そのときあの、幼稚園でのお仕事があった。声が、あの、あったんで、私、幼稚園未経験だったので、あの、あれだったんですけども、あの、「やらないで一生持っていくよりも、やってだめだったら納得するから」とか何かそんなことを言って、当時の職場の先生にも、あと、あの、そうですね、麻酔科の先生も、「もうわかりました」みたいな感じで。で、1回こう事務職から離れて、本当に子どもとの接点の多い、ちっちゃなかわいい幼稚園で、あの、養護教諭としてお仕事をさせていただく――することが、する…、することにしましたというのが何年前かな。4年前かな。そうですね。本もできた、あの年ですね。
で、えー、そうするとですね、あの、自分のアホさを思い知ることになるんですけれども(笑)。あの…、結局、自分がやれると思ったときにやる…というのはできるんですけども、仕事だと、たとえ痛かろうが、しんどかろうがやらなきゃいけないことというのはあるわけじゃないですか。どんなにあれでも、やっぱり屈んでの作業が…、あの、子どもの話はやっぱり屈んでこう聞きたいですよね(笑)。爪先ですよね、しゃがむと。何気ないことなんですよ。やってみないとわからなかったです。とか、まあおんぶ、抱っこ、多いですよね。それからあとあの、畑とかするんですけども。地盤がこう、すごい不安定。しかも、腰上げて踏ん張って引かなきゃいけないみたいなことが結構たくさんあって。あとは遠足の引率ですとか。その、なんかね、私できると思ってたんですけど、結論から言うとできなかったですね。うーん。あの、できなかったですね。悔しかったです。(涙)…何でできなかったと思うんですけども、できなかったですね。
で、もうだめだと思ったのは、あの、階段登っての、まあお散歩があって、で、まあ上に神社があるタイプの、あの階段。ついていって、階段は、苦手なんですけども、それでも階段が苦手な子どももいるので、こう、介抱してるんだか、してあげてるんだか、してもらってるんだか、よくわからない 手をつないでゆっくり下りたりはできたんですけども、その後、帰り道に道路に飛び出した子どもを捕まえることができなくて、とっさに。足がもう動かなかったんですね。(涙)ああ、これもちょっとつらいですね。うん…。(その)ときにもう、あ、だめだと思いましたね。
あの、仕事というのはやりたいからっていうのもあるんですけども、やっぱそのね、レベルに自分がいってない。あの、自分がやりたいからと言ってやれるものではないというのを、なんか客観的にわかった気がして。うん。
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いわゆる一般診療で、短時間にたくさんの患者さんをこなさなきゃいけないっていう、あの、結局、障害者って、効率性とやっぱり相反するんですね。だから、短時間にたくさんの患者さんをこなさなきゃいけないっていうのを、クリニックで勤める医者である以上はしようがないんですよ、そうやって利益を上げなきゃいけないわけだから。だけど、それは、やっぱり痛みがある程度以上強くなるともうできなくなることなので。
と、あと抱え込めなくなりますよね、患者さんの、こう痛みを。うん。だから、そこはうーん、ちょっと、逆に抜いて、だから、その障害(者)施設のほうにたまたま話があったのと、大学のほうで(教鞭をとっており)、経済的には何とかなったんで、そっちに移ったっていう感じです。だから、発達障害の成人の人とかを主に診てたりとかしてました。だから、そこは変えたんです。ちょっと意図的にそこは変えたところはありますね。
あの、それはもう、自分でも、この、無理はしたく――無理はしたくないっていうのは、自分の無理は幾らでもできるけども、それが結局、相手に影響を及ぼすっていうことだけはしたくなかったんで。そこは、あの、ちょっと足を引いたと、手を引いたというか。うん。違う、そのときのレベルに合わせるっていうところですね。だけど、大学も別にまだ勤務してても良かったんだけど、やっぱりちょっと、自分のパフォーマンスがあそこまで落ちると、ちょっともう辞めようと。そういうことですね。
例えば面接とかで自分の病気のことを言うと、まず100%落とされます。なので、まあ面接のときとかは、もう病気のことは一切言わずに、えー、面接を受けます。
今まで――あ、これまでさまざまな仕事をしてきました。まあ立ち仕事から、まあ、座ってする仕事、いろいろしてきたんですけれども。うーん……、一番最初にした仕事は接客業でした。で、やはりですね、この仕事のときも、えっと、お客さまとこう、まあ集中して対話しないといけないので、そういったときにやっぱりこう、痛みがこう、わっとこう出てきて、あの、すごくつらかったんですけれども、もう、もうひたすら我慢するしかないので、えー、我慢しながらやっていました。その次が、これも、まあ接客業なんですが、そのときもまあ同じような状況ですね。で……、その次は、工場勤務をしておりました。そこでは、えっと、前職よりかは、まあ…、まあ体力的にもマシな仕事内容だったので、まあ痛みはすごく感じていたんですけれども、まあ1人でやる作業が多かったので、まあ周りにあまり気を遣わなくていいというところもあったせいか、まあ、痛みの感じ方は、今までやってきた仕事と同じだったんですが、精神的に少し、まあ楽でした。
でその次の仕事も、まあ違う会社の工場勤務なんですが、そこはすごくハードなところで。…まあ知り合いの方が上司ということもあって、その、自分の病気のことを知ってくださっていたんですね。で、まあ一部始終、自分の病気のことを話して、で、まあ理解を得た上で働かせていただきました。
現在は、えっと、また違う仕事をしておりまして、えー、建物の、まあ不備がないかとか、えー、まあ検査とかする建物管理の仕事をしています。…まあここでの仕事は1人でやる作業が多いので、えーと、まあこれも、まあ体の痛みは一緒なんですけれども、あまり周りにこう迷惑だったり、気を遣わないでいいっていう部分では精神的に楽です。
ちょうどそのね、やっぱりどこもくすぶっているときって家から出なくて、あの、食べものとか買い物に行くのが面倒で…。まあパンとか作ろうとか思ってたんですが、パンってあんまり日持ちしなかったんで、ちょっとスコーンを焼いてみようと思って、まあ自分で作ってためておいて、それを食べてたんですよ。で、まあ買い物を行けるときには、でも1週間に1回とか、3日に1回ぐらい何か買っておけば十分、事足りてたんで。それで作ったものを友達にあげたら、「これ、おいしいで」って言われたんで、「ちょっと頑張って売ってみたら」とかいうふうに、まあ聞いてくれたんで、ちょっとやってみようと思って。なのが、きっかけですね。それで何とか今、あの、細々とやってますけど。
はい。あの、まあ会社ですと何時までに出勤しなくちゃいけないとか、行けば何時間拘束されるんですけど、で行っても、まあ仕事なんで、あの、やっぱり相手があること相手に合わせなくちゃいけないことがあるじゃないですか。でも、今はもう、例えばしんどければ、そのまま何もしなくて家で寝ておけるんですよ。で、その締め時間とか、あの時間とかがあんまり関係ないんで、もう本当に自分の動けるときに、できる範囲のことをできるだけのことをすれば、まあ何とか収まってるんで。まあ体調に合わせた生活ができるんで、それはすごく、あの、気持ち的に楽になっています。
学生さんの講義に出席させていただいて、患者体験をお話しさせていただくということを2002年からスタートしてまして。で、まあ実際その寝たきりだったり、まあ痛くて痛くてという時期があっても、その(講義に出る)時期になると自分で体調を整えて、退院してというようなことをやってたんですね。で、その…2002年のときに、まあ医学部で学生さんの講義に参加させていただくときも、その担当の教授が、「大丈夫なのかな?」って気にかけてくださってたんですが、その当時は90分の講義の時間だったんですが、その90分、痛みを忘れることができたんですね。で、それは私にとってもすごくあの、びっくりする体験だったんですけれど。それまでもう痛くて痛くて、もう10分と座っていられないような状況だったんですけれど、実際に学生さんの前でお話をさせていただいたり、えー、教授の講義の時間も含めて90分その場にじっと座っているっていうことができたんです。
で、終わってから教授から、「痛みはどう?」って言われるまで痛みのことは忘れててという体験から、「ああ、なんか、痛みが楽になる時間が、お薬を使わなくてもあるんだ」っていうことをそのときに発見したんですね。で、それと同時に、まあ教授がおっしゃっていたのは、「あ、痛みが動く」っていうことをまあ教授はおっしゃってたんですけれど。そういうことが、自分の中でもすごく不思議で不思議で仕方がなかったんですが、実際に2006年から自分で仕事をするようになってから、「あ、自分がやりたいことに対しては、自分が味方をしてくれるんだな」っていう気づきにつながったんですね。
その自分とのコミュニケーションが大事なんだということをお伝えする中でも、自分がやりたいことのためには、まあ何か病気があろうがなかろうが、健康でも病気の人でもやっぱり、自分が心から望むことや、自分が望むことに向かっていくときのエネルギーというのは、もう想像もつかないほどのエネルギーが自分の中から出てきて、まあ要するに、自分自身が自分の応援をしてくれるんだなっていうところを考えるようになったんですね。まあ症状の変化というのが実際にあるんですけれど、しっかりとその、私自身が体験することで、そのことをまたさらにお伝えしていくという役割を私はいただいているのかなっていうようなことを自分で、まあ自分の都合のいいように考えたりしてたんですけれど。
おかげさまで、あの、とても元気に過ごしております。あの、あの、たぶん普通の方よりも疲れやすいのは、まあ確かにあると思うので、休憩は必ず、休憩のほうが多いって言ったら多いかもしれません。あの、とにかくあの、生活の中で大部分、休んでますけど、今は昨年の11月の末からですね、あの、ちょっとした短時間の2時間の早朝アルバイトを、あの、させてもらっています。初めは勇気なかったですけど、あの、何とかやってみようって気になったので、やり始めたら意外にできたことに本当に。最初はすごい、もう手とか筋肉痛になるし、もうなんか、でももうなんか、だめならだめで、やるだけやってみようっていう気持ちになれて、もう本当に毎日生活が、あの、アルバイトすることによって、あの、汗もかくし、あ、人って生きてるんだなっていう。なんか汗をかくっていうのはこういうことなのかしらっていう。働くっていうのは、あの、なんかそういう意味では私の中ではなんか、あの、新しい風が吹いたというか(笑)。うん。ただ、それだけではなく、まあ今元気になってきたっていうことは当然、あの、朝も起きれる。あの、そして夕飯もまめに作れる。外食もほとんどなくなった。で、あの、主人にお弁当を買ってきてという回数も、回数どころかそういうのももう全くもってない。そういうことを考えたら、あの、普通の主婦とかほかの方からしてみると当然のことかもしれないけど、私にとってはその生活が送れるようになったというのはもう本当に、あの、目からうろこの状態だと思います。本当に今幸せだと思います。
もうこれが、例えばすぐに治るものではないっていうことは私も身をもってわかっているので、あとはこれとどうつき合いながら日常生活をやっていくかっていうことで。ただ私はもうこれでも海外旅行もしていますし、普通に飛行機も乗って出かけてるので。とりあえず何とかなってるから、このまま行くしかないのかなって思いますね。
――最初からそういうふうな、こう思いでいらっしゃったのか、それともどこかの時点でそういう気持ちに徐々に変わっていったのか。その辺りを教えていただいてもいいですか。
はい。このCRPSっていう病名が付いてからですね。それまでは、どうして捻挫が治らないのかって、ずっと不思議だったんですけど。捻挫は治ってるんだけど、治ったことを脳が認識していないっていうことがわかったので。その捻挫が2年も治んないのは、ずっとおかしいと思っていたんです。だから、CRPSっていう症状が出たっていうことで納得がいったというか。で、これが広がる人と広がらない人がいるっていうのも知って、私は広がってないので、あの、悪くなってないのも1つのいい兆候だって考えなきゃいけないのかなと思いました。