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慢性の痛みの語り

リハの先生が来てくれるのが楽しみ。歩行訓練やマッサージの時に「何でも話を聞くよ」「もっと自分を褒めてあげて」と慰めるようなこと言ってくれるのが一番の救い

本当に私、恵まれてると思ったんです。本当にね、あの、リハビリに来ていただくのが楽しみで、それで私は何かこう気持ちが救われてるのかなと思うときあります。

そういう先生たちが週2回来てくださるってことは心の支えになりますもんね。全部こう、ぶちまけられるし、「じゃあ、ほかの者には言えないことも、僕ならいいよ。何でも聞いてあげるよ」って言ってくださるので、2人とも。だから、「じゃあ、今日ちょっと愚痴らせて」って言って、ちょっとこう、ね、泣き言を言ったりすることもありますし。でも、本当にね、あの、精神的な面のケアもやってくださるので、本当に助かります。

一番救われるのは、だから今、あの、理学療法士の先生に、あの、マッサージやっていただいて、歩き方の練習をやっていただいて、そのときにちょっとこう慰められるようなことを言われるんですよね。それが一番の救いですね、今は。

――どういったことを具体的に?

この間もね、私ね、「ああ、そうか」と思ったんですけどね。「しかし、あなたはね、もっと自分を褒めてあげなさい。普通はあなたの年でね、これだけのケガしてね、いろいろしてる人だったら普通はもう寝たきりですよ。それをね、家事をやってね(笑)、一応全部やっているんだからそれだけでもすごいことなんですよ。だから、もっと自分褒めてあげなさい」って言われて、「ああ、そっか。私はもっと褒めてもらっていいんだ」と。

慢性の痛みの語り

シェーグレン症候群のリハビリとして月に1度、足の血行を良くするケアを受けている。ほぐされると足が温かくなるが、効果が続くのはその日1日ぐらい

――治療は内服以外に何かリハビリをやったりとか。

そうですね。4週間に一遍、あの、受診するんですけれども、予約して。行ったときにリハビリをしていただいていますよね。足がすごい冷たいんですよね、私はね。リハビリしていただくと、腰から下のリハビリなんですけれども、あの、血行を良くする…ようなリハビリなんでしょうかね。足先も、ほかほか、ほかほかしてきて、「ああ、先生、リハビリはやっぱり効きます」っていう感じで、もっとしていただきたいんですけれども、通うのがなかなか大変なので、あの、受診したときに、ついでにって言ったらあれなんですけど、していただいてるっていう感じですね。入院すると毎日リハビリがあります。

――リハビリはどんなリハビリをやられるんですか。

そうですね。下半身、あの、ベッドに横になって、下半身を左右1つ、片方ずつ、あの、揉みほぐすというか、そんな感じですね。そして足先までずっと下りてきて、足の指をこう上下に揺らすっていうか、そうすると血液がドーッと流れるような感じがして、冷たかった足がほかほかと温かくなってくるっていうので、ああ、リハビリはいいなと思っていますけれど。

――効果っていうのはどのぐらい持つんですか。

そうですねえ。やっぱり1日ぐらいでしょうかね。…また、すぐ次の日になると足が冷たくなるんですね。

慢性の痛みの語り

痛みを引き起こすのは、自分の考え方がいけないのでは?神経質なところや底のほうにある強情なところがいけないのでは?と思うまでに切羽詰まっていた(テキストのみ)

それから考え方。こう痛みを引き起こしてしまう自分に、もしかしたら、その生活をしていく中で抱えているストレスや、気づかないけれども、物の考え方で頭痛に、えー、影響してしまうようなものがあるんだろうかとか。でも、私、明るいほうだし、人のことをあんまりこういうふうにこういうふうに考えないしとか、なんか本当にその生き方まで、あの、考えるようなときもありましたね、痛みを。私は何でこんなに痛い、痛いんだろう。寝て起きたのに、もう痛いとか。何が悪いんだろう。寝てるときの姿勢かなとか。本当にありとあらゆることが不安になって。考え方で、もし治せるなら、本当に、じゃあ、考え方を変えたらいいのかなとか。本当に、あの、でもこれといって今改めなきゃいけないこともなさそうだし、じゃあ、もうあの…、痛くなったら何とかそのときに対処するという感じで、あまりこう、くよくよ悩まないようにすることがもうできることでの精いっぱいな感じで。そうですね。
まあ、あとあの、何でしょうね、少し自分でこう、神経質なところとか、こうじゃなきゃいけないとか…、うーん…、そういった考えとか、それからこう、自分のこう、底のほうにある強情さとか…、そういうもの全てをこう少しずつ、こう何か、できるものならこう和らげていってみようかなとか。そうすることで、もし、あの、痛みが軽減できるのであればいいなとか。そこら辺のことまで考えるようになってましたね。それで治るのであればそうしたいみたいな。切羽詰まっていますのでね、痛みが本当に嫌で。

慢性の痛みの語り

最近では慢性の痛みというと、まず心や成育歴、受けとめ方の問題と言われる。痛みが消えないのは自分のせいと言われているよう。慢性痛全てに当てはめるのは止めてほしい

「破局的思考(※)」って聞いたことありますか。あれ、めっちゃ腹が立つんですけど、私(笑)。何で腹が立つか、だって私と同じ病気の患者さんに限っては、あの、痛みがあるから家にこもろうとかいう人をあんまり知らなくて、実は。私に大きな影響を与えてくれた先輩の患者さんがいるんですけれども、その方もすごい痛みを抱えながら、どんどん、どんどん人の前に出ていって、もうね、笑うのもつらかろうに、こう…、多くのことを伝えてくれて。私もどっちかというと、まあ痛いけど、うん行っちゃえとか、痛いけど(笑)、いろんなことをやりたくて、やっては激痛、「ううっ」てなるタイプなんですけども。あの理論をみんなに当てはめられると、すっごい腹が立ちますね。何でですかね。
で、その…心の面とか生育歴とか、えーと、あといろいろ言われますよね。なんか社会的な要因とかもそう、そう、そう。いろいろ書いてあるの、最近、慢性の痛みというとまずそれが出てくるじゃないですか。受け止め方とか(笑)。そう。大事にしすぎるからだとか(笑)。そうすると、「もうじゃあ、何、この痛みがずっと消えないのは、何、私が悪いの?」って言いたくもなってきて、それが土壌にあって「きっと治らなくてごめんなさい」っていう思考に、もしかしたら陥ってしまったのかな?と思った時期があります。それはたぶん今でも消えていなくて。

私が一番危惧しているのは、その…、『腰痛は怒りである』とか(笑)。……いやあの、ね、あの、心理社会的な面も見なくてはいけないということはわかるんですけれども、それで流されてしまうと、なんか、その患者、病気、病態、治療ということを考えたときに、果たしてそれでいいのかなという思いは、とてもあって。今、世の中がその痛みの何年?とか言ってやっているけれども、果たして痛みということで一括りにしてもいいのかな、というのはとても感じています…ですね。

――痛みで一括りにしないとなると、今度、細分化の方法に向かったほうがいいと?

細分化というか、うーん、何だろう。……その画像に写らない機能的なものですよね。そういうものに対する評価…のほうに、もう少し目を向けてくれないのかなという気持ちはありますね。痛み、目に見えないじゃないですか。…その器質的な異常は、まあ見つからないにしても、うーん、何らかのシステムのエラーだとは思うんですけれども。

痛いから動かさない、痛いからこれができない、痛みさえなければこれができるのにみたいなの…で、最初からもう…踏み出せないというか、動か――心の面でも体の面でも動き出せないっていうのは、まあ確かにあるかもしれないんですけれども、それで慢性痛をすべて語られるのはとても気持ちが悪いです。嫌ですね。

※破局的思考:痛みによる恐怖や不安が病的なほど過剰に続く心理状態のこと。痛みのため何もできないと感じる「無力感」、痛みのことが繰り返し去来する「反芻」、痛みがさらにひどくなり、深刻な事態を起こすのではと考える「拡大視」の3要素から定義されています。

慢性の痛みの語り

NLP※を学び、試行錯誤して専用のカリキュラムを作り、人にも伝えるなかで体調コントロールが出来るようになり、寝たきりだったところから社会復帰した(テキストのみ)

よくいわれているのが、「脳の取扱説明書」というような形で表現されたりするんですけれど。で、私が当時その勉強したときに、「あ、このNLPっていうのは医療に使えるな」っていうのを、まあ自分でいろいろワークの体験とかする中で感じて、それで自分自身の体調のコントロールっていうのもできるようになったんです。

――えっと、それは、今もその体調管理には、ご自身に使っていらっしゃったりするんでしょうか。

そうですね。えっと、今はですね、体調のコントロールというか、それまでは本当にもう寝たり起きたり、寝たきりだったりっていう状態だったんですけど、そのNLPを勉強したことで、あの、社会復帰したんですね、自分で講座を開いたりとか、まあ講演をしたりっていうことをする中で、やっぱりその体調も波があってですね。

まあメディカルNLPというふうに、まあ自分の中でこう…、医療、まあ医療に特化したっていう形で自分の中でこう、カリキュラムをこう作ったり…、組み立てていったんですけれど。実際自分でもその、まあNLPも使いながらですが、波がやっぱりどうしても痛みにはあったりしてですね。で、まあ実際、人にこう伝えたいと思って、まあ伝える中で、自分自身もこういろいろと、ああじゃない、こうじゃないっていうのを試行錯誤しながら今に至っているんですけれど。