投稿者「dipex-j」のアーカイブ

慢性の痛みの語り

両親の教育により自分は非常に我慢強いと思う。友人と会っても暗い顔を見せないように努力している

人とお話しするとき、友達と会って、「全く腰が痛いって見えない」って、皆さんに言われるんですけれも。<6秒>それこそ暗い顔して友達と会っても、相手にも申し訳ないですし。やはりそこは本当に自分では、努力、してるなと思うんですね。はい。本当に、精神でカバー、ですかね。今のところ、それのみですね。はい。

いわゆるそれはあの…、両親の教育方法もあったと思うんですね。非常にあの、父はその…、昔の人間ですから、「痛いとか、つらいとか、その…、言うな」っていうようなことを…、あの、よく言われておりまして。少々の熱でも学校には行かされましたし。あの…、そういうその、小さいときからの、その教えられたっていうことですかね。それで、やはり非常に自分は我慢強いと、自分で自分、認めております。

―― そのお友達の前では、とにかく痛みとかは出さない、お顔に出さないようにしていらっしゃる。

はい。

―― あの、そういう意味では、その人付き合いというか、そういったものが、痛みが出る前と今とで、なんか変わってないよう、――変わらないようにしていらっしゃるんですか。

はい、はい。変わらないようにしてます。はい。……それはもう意識して…、変えないというか、まあ変わらない自分。何十年も。……変われないんだと思います。うん。もう随分、人生長く(笑)、生きてますから変われないんだなと。はい。

慢性の痛みの語り

職場では仮病ではないかと疑われ、友人も痛みのある自分とどうつきあったらよいのかわからなかったのかみんないなくなった

この痛みが、端から見たら、もう仕事怠慢してるとか仮病じゃないかとも言われ、その、だるさで、こう…。先ほども言ったんですけれども、その病院の診察室やロッカーで立てなくなってうずくまってるのを職員に見られ…、仮病じゃないかとか、いいふうに思われなかったです。この痛みが…、本当に、理解されなくて…、つらかったです。

―― あの、友達とどこかへ出かけるとか、そういうような社交生活っていうか、そういうものに、えー、与えた影響っていうのはどうですか。

正直、友人は、みんな、いなくなりました(笑)。……うん。おそらくそのときの友達も私に対してどう接していいのかわからなかったと思います。…うん。接し方がわからないがために……黙るしかなかった。でも、私、当時は孤独。正直、声をかけてほしかった。……うん。孤独がすごいつらかった。みんな離れて。

慢性の痛みの語り

誘われてもすぐに応じることができないこともある。事情を説明し断っても元気な時と同じように対応できないことに理解がない人もいる

―― その痛みのあることで、その痛みが出る前からの人間関係、例えば、まあその普通に、えー、生活、あるいはその交友関係とか、いろいろなものが変わりますよね。

変わります。やっぱりあの、正直、崩壊します(笑)。特にあの、そうですね。例えば電話一本ってよく軽く言うんですけど、うんと、今、携帯電話が普及してメールも普及して、まあLINEとかもある。リアルタイム。ちょっと連絡すれば、そのちょっとがそのタイミングにできないときもあるんですよね。あの、例えば連絡もらって、1カ月も2カ月も放っておいたとか、偶然、あの、忘れちゃったとかっていうことは、まあ、あるにしても通常放っておくことはしないんですけど、元気なときと同じようにこっちが対面しないと、全くやっぱり理解示さない人も、中にはやっぱり、自分がそういう立場になってみると、ああ、この人ってこういうところも許さないんだという人も見えちゃう場合もありますよね。

気軽に、「遊び行くんだけどさ」って言われても、事情を説明してもね、やっぱりそういうのが断り…1つ、断り1つ入れるにも、まあそれ自体を理解しない人がやっぱり出てくるんですね。「そのくらい、いいじゃない」とかね。そのくらいって何だろうなって。もうそんな構っていられないので。そうすると、もうある程度自分で治る、あの、こう、「自分で状態とか症状とか、頃合いがついたころにまた連絡するんで、あの、しばらくは申し訳ないけど、ちょっと連絡は差し控えさせてくれ」っていう言葉で、来ちゃってる部分はありますよね。音沙汰、言いたいですけど、あの、あまり良い状態というか、悪い、まあ極端に悪い状態とも言わないんですけど、いい状態になってない音沙汰で、やっぱね、い、痛いときにそういう話ししたくないんですよね。

慢性の痛みの語り

自分の痛みを伝えても話がすり替わったり、簡単に結婚や出産のことを言われると傷つき、それが怒りに変わってしまうので友人を拒絶するしかなかった

昔とかの子どものときとかを知っている人、健康な状態を知っている人とか、学生のころとかを知っている人とかだと、かえって、その、「へー、痛いんだー。そうなんだー」って、「私もね」って、「私も病気があって」っていう感じになって。私の話じゃなくて、話をしている相手の話とか、相手の病気の経験の話になってしまって。で、しかも私からすれば、私よりは明らかに軽いなって思ってしまう人とかだと、やっぱり話ししてても自分の話をさえぎられたような気がして、あまりよく、こう、いい感情を思わなかったりとか。

あと年齢的に、その、結局、結婚して子どもがいないので、子どもを産んだ人とかにすれば、私がそういう何年も苦しい状況でというのとかはわからなくて、「いや、実は病気で」っていう話になって。でも、何かこう、話の過程で相手が子どもいたりとかすると、「いいよね」って話になると、「じゃあ、今から産めばいいじゃない」とか話になると、とても子どもを産めるような状態とかではないし。すごくなんか、この年齢になってからものすごく、その、結婚とか、子どもを産めばいいとか簡単に言われたりとかすることとかにすごく傷ついて。

で、なんかもう傷ついてしまったことをスルーできればいいんですけど、結局何もしてないので、家にいて、ずーっとテレビ見てるか、ネットやってるかだけなので、結構ちょっとした会話とかがものすごい大きなウエイトになってくるので、すごくすごくそれが怒りに変わってきたりとかしてしまって。てなると、もう人を拒絶するしか自分にはもう手段がなくなってきて。てなると、だんだんこう、友達もいなくなってくるし。うん。

慢性の痛みの語り

痛みは気持ちの持ち方で変わる、みんな我慢していると言われ悲しく傷ついた

あんまり期待はしてないですけどね。ただ、ちょっと傷ついたというか、あのときはある人に。その人の母親は脳梗塞だった。それで本当かうそか知らないけど、視床痛だって。そうかな。わかってるのかなと。で、そのお母さん、割と楽天家。で、あの、「そういう痛みはね」って、「神経の気持ちの持ち方で変わるのよね」とかね、言われたときには、うーん、ちょっと悲しかったですね。ちょっと傷つきますね、そういうふうに言われるとね。うーん、私の持ち方が悪いのかと思っちゃったりしてね。とか、あの、そういうのは、あの、あれだよねって。何て言ったかな。なんかこう…、「みんなね、我慢してる」と、「頑張ってる」と、「言わないで」。まあその人はそういう考えなんでしょうね。だから、もうその人には二度と言うまいと思って。うん。「もう痛いって言ったからって、痛みが消えるわけじゃんだから」、まあそれは強いですよね。うん。でも、そういう人にはあんまり言わないようにしようと。

慢性の痛みの語り

治ると思っていた痛みが改善せず笑う気力もなくなり友人関係も希薄になった。治らないとい う現状は誰も想像もできないだろうと考え、誰にも話せず人と距離をおくようになった

発症したのが、えー、高校1年生のときでして、それまでは、えー、普通に、えー、まあ友達もたくさんいたし、いろんな人とかと、まあ、まあ普通に遊んでたりもしてました。ただ、やっぱりまあ…、病気になってから…、まあ高校生のときは、まあ…、まあただのストレスだろうと思ってたので、まあいつか絶対治るだろうと思ってたので、それほど気にしなく、まあ中学生のときほどではないですが、普通に、まあ友達と遊んでたりとかもしてたんですが。やっぱり高校2年生の後半あたりから、いつになってもやっぱりこの、マシにならないというふうな現状がだんだん精神的にものしかかってきて、そういう人間関係とか友人とか、だんだん希薄になってきましたね。それはやっぱりこう、痛みによって、こう精神が蝕まれて、こう、本当は笑いたいけど、笑える気力がないというか。そういう気力、まあ精神的なそういう気力がだんだんこう奪われていった感じですので。やっぱり高校生、高校生活の後半あたりから、だんだん、あの、人とうまく話すっていうことができなくなってきました。本当は、すごく苦しい症状があるんだけれども、それを言えないっていう現実。言ったら、逆に白い目で見られる。

やっぱり発症当時だったり、10年前、8年ぐらい前というのは…、「そんなに苦しい体の痛みがあるんだったら、病院に行ったら何とかなるんじゃないの?」って、やっぱり社会の人は思っているんですよね、一般人の方は。僕だってそう思って、絶対良くなるだろうと思って、ひたすらいろんな病院に通院してきましたし、病院に行ったら絶対、まあ原因とか病名もわかって、まあ絶対治るだろうと信じてたし。でも、それとは全く真逆の現実っていうのを突き付けられていたので。まさか相手も、そ、そんな現状だということは想像もつかないわけなんですね。だから、こっちとしても言いたくても言えないですね。なので、僕自身も、その、そういったことからだんだんその、人に対してこう距離を置くようになってきて、誰にも話せなくなる時期っていうのも何年間も続いたときもありました。

慢性の痛みの語り

人間の命は単純ではない。病名が付かないと病気扱いされないが、そういったことに振り回されず、自分の中で感じている異常はまず自分がわかってあげるのが大事(音声のみ)

例えば医療の中で、「あなたはこういう症状があるから、この病気です」って言って診断名が付いたりするのですけれど、同じような症状でちょっと何かの所見が加わるとまた違う病気になったりするじゃないですか。

で、また検査データ的にこういう条件がそろうと、この病気ですよっていうふうに診断されますよね。で、線維筋痛症って言われたときに、あの、もう1つ言われたことがあって、膠原病ってたくさんあるじゃないですか。

「この膠原病の幾つものものをあなたはその症状としてありますよね」と。なので、「この病気もこの病気もこの病気も、あなたには含まれるんじゃないかなと思うんです」と。「でも、その、この病気ですという確定診断を出すだめには、この所見とこの所見とこの所見と、というのが必要になってくるので、そうしたときにこれとこれは当てはまるけど、ここは当てはまらないよなってなると、その診断はできないっていうことになる」って聞いたんですね。そうすると膠原病の中の幾つも、もうすべてをこう、つまみ食い全部してるんだけれど…、この病気ですよっていうのは言えないと。そうすると、だから未分化結合組織病ということも言われたんですが。

なので、その本当にその、人の命は単純じゃないなというのは、まあ医学的に医療的にその診断が付かないにしても、人の体の中には異変が起きていて、症状も感じていてというのがあるのが現実だと思うんですよね。でも、そこで医療を利用しようとすると、医療制度を利用しようとすると、当然診断が付かないことには保険が適用できなかったり、今のその、社会の当たり前になっているんですけど、病名が付かないと病気ではないみたいな…流れがあるじゃないですか。

なんかそれが当たり前になってて。そうすると実際は自分は症状、症状を感じているし、つらいことかある、苦しいことがあるんだけど、医学的に診断が、診断名が付かないことで病気扱いしてもらえないっていうところがありますよね。だから、そういったものに振り回されるんではなくて、その自分の中で感じてる異常であるとか、おかしいところはしっかり自分がやっぱりまずはわかってあげる、捉えてあげるっていうことが、大事だと思うんですよね。

慢性の痛みの語り

10年間に70にも上る医療機関でさまざまな検査を受けたが、原因も病名も明らかにならなかった。現代医学で解明するのは難しいと言われた

まあ今日に至るまで、病院の通院が始まるわけなんですけれども。…えーと、まあ全部で70機関ぐらいの、病院に通いました。

で、同年、2011年、今度は東海地方の痛みを専門的に見る病院に行きました。……で、ここでの診断内容は、まあ私の場合、「十数年間、あの、耐え難い痛みを患って、でもどんな精密検査を行っても原因も病名もわからないということは……、痛みが脳にこびりついているのではないか」とか、まあそういった診断でした。……しかしながら、「まあ現に痛みが起こっているということなので、何かしらの原因があるということは間違いないだろう」というふうに言われたんですが、「それを現代の医学で、あの、解明できるかというと……、まあすごく難しいんじゃないか」というふうに言われました。……「まあ今までいろんなその薬を飲んだり、外科治療をしても全く効果がなかったということは、その痛みに対する解釈で、あの、ニワトリが先か、卵が先かという、どっちが先なのか全くわからない状態だ」というふうに言われました。
で、えー、その時点で発症してから、まあ10年が経過して、日本各地の病院に行っても、あの、原因も病名もわからないし、いろんな治療法を施しても全く効果がないということだったので、えっと、これはもう自分で、訴えていかなきゃいけないと思って、自分の病気の署名活動を行いました。

慢性の痛みの語り

その都度、ヘルニア、椎間板症、線維筋痛症など診断されたが、結局治らないので、何症でも同じだ。とにかく改善方法を探さなくてはならない(音声のみ)

それ以降は、やはりいろんな、あの、整形外科とか整骨医とかに行って、とりあえず画像でも見てみたい。今の状態どうなっているか知っておかなきゃと思って、まあMRI撮ったり、レントゲン撮っても、まあヘルニアとか椎間板症ということで、あの、いずれにしても薬と、あの、もう温熱療法とか。まあ、どっちみち線維筋痛症だろうがそうじゃなくても、なんか最終的にはやることは一緒だなと。あの、調べてもそうですし。薬か、温熱療法とか、マッサージとか、はりとか。うん。対症療法しかないなっていうことで、まあ解決には至らず、ずっと痛みを保持しているだけという感じ。

―― そうしたら、あの、診断名っていうのは具体的につかないまま、今は来てるというか。

かつてには、なんかその都度、その例えばヘルニアとか、ハンコみたいな、椎間板症とかいうのは出してはいただくんですが、え、結局は治ってないですから、何を、名前を出されてもね。あの、カルテ見て、「あ、そうですか」。そこに線維筋痛症って書かれたことありますけど、だとしても、あの、やることは同じだったり。自分的にはその何症とか、とか、何でも同じだなって思った。まあ手術とかの人は別ですけどね。手術をしない状態である限り、同じなんだなって。そこで悩むよりも、なんか結局共通しているので、その、あの、薬ととかそういう治療法は。何か、とにかく何かを改善する方法を探していかなきゃいけないなって思って。

慢性の痛みの語り

線維筋痛症の可能性がある。ただ怠けているわけではないとわかったのはよかったが、現状では病名にこだわる必要はないし、こだわらない方がいいかなと思う

―― 線維筋痛症っていう病名は出てはきたけども、それがその診断付いたっていうわけではないわけですよね。

そうですね。というか、あの症状は…、こう、診断を付けること自体が難しいのかなとは思うんですね。でも、本当に私よりももっと痛みがひどくて、あの、生活にもっと差し障りがあるというような方はまた違うとは思うんですけども、ある意味、私の場合はこう、中途半端な、痛みがなくなることもないし、もう3年も4年も続いているのに、だから可能性はあるし、まあ治験に参加してみませんかと(笑)声をかけられたりはするんですけれども……。自分で調べてみた範囲では、少なくともこの線維筋痛症というのは、そういう名前が付いたのもまだ新しいし。もちろんそれが、あの、今まで、ただの更年期とか、ただの気持ちの持ちようだとか、ただ怠けてるだけじゃないとかそういうことではないというのがわかったのは、本当にあの、ポジティブだと思うんですけれども……。このぐらいの症状のときに、じゃあ、そういう診断が付いたとして、でもだから、じゃあ、どう、それからどうしますかというのは……、あの、薬を飲まないと痛みが止められないというほどではないし……。むしろ何ていうんでしょう。その可能性はあるけれども、そして、もし、もっとひどくなったら、またもう1回、違う方法を考えなきゃいけなかったり、また医者に行ったりしなければいけないかなとは思うんですけども。少なくとも今の状態が続くのであれば、その可能性はあるんだろうけれども、その名前にあんまりこう、こだわる必要もないし、こだわらないほうがいいかなと思っています。