投稿者「dipex-j」のアーカイブ

慢性の痛みの語り

病名がわからず、医者を転々として、時に断られたり、精神的なものではないかと言われたりした頃が一番辛かった。「間違いなく腰が悪い」と言われ、涙が出そうになった

で、ほかへ行っても、もうよくわからない、よくわからないで、ずっと来て。で、あの、「あんまりね、いろいろ医者を転々とするのはやめなさい」って言う先生もいてね。転々とするのをやめなさいって、い、言われても…、病名すら付かないのにね、それでわからない、わからないで、先生たちからも断られ続けているのに、と思いながら、なんかもうすごくこう…、あのころやっぱり一番つらかったですね。病名が付かない。「精神的なものなんじゃないの?」なんて言われたときには、いや、本当に、精神的なわけがないだろうと思うんだけれども。…もう、本当にどうしようもなかったですね。

「こうこう、こういう病院があるから行ってごらん。きっといい、いい治療法があるはずだから」ということで、今のところに行ったんですよね。で、そこも、もういっぱい今までも断られてますから、あの、診ていただけますかっていうことで、あの、聞いて、で、診ていただけることになって、で、それからそこにずっと、かかっているんですけれども。やっぱりそれまでの間っていうのは、本当にね、精神的にものすごくこう追い詰められたというのか。痛いし、つらいし、動けないし、ほとんど寝たきりだし。その中で医者からは拒否されるし。もうどう、自分でどうしていいのかわからないくらいに、なんかもう、ものすごく精神的につらかったですね。で、友達なんかからは、「あなたの痛みは精神的なんじゃないの?」とかって言われて。だから、(手術した医者でない)ほかの医者から、「間違いなく、あなたは腰が悪いんですよ」って、「こういう病名なんですよ」って言われたときには、もうなんかこう、涙が出そうになりましたね。

慢性の痛みの語り

小学2年から続いた痛みが家族性地中海熱と診断されたのは40歳を超えてからだった。周りから精神的なものなどと疑われ、原因不明で苦しんできたのは何だったのかと涙が出た

痛みは小学校2年生ぐらいのときからずっと続いています。腹痛と捻挫のような関節痛がずっと続いていて、えー、この病気だってわかる40を過ぎてからまで、ずっと痛みに苦しんできました。子どものころは腹痛だったので、下痢なのか、おなかを壊したのか、ずっと原因不明のまんま過ごしてきました。でも、熱もとても高くて出たので、うーん、そうですね、自律神経失調症と言われたり、起立性調節障害と言われたり、贅沢病と言われたり、子どもながらにして、原因不明ということで随分苦しんだ時期がありました。

で、病気がわかるのは、家族性地中海熱という病気だったんですが、えー、「大人になっても腹痛がずっと続いている。それは発熱を伴った腹痛が続いているのは非常に珍しい」というふうに病院の先生が、たまたま診断してくださったことから遺伝子検査などが始まり、それによって家族性地中海熱ということがわかったんですが、それがわかったのも40を越えてからなので。私の病気について親族とか家族は本当に詐病ではないかとか、あの、精神的なものなのではないかとか、すごくやっぱりうたぐりが多かったので。私自身も病院の先生などに対しても、うたぐりというか、疑心暗鬼なところがすごく強くなってしまって、信じられるお医者さんが少なかった中でそのように判断してもらったのは、すごくうれしいことだと思いました。で、実際に遺伝子検査をやって、家族性地中海熱ということがわかりました。

まあ私としては、一か八かという気持ちだけれども、まあ病気がわかったら本当にうれしいので、という気持ちで(検査を)受けました。そうしたら本当に家族性地中海熱だったということがわかって、本当にこの40何年、原因不明で生きてきた私って何だったんだろうと思って、本当に涙がね、あふれて、あの、なりませんでした。

慢性の痛みの語り

病院を何カ所も回り、その度にレントゲンを撮った。痛みは気のせいと言われたこともあった。線維筋痛症という診断にたどり着いたのは奇跡だと思う

その行く先々でね、レントゲンを撮らされるんですよ、診断ができないからということで。で、ほかの病院で、あの、もらったレントゲンの写真を持っていくんですが、「ここではもう1枚撮ってもらわないと困るんです」っておっしゃるんですね。で、看護師さんには相談するんですよ。「何度もレントゲン撮ってるから、ちょっと体にも悪影響なんじゃないですか」って。「いや、大丈夫ですよ。太陽に当たっているのと同じぐらいのあれだから大丈夫ですよ」って、軽くおっしゃるんですよね。もうちょっと考えてほしいですよね、と思いました。

―― 何かそういう自分のお気持ちとか、どうしてそういうふうに先生が言ってきたんだろうとか、そういうのを何かぶつけるというか、相談する場面というはなかったんですか。

全くないですね。なかったですね。できませんでした。あの、やっぱり患者だからな。やっぱりここで嫌われてしまうとほかへ行ってくれって、おそらく言われると思ったからですね。そのころは何も言えませんでしたね。もうお医者さんの前で号泣してましたもん。うん。だから、あなたは、この、まあ整形外科へ行くんですね、だから体が痛いから。「あなたは、整形外科へ行くよりも、精神科とか心療内科のほうへ行ったほうがいいんじゃないか」って、そういうふうにあっさり言ってくれはる先生もおられました。

―― そうすると行った病院は、整形外科以外に、科としては何科を回られたんでしょうか。

整形外科、内科、あと漢方薬の専門外来を回りましたね。ぐるぐる回ってました。

―― トータルすると何カ所ぐらい行かれたんで?

うーんと、病院は5、6カ所で、あとマッサージ屋さんとか接骨院だとか整骨院ありますよね。そこを合わせると十何カ所は回りましたね。

「その痛みは気のせいだよ」って言う先生もおられて。うーん。だから、線維筋痛症っていう病名にたどり着いたこと自体は、なんか奇跡のような気がしますね。それまでは、その線維筋痛症という病名が私もこの世にあるとは思ってなかって、で、それを検索してみたら、あら、これは大変な病気だわ。まあ、ある人によっては、病気ではなくて難病っていう、難病指定にはなってないんですが、難病というふうに捉えてくださるっていうか、そういう先生もおられて。うん。まさにこれは「難病」だと思っています。

慢性の痛みの語り

ふくらはぎの焼かれるような痛みがなかなか治らず、シェーグレン症候群だと病名がわかったときには、難病ではあるがほっとした。看護師もよかったねと泣いてくれた

平成18年ごろから、あの、ふくらはぎの外側なんですけれども、チリチリ、チリチリ、こう焼かれるような痛みが出てきたんですよね。それで我慢できるときは、まあ病院行くっていう気持ちにはならなかったんですけど、耐えられないぐらいにもう焼かれるような痛さっていうんでしょうかね――なってから、あの、血圧のお薬を循環器でもらってたので、その先生に、「先生、こう、足が痛いんですけど」って言ったら、「あ、それは整形外科だよ」って言われて、その足で帰りに整形外科へ寄って、レントゲンを撮ってくださったんですよね。そうしたら、「筋肉痛だから」って言われて、サポーターと湿布薬とをいただいて、あの、「骨は何ともないから」と言われたんですけど、納得できなかったんですね、筋肉痛っていうのは。あの、別に遠出、何したわけでもないし、石段登ったわけでもないし。それで、しばらく湿布貼ったりしてたんですけど、やっぱり、違うなっていう感じで。

私の素人考えでは神経内科じゃないかと思って、神経内科の小さな医院なんですけど、行きまして、筆でこうなぞったりなんかして、「感覚が違うかい?」とかって感じだったんですけど、やっぱり病名はわからなくて。そうですね。平成、もう耐えきれない痛みになったときに、あの、孫が一番下の孫なんですけど、「今日、足どう?」って毎日のように聞いてくれたのが、一番なんか心の支えになったというか、それで救われていたようなんですけれども。

平成22年ぐらいに、あの、どうしても違うっていう感じで、神経内科を私が、ちょっと有名、札幌でも大きい病院だなっていうところ、自分でお電話かけて予約してもらって行って、外来で結構検査したんですけれども。入院でないとだめ、できない検査があるからっていうので入院して脊髄液を取ったり、あと口唇(生検)、口唇の、ちょっとカットして検査するっていうんですか。その検査をしたり、涙の量を調べたりとか。あと足とか手の神経の伝わり方というんでしょうかね。電気の伝わり方。そういう検査をしたりして、ようやく出たのが、あの、膠原病のシェーグレン症候群って出たんですよね、はっきりと。それで外来の看護師さんが、あの、「治らない病気だけれども、難病だけれども、病名がわかって良かったね」って、ほろっと泣いてくださったのが、私、すごい救われて。それと病名わかったというのが、一番のなんか、ほっとした感じですよね。難病であったって。

慢性の痛みの語り

医師から夫を呼ぶよう言われ、「難病です、後縦靭帯骨化症です」と伝えられたはずだが、病名を聞いた記憶が今でもない。涙もなかったのは、まだ大変な病気と受け止めてなかった

入院して検査が続いて、「まあ、ご主人…ご主人、来れますか」と、先生が話をしたいっていうところで。また私も、「何で、旦那…旦那を呼ばないといけないんですか」みたいなことで、またそこで文句言いました。で、えーと、「家族の方にもご説明しないとだめなんです」と。だけど、「自分のことだから、自分が知ればいいじゃないですか」っていうところで、またまた私のちょっとわがまま的なことが始まって、「でも、呼んでください」って言われたので、まあ、主人も夕方来て、えー、話を聞いたんですね。

聞いたときに、うーん、まあ、「これは大変な病気です」から始まりました。大変な病気っていうの、大変という意味はね、今考えれば、がんだとか、まあ命に関わるところの部分で考えてしまうけど、でもここは整形外科だからそういうことはないだろうというところで、大変な病気って何かしらと思いながらも聞いていました。そうしたら、もう重症のレベルで、えー、まあ難病ですということが、で。あの当時は難病っていうこと、難病の字もわからないまま、難病ですと言って、そのときたぶん先生がね、病名をたぶん私に伝えたと思うんですけど、私は、そこは今でも聞き取ってないんですね。で、「ここでは、ここの病院では、この大きな手術はできません」と。「なので、ね、某大学病院2つがあるけれども、そちらでないとできません」ていう宣告をされました。私がそこで言ったのは、「先生、私にね、大学病院の選択を自分でするっていうのは、とてもね、無理な話だし、わかりません」と。という、たぶん回答をしたと思うんですね。そのときには、「それでは、まあ某大学病院の紹介状を書くので、すぐに行ってください」っていう程度の説明だったのでね。で、なぜここでできないのかっていうところもわからない。それと、うーん。大変な病気っていうところもわからない。それから私はこのまま家に帰れると思ってたところが帰れないというところで、たぶんね、そのころはね…、涙はまだなかったのかなって今考えたらね。そこを何ともまだ、たぶんすごい、たぶん、いろんなところが、えー、何1つ受け止めてなかったと思うんですね。

慢性の痛みの語り

近所の診療所でリウマチかもと言われたが別の病院で確定せず、数年後大学病院で関節リウマチと診断された。何もわからず一生治らないのではないかと涙がボロボロ出た

それで、夜が明けて、何か、あの、幾らか楽になったかなって思って、ああ、これでは大きい病院に行かなくても、近所のお医者さんでもいいかなって思って、行ったんです。そうしたら、「もしかしたらリウマチかな」とかって、初めてそれ、耳にしたんですけど。そのリウマチがどういう病気か、私は全然知識がなくて、わからなかったの。あの、いろいろ教えてくれたんですけど。

それで、まず本屋さんに行って、本を買ったんです。もう新聞を読みますといっぱい広告が載ってる。それを片っ端から、みんな千いくらする本ばっかりです。それを買って、一生懸命読んで勉強したんです。だけど、なんかあんまり自分には合わないような。まだ始まりか、始まったばっかりだから、こうゆう本に書いてあることに合わないような気がして。

で、そうしているうちに、なんか治ったっていうわけじゃないんだけど、ちょっとお休みしたっていうか、関節が痛いんですよね、ええ。平成10年とか11年、12年、13年、14年とずっと続いたんですけれど、14年――あ、13年ぐらいのときに、大学病院を紹介されて行ったんです。そして検査してもらって、検査っていうのは初めてしたんです。血液、採ったり。それで初めて、正式というか、「ああ、関節リウマチだな」って言われて、なんかもう、涙がボロボロ出てきちゃって(笑)。もうなんかよくわかんないのに、あの、もうこれ、致命傷で一生治んないんじゃないかっていうようなことが、こう、おぼろげにわかったんです。それで大学病院の、もう廊下に、もうあふれるような患者さんで、それでいろんな姿の人を見たんです。びっくりしちゃって。そこは膠原病って言っていろんな患者さんが来ているんですよね。

慢性の痛みの語り

転げまわるような痛みで様々な医療機関を受診したが、ブロック注射も投薬も効果がなかった。今も痛みの自覚がないのは睡眠薬を飲んで寝ているときだけだ

…本当に転げ回るような痛さであって…、そのときはもうこの痛みから逃れるにはもう、この世からおさらばしなきゃいけないんじゃないかって真剣に思うような。それでもまだ、あー、まあ主人が亡くなったばかりですし、えー、まだ母もおりましたので、まあそんなことしたら、また、またまた…人の道に反するっていうことで。

それから、それこそあちこちの大学病院、総合病院、まあ通ったんですけれども。「あなたのような腰痛は…、あまり見たことがない」…、それに伴って、いわゆる、えー、ブロック注射、それから投薬、はりとかマッサージ受けましたが、えー、何ひとつ効果あるものはなし。

―― もう本当にその痛み止めとか、そういったお薬の類いはもう何も効果がないっていうことなんですね。

はい。はい。だから、随分強い薬も、他の病院の先生、いろいろ出してくださったんですね。もう、「これが効かなかったなら、じゃあ、これ試してみようか」って、「こっちもやってみようか」ってね、本当にこうあの、やってくださいましたですよね。はい。

―― 私どものインタビューでは、いわゆるその麻薬系の痛み止めっていうのを使われてる方もいらっしゃるんですね。オピオイドっていうんですけども。そういったものの何か提案はなかったですか。

いえ。そういうのはないですね。ですから、大体、安定剤的なようなものが多かったと思います。はい。

まあ相当、その、医療機関かかりましてですね、で、相当その薬も、あの、処方させていただき飲みまして、それこそ腰に注射も5、6回受けまして。その、いわゆるドクターショッピングじゃありませんけども、繰り返していて、「もう、治療方法がない」って言われたときに、「あ、そうなんだ」と。そこで思いましたです。何やってもだめだと。ともかく痛い自分を受け入れるしかないってことですね。はい。

―― 痛い自分を受け入れるって。

ええ。非常につらいです。毎日つらいです。……本当に。……だから、睡眠薬飲んで寝てるときだけですね、その、自覚が、痛いっていう自覚がないのが。だから、1日5時間寝ますから、そのときのみですね。はい。

―― 今も睡眠薬は飲んでいらっしゃいますか。

はい。

―― なければ寝られない。

寝られない。

慢性の痛みの語り

どんな薬を飲んでも痛みは軽減されなかったが、EMDR*という心理療法を受けて初めて変化を感じた。今は薬は睡眠導入剤以外服用していない(音声のみ)

―― 今、あの、実際に使われているこの治療薬というか、お薬はどんなものを使われて?

えーと、今のところ、そのEMDRというのが薬の治療は全くなくて。

―― あ、内服が全然ないんです?

内服は全くなくて、その、眼球運動っていう、…のみの治療になるんですね。で、その治療に、まあ効果が初めて。それまではどんな薬を飲んでも痛みが軽減されるとか、痛みの質が変わるとかそういったこともほとんどなかったので、そのEMDRに会って、出会って初めて、治ったということではないにしても、その変化があったという意味では初めてぐらいの治療になるので。逆にその心療内科のほうではそれを邪魔しないように、下手な薬を出して、――あの、例えばそのてんかんの薬なんかも一時期出してもらってたり、それが脳に作用する。痛みがその脳から、あの、勝手に指令が出てしまってるっていうこともあるんじゃないかということで、その脳に作用するてんかんの薬なんかっていうのを出していただいたことあるんですけれども。その逆にその脳に作用してる治療をやっているのに、下手に脳に影響がある薬なんかを飲まない方がいいんじゃないかということを、心療内科の先生と相談して。なので、その痛みに関しての治療というのは今EMDRに任せようということで、心療内科のほうでも今はその眠れなくなってしまっ…た、その睡眠のほうの、不眠の治療の薬だけを今、心療内科のほうで出していただいてます。

―― 寝る前に眠れないときに飲むという。

はい。あ、もう眠れないのは常になので。睡眠薬は毎日。もう7年――あ、4、5年、切らしたことないです。

慢性の痛みの語り

これまでいろんな治療をやりすぎてしまった。今は体の左右のバランスを整えるという民間療法を受けながら、飲む薬をできる限り減らしている

正直、この民間療法を受けるに当たって、「ペインクリニックに通っていてもいいか」と言われたら(聞いたら)「そうじゃなくて、一度全部ほかのいろんな何か、マッサージ器であったり、何か、骨盤ベルトだとか何か、サポーターだとか何か圧迫するもの、あと竹踏みだとか、足の足ツボのやつとかそういうのも全部、体に刺激を与えるものを一切取り払いたい」と。一からゼロから始めてほしいなと。ただ、「今までが今まで相当きつい治療だったと思うから、いきなりやめたらね、あれかもしれないから無理はしないで」とは言われたけど、もう覚悟を決めて、ここに何だかわかんないんですけど、やってみようと。あの言われたとおりペインクリニックもやめて、やめてみようと。あんだけこだわってたのに。

で、ペインクリニックに通わなくなってから1年間は、その治療、民間療法を受けてる間も夢の中で、麻酔を受けたいという夢を何度も見て。本当になんか、うーん、ペインクリニックで気持ちいい思いをしてしまった分、やっぱり体が覚えとるというか、頭が覚えてるのか、そういうのはやってましたね。そういうのはありましたけど、全てそこで自分で一区切り信じてやってみようっていうので、全てやめたことが逆に私には功を奏したというか。う、うん。それが良かったんじゃないかなと思います。全てを取り去って、ゼロからいったんやってみようっていう。そして下手な刺激を入れなくなったことによって、体も素直になったのも確かだなと思います。

あの、お薬の調整としては今まだ飲んでおります。で、量を減らす方向で、ずっと来ておりましたので、あの、その同じ医療機関の精神科には通って、お薬を処方して(もらって)、痛みの緩和という――痛みを緩和するというか、今の状態を維持するといった意味でお薬を処方されています。ただし、今は民間療法といわれる、たぶん(笑)、大学病院とか全国的に言ったら、その民間療法は認められてない部分もあると思いますので、一概にそれがいいかどうかと言われたら、あの、医療機関の方からしてみるとあれかもしれませんが、私はその民間療法に切り替えたことによって劇的な変化があったと思います。

慢性の痛みの語り

痛み止めを飲んでも効かず、副作用が出るだけなので飲んでいない。痛みのため不眠とうつ状態になるため、睡眠導入剤と精神安定剤を飲んでいる

なんか痛み止めって、たくさん処方されるじゃないですか。で、実際、私も処方されてます。でも、飲むのをやめたのが、痛み止めを飲んでも治らないっていうふうに思ったのが、これ、私、早いうちで。痛み止め、飲んでも効かないっていうところは、もうすぐに私、受け入れちゃって。飲んでも効かないんだったら、まあ逆にね、痛み止めは強いので、胃を、胃を壊すことが多くて、何回かやっぱり胃カメラを飲むと、「胃がただれてます」と言われるので、また1つ病気が増えることのほうが怖いので、痛み止めを使うっていうところは一切やめましたと。皆さん、飲んでる薬も、一度や二度は私も1回試したりしてるんですね。だけど、合わないのは合わないだろうし、逆にそれで楽になれれば、それでその人はいいと思うけど。実際に私が痛み止めを飲むときはちょっと頭が痛かったり、少しちょっと肩が痛かったときには痛み止めを飲んだらまあ効きますというところで。通常持っている痛みに関しては、痛み止めは使わないことにしてます。

―― 痛み止め以外にも何かあの、今まで治療の中身的にはどんな治療を受けられたんですか。

うん。まあ、えー、痛みがあるがために眠れないから、まあね、眠剤を飲みましょうっていうところもやりましたし。それから、えー、痛みがある方ってほとんど、うつ傾向。うつ病って言われてますね。で、私は、うつ病っていうか、うつ状態ってよく言われるんですね。で、今でも……突然悲しんだりって、悲しんだり、騒いだりというのが出てくるので、うつ状態になりやすいので、まあその辺を含めてもう十何年間はね、精神安定剤、軽いやつは、えー、これは飲んでます。

―― 手術を4回受けられて、その間は痛み止めをずっと処方されていた?

処方されてたけれども、あー、飲んでなかったですね、私はね。うん。

―― あの、ど、どんなお薬。薬剤名とか、もしわかれば。お薬の名前。

えーと、リリカ(一般名:プレガバリン)だったり、セレコックス(一般名:セレコキシブ)だったり、なんかリボトリール(一般名:クロナゼパム)は痛み止めには入んないけれども、リボトリールだったり。えーと、何ですかね。ソセゴン(一般名:ペンタゾシン)だったり、まあそういうのを全部試してますね。はい。

―― それらを使ったんだけれども、あの、自分では先ほど飲んでも治らないということで、

うん。その前にね、その前に飲むとやっぱりふらふらしたり…、目まいがしたり、えー、余計歩けなかったりする症状が出たので、まあその、そのために薬は止めてて。まあ最終的には、出てた痛み止めは飲まないほうが多くなったというのが現状ですね。うん。