投稿者「taguchi」のアーカイブ

慢性の痛みの語り

典型的な三叉神経痛とは違うかもしれないが、手術前まではある一定レベルで痛い上に、食べる・話すなど下顎を動かす刺激が加わるとビューンと強い痛みが走った

最後の病院の先生に言われたんですけど、普通の典型的な三叉神経痛っていうのは、えーと、何かの拍子にビーンって痛くて、で、すぐ消えるような痛みが、まあ繰り返すみたいなんですよ。で、確かにそれもあるんですけど、もう最後のほうは、ジリジリ、ジリジリって、もうずっと痛いんです。黙っていてもなんかジリジリ、ジリジリ痛い感じで、何か拍子にしゃべるとビンって痛みが走るんですね。なので、検査前の問診では、「典型的な痛みではない気がする」、「本当に三叉神経痛か?」っていうふうなことを最後の病院では一瞬言われたんですね。で、場所も、私がまあここら辺って言ったのが、なんかその三叉神経痛の第3枝の、痛みが出る場所、部位とちょっと違ってるので、もしかしたら違うかもしれないっていうようなことは言われました。

なので、ちょっとそういう意味ではちょっと違うかもわからないんですけれども、典型的なのは本当に瞬間的に痛みが、こう触れ…こんな感じでこう痛みを示すっていう、よく教科書に書いてあるんですね。顔から、ここが痛いんだけど、こう押さえられないで、痛い部位から少し離れた空間を指さす、痛いんですっていうような、さし方をするんだって教科書に書いてありますけれども、あの、ちょっとそれとは、ちょっと違って。うん。確かにその、ビューンという痛いのはあります。ありますけれど、最後のほうは本当1日中、痛かったですね。あの、こう何かな、ある一定レベルで痛くて、で、キューンと痛くなって、またある一定のレベルでずっと痛くて、キューンと痛くなってみたいな、そういうのは繰り返してました。だから、そのキュンとなる痛みが食べることだったりとか、話しだったりとか、要するに下顎を動かすことで、ビョン、ビョンて痛みが来るっていう感じですね。

で、1回の痛みはそんなに持続はしないんですよ。その強烈な痛みは持続はもちろんしないんですけれど。でも、なんかその余韻がずーっと残っている状態が最後のほうはありましたね。だから、本当経験する人でないとわかんないと思うんですけど、物がこう口の中に入って噛んでもないんだけど、なんか歯に当たっただけで、もうそれで、ギューンと痛くなったりとか。もうあの、食べなくてもいいやって思うぐらいの痛みが走るっていうような感じの痛みですね。

慢性の痛みの語り

子宮内膜症(と子宮腺筋症の疑い)で座っていられないような猛烈な痛みがあった。下から叩き上げられるような痛みで座れないけど、痛くて立ち上がる気力もない

で、30代半ばに差しかかるころから、またやはりこう痛みが増してくるようになりまして、それで、一度30代、35歳ぐらいのころだったかと思いますが、ちょうどピアノの指導で、ホールの客席に詰めていまして、それで、えーと、長い時間、客席に座った状態でいるという。そういうあの、仕事の日があったんですけれども、その最中に猛烈に痛くなりまして。月経中ではあったんですけれども。猛烈な痛みでこう、イスに座っていられない痛みというふうなものに見まわれて、身動きが取れなくなってしまったことがあります。普通は痛かったらイスに座れば楽になるはずなんですが、子宮内膜症の痛みっていうのが、下から叩き上げられるような痛みといいますか、突き上げられるような痛みってよくいわれるんですけれども。えー、それが私の場合にはこうイスに座っているともう痛くてしようがないので、それこそあの、体圧が下へかからないように、こういうふう形にしてこう、お尻を浮かせるというか。こういう形にして。要は真っ直ぐイスに座っていると、もう痛くて痛くてたまらないので、イスに座れない。でも、痛くてたまらないので、立ち上がる元気も、その気力もない。だから、立っているよりはイスに座ったほうが楽なんでしょうけれども、イスに座っていると痛くてしようがない。じゃあ、どうしたらいいのだということで進退極まりまして。そのときも、ホールで生徒は引率していたんですが、とりあえずあの、家から遠い会場だったので、これはちょっと一緒には帰れないなと思いまして、まあ生徒のほうは親御さんと一緒にあの、帰しまして。そしてその後、自分はこれでは帰れないと思いまして、遠かったんですが、家に途中で電話をかけまして、この後、生徒は帰して別に帰るので、車で迎えに来てはもらえないかっていうことで夫に、電話をしました。

慢性の痛みの語り

関節リウマチの痛みは慢性的な関節の炎症によるもので、くるぶしの腫れと痛みから始まった。痛い時は死ぬほど痛くて立ち上がることができず、包丁も握れなかった

あの、子どもの看病してるときに、足(くるぶし)にこう…腫れて痛みがあったので、おかしいなって気づいたのが始まりでした。で、そこから、まあ子どもも入院してましたので、自分のことはちょっとさておき、まあ子どもが退院した後に、それでも…非常に、痛みもあったし、とにかく、疲れやすいっていうのがあったんですね。それから、こわばりがありました。

それから…、そうですね、食欲が落ちた。で、何だかわからないけど、疲れやすいということで病院に行ったら(今まで受診した医療機関は8か所)、グロムス腫瘍じゃないかということで皮膚科に回されて、細胞診をしたところ、その腫瘍ではないと言われ。それから、膠原病科に回されて、そのときにRF(リウマトイド因子)が非常に高かったものですから、これはリウマチかもしれないけれども、ほかの膠原病も考えられると言われ。えっと、私は子どもが4つで、上の子が8歳だったんですけれども、こんな中で、えっと、何か訳がわからない病気に罹っちゃったんだというようなことがあって、それでそのときにはプレドニン(一般名プレドニゾロン)をですね、今じゃ考えられないんですけど、1日50mgを飲んでました。

で、そのころは本当にひどい状況で、まだそのプレドニンは飲んでいたんだけれども、なかなかやっぱりコントロールができず、関節の病気ですので、痛いともう本当に死ぬほど痛いんですね。それで、えっと、トイレまで立ち上がることができなくて、夜中に這って、トイレに行ったことも何度もありますし。それから包丁が握れないんですよね。で、ご飯が作れない。それから洗濯物が畳めない。それから、まあ買い物にも行けない。で、子どもと遊んでやることもできずっていうようなことで、そういう期間が長く続いたんですけれども。

あの、不思議なことにこのまた痛みもですね、日によって良かったり悪かったりの繰り返しなんですね。で、一番まあ、たぶん皆さんご存じだと思うんですけど、朝が一番ひどいんですね、起きたときのこわばりっていうのが。だから、一日起きたときに、今日はどのぐらいまで良くなるのかなっていうのも、いつも毎朝起きたときに(笑)感じるような状況でした。で、そのころそういうことではあったんですけど、仕事を続けてたんですね。だから、日によっては本当に、足を引きずって行くこともありましたし、えっと、それこそ、ちょっと休んで遅れて行くこともありましたしっていうようなことを繰り返していました。

慢性の痛みの語り

痛みが生じるメカニズムには侵害受容性、神経障害性、中枢機能障害性の3つの分類がある。慢性疼痛の多くは3つ目がかかわっており、痛みの緩和が難しい状況にある

これは、あの、私もその後に勉強をいろいろした中で、時期による分類と、それからメカニズムによる分類というのがあるわけですよね。で、そういう意味では、時期による分類でいうと私のは(6ヵ月以上が慢性痛という分類だと)慢性ではないということになると思います。ただ、あの、えっと、急性・慢性という分類ではなくて、メカニズムによって例えば、侵害(受容)性疼痛という、その、本当に器質的な理由があって、それを取り除けば取れる痛みというのがあると。2つ目として遮断性(神経障害性)疼痛といって、情報(の伝わる神経経路のどこか)が遮断されて、幻肢痛のように遮断されて痛い…痛みがある。3つ目として言われているのが謎めいた痛みですね。中枢機能障害性疼痛という言い方をしている人もいますけれども、ありていに言えばよくわからない痛みなんですよね。どうも脳の高次機能と関係していそうなんだけれど、実態としてはまだ謎めいている痛みというのがあると。

で、最初の2つは医学的にわかりやすい。原因もわかりやすいし、対処法もわかりやすいものなんですが、問題は最後の1つで。まあ難治性の慢性疼痛の方は、たぶん最後の3つ目の要素がものすごく利いてきているので、それであの、何ていうんでしょうね、なかなか痛みが緩和しないという状況に置かれていると思っています。

慢性の痛みの語り

3年近く前、友人の誕生日パーティーでワインを開けようとして瓶が割れ、右手を怪我して足からの皮膚移植の手術を受けた。怪我をした時からずっと痛みが続いている

今から2年半ぐらい前、え、3年近くかな、前になるんですけれども。えっと、そのとき大学生で友達の誕生日会を企画していて、それでその独り暮らしの友達の家に集まって、5、6人でパーティーをしてたんですね。

その12時に合わせて乾杯しようっていうことで、えっと、ワインを準備していたんですね。で、そのワインの瓶を開けようとしていたんですけれども、なかなか開かなくて。

結果的にそのコルクがポーンと抜けた瞬間に、何か圧力がかかっていたのか何かで瓶が割れたんです。
で、私は右手で瓶を握って、特に、両手でたぶん握っていたと思うんですけど、たぶん右手、右利きなので、右手のほうがたぶん強く握っていたので、右手が切れてしまって。で、えーと、まあそのときにすごい、まあ血が出て、これはヤバイなと思ったんですけど。でも、まあ、咄嗟にこれは自分たちで止血できるレベルではないっていうのに、まあ、もうその場にいたみんなが認識して、すぐに友達が救急車を呼んでくれて…

で、やっと病院が見つかって、えーと、それは市内の近く、比較的近い病院で見つかって、あ、とりあえず止血の処理をしてもらった。…でも、その止血して、じゃあ、そこにいた先生には縫ってもらって帰れるのかなと思ったら、もう全然そんなことはなくて、

お昼の1時ぐらいにはもう手術が始まりました。で、気づいたらもう夜で、結局10時間ぐらいその手術に時間かかっていたみたいで。で、「皮膚を落としていたから、足りないところの皮膚を足から取ってきました」って言われて、いや、まあもちろん気づいたときには右足ももう包帯ぐるぐる状態で動けなかったので、いや、わか、見たらわかるっていうか、もうわかったんですけど。それで右手、右足、右足から皮膚を持ってきて、右手に移植するっていう手術をしました。

で、それがもうその日の夜。ケガをしたのが夜中で、まあその次の日の昼に手術して、まあ結果的にその手術というか、ケガをしてから、ずっと痛みが続いているっていうのが今の状況です。でも、そのときはもう、まあ瓶で切れたし、痛い。手術して、こんなに切ったんだから痛いっていうふうに思って。いや、かなりたぶんそのころ痛かったんですけど、「もう手術なんだから当たり前だ。切ったんだから、まあこれぐらい痛いのは普通のことなんだろうな」っていうふうに思っていて、まあ痛いけど、そのうち傷が治れば治るだろうぐらいに思って、この入院期間中ぐらいと思って頑張って耐えてたんですけれども。でも、かなり、痛かったです。

慢性の痛みの語り

開胸術後、麻酔から目が覚めた時に胸が痛くて、傷が治れば治ると思っていたが、いつまで経っても痛みは消えず、2年経過後ペイン科に行ったが、結局治らず、今に至る

麻酔から目が覚めたときに、やっぱし痛みがそこで初めてわかったんですよね。それまでは麻酔で、あの、意識がなかったから。それで、ずっとそのときはもう胸が痛くて、自分がどういう手術されたかっていうのも全然わかんなくて、後からだんだん説明聞いてきて、それからその後、退院してからも娘から、こういう状態だったとか、ああいう状態だったとかって話を聞いて、先生からもお聞きしたんですけれど。やっぱり、あの、体の中にメスを入れるというのはこういうことかっていうのがすごくわかったんですね。

で、3年半ぐらい前の11月に退院したんですけれど。そのICUから出てからも、ずっと痛くて、ずっと胸が痛くて、背中も痛くて、でもこんなもんかなと思って。手術が終われば、あの、とにかく退院すれば治ると思ったんですけれど、退院しても本当に治らなくて。あの、どんな話をしたらいいのかな。えっと、とにかく私の考えでは、もう手術が終われば心臓も良くなる。それから、ね、あの、いろんなケロイドなんかも、あの、消える――消えるっていうか、ある程度良くなる。というか、痛みがなくなる。それから普通の状態に戻れるって、ずっと思ってたんですけれど、全然そうじゃなくて。あの、1カ月検診で行っても、しょっちゅう行っても、いつも先生にどうですかって言われても、「先生、痛いんですよ」っていつも言ってたんですけど、でも先生も、「どうしてなんでしょうかね」っておっしゃるし。それから、「こういう病気は滅多にないから、症例がないし、それから治った症例もない」って、先生、おっしゃるし。あちこちの病院なんかも機会があれば行ってたんですけれど、それからあの、ペイン科も。

ペイン科も行って、あの、診てもらったんですけど、ペイン科に行ったときはもう2年たってたときだから、もう痛みが固定しちゃってるので、神経ブロック注射も効かないと言われ、あの、うつ病とかてんかんの薬とかも先生から処方されたんですけれど、それもちょっと合わなかったし、あんまり薬も飲みたくなかったので、飲まないできて。で、あの、なんかレーザーの照射、当てるのもやったんですけれど、3カ月通ったけど、やっぱり全然効かなくて。で、本当もう今に至ってます。

慢性の痛みの語り

複数回の事故や足の骨折のあと、狭心症、鼠経ヘルニアの手術等により、現在は、全身のあちこちに痛みが生じている(前のクリップの続き)

平成22年の年に、今度ですね、トイレで倒れまして、今度ですね、あの、救急車で、搬送されて、搬送されたんですけれども、今度は冠攣縮性狭心症というものに…患いました。こちらもあの、こちらは、まあ狭心症という形で異型狭心症という形を患っております。現在もそちらを患っています。そして、右足の人工関節も現在も患っております。こちらのほうからもやっぱり右足のほうの痛みがあります。心臓のほうについては、心臓は、痛みは…、あの、痛みはありますが、あの、こちらのほうの痛みはですね、やっぱし、薬で、薬で処方されて、それで、あの、様子を見ています。

そして、その翌年にですね、今度両側の…両側の鼠径部のヘルニアを患いました。で、ヘルニアを患ったんですけれども、そのヘルニアもやっぱし、あの、手術をすることになりました。さらにはその手術をする上で、そのときにですね、手術をしたときに、えーと、腰部麻酔というものをかけたんですけれども、腰に麻酔をかけたんですが、その際に神経に当たってしまいまして、その麻酔がですね、効かなかったということで再度また打ったんですけれども、それが、あの、右半身の痺れを今起こしていまして。

その当時から、その23年ですね、ちょうど平成23年というころが、ちょうど千葉県にとっては大きな年の節目、年でした。それは、あの、どういう年だというと東日本大震災があった年になっています。東日本大震災があった年に鼠径部ヘルニア手術をしたんですが、当初2月に手術をする予定だったんですけれども、大震災ということで、あの、どうしても手術を送る、3カ月、先送りになりました。その後に、手術を行ったんですけれども、いまだに、えーと、鼠径部のところについてはやはり痛みを生じています。

慢性の痛みの語り

平成5年に車にはねられ頭部を打撲。痛みが頭→背中→腰へと移っていき、その後も複数回の事故や足の骨折をし、手術を2回受けた(次のクリップへ続く)

私は線維筋痛症を患ってる男性です。私は平成5年に頭部の打撲という診断を受けました。頭部の打撲の診断を受けるにあたりまして当時、ちょうど二十歳を越えた、まだばっかしのときなんですけれども、そのころですね、痛みを発症しています。その痛みを発症した原因となっているのが、車にはねられて、あの、まあ、こん、コンクリートの上に落ちたんですけれども、ボンネットの上に当たって滑り落ちて飛ばされていう形になっています。えーと…、記録、あの、そのころから痛みを、まあ頭痛ですね。頭痛だったり、背中の痛みだったり、そして背中の痛みから腰の痛みと移ってきました。

そして、それからまたですね、追突事故を…追突事故を、あの、追突事故をされてしまったり。そして、えーと、それでですね、平成11年、あの…、事故ですと、事故、事故だったり、手術をした経緯いろいろあるんですけども、これまでにわたりまして、えー、平成11年には、そのころですね、あの、消防団、消防団員というか、消防団もやっておりましたので、残火処理の関係で、たまたま左足ですね、左足を骨折になりました。骨折になりましたが、えーと、そのころですね、リハビリもままならず、なっていました。そして、まあそのときにあの、左足の痛みという形になっています。

そしてその後ですね、今度はあの、平成に入ってから平成21年。平成21年に今度職場の転倒によって、右大腿部の頚部骨折をしています。頸部骨折をしまして頸部骨折をした後、3カ月間あの、リハビリをしていました。リハビリをしていたんですけど、そのころですね、もう既に頸部骨折で、あの、プレートのようなものを入れてありました。えーと、で、リハビリをしていましたが、どうも治らないということでまた別の病院に転院することにしました。

そして、その転院した病院では、その既に右の足の骨頭部、右足の骨頭部の部分が、あの、腐ってきまして、今度は人工股関節を入れることになりました。で、2度目の手術をすることになりました。人工股関節を入れた後またリハビリをしていましたが、リハビリは1カ月ぐらい程度行いまして、すぐに職場の復帰という形になりました。職場の復帰をしたんですけれども、またさらに、その平成21年に手術を1回目して、また手術をこの同じ年に、21年の10月にまた2回目の手術を行いました。

慢性の痛みの語り

皮膚炎を繰り返しているうちに感染症がひどくなり、皮膚炎が治っても右手の痺れと痛みは消えず、肩や首なども痛くなった。線維筋痛症と診断がつき、気持ちは落ち着いた

最初はね、あの、皮膚、今もちょっと荒れてるんですけど、あの、皮膚炎が発端みたいな感じで、あの、まあ右手の皮膚がおかしくなってきて、最初はその、まあ薬を塗ったりとか、専門の皮膚科にまで行ってなかったんで、そこで、あの、自分でその保湿剤を塗ったりとかで、まあ、ごまかすみたいな感じでやってたんで、なかなか治りにくくて、で、おかしいなと思ってたんですけど、まだちゃんとした皮膚科に行く前にひどくなった。で、あの…、まあそれでも長いこと放ったらかしてたんです。で、その、皮膚科に行ったときに診断してもらったときに、その、「真皮のほうまでその雑菌が入ってきて、感染症、出てるよ」って言われたんです。そのときにもう右手が痺れるぐらい痛くて。まあ、そこが発端みたいな感じになってたんですけど。

皮膚炎が治っても、その右手の痛みとか痺れが全然消えないような状態で、で、ほかのところもだんだん痛くなってきて、おかしいなっていうことになって、その、まず近くの病院に行って診てもらった。肩の関節であったりとか首とかが痛くなってきたんで、あの、まあ診断、まあ診てもらったんですけど。そのレントゲン撮ったりとかいろいろ調べても特に異常がないから、「まあ、わかんないね」とか、湿布薬貼ったりとかそれぐらいだったんですよ。

で、それでも薬飲んでも、まあその痛み止めとかいう感じだったんで全然効果なくて。で、おかしいなと思ってて、また別の病院に行って、関節とか神経の、えー、検査とかもしてもらったんですけど、それでも、まあ、特にその異常というような数字も出なくて。あの、まあ僕自身は、同じような痛み止めの薬、出るだけだったんで、それで、まあ何カ月間は過ごしてたんです。

で、まあねその痛みも日によって、まあひどかったりとかいう、程度が結構、波があったんで、まあこらええきれないようなときもあったんです。で、まあちょっとほかの病院とかもないかなと思って、次また別の病院に行ったんですけど。そこでも、まあ同じような検査をして、「特に異常がないから、まあ気の持ちようだよ」みたいなことも言われたんですけど、やっぱりその痛みに耐えれなくて、あの、ひどいときにはその、寝てても寝返り、こう痛くて、こう目が覚めたりとか、逆に全然痛くてもう寝つけなかったりとか、ずっと困ってたんで。

それで、また別の病院に行ったときに、その、線維筋痛症という、その、あの、今からですね、12年とかそれぐらいだったんで、まだ線維筋痛症という症状とか、その、全然認知されてないような状態で。ただ、そういう病気ではないんですが、症状の人がいるんで、それを専門にされているところが何カ所かあるからちょっと行ってみたらという感じで紹介されて行った病院で、一応診断を受けて、線維筋痛症ですっていうことは、あの、まあ診断書が出たっていうことで、まあ僕的には、その、わかったんで、気持ち的には落ち着いたっていう感じなんです。

慢性の痛みの語り

小学生のときから激しい肩こりと頭痛があり、20代でその痛みが全身に広がり、手の指先、足先、関節の痛み、内臓の痛みまで出て、30代で痛くて寝たきりとなってしまった

小学生のころなんですけど、肩凝りと頭痛がもう激しくて、で、もう吐いてしまうぐらい激しい痛みが続くというのが、えー、初めでしたね。で、そのころからもうずっとですね、えー、うーん、中学校になっても高校になっても社会人になってもずっとそれ(痛み)は続いてたんですけれど、20代になってからその痛みがもう全身に広がって。で、関節もですし、指の先まで、足の先まで痛いっていう、もう痛いというか、もう、うずくっていうような状態が始まって。それは筋肉とかだけじゃなくて、胃であったり、おなかであったりっていう、内臓まで痛むという状態が20代のころから始まりました。
それから、そうですね、30代ではもう自分で体を動かすこともできないぐらい、もう寝たきりになってしまって。もう本当にどうしようもない状態になってしまったんですけど。あれやこれや試す中で、まあ寝たきりではなくなったものの、今でも痛みは続いています。

―― 痛みが一番出る場所、体の部位ではどの辺りが、痛みが出ますでしょうか。

そうですね。この首から背中にかけてが、強烈ですね。

―― 痛みのこう強さというか、あの、強弱というのはあると思うんですけども、たとえて言うとどのぐらいの強さになりますか。

そうですね。その部位によって痛みの感じ方も違ったりするんですけれど、首、背中とかで言えば、もう骨を削られるような痛みであったり、釘を打ち込まれるような感じであったり。表面的にはもう背中が火事で焼けつくような痛みなので、強弱的なことで表現をちょっとしづらいんですが、もう息ができないぐらいの痛みです。