投稿者「dipex-j」のアーカイブ

慢性の痛みの語り

自分の病気を社会に認知してもらうために地元や海外で署名活動をした。その活動を通して自分が思っている以上に話を聞いてくれる人やサポートしてくれる人がいることを知った

その時点で発症してから、まあ10年が経過して、まあ日本各地の病院に行っても、あの、原因も病名もわからないし、えー、いろんな治療法を施しても全く効果がないということだったので、えっと、これはもう自分で、あの、訴えていかなきゃいけないと思って、えー、自分の病気の署名活動を行いました。まずは、えっと、自分の地元でビラ配りとか署名活動を行って…。あ、あ、えっと、はい。地元で行いました。で、2012年にちょっと海外で署名活動をしてみようと思って、海外に飛びました。

今は、えーと…、えーと、そうですね、ここ、まあ……、3年ぐらいの間に、まあ自分が、えー、海外に行って、自分の病気の原因とか病名は何なのかと、そういった署名活動を始めたことをきっかけに、いろんな人と出会いました。で、自分の現状をさらけ出すことによって、自分が思ってないような人だったりとか、自分が思っている以上に、あの、結構聞いてくれる。聞いてくれるんだなっていうところもあったんですね。そういう人たちにも何人か会って、そう、まあそういう経験もあったし。で、帰国してから、えっと、やっぱり同じ、私と同じような境遇の患者さんだったりとか、まあいろんなそういうNPO法人、患者会の人たちのそういうサポート、そういう存在を知って、自らその、まあ接触して、まあそういった方々のサポートが徐々にあの、出てきたっていうのが、あの、何ていうんでしょう。
まあ、全く人との関わりを絶ってた昔よりかは、徐々にまあ改善されつつある……、あることかなと思っています。

慢性の痛みの語り

SNSで病気と闘っている姿を見てくれ、ありのままの自分を認め友達としてつきあってくれることがわかってうれしかった

私は、あの、ブログをずっと書いているんですけれども、作詞がもうできなくなってしまって、それでもまあFacebookとかTwitterとか人とつながりたいという気持ちは、人に会えない分すごく強く持ってるので。そこの中でも、私の周りのFacebookのお友達はみんな音楽の仕事をしていたり、派手な仕事をしている方ばっかりで、皆さんのつぶやきは正直、とても落ち込むものが多いです。とってもみんな華々しく活躍していて、こんなところでご飯を食べたとか、こんなところに旅行に行ってきたとかそういうことばっかりで、本当にみんな元気なんだなと思って一時期はすごくショックで、何度もFacebookをやめたことがあったんですけど。でも、もう皆さん、私が病気と闘っている姿というのをすごく見てくれるようになって、で、どんなふうに生きているのか、あの、病気でも、あの、みんなと同じようにつながっていていいんだということがわかって。別に音楽の仕事をしてなくても、みんな友達としてつき合ってくれるということがわかったことも私が一番うれしかったことで、友達にも感謝しています。

慢性の痛みの語り

周囲の人から反対されても痛みがある自分との旅行につきあってくれた人や、その人の生き方の糧として自分を手助けしてくれる人がいる

―― 周囲の方との関係には何か影響があったことというのはございますか。お友達。

そうです。旅行に一緒に行ってくれる人がいなくなった。だから、何が起きるかわからないから一緒に旅行に行くのはちょっとっていう感じで、旅行に行ってもらえない。…ですが、どうしても沖縄へ行きたかったので、沖縄へ行きたいっていうふうに言ったら、一緒に行ってもいいと言ってくれる方がいて、その人と沖縄旅行へは2泊3日で行きました。でも、その方は、やっぱり家族の方に、その病気の人を連れていく、その病気も普通の病気じゃなく難病で、それでどういう状態かもわからない、で、障害者であるっていうのですごい反対を受けられたそうですけども、私をどうしても連れていってあげたい、喜ぶ姿を見てあげたいというので連れていってもらいました。

それと、もう1人違う友達は、私の生き方があの、私の――その人の生き方の糧になるからっていうので。やっぱりいろんなものを、必需品、例えばトイレットペーパーとかお米とか持ってきてくれたりとかするんですけども、それのお礼をしたいからって言うと、「私の生き方で、いい」っていうふうに言ってくれる友達がいて、それはすごくうれしいなというふうに思います。

慢性の痛みの語り

寄り添うのは援助する側の自己満足のケースが多いと思う。本当に手助けしてほしいところに具体的に手を差し伸べてもらえるのが一番ありがたい

私、結構、実は、昔大好きだった言葉で、今、大っ嫌いな言葉が「寄り添う」っていう言葉で。自分が――自分がというか、自分が援助する側だったりとか、たぶん家族とかだったりとか友達とかで寄り添って、そばにいる、いてあげるとか、何だろう、「寄り添う」っていう言葉に自己満足しているケースって、すごく多くて。でも、私が実際病人になって思うことは寄り添われても何の解決にもならなくて。であるんだったら、例えば本当に、まあこれも限界が絶対あるのであれなんですけど、例えば本当に、あの、私だったら本当だったら受診とかのこと、困ってるから本当だったら受診にかかる交通費とか医療費とかも、例えばちゃんと、その、助成してもらえるのかとか調べるのとかも本当は自分でできるような状態じゃなかったんですけど、自分で全部調べたんですね。

実際、痛くて、痛いそばにずっといられたら、すごい、たぶんイライラするので。であるなら、その痛みを取るのに何かを助け、具体的に助けとかをしてくれたほうが、私が患者の立場だとすごくうれしいし。私、家族に――家族が何もしないで、じろじろ見てくるのとかがすごく耐えられないので。であるなら本当に困っていることを手伝ってくれるほうがうれしいし。難しいんですけど、なんか。だからって、やり過ぎちゃって、その人の能力を全部奪うのは私はどうかなと思うし。実際、患者さんとかも過剰に依存して、何でも家族がやれ、行政がやれって言う人とかはどうなのかなとか思ってしまうので、その見極めとかは難しいですけど。あの、うん…、そうですね。そう。

話聞いて、話聞いてもらいたいって思っている人には、話聞いてくれればいいんですよ。割と本当にアドバイスを求めて困っているときに話だけ聞いて、「大変だよね」って言われることかはすごく多くて、それは困るし。本当になんか、ただ聞いてもらいたいときとかにものすごいアドバイスされたりとか、もう既にトライしてだめだったこととかを何回も言われるとカチンと来るので、まあそれを見極めろっていうのはすごく難しいんですけど。ほ、うーん、本当だったら、本当に困っていることに手を差し伸べてもらうのが一番ありがたいかなと思います。

慢性の痛みの語り

幼稚園の先輩ママに痛みがあることを伝えておいたところ、痛みがひどくて家からも出れなく なったときに弁当を買ってきてもらうなど助けてもらった

あの、やはり近所には同じ幼稚園だったり、あの、のご家族がいて、あの、バス停で一緒になる。あの、あの、幼稚園の先輩ママさんとかがいて、そこで会話をちょこっとは交わしてたりとかで、何で私が出てこれないのか、バス停に送り迎えとかできないのかとかいう事情も一応、もう前もってオープンにしようと思って、それは話してあったので。いざといったときに、どうしようといったときに、ご飯も今日無理だ。旦那さんも帰ってこれない日だし、仕事の日で出張だし、でももう家からも出れない。どうしよう。買い物もできない。宅配もちょっと無理っていう状況のときに、ちょっと、「実はこうこう、こういう状況なんだけど」って言ったら、「じゃあ、お弁当買ってきてあげるよ」っていう、あの、そういうね、関係はちょっとはあったんですね。あんまり自分がそういう状況だったので、あんまり本当にほかの人とのおつき合いはなかったんですけど、本当に近所にそういう人がたまたまいてくれたっていうのが、ちょっと大きかったですかね。はい。

慢性の痛みの語り

近所の人がゴミ出しの日に声をかけてくれたり、飼い猫を通して近所の人とも交流でき、自分ができないところを気遣って助けてくれる

あの、本当にいい方ばっかりでね、隣の方もまだ、ケガする前でしたけど、こう、すごく大きい、こうゴミがあるでしょう。ゴミの日が。すごく、あの、いっぱい出てくる日とか、そういうときに限って声かけてくださったりしてね。ご夫婦で持っていってくれたりね。あの、本当にそういう意味では助かってます。で、お隣のお隣さんもね、あの、私が血圧高くてね、不安なときに電話したらすぐ来てくれて。一緒に、お料理しかけてるときだったんで、最後の仕上げをやってもらった。もうなんかね、あの、恵まれてます。うん。

いつも言われてるんです。「何かあったら電話して」って、「すぐ行ってあげるから」って言われてるから。あの、前はこの事故に遭う前はもう車も運転できなくなってましたから、あの、一番1階に住んでる、まだうちの娘より若いぐらいの、えーと、お子さんがまだ幼稚園に行く前ぐらいに越してきたご家庭があって。フー(飼っている猫)のおかげで、その子、そこの親子も猫が好きで、それでいつもフーを散歩させているときにその子と遊んでたんですね。そうしたら、そこから親しくなって、それでそこの家でも結局、猫を飼ったんですけど。あの、そこの奥さんが、――私が獣医さんに行くのに、この子連れていけないでしょう、重くて。で、あの、まあそれから死んだ猫ね。この子が病気したときなんかも、車に乗せて連れていってくれたり。まあいろんな方がね。上の方も、4階の方も。一度、救急車で運ばれて、あの、血圧が高くて、一緒に行ってくださったりとか。なんかね、あの、いい方がいっぱいいらして本当に助かっています。

慢性の痛みの語り

できないことを人に頼むことに抵抗があったのは逆に病気に甘えていたからだと気づいた。今は、できないことは職場の人も代わりにやってくれる

お友達や、まあ同僚にも、もうそれこそ何もできなかったんで、仕事のときにもう、瓶のふた開けてっていうのでも、本当にその当時って誰かにやってもらわないとだめだったんですけれども、あの、それがすごく言いづらかったんですね。で、ぎりぎりまで自分がやれるところまではやって、で、やれないから、「ごめん。やれなかったからやって」っていうふうに、ものを頼んでたんですけれども。

あの、やっぱし、それで仕事を休みになって、自分で自分の病気っていうのが単に痛いんじゃなくて、あ、全身で消耗してたんだっていうことがわかったときに――からは、あの、すごい、もう最初からこうなると思うから頼むっていうんですか。そういう感じにだいぶ変わりました。なので、あの、うちの、今でもずっとそうなんですけれども、あの、言ったら、手首自体がこう、こう、動かすのが、すごく可動域が狭くなってしまったので、何もできないわけなんですよ。

あの、今でもやっぱりうちの同僚やスタッフさんたちっていうのは、仕事のときには、あの…、何ていうんですかね、薬剤師なんで、やっぱり軟膏が何種類かあると混ぜないといけない。で、混ぜるの自体は、夏場は意外と緩いので簡単なんですけども、冬場はやっぱり、あの、何ていうんですか、すごく硬くなってしまって混ぜるのにもやっぱり力要るんですよ。そういうのは、みんな、かわ、あの、代わってくれたりします。

やっぱし、自分が今までこう病気だから、自分はなんか何ていうんだろう、逆に病気だから、こう、やれなきゃいけない。やれなきゃいけないっていうのも変なんですけれども、そこの部分って、病気だから人に頼まずに自分が頑張ってやって、で、その部分でできなかったから、「ごめんね」って言ってやってもらうっていうのは、あの、変な話なんですけど、病気に何か逆に甘えてたのかなっていうふうに、そのときにすごく思った気がします。病気だからできない。なら、先に嫌なこと、まあ頼むっていうのはやっぱり嫌なことは嫌なことじゃないですか。それを先に言っちゃえば良かったのに、それを後にしたのは、「私は病気だからこんなにできないのよ」っていうのを、できないっていうのを人に見せる。見せないと頼めなかったっていうのは、逆にね、すごく病気に甘えてたのかもしれないって思いました。

慢性の痛みの語り

痛みがひどいときには、人を気遣える状況ではないので、一人にして放っておいてくれたほうがよい(テキストのみ)

本当に、あの、痛みがひどいときには、あの、もうもう吐いてしまうか、おトイレに駆け込むか、その段階になったときというのは本当に申し訳ないんだけれども、職場の同僚や、あの、家族にももう、できれば、あの、独りにしてほしい。あの、他人さまに気を使って返答ができない状況なので、とにかく無理というか、放っていてというか、独りにしてほしい状況なんですね。でも、その前の段階の、あの、頭が痛くてちょっと仕事も無理でというときには、あの、職場の方とかに私は本当に恵まれていたんですけれども、あの、あの、何も言わないで、あの、「いいよ、いいよ、寝てな」とか、あの、「こっちは何も心配いらないよ」とか、あの、そういう声かけが本当に何よりでした。あの、そのときに、あの、例えば、「どうしたの?」とか「どういう痛みなの?」とか、あの、「こっちの教室はどうしておいたらいいの?」とか、あの、そういうことをもう考える痛みではないんですね。なので、そうじゃなくて、「いいよ、寝てな」とか「こっちは大丈夫」とか。そして、もう皆さんの配慮で何とかしておいてくれる、子どもたちのことは何とかしておいてくれるという、そのサポートが本当にありがたかったです。もう指示もできない、伝達もできない痛みなので、本当に職場の方には申し訳ないんですけど、もう何とかそこは、あの、しゃべれない段階だということを理解していただいて、あの、やっていただいたので、本当にありがたかったなというふうに思います。

慢性の痛みの語り

痛みは怒りと関連し人間関係を悪化させるので、痛みがあっても怒りをコントロールして楽しい話をするようにしている

えっと、関係性の話で言えばやっぱり、あの、あ、自分は痛いっていうことを、伝えたくなりますよね、どうしてもね。自分でも言ってしまうんですけども。相手はそれを共有することもできないし、どうすることもできないと。また相手は何もしてあげられない自分ということになってしまうわけですし、こちらは理解してもらえないっていう気持ちばかりが募って、その関係性が悪化しちゃうんですね。

で、それは、さっき言ったように、だから、あの、何もできない、共有できないっていうことを前提にもう初めからわかっていれば、あの、ほかの面で、だけど、まあ、じゃあ、一緒にどこかに行こうかとか、だけど、じゃあ、何々するのを手伝うねとか、そういうふうにしていければ、あの、いいわけで。その痛みのことで、その近い人の関係悪化をやっぱり防いでいかないといけない。

それから痛みがやっぱり情動と強く関係しているので、で、その、特にやっぱり怒りっていうことと関連する、ので。あの、割と僕も穏やかな性格だったんですけども、やっぱりこの痛みが出てから、すごく怒りやすくなっちゃって。あの、怒るっていうことは人間関係を悪化させますから、痛みそのものでもやっぱり痛みだけでも、こう、孤立しやすいんですね。で、その怒るってことでやっぱり周囲との関係性は、やっぱり悪く、どんどん悪くなってった時期っていうのは、やっぱり何年かあって。

で、自分でも、まあ今、今もちょっとすぐ怒っちゃったりするところがあるんですけど、まあそれはなるべく制御するようにしてて。あの、ただ、まあ怒りやすくなりやすいのは、あの、人間関係を悪くするので。あの、それもまあ症状なんですよね、一種のね。あの、なので、そこは、あの、よりコントロールしていきながら、あの、どこかで、まあまあ発散もしながらやってくしかないんだというようなことなんですけど。やはり、良好な人間関係のほうが、あの、ね、まあ同じ痛いんでも、同じ痛いんだったら、まあ楽しい話をしてて。でも、結構やっぱり楽しい話をしてても、「大丈夫?」って聞かれることがあるんです。やっぱり、あの、痛いのは痛いんです、楽しい話をしててもね。だけど、まあそのほうがいいわけだから。

慢性の痛みの語り

自分が具合が悪いことで人に不快な思いをさせないようにするためだけでなく自分が前に進む ためにも痛くても笑顔でいることを意識するようになった(音声のみ)

まあよくいろいろ言われるのが、「患者らしくない」っていうことを言われるんです。で、「どっこも悪くなさそうだ」と。「そんなに痛みがあるようには見えない」っていうふうに言われる今があるんです。
でも、それはその本当に寝たきりだったころからすると、全く想定できない現状なんですけれど、痛みがありながら社会復帰をする中でそれは身につけたものだと思うんですね。で、まあ何度かお話ししてますが、笑って最期を迎えたいっていうところに向かっていく中で、やっぱり、まあその社会復帰してからも、その、うん、――社会復帰してからじゃないな。それまでもですね、人に不快な思いをさせちゃいけないんだっていうのもあって。

私が、具合が悪いことで人が不快になるっていうのはわかりきっていることなんですけど、うーん、まあ日常もそうですし、社会生活していく中で、まあそれは良くない。人に不快、その病気のことで、「あの人、今、具合が悪いんだな」とか「痛いんだな」っていうところを悟られないようにっていうのも正直あったんですね。

で、何よりその、前に進んでいくためには私自身が笑顔でいるっていうことは大切だなっていうのもあって、まあ相反する、そのいろんなものもあるんですけれど、前に進んでいく、うーん、ためには、その、まあ人前に出るときもその、笑顔でいたほうがいいなとか。とはいえ、痛いのに笑顔ってなかなかできないので、その、まずは口角を上げるっていうところを意識してみたりとか。だから、そこはちょっと正直うまく今は説明できないんですけれど。だんだんそこ、まあそういったことを意識したり、まあ私の中でのいろんなことの葛藤の中で、うーん、本当は痛いんだけど、笑顔でいるっていうことができるようになったというのもあるし…。