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慢性の痛みの語り

同じ病名でもわかりあうのは難しいのに、医療の中で慢性の痛みとして一括りにしてしまってよいのか。きちんと評価せずに、痛みだけしか見なくなるのではと疑問に思う

私、あの、同じ病気の患者さんからいろいろとまあこうね、まあネット上ですとか、まあいろいろ交流、あの、本を読んだ方からお便りをいただいたりとかで交流はあるんですけれども、こう、わかり合うのが非常に難しいというのは、とても感じていて。同じ病名さえそれ、もうかえって同じ病名でないほうがいいんじゃないかぐらいに思うんですけれども。

その難しさを感じてたときに、あの、まあ、がんのフォローの待合いで偶然隣に座っていた人が同じ病気で。そうすると、あの、「組織型はこれです。進行度はTNMでこれです。で、この治療をしました。で、こうです」って言えば、もうわかるんですよね。そうすると、えーと、進行度が違う、組織型が違う。だから…、例えばあの、同じ病名でも生活に与える影響も違えば、その感じるものも違って当たり前というふうに。だから、すぐわかるんです、相手のことが。で、これが痛みの病気になると、同じ病名だからわかり合えるんじゃないかみたいな幻想がまず来て(笑)。そうすると、わかり合えないという事態に直面したときに、とてもつらいものがあるんですね。

そうすると慢性の痛みとして1つに括られちゃうと、この場合は語りなのであれなんですけれども、これからその痛みを抱えた人がどうコントロールして、どう治っていくかって言ったらおかしいですけれども、そういうことを感じたときに、なんかどんどん、どんどんまとめられている気がして(笑)。例えばCRPSでも1型と2型では何かが違うのかもしれないし、そもそもその分け方がいいのかどうかとかもある。その痛みの病として捉えられてしまうと、誰も痛みしか見なくなるような気がするんですよね。その人の体レベルで一体何が起こっているのかというようなことをあまり見なくてですね(笑)。…それでいいのかなというような疑問は今感じています。

慢性の痛みの語り

CRPS(複合性局所疼痛症候群)という病名はどこか痛いのだろうという程度に伝わる。前の反射性交感神経性ジストロフィーの方が病気を表していて、自分にはしっくりきていた

私はCRPSという病名は嫌いです。どっちかといえば、あの、反射性交感神経性ジストロフィーと言ってくれたほうが、私はしっくりきていました(笑)。

単に言葉の問題なんですけれども、CRPSは複合性局所疼痛症候群。複合性局所疼痛症候群、そのまま読んだらどう思われますか。何かいろいろあって、どっか、い、痛いなんだろうな…ぐらいな感じでしたよね。で、うーん、まあ何かいろいろあって、どっか痛いんですけれども、それだけの病気じゃ――として見られてしまうような気がして。私は、あの、CRPSでも痛みは症状の1つだと思っているんですが、この症状の1つであるにすぎないはずの痛みにしか病名に出てこないというふうに考え、思うんです。で、えーと、反射性交感神経性ジストロフィーというのは自分にすごくしっくり来るのは、反射性の意味はちょっと置いていて、交感神経性というのは、要するに神経ブロックで交感神経をブロックしたときに、とても血流が良くなって(笑)。要するに、交感神経が関与している病気だというのはすごい腑に落ちたんです。で、ジストロフィーというのは、自分の場合、あの、骨、皮膚、筋肉がどんどん痩せていった時期があったので、これもしっくりするんです。その結果とても痛いんです(笑)。そうすると何が起こっているかという、私は、痛みは症状だと思うので、症状じゃない、こういう病気なんだというのが現れている前の病名のほうが好きなんです。まあ、病名として人に話すときに伝わりやすいような気がしています。

慢性の痛みの語り

事故後、いろいろな検査を受けたが原因はわからなかった。「慢性難治性疼痛」というような診断名があるが、つけようがないのだと思う。それでも病名があった方がいい

痛み止めを使って体を動かしてっていうことを続けてたんですが、なかなかその痛み止めから離れられなくて、だんだん、うんと、そのロキソニンとかそういう、まあNSAIDsが効かなくなってしまって。結局その2012年の交通事故の後に、えっと、もう腰の痛みで立っていられない、歩けない状態になってしまって、そこで、まあ、救急外来にかかって入院することになって、でも入院していろいろMRIだとかもいろいろ検査をしたんですけど、痛みの原因がわからないし。

―― 診断名が、あの、今も付いてないというか、まあ、こちらのほうを見たときには、慢性難治性疼痛というふうな感じで言われてるんだけれども、まあこれが。

まあ診断名と言えば診断名だと思うんですけど、じゃあ、それは何ですかって先生に聞いたら、なんかあまり、うま、――いつも何でも説明してくれる先生があまりうまく説明してくれなかったので。まあなんか付けようがないのかなっていう、私は判断をしているんですけど。

―― 何か付いたほうが、あの、安心するとかいうことはあったりするんですかね。

そうですね。その乳がんを経験したときにやっぱり痛みがずっと続いていても、病名がなくて、こう、治療法があるのかとか、何をしたらいいのかっていうのがわかんなかったんですけど、その乳がんって言われたときに、まあショックよりも、「あ、病名が付いて良かった」っていう思いが強かったので。やっぱり何か病名があって、それに基づいて、まあ、まあがんほどその痛みが、どう治療法が確立されてるかとかはちょっとわからないですけど、やっぱり病名が付いた上で、それに対して向かっていけるほうがやっぱり心強いかなとは思います。

慢性の痛みの語り

大学病院でも異常が見つからず、うちではどうにもできないと言われ、最後にかかったクリニックでの検査も異常なく、「慢性疼痛障害」というグレーゾーンの病名がついた

都内の大学病院で、あの、検査を、大きな検査をしても、「やはり悪いところが見つからない」と。で、「うちでは、もうちょっとどうにもできないので、あの、もう、うちには来なくていい」というふうには(笑)、言われてしまって。で、まあそこで終わってしまう。

で、あの、まあそこで終わってしまう。そこが、あの、たぶん日本で一番いろんな検査ができるところだったので、そこで、何もできないって言われてしまうと次行くところもなかったですし。もうその時点で病院もかなりいろんなところを回って、もともと主治医っていうふうに言えるところがもうなかったので、そこの病院で診てもらえないとなるとどこへ行ったらいいのか、もうちょっと路頭に迷ってしまうような形になってしまって、行く場所が、かかって…かかれる病院がなくなってしまって。

それで、たまたま母の知り合いに、大学病院の元院長をされてる方がいらっしゃったので、その方に相談をして、今まで撮った、あの、MRIとかレントゲンとかCTとか、もうありとあらゆるそのいろんな検査、もう本当に結構な量だったんですけれども、それを持って、えー、あの、その先生のところに相談に行って。そうしたら、都内にあるそんなに大きくないクリニックを紹介されて、そこにかかってくださいって言われて。そのクリニックは、心療内科と神経内科と神経科がある病院だったんですけれども。えー、そこに2011年の、2月、3月ぐらいにそこに行って、まあそこで、あの、「いろんな検査を今までしてきて大変だったと思うけど、最後にもう1つだけ、検査を受けてほしい。それで、もし異常がなければ、あの…、たぶんもう本当にその病気として見つかる、その悪いものがあるっていうことではないのだろう」っていうことで、最後に、脳波の検査をして、それでそこでも異常はなくて。その時点で慢性疼痛障害という、まあちょっと病名というか、たぶんグレーゾーンのかたが、あの、そういう病名を付けられるのではないかと思うんですけど。そういう、えーと、疼痛障害っていうふうに言われて。で、そこから、今もそこは通ってるんですけれども、痛み止めを飲んだり、いろんな治療をしてみたんですけど、これといって効く、結果が出るというか、あの、治療には、薬には当たらなくて…

慢性の痛みの語り

脊柱管狭窄症と診断され通院したが、毎回湿布や痛み止めを処方されるだけの同じ対応で痛みがとれず、説明不足だと思った。何か変だなと感じ、通院をやめてしまった

これが、あの、脊柱管(狭窄症)だというような、あの、判定基準を我々素人は何も持っていませんから、何とも申し上げられませんけど、あの、こうこう、こういう病気が、こうこう、こういうケガが脊柱管(狭窄症)だというような話(診断)になってるんですが、何回も(いつも)同じような手順で、あの、診療処理されますとやっぱり何か変だなということが頭に残っちゃいますんでね。……それが一番困りますね。

―― 何か変だなというのは、どういったことでしょう。

湿布薬を表に(貼って)、あと(痛み止めと)下剤を…、同時に、あの、出しまして、それで治療をしてくれというような……、その程度の説明ですと、ちょっと説明不足じゃないのかな。

慢性の痛みの語り

夫が脊柱管狭窄症と診断されたが、湿布を貼っても薬飲んでも痛くて仕事に行けなくなった。病気について調べたら、何かちょっと違うような気がしてほかの病院に行くことにした

で、病院にはもちろん、そのころは1人で行けたので、近所の病院に行ってもらったりして。それで私はつき添ってなかったので何とも言えないんですが、あの、脊柱管狭窄症って名前を初めて聞いて、そこからは脊柱管狭窄症の本を読んだりとか、私もしたんですけれども。いかんせん痛みが治らないし、湿布をしても治らないし、薬を飲んでも治らないし、本人は痛がるばかりだし。だんだんもう仕事場に通えない状況にまで痛がるようになってしまって、そこからですね。あの、普通の生活ができなくなるんじゃないかなぐらいの痛がり方をしたので、脊柱管狭窄症は本当にテレビでも雑誌でも本でも全部調べました。でも、何かがちょっと違うような気がして。それで、あの、総合病院のほうへ、(血尿が出て泌尿器科に)ちょうど行く用事があったので、行きました。

慢性の痛みの語り

トランプ遊びができるくらい診察券が貯まった。どこへ行っても結局答えは同じで、消化器に異常がなく、過敏性腸症候群の病名で精神科を勧められたが、嫌でしょうがなかった

とにかくもうトランプ遊びができるぐらいの診察券をもらって――あ、診察券がたまっていき……、まずは消化器から始まって、心療内科、えーと、精神科って回っていくんですけれども、やっぱり西洋医学的な分類になると、その異常がなければ、自然と心療内科とか精神科のほうへ連れていかれるんだなということが、すごくわかりました。で、その間に、えっと、婦人科とか、えーと、整形外科、それから内分泌科ですかね。紹介してもらって行くんですけども、とにかく異常は出ない。だけども、この消化器症状と、えーと、痛みが出るので、おかしいな、おかしいなとは思うんですけれども。まあ…、やっぱり病院しか行くところがないので、そこへ行くんですけれども、結局普通の痛み止めとかも効かないですし、最後は、まあ、あまりお医者さんたちもしたくないんだけどっていうようなものを打たれて帰るっていう形でした。

その中で、まあ、えーと、まあ普通の病院はもう大体行けば帰ってくる答えもみんな同じ、同じですし、薬も大体似たか寄ったかなので、えっと、自分でも調べるしかないなというふうに至るんですけども。その前に、えーと、西洋医学と東洋医学ということがまず自分で見ていく中でわかって、漢方の世界のほうに、その病院に走っていくんですけども。

やっぱり こう変わらなくて、何も変わらなくて、で、ちょっとそこをやめたんですね。で、また家でこう療養しながらいるんですけども…、痛みが、だんだん、だんだん、もう毎日毎日のことなので、もうどんどん、ひどく、ひどくなってきますし。で、あの、やっぱりまた病院に、また戻っていくんですけども、その中で大学病院とかも行くんですけども。そこの大学病院の先生たちも結局答えは同じであって、で…、まあ消化器の先生のほうでは特に異常がないということで、まあ機能性腸症と過敏性腸症候群っていうふうな名が付いて、精神科のほうに回されるんですけども。正直、精神科に行くということは、自分の中ではどうしても嫌で嫌でしようがなかったんですけども、分類的にそこしかないということで、まあそこに行くことになって、そこでいろいろお話が、カウンセリングとか(を受けたりして)状況とか話をしていくんですけども。でも、結局出されるのは薬物療法で、まあ今でいう、安定剤と、えーと、うつ剤というか、そういうものを出されました。

慢性の痛みの語り

どこの病院に行っても検査すると、大抵すべり症と言われるが、このくらいのすべり症で、そんなに痛いのか?と言われるので、痛みの本当の原因かどうかわからない

大体あの、整形外科とか大学病院へ行きますと、まあ一応、レントゲンを撮りましょうということで、まあ、そんなに所見がないっていうことで、これはどこの病院でも、もうすべり症であると、それだけは言われるんですね。んで、後は全くそんなに、えー、狭窄症もないし、それからヘルニアもそんなにないっていうことで、わからないと。で、「このぐらいのすべり症とか、そんなんで、そんなに痛いの?」って、よく言われてしまうんですね。ですから、痛みがみんな、その、どこから来てる、来てればすぐ治療できるわけですよね。だから…、自分、まあ、お医者さんがわからないものは私もわからないんですけれども(笑)。やはりこう、病名がついてればね、治療方法もあるんだろうになあと思うんですけども。…いわゆる写真判定だけで決められてしまうっていうことは、ちょっといかがなものかなと思うんですね。はい。

―― すべり症というのは、まあ私も知らないので、それはどういう状態のことを言っているんですかね。

いや、私もよくあのね…、本なんか読むんですけども…、そもそも、何番目の骨が、そのまあ、前にずれてるとか、そういうようなご説明なんですね。うん。そんなに、私も詳しく調べないので。まあ、それはどこの、医療機関へ行っても言われるから、それはあるんだろうなと思うんですね。で、後のことはちょっとわかりません。はい。

―― それが、じゃあ、その原因、今の痛みの本当の原因かどうかもわからない。

はい。

慢性の痛みの語り

診断がつくと安心するが治療してもよくならず疑心暗鬼になる。新たに神経難病の疑いがあると聞き、気持ちの問題ではないとわかったが、すっきりせず前向きになれない

やっと、そのうーん…だから脳脊髄液減少症とか線維筋痛症とか、病名をもらったときはものすごく安心するんですよ。やっと合致するんですよ。あの、ずれてる状態、精神的なものだと言われてたものとかが。やっと治療して安心するんですけど、治療して毎回良くなるわけじゃなくて、また離れていくんですよね、あの、現状と。そう。だから、なんか、いまだにやっぱり気持ちの問題なんじゃないかっていうのとかがあったりとか、実は精神疾患なんじゃないかとか、変なこう、疑心暗鬼…があって。

なんか、それでもやっぱり、何ていうか。前は、うん、ここ3年はやっぱり、あの、そういう心理療法とかいろいろやっぱり読んで実行したんですけど、無理だったんですね。ストレッチとかもできないぐらい。

(地元で診断を受けたが)、結局、線維筋痛症としての治療が受けられないっていうことがわかったので、なんか線維筋痛症の診療ネットワークっていうのがあって、もう、わらをもすがる思いでファクスして、それで、やっと東京の線維筋痛症外来の専門外来を教えてもらって、去年から3カ月に1回程度、通院をしているんですけど。結局、「線維筋痛症だとは思うんだけど、神経難病っていうか、筋肉の硬直、全身の硬直性の病気で、アイザックス症候群とかスティッフパーソン症候群とか、そういう可能性がある」っていう、あの、言われていて。

だから、結局なんかすごく精神的なものみたいなことって言われていたのに、実はすごい結構、体の、しかも結構深刻かもしれないっていう病気の疑いが今、出てきて。それが、何かこう、今までこう、頑張ろうとか、治るためにとか必死だったんですけど、なかなかちょっと、こう、今、前向きになれない状態で。

ただ、1年かかって、今1年ぐらいかかって、まだ診断付かないんですけど、薬自体、少し、こう…、飲んでたやつに、筋肉を緩める薬とかを足してもらったので、体の痛み自体は、少しは楽になってきて、やっと、なんか…、こう、まともに診てもらっているっていうか。やっと、こう、痛みだから気持ちの問題とかじゃなくて、ちゃんと体に原因があるんだなっていうふうに診てもらって、そういうところにたどり着けて、安心の部分は今すごいあるんですけど。ただ、なんか、うーん…、今まで、何だったんだろうって。10…10何年、20年近く痛みを、我慢して、自分も気持ちの問題だと思って――たのが、うーん、何だったんだろうっていうのもあるし。

慢性の痛みの語り

確定診断がつかない中で治療を受け、なかなか治らなかったが、線維筋痛症と診断されたときにはこれでちゃんとした治療が受けられる、治る、普通の生活が送れると期待した

―― その線維筋痛症かも、まあしれないっていうふうに、少し、まあ診断名的なものが言われたときっていうのは、まあそれまでは全く(病名が)わかんなかったわけですよね。

はい。

―― そういった病名が、まあ、ここでは、付き切ってはいないんだけど、そういったことを言われたときっていうか、そういったときには何か、あの、思ったこととかありました?

これで痛みが治るっていう強い期待感があって……、先生のところに通い始めました。もう期待だけでした。もうこれで治る。また普通の日常生活が送れる。経済的にも負担がかからず、普通の日常生活が、送れると信じてました、(笑)。もう期待だけでした。治療、この、うん、線維筋痛症っていう診断名が下されたときは。ちゃんとした治療ができて良くなるって。もうそれだけ…を信じて、うん、治療をお願いしてました。

―― じゃあ、逆にやっぱり何かしらのこう、診断名が、まあ、付いたほうが、まあ気持ち的には少し、あの、楽にというか、そういった印象があったっていうことなんですか。

そうですね、はい。あの、それまでは原因も何もわからない、病名の付かない、確定診断の付かない治療を受けていたので。で、良くならなかったので、医療不信に陥ってました。