インタビュー時:30歳(2016年7月)
疼痛期間:15年以上
診断名:不明。
関西地方在住の男性。15歳のころ、まず手のしびれが、次に足の痛みが現れ、耐え難いものに変わった。現在は、両手の激しいしびれ、背中の激痛、太ももの灼熱痛がある。鍼治療、各種内科、外科にかかり、後縦靭帯骨化症、脳脊髄液減少症、線維筋痛症、など様々な疾患が疑われたが、どれも最終的には否定され確たる病名はなく、いかなる投薬・手術によっても改善はしなかった。大学に進学したが授業が受けられないことが続き退学。接客業や工場勤務などを経て、現在は不動産関係の仕事に従事している。
プロフィール詳細
下村さん(実名)は15歳の頃、右手にしびれを感じた。当初は疲れによるものかと思ったが、2か月のうちに、左手や足にも耐えがたい痛みが広がった。「貼り付くような痛み」が、かすかな痛みから一気に燃えさかるよう広がるのである。まずは近所の鍼治療院にいったものの、全く改善しなかった。神経内科、心療内科、脳神経外科、ペインクリニックなど様々な科を回り、CTやMRIなどの多くの検査をしたものの、原因や病名が分からずじまいだった。それは今も同様である。
疑われた病名と試みた治療方法は、非常に多い。脳脊髄液減少症が疑われた際にはブラッドパッチ、線維筋痛症が疑われた際には飲み薬や外科治療を行った。他にも、2011年には体内に機械を埋め込む脊髄刺激療法という治療方法を受けたこともある。しかし、どの治療方法も改善には結びつかなかった。他にも、後縦靭帯骨化症、複合性局所疼痛症候群などの病名が疑われたことがあるし、脳脊髄液減少症の検査の結果、脳が同年代と比べて若干下がっているようにも見えるとも言われたが、いまだに特定の病名にはたどりついていない。
現在は、薬や外科治療など、痛みを取り除くための治療は受けていない。どの治療も効果がなかったからである。両手のしびれと背中の激痛が主な症状で、勉強や仕事など、集中力が必要な際に一気に痛みが広がる。そのため大学を中退することになった。仕事は、一人で従事する仕事の方が、周囲に気を遣わないでよいためやりやすい。外見からは痛みの存在が見えないため痛みを信じてもらえず、人と話すこと自体ができなくなったこともあった。仕事を辞めざるを得ないことさえあった。
初めて異常を感じてから10年ほど経った25歳頃、こうした状況を打破しようと、地元や海外での署名活動を行った。その頃は線維筋痛症が疑われていたため、まださほど知られていないこの病気の存在を知ってもらうことが署名活動の目的であった。線維筋痛症でないことが分かってからは、原因が分からない痛みの存在を知ってもらうことを目的とした。こうした活動を通して、自分と同じような状況に置かれている人の存在を知り、人との交流を取り戻すようになった。そうした活動の際には、痛みを感じることが少ないのである。自分を「研究対象」にしてもらって、同様の症状に苦しむ人の役に立ちたいと思っている。楽しみとしては、サッカー観賞、映画鑑賞がある。また、体を動かすこと自体ができないわけではないので、サイクリングも好きである。
疑われた病名と試みた治療方法は、非常に多い。脳脊髄液減少症が疑われた際にはブラッドパッチ、線維筋痛症が疑われた際には飲み薬や外科治療を行った。他にも、2011年には体内に機械を埋め込む脊髄刺激療法という治療方法を受けたこともある。しかし、どの治療方法も改善には結びつかなかった。他にも、後縦靭帯骨化症、複合性局所疼痛症候群などの病名が疑われたことがあるし、脳脊髄液減少症の検査の結果、脳が同年代と比べて若干下がっているようにも見えるとも言われたが、いまだに特定の病名にはたどりついていない。
現在は、薬や外科治療など、痛みを取り除くための治療は受けていない。どの治療も効果がなかったからである。両手のしびれと背中の激痛が主な症状で、勉強や仕事など、集中力が必要な際に一気に痛みが広がる。そのため大学を中退することになった。仕事は、一人で従事する仕事の方が、周囲に気を遣わないでよいためやりやすい。外見からは痛みの存在が見えないため痛みを信じてもらえず、人と話すこと自体ができなくなったこともあった。仕事を辞めざるを得ないことさえあった。
初めて異常を感じてから10年ほど経った25歳頃、こうした状況を打破しようと、地元や海外での署名活動を行った。その頃は線維筋痛症が疑われていたため、まださほど知られていないこの病気の存在を知ってもらうことが署名活動の目的であった。線維筋痛症でないことが分かってからは、原因が分からない痛みの存在を知ってもらうことを目的とした。こうした活動を通して、自分と同じような状況に置かれている人の存在を知り、人との交流を取り戻すようになった。そうした活動の際には、痛みを感じることが少ないのである。自分を「研究対象」にしてもらって、同様の症状に苦しむ人の役に立ちたいと思っている。楽しみとしては、サッカー観賞、映画鑑賞がある。また、体を動かすこと自体ができないわけではないので、サイクリングも好きである。
インタビュー26
- いろんな薬や治療を試しても効果がない難治性の慢性疼痛患者は、病名ではなく痛みの症状として一つにまとまって、原因や治療の研究を進めるよう訴えていくことが必要だ
- 10年間に70にも上る医療機関でさまざまな検査を受けたが、原因も病名も明らかにならなかった。現代医学で解明するのは難しいと言われた
- 接客業や工場勤務など様々な仕事をしてきた。痛みは変わらないが、今の仕事は一人でやる作業が多く、周りに気を遣わないでいいところが精神的に楽である
- 治ると思っていた痛みが改善せず笑う気力もなくなり友人関係も希薄になった。治らないとい う現状は誰も想像もできないだろうと考え、誰にも話せず人と距離をおくようになった
- 自分の病気を社会に認知してもらうために地元や海外で署名活動をした。その活動を通して自分が思っている以上に話を聞いてくれる人やサポートしてくれる人がいることを知った
- 病名に振り回されてドクターショッピングに陥り、ひどい対応をされたこともあった。多額のお金を投資しても治らなかったので、他の疼痛患者に病院を紹介する気にはなれない