきた

何となく治らない病気なのかなとか、多少良くなるのかなとかはあるんですけど、たぶん一生続くし、一生、痛かったり、だるかったりするのかなっていう、ちょっと覚悟は出てきたんですけど。うん。薬で多少我慢できるぐらいで、なんか、いいやって今すごく思い始めてきちゃって。治ろうとかは思わなくて。うん。でも、もしかして違うかもしれないっていうのも、どっかあって。うん。たぶん、うん、一生つき合うんだなとは思ってます。うん。

―― 今「そういうふうに一生つき合うんだなって思うようになった」っておっしゃってたんですけど、まあこれまでのその20年近くの間っていうのは、その、まあ治療なり、自分自身の取り組みなりしているときに、いつもこう、目指してた状態っていうのは、最初のほうはどんな状態だったんですか。

もう、もう痛みが全然なくて、元気でバリバリ働いて、うん、ていうイメージを目指して、あの、本当に完全な健康体。たぶん、うん、イメージとしては小学生ぐらい元気になれると信じて、うん、こう、やってたし、うん。そこを、そこを目指してたんですけど。うん。明らかにここ、ここ1年で絶対無理だってわかりました(笑)。うん。

―― それは(線維筋痛症の)診断が付いたっていうことが、そう思わせる?

…もあるし。痛いし、だるいし、動けないしっていうのは、うん結局…、何だろう、3カ月単位とかで短いスパンで見ると良くなったりとかもするん――してたんで、前は希望があったんですよ。いったん悪くなっても良くなるっていうふうに、山を繰り返してきたので。もしかして、その山を繰り返せば、その山って、どんどん低くなってるんじゃないかって勘違いをしてたんですけど、10年単位とかで見たら全然、や、その、結局悪くなってただけなんですよね。うん。その、うん。振り返ったら、うん、いったんでも、すごく良くなってっていう経験があれば良かったんですけど。

今も痛みとか何かすごい、偏頭痛とか楽にはなってるんですけど、長期的に見たら、その、だいぶ高いところの症状なので。うん。その、ゼロだったりとか、仕事ができるレベルとか、には想像が全然つかないところの体の体調なので。だから、あの、うん、もう無理かなあしか思えなくて。うん、ですね。うん。

慢性の痛みの語り

痛みから逃げることができないまま命は続き、あきらめたりもがいたりを繰り返しながらも何かを得ている。気になっていたことが気にならなくなり、自分の大切なものを見るようになった

痛みって、あの、本当受け入れ難いんですよね。痛みがあって、うれしいなんて思う人は絶対いないと思うんです。だけど、それが常にあの、感じてて、逃げられないじゃないですか。それなのに、あの、まだ命も続いてるし、なんかいろんな生活とかも続いているじゃないですか。そんなんで、あの、なのに、それをしなきゃいけないから、とても苦痛で苦しいんですよ。それをあの、限界まで行ったときに……、さっき言ったように、1年目、2年目って限界まで行って、あの、諦めたり、もがいたり、諦めたり、もがいたりするんですよね。ただ、それだけの繰り返しなんですけど。

そうすると、なんか何もない人よりは、必ず何か得てるんですよね。何ていうんだろう。何だろうね。なんか境地としてしか言いようがないんだけど。今まで気になってたことが気にならなくなって。もっと自分の大切なほうを見るほう…が増えていくっていうか。なんかあの、もうしようがなくなっちゃってるんで。しようがなくなっちゃってるから、どうしようもなくなっちゃってるから、受け入れるも何もそのままで。

だけど、きっと医療従事者は、「あーら、大変」(と考えて)、何か、それを減らしていくっていうか、そうしたくなるんだけど。痛いんだけど、気にならなくなるじゃないんだけど。もうなんか生命力に頼るしかないっていうか、そこまで行っちゃうという感じ。

慢性の痛みの語り

この痛みが一生続くのかと思うとつらい。痛みの範囲が広がったという人の話も聞き、先が見えないのが不安。これからの人生がもったいない結果に終わるのかと考えてしまう

まずこれが一生続くのかと思うとつらいというか、自信がない部分はあります。その一応、原因とかは別にして1回そういうふうになると、なかなか治るのが難しいみたいなふうには理解しているので、うーんとその目処が立たない。あとは、その波が、波がある。

あとは何だ。その範囲も今痛いところだけが全てじゃなくて、結構広がってきたりとかするっていう話もあるし。実際にその2回目の手術をしてくださった病院。その有名な先生のところだったんで、そこにはいろんな患者さんがいらっしゃって、なんか同じそのCRPSの方もいらっしゃったんですけど、かなりもう初めの指1本から広範囲に及んでいったという患者さんを見ていたので、その先が見えないっていうのが、それに対して今不安に感じているところです。今のをずっと続ければいい。だから、今を受け入れようって思うんだったらいいんですけど、ま、まだ頑張れるかなと思うんだけれど、これより悪くなるかもしれないとか、しかもそれが何年後になるかもわからないし、いつどうなるかわからないっていうのが……、それがやっぱり考え出すと切りがないですね。

せっかく今、まあちょっとぐらい痛くても生活が、やりたいことを頑張ろうみたいなふうに思っていても、急に例えば今以上になったりとかして。もちろん良くなることもあるし、それを一応目指してるんですけど、やっぱり悪くなったときのことも考えてしまって。今せっかくこれで、まあいいやと思えてたのに、これよりまださらに悪くなる、かもしれないとかいうふうに思うと、まあ怖いというか、不安ですね。うん。でも、それがそのCRPSというののわからなさ。うん。

あと、まあ一生とかいう言い方をされると、まだ私、20、20歳でケガして、あと何十年間これ痛いんだっていうふうに思うと長い。長いなって。そんな、そ、損、何が損かわからないのに、なんかもう(笑)、これからの人生、もったいない結果に終わってしまいそうとかまで考えてしまいますね。うん。考えても切りが、切りがない(笑)とは思いながらも、もう人生、トータルで見て、しまいます。