投稿者「dipex-j」のアーカイブ

慢性の痛みの語り

この痛みが一生続くというのが耐えられず、死にたいという気持ちになる。家族もいるし、そうする勇気もないが、そこまで痛いというのがこの病気(CRPS)だと思う

―― あ、痛みがこう…、この先もずっと続くというか、そういうことに対してご自身のこう思いというか、考え…。

一言で言うと…、嫌ですね。もうこれ以上耐えられない。はっきり言えばもう、言葉は悪いんですけど、死にたいという気持ちはあります。結局もうこの痛みが続くというのは、一生続くということがもうすごい苦痛なわけですね。といって、死のうと思っても、まあ自分で勇気がないんでしょうけども、死ねない。だから、もうほかの患者さんで苦しんでおられる方は、やっぱし同じ思いと思うんですけどね。痛みがどんどん強くなってくる、ひどくなってくると…、まあ死を考えるんちゃいますかね。

―― 踏みとどまるというか…、そこを……、そこまで至らないように、ご自身で……、気持ち的にストップさせているところっていうのがあると思うんですけど、それは何が一番こう、踏みとどまさ(※とどまらせて)。

なんか今のところ勇気がないんでしょう、と一言で終わってしまいますけどね。

…やはりあの、本当そこまで痛いというのがこの病気と思うんですけどね。がんで苦しんでいる患者さんもそれは苦しいでしょうけども、このRSD*という病気だというのは本当、自分の痛みもあるし、何度も言いますけども、周りから理解されないということがものすごいつらいわけですね。線維筋痛症もそうでしょうけども…、まあ仕事もできない、しようと思っても痛い。といって、すればするだけ痛いわけですよね。動かせば動かすだけ痛い。そうなると今度人間としては何をしようかと思っても、何もできないわけですよ。ダンスをすればいいとかいうけど、ダンスなんかできるわけないですよね。これから、これがどんどん進むと思うんですが、やっぱし、もう生きていたくないなというのが本音と思いますね。本当に踏みとどまっているというのは、やっぱし家族がいるから、と思います。あとは、まあ、でも自分にも最後は勇気がない(笑)…うーん…というだけでしょうね。

*反射性交感神経性ジストロフィーのこと。現在はCRPS1型と呼ばれる

慢性の痛みの語り

あまりの痛さに眠れず「もう逝っちゃおうか」と思っていたとき、どうしてわかったのかかかりつけ医に「死んだらだめだからね」と言われ、家族への責任感から踏みとどまった

やはりあまりの痛さで寝られなくなって。だから、(近くの開業医の)先生に、こうこう、こうだって申し上げましたら、「死んだらだめだからね」って、一言、言われたんです。そのときはもう逝っちゃおうかなと思ってたんですけど、たまたまその、まあ女性の年配のお医者さんだったんですけど、そう言われたんです。「死んだらだめよ」。どうもわかってたのか、わかんないですけど。はい。

―― ご自身は、死ぬなんて言葉は口には全くされてなかった。

そうですね、やっぱりね。死んじゃだめなんだと、はい。それは、もう家族には一言も言ってませんですけどもね、そういうことは。はい。

―― そういうふうになるまでに、その、七転八倒して、本当に命を絶ちたいというぐらいの本当に苦しいっていうところから、今の思いに至るまでっていうのは何があった? 何があって、それができたのか。というと、やっぱりその先生に出会ったこととかも影響してますか。それとも、もうそれとは、それは大したことがなくて、むしろ自分の中での時間とか。

だから、自分とやっぱりその、家族に対しての責任感。責任感だよね、やはり。主人はいませんし。ですから、子どもは、まだ若かったですから、主人が亡くなったときにね。ですから、やはり責任感ですね。そんな大したことできないですけども。これで父もなく母もいなくなったら、やっぱり自分で責任放棄したっていうことになると思うんですね。はい。それだったのかもわからないですね。

慢性の痛みの語り

ドライアイスを当てられたような視床痛の痛みとつきあうのも6年になり、耐えるのに疲れて、時々子どもがいなかったら早く死んだ方が楽になると思うときもある

この痛みをね、どんな痛みかってよく人に聞かれるんですけど…、何ていったらいいのかな。私は、例えばドライアイスありますよね。あれを当てられた痛みっていうのを想像できます? なんか熱いような、冷たいような。そんなこう、わーっと内からそれがこう湧き出てくるような痛みなんです。で、そこへ痺れが加わる。だから、それがもう四六時中どっか、もうここが痛くないときは、足が痛いし、両方痛いときもあるし、それにもう耐えるのになんか疲れちゃって。うん。もう6年間です。6年近くですから。で、そのケガをした事故に遭った後から、もっとひどくなっちゃって。もう何ていうんだろう。時々、ね、子どもも誰もいなかったら、早く死んじゃったほうが楽になるなとか思うときもあるんですけど。やっぱりね、残された者のことを考えたらね、それもできないな、なんて思って。まあ、泣きたいのを堪えてというか、泣きたいけど、泣いてもね、治るわけじゃないから泣いてもしようがないかと思いながら暮らしてますけど。

慢性の痛みの語り

最初の頃は年数が経てば痛みがなくなっていくと思っていたが、今では痛みのない日はなかなか来ないことはわかっているので、痛みに支配されないよう他のことに集中したい

そう、正直、最初のころは、まあだんだん年数がたてば、まあ体が慣れてきたり、こう、痛みがなくなっていくと思っていたんですけど、意外とそうではなく、まあほかの要因もいろいろ加わっているからかもしれないんですけど、逆になんか痛み止めがどんどん強いほうに進んでいって。で、痛みを感じるのも、うーん…、なんか頻度が多くなってきて、こう…、その、逆に希望がなくなってきたというか、一生この痛みとつき合うんじゃないかっていう不安が出てきたり。

今の段階だと、やっぱり必ず毎日1回ぐらいは頓服で痛み止めを追加しなきゃいけないので。うん、その事故とかに遭う前は痛みっていうのはもうほとんど感じる――どこかぶつけて痛いとか、そういう原因がわかっての痛みぐらいしかなかったので、正直本当に一日でもいいから痛みがなく、痛みに気持ちをその、捕らわれなくていい日が欲しいっていうのが本当に正直な気持ちです。……でも、そうは言っても、うん…、なかなかそういう日が来ないのも、もう何年もたってわかっているので、まあその痛みに支配されずに、うん、ほかのことで集中して、あ、気づいたら…、ふと気づいたらなんか痛いけど、やってこれたなってなればいいかなとは思っています。

慢性の痛みの語り

医師から「あなたの老いがそのうち追いついていくから」と言われ、この痛みが永久に続くのかとショックを受けたが、今では「痛みが消える」ということは期待していない

えっとね、初めに聞いたときは、「えー、これが永久に続くのか」なんて思って。まして、「あなたのね、老いと、老いがそのうち追いついていくから」っていうふうに言われちゃうと、すごいショックで、そのときにはすごくショックでしたね。だけど、あの、今は3年半たってもこれだけ痛いんだから、まあ続くんだろうなって思っているから。年、何年か、例えば5年たったから、10年たったから痛みが消えるっていうのはもう期待してないですね。ただ、ショックではありますけれどね。いつかは治るっていうんだったらね、5年たっても10年たっても待つけれど、そうじゃないんだったらもうしようがない。自分の中で、あの、それこそ筋肉鍛えるとか、栄養を良くするとか、そういう自分で処理していくしかないんだなと思ってるんですけどね。

いつか痛み止めが出てきてね、あの、飲めば軽減されるというのが出ればすごくうれしいですけどね。ただ、薬も副作用があるから、何とも言えないんですけど。でも、本当に今もすごく痛いなと思っているんですけど、こういうときにちょっと飲めば痛くないよっていうのがあったら、うれしいですね。

慢性の痛みの語り

この痛みはすぐになくなるものではないとわかるまで2年位かかった。それからは痛みを追い出すのではなく、痛みと一緒に暮らすような発想に変わってきた

まあ最近は逆に、薬ももちろん飲みたくないというのもあるし、痛みをこう無理やり…、無理やり追い出すというよりは、まあ痛みとこう(笑)、痛みと、痛みがいつも、痛みやこわばりがいつもあるという生活を…、痛みと一緒に暮らすっていうんでしょうか。そういう生活をまあ自分でしていく――いかれればと思って。またちょっと考え方を、痛みを…なくすとか、痛みを追い出すということではなくて、痛みがいつも、痛みや痺れがいつもあって出ていってくれないのなら、まあその中で、どういう生活ができるのかなという、そういうふうにちょっとこう発想が途中で変わってきたかなとは思います。

―― その変わるというまでにどのぐらいかかったんでしょう?

……鍼灸を幾つかやったり、整体に行ったり、あと自分なりに、あの、ヨガは毎日必ずやるし、時間的な余裕があるときは、まあ時々水泳に行くとか……。そういう努力をしても、朝起きたら、またこの手が戻ってきてるというのが、そうですね…、1年半、ちょっと正確に覚えてないですけども、最初の1年、1年半、2年ぐらいは痛みがなくなるはずだと思って、そうなってほしいと思ってたと思うんですけども。今も、もちろん痛みがなければ、もちろんないほうがいいんですけれども、「あ、これはすぐになくなるものではないな」というのは、そうですね、1年半…、2年ぐらいはかかったような気がしますね。ある日突然というのではなくて、「あ、これだけいろんなことをやっても、すぐに治るものではないんだな」というのと。