投稿者「dipex-j」のアーカイブ

臨床試験・治験の語り

参加の除外基準に該当するということで参加できなかったが、その後治験がどうなったかについては全く連絡がないし、自分の中では終わったことになっている

―― その治験なんですけども、結局、入れなかったということですが、そのあとどういうふうに、どうなったかっていうのはご存知ですか。

いや、全然。

―― 全然?

何もご連絡もないし、だから、まあそのときも先生(主治医)が「そんなことしていたらね(参加希望者を拒否すること)、臨床データ減っちゃうよ」っていうようなことまで(参加できないことを告げたCRCに)言ってくださって。で、「この人に効かなかったら、ねえ、効くか効かないかをみると、効果も分かるんだけど」っていうようなことまでおっしゃってくださったんですけど、駄目だということだったので何かある意味、そこが諦めのきっかけでもあったんですが。でも、でもやっぱりひきずっていましたね、うーん。

―― その治験でのお薬が現在市販、あのー、ま、その臨床研究を経て、お薬、あのー、市販のお薬になったとかいう情報も特にご存知ではない。

ああ、知らないです。

―― では、先ほども少しお聞きしましたが、1回目に関しても2回目に関しても、その後、その治験がどうなったかっていうのは全く。

ああ、知らないです。

―― で、その情報を得ようとも、もう、特には、今どうなっているんだろうとかって自分で調べたりとか、誰かに聞いてみたりとかいうのも特にすることもなく。

そうですね、あのー、何かわたしの中では終わっていました。うん。

臨床試験・治験の語り

治験薬に期待を持って参加したわけではなく、病院に協力できればと思っただけなので、治験薬がその後どうなったか積極的に知りたいとは思わない

私自身はそれほど期待を持って、それに応募したわけでもないんですよね。ですから、応募することで何らかの、逆に言えば、そういうものをやって、新しい薬をね、開発しようという、そういう…病院というんでしょうか、そういうものに対して協力できればというだけの話ですから、あまり、そういう意味では特に期待をしているということもなかったし、終わってからもですね、それが認められたのか、どうなのかっていうのも、ちょっと私は、その薬がですね、日本で、あの、販売されるようになったかという情報も特に聞いていませんし…うーん、まあ…知っても悪くはないんですけれどもね。あの、それが、結局、駄目だったのかどうなのかですね、その辺は、ちょっと気にはなりますけどね、ええ。でも、それほど、まあ、あんまり、結果ということに対しても期待を持ったわけではありませんので、ええ、あくまでそういう、あの、動きに対して協力なり、できたという、それで自分としては、自己満足なんですけれども、満足をした感じですね、ええ。

―― 積極的には、こう、お知りになりたいとかっていう…。

それほど積極的に知りたいとも思いません、その結果につきましてね、ええ。

臨床試験・治験の語り

治験薬がその後どうなったか聞いていないし、自分のデータがどうなったか今聞きたいとも別に思わない

―― では、治験っていうのは、お薬飲むのは、それがまだ販売されてないお薬とかで、人のために、体で試して、効果があるんだったら市販される、新しいお薬として売られるとか、そういうことが主になるんですけれども、その試された治験のお薬がその後どうなったかとかっていうのは、知らない?

はい。全然知らない。

―― 主治医の先生に聞いてもいない?

あ、聞いてもいないと。いないです。

―― 例えば、今ここに主治医の先生がいたとして、あの、聞いてみたいと思いますか。

いえ、特別思わないですね。うん。

―― 自分のデータがどうなったのかなとか。

思わないですね。期間も短かったですし、全然その後は思ってないです。

臨床試験・治験の語り

患者会の大会で、主治医が講演していたのを聞いて治験の結果がどうなったか判断した

―― (既存薬の新たな用法用量を検討する治験に参加して)結局、飲み方変えても大丈夫っていうふうになったというのは、その治験の結果になると思うんですけど、そのことっていうのはどこからご存じになったんですか。

2年か、違うか、去年か、去年の、患者会が所属してます、北海道のそういう患者会の難病の患者会の組織があるもんですから、それの全道大会があったときに、分科会で分かれて各患者会ごとに分かれて集まるんですけど、そこに、僕の主治医が呼ばれて講演してくれたときに、飲み忘れとかあったらどうしたらいいですかっていう質問をされてる方がいらして、で、極端な話、まとめて一回で飲んでも大丈夫だからっていうふうに先生がおっしゃってたので、ああ、僕が受けた治験の結果でそういうふうに先生がおっしゃってるんだろうなっていうふうな判断をしたので、すいません、勝手な判断なのかもしれないですけれど。とりあえずそれのおかげかっていうふうには、去年、おととし、ちょっと忘れましたけど、そんときに思ったんですよね。はい。

臨床試験・治験の語り

自分で医薬品医療機器総合機構のホームページの新薬公開資料で調べた。推測では承認されていない(テキストのみ)

このインタビューに協力することをきっかけに、わたしに使われていたのはロイコトリエン拮抗剤ということは聞いていたので、医薬品医療機器総合機構のホームページにいって、新薬公開資料というところで調べてみました。

そしたら、基本的には、わたしが参加した時期に試験をして通った薬剤はなかったので、推測ですけれども、わたしが治験に参加した薬剤は、その試験がうまくいかなかったのかと思います。一応、第三相の、プラセボ二重盲検試験って聞いていましたから、その結果で、商品にならなかったのか、もしくは、別の理由で、承認されなかったのか、分かりませんけども。いずれにしても、今売られている薬には、なっていないことは確かでしたね。

臨床試験・治験の語り

参加した吸入薬がその後製品化されたことは聞いた。自分も気になっていたので途中で聞いたりもしていた(音声のみ)

―― で、ご参加された、その吸入薬が、その後、どうなりましたよ、みたいな、そういう情報は何か(ありましたか)。

製品化されたというのも数年後ですね。その時には、もう名前忘れてしまったんですけど、これこれこういう形で製品化になりましたというお話は伺いました。

―― ああ、そうですか。それは、あの、そういう形になったら教えてくださいねとか、何か、こう、希望されていて?

そうですね、私自身も参加したので、気になりましたのでね。それで、どうですかっていう、(医療従事者に)途中経過みたいの聞いてたんですけど、まだやっぱり、やっている最中なので、もう少しかかるかもしれませんということで、それが数年後だったと思いますね。

―― ああ、なるほど。

はい。忘れたころに製品化になって、ええ。なかなか効く薬だということだったらしくて、ええ。

臨床試験・治験の語り

治験参加後、自分の病気が再発したので再受診したところ、参加時の治験薬を処方されて承認されたと知った

治験が終わってだいぶたってから、やはり、症状が再発してしまったので、受診した時に、当時治験にかかわって、治験を勧めてくださった先生をもう一度受診した時に、先生が処方してくださって、そこで「これ、実は治験やってた薬だよ」っていうのを教えてもらって、「あ、そうなんだ」と思ったんですけど。
ただ、いつ承認されたかっていうのはわかんなかったし、自分のやったものが出回ってるっていうことも知らなかったんですけど、ただ(薬剤師として)仕事をしていて、だいぶ前からこの薬あるなっていうのは、その時にちょっと思ったような覚えがあります。自分が治験終わってから、そんなにたたないうちに承認されたのかなっていうような気が、今はしています。はい。

臨床試験・治験の語り

どうしても治りたいという思いで受ける人もいるが、副作用や痛みを想像してきちんと考えた上で決めなくてはならないと思う

結構、何が何でも(自分の病気が)治りたいっていうような方も、一部いらっしゃると思いますし。実際に、わたしの知り合いでも、危ない危ないと言われている中国の臨床試験に行かれた方もいるんですけれども。なぜそこまでして受けたいのかとか、ちゃんとその副作用がどういうものがあって、こうなるかもしれないっていうのを、やっぱり、ちょっとしっかり考えて臨まないといけないと思います。それに痛みって想像できないと思うんですけれども、脊損の方って、痛みがない人もいますけど、脊損痛で結構痛みに苦しんでいる方も一方でいらっしゃるので。で、特に痛みがない人っていうのは、痛みがあるかもしれないっていう副作用、あまり想像できないと思うんですけれども。でも、痛みっていうのは、日常生活にもだいぶかかわってくることだと思うので、やっぱり(副作用がでるかもしれないと)想像して、それを受けることで自分の生活がどう変わるかもしれないとか。その、リハビリにそれだけ自分の生活の中で費やせるのかとか、ちゃんと考えてから受ける受けないを決めなくてはいけないっていうふうには思いました、はい。

臨床試験・治験の語り

治験参加は自分を見直す機会になる。簡単な気持ちで参加するのではなく、薬の製品化につながる大事な作業なんだと思って参加すべき(音声のみ)

治験というのは、怖いものではないですよということとね、参加するっていうことは…やっぱり自分自身のためになるっていいますかね…自分自身をよく、もう一回見直すっていいますかね、そういういい機会になるような気がするんですね。治験することによって自分自身の病状というものがね、分かってきますし。で、やっぱり軽い気持ちでは、治験というのは受けられないですから…今後ね、自分自身にどう影響があるかっていうこともきちんと見ていかなきゃいけないですからね。だから、それとともに、その、何ていうんですか、治験をやっていくと、安心感も生まれてくるもんですから、ええ。なんか不思議とね。コーディネーターの人と、やっぱり相談しながら自分自身のことを自分の病状がよく分かっていくものですから。さらに…いい方向にね…いい方向にいく、そういうお薬がね、できるものであるならばね、あのー、さらに…ラッキーかなと思いますし、自分も成長できますしね。

私は、そういった点では、治験というのは、何ていうんですかね、そんなに毛嫌いするようなものではない。ただし、簡単にね「治験やってみようかしら」っていう感じじゃなくて、そういう簡単なもんじゃなくて、治験っていうのはその先にはやっぱりきちんと薬に結び付くね、そういうデータ作りの一つ、一環なんだということで、そういった気持ちで参加すれば、自分自身が、やっぱり、何ていうんですかね、自分のその症状といいますか、よく分かってくると思うし。そういった気持ちで臨めば、治験をやっていてよかったなって、後で自分で思うんじゃないかなと思いますね。

臨床試験・治験の語り

治験に参加してお金は支払われたが、それを目的として参加したわけではないし、人の役に立ちたいという精神で参加するのが望ましいのではないかという気がする

えーと、私の受けた治験は、一応、報酬があったんですよね、ええ。ただし、私は報酬があると全然思っていないし、そんなことも考えなかったわけです。たまたまそれに参加してみたらば、それなりの報酬が出るということが後で分かったと。ですから、報酬を目当てで参加したのでは、私はなかったんですけれども、下手すると、報酬を目当てで、じゃあ、やってみようか、みたいなね、そういう感じになっていくのはちょっとまずいかなと。ですから、あくまでそういう…何か役立ちたいという精神がですね、基本にあることが望ましいのではないかなという、そんな気がいたします。

―― あと、差し支えなければで結構なんですが、報酬をいただいた、その辺、幾らぐらいでしたか。

えーとね、幾らだったかな。幾らだったかな…。報酬っていう言い方なのか、どうなのか、その、適当ではないと思うんですよね。どういう形でいただいたのか、よく分からないんですけれども…毎月じゃなくて、その2カ月にいっぺんの胃カメラをのんだときかな。その際…うーん、その、あれ…ごとでしょうね。それごとに、幾らだったかな…1万円だったか、1万5千円だったか、なんかそのくらいだったと思います、ええ。2カ月にいっぺんだから…まあ、月5千円ぐらいから7千円とか、7千5百円とか、そのくらいだったんじゃないですかね。それはもちろん、うーん、交通費だとか、なんかも全部含んだ話ですから、ええ…。それは、そう、そんなに僕はいただくつもり全くなかったんですけども、まあ、いただくものは、もう、それはありがたいものですからね、ええ。もう年金生活ですからね(笑)、それはありがたく頂戴しました、ええ。だけど、全然それは期待をしてやったわけじゃありませんでした、ええ。募集の時、応募の時の説明の中で、ようやく出てきたのかな、うん。確か、そう、その時の説明の中で、なんかそういうものを、あの、差し上げますよと言うので、ああ、それはありがたいですねっていう、そんな感じでしたね、ええ。