投稿者「dipex-j」のアーカイブ

臨床試験・治験の語り

自分は参加してよかったと思うので、気心知れたひとにはお勧めする。最終的には本人の判断になるが、良くなりたいなら半分は賭けで参加してもいいのではないか

うーん、そうですね。その方その方の考えもあるでしょうし、一概に、私自身はいいと思っても、その方にとってはいいことか悪いことか、それちょっとね、判断できかねますので、その聞かれた方がご自分の考えでいらっしゃるのが一番いいと思いますけども、私は、自分が、治験行って、良かったと思ったんで、あんまりね、気心の知れない方にはお勧めできないけども、自分とこう気心の知れた方だったら、「あなた、よかったら行ってごらんになったら」ってお勧めするかもしれません。

まあ、最後はご自分の判断、あの、判断になるんでしょうけども、まあ、ご自分も迷われてるんだったらば、ご自分が少しでも良くなりたいと思ったらば、半分、半分は賭けで、うーん、良くなった場合にはね、こんないいことないじゃないですか、だから、うーん、いいと思われたときには迷わず私は治験に参加なさるのも一つのいい方法じゃないかなと思ってます。で、お勧めしようと思いますけども。

臨床試験・治験の語り

誰かがやらないと新薬はできないし、今まで世間様に生かされてきているので、参加を迷っている人には勧めたい。ただ、自分が参加した治験の結果を知りたいとは思わない

―― 実際、今回治験に参加されて、これから治験に参加しようと思っている人とかに、何か、アドバイスとかメッセージとかそういうことありますか。

まあ、これからやろうかやるまいかと迷っている人には、まあ、わたし、医者じゃないから、責任もった言葉ではありませんけども、自分が受けた感じでは、やってあげたほうを勧めますね。

―― それは、何ででしょうか。

あのー、誰かがやんなきゃ新薬はできないわけで、それに100万分の1でも自分がかかわれたっていうかやれたっていうことは、今まで世間さまにいろいろ生かされてきているわけですから、わたしとしては、そういうのは、やりたいというふうな考えです。

―― じゃ、その、えーと、今回参加された治験の薬が、日本で認められたかどうかっていうことの結果ってお知りになりたいなとか思います?

いやあ、あのー、新薬っていうのは、毎年何種類出ているのか、それに費用に何億かかるとかっていうことが話題になることありますけども、別に、地球全体の中の何けい分の1の仕事っていいますか、ですから、気になんないですね。ですから、1回目で終わって、10年も経ちますけども、それが新薬として売り出されたのか、ぼつになったのかも聞いたこともありません。要するに薬を飲んで終わりと、一口で言うとね、そういう感じですね、わたしの考え方は。

臨床試験・治験の語り

研究者や製薬会社は頑張ってくれてはいると思うが、本当の患者の思いが通じてないような気がする。どういう思いで薬を作ろうとしているのか直接聞いてみたい

―― 薬を作るのにその対象のご病気をお持ちの患者さんの気持ちが全然入ってないんじゃないかっていうようなことをおっしゃっていたんですけども、それへの対応策の一つとして、その治験の計画をたてる段階から患者さんに入ってもらおうというようなことをしようとしている人もいるんですね。で、そういった試みについてもしご存知であれば、お考えをお聞きしたいと思うんですけども。もし、ご存知でなければそういう取り組みがこれからされようとしているっていうことについて何か思うところがあれば教えていただけますか。

はい、その取り組みについては、全く、今初めて伺ったお話です。で、それが実現するならば、本当にうれしい話ですし、逆になぜそれがなかったのかなっていうのが、やっぱりわたしの思うところなんですね。当然、その、いろんな事情を分かったうえで、その、お薬が必要だっていうことで作ってくださっているというふうには思うんですが、やはり、何かそこに本当に患者の思いっていう部分が通じていないような気がしてならないので。例えば、そういう中に、ま、仮にわたしが参加できるのであれば、おおいに参加させていただきたいなっていうふうに思います。

―― その、もし参加されたとした上で、どういうことを、その場で研究者とかあるいは製薬会社の人たちにお伝えになりたいと思いますか。

うーん、そうですね、今のわたしであれば、伝えたいっていうよりは、逆にどういう思いでこのお薬を作ろうとしてくださっているのかをうかがってみたいです。

臨床試験・治験の語り

細かい情報まで伝えてとは言わないが、参加した治験の結果がどうなったかということを被験者に知らせてくれる制度があってこそ、患者中心の医療だと思う(テキストのみ)

何か、その、効いたか効かなかったか、プラセボだったか、全く、分かんないままいたので、何か、ロイコト(リエン拮抗剤)に興味なくしてしまって。ほかの薬はトライしたんですけども、ロイコトリエンだけは、先生に、あの、耳鼻科の先生に希望しないままで至ってしまったんだけども。今、今の自分の症状にとっては、喘息もあるんだったら、ロイコトリエンが一番いいかなと思ったりもしています。

―― ああ、なるほど。じゃ、そのときに、治験が終わったときに、「プラセボでしたよ」とか、実薬でしたよとか、あるいは、もうちょっと時間が経ってから「承認されました」とか、「されませんでした」とか、そういう情報があったら、もう少し何というか、その、薬への興味っていうか、そういうのは変わっていたんでしょうか。

そうですね、そうですね、はい、そう思います。だから、それは、やっぱり細かい個人的なこととか、個々の症例のことは、知らされなくてもいいと思うんですけども。自分がプラセボ群だったのか実薬群だったのか。それから、よくあるのが、用量設定治験だと、低用量、高用量治験ってあったりするんですけど、そこのどこにいたのか。それから、結果的にどういう結果になったか、その治験のおおまかな結果ぐらいは知らされてもらってもおかしくはないし、それこそ、患者中心の医療だと思いますけども。周りの人だけ、全部知っていて、本人だけ知らされないというのは、ちょっと、やっぱり、不合理を感じますね。はい。

―― それ、知らされるとして、どういう知らされ方がいいですかね。タイミングとか、方法とか。

原則的には、企業は直接、何というか、どこの病院の誰さんということはアクセスできないので、やっぱり病院のコーディネーターの方がやるのがいいのかなと思いますけど。ただ、コーディネーターっていう方も、どういったんですか、この治験のこれとして終わって、替わってしまったりするので。やっぱり、病院の事務局がいいんですかしらね。そういう制度はあって、僕は全然おかしくないって思いますけども。

―― 知らされるのは、何ていうか、病院に行くのは、やっぱり手間ですよね、その結果を知らされるためだけに。

ああ、そうですよね、そうですよね。ええ、うん。

―― 何か送ってもらうとか、それから何か、ホームページの、ここ見てくださいとか。

まあ、ちょうど今、文科相、オーダーメイド医療でやっているみたいに、血液とか何かもらった患者さんには、こういう結果出ましたよっていうことをトータルで教えていますよね。

―― はい、はい。

メールか何かで。それぐらいは、あっていいでしょうね、はい。

―― やっぱり、その参加したからには、どうなったのか知りたいってというのは。

そうですね、オーダーメイド医療のときも、全部、その、自分がどの遺伝子があったとか、どういうっていうことは、一切知らせないけども、それをやったことにトータルでこんな成果ありましたっていうことは、定期的に報告していただいていますよね。

―― はい、はい。

あんなことはあってもいいはずですよね。

臨床試験・治験の語り

GCP省令で書類づくりが大変になり、医師が患者に症状を細かく聞かなくなって、コーディネーターに任せきりになっているのがもったいない気がする(テキストのみ)

あの、GCPというのが、ま、法制化、いわゆる、その、厚生労働省省令でから出たことによって、ま、いい面と悪い面があって。非常に、その何て言うんでしょうか、企業としては、やっぱり、その、ドキュメント(書類)作りとかそういったことがもう大変になってしまって、結構、その、本質が見失われているっていうか、いうことが一つですね。それから、まあ、今回の治験もそうですけども、この、アレルギーの治験薬もそうですけども、以前は、先生が、症状、やっぱり、自分なりに追っていたんですね。ところが、こういうかたちで、今、コーディネーターがいて、患者日記で書いていくと、患者日記が資料なので、患者日記のもれがあるかどうかをコーディネーターが見て。先生がそれを見て、「いいね」って言うだけで、あんまり先生が、その症状のことを細かく聞かなくなって、まあ、ある意味で企業任せみたいになってしまって。本当は、その先生が見た目で、この症状がこうとか、これがこういうところに効いているよとかいうことを知りたいんですけども、もう、ほんとに、その日記がベースなんで、日記がきちっと出ているかどうかだけを追っている感じになってしまって。ま、先生も、そういう、集計とか評価に関したら、もう、コーディネーターに任せきりっていう感じになってしまって。ちょっともったいないなっていう感じはしましたね。

―― じゃ、その週1回通院されたとおっしゃっていましたけども、通院して、行って何をするんですか。その、日記のチェック。

先生は、ほとんど、オブザーブ(観察)しているだけですね。

―― ああ、そうなんですか。

ま、その鼻を診て、あのー、要するに、ふうーんと診て、あとはコーディネーターの人が日記とか見て、「あ、きちっと書けていますね」っていうかたちですね。ま、ほんとは、もう――あ、それから「何か異常がありますか」ぐらいですかね。もっとほんとはそこで、あのー、いろんな、あの患者から見た印象、それから、先生がいろいろ、患者を診た立ち場からの質問があってもいいんでしょうけれども、ま、あんまりなくなってしまって。ま、少なくとも、わたしが参加した場合のクリニックでは、そんな感じで、全部、コーディネーターにお任せきりで。ま、自分は、それを、まあ、オブザーブしているという感じでしたね。

―― じゃ、まあ、通院行ったからといって、特に、そこで、その主治医の、主治医というか、ま、治験の医師と、こう何か、いろんなやりとりがあるわけでもなく。

あまりなかったですね。もちん、あの、耳鼻科の先生ですから、一般的な医学的な目は診て、もちろん、異常があれば診ていたんでしょうけれども。ま、特に、副作用もなかったし、なかったですね。はい。

臨床試験・治験の語り

お互いの信頼関係が大事。医療者も副作用等についての説明をしっかりやらないといけないし、患者も自分の症状等をきちっと説明しなければならない(テキストのみ)

まぁ、仕事が色々関連していくとは思うんですけど、こう、色々(自分で)レポート書いたりすることは、まぁ、嫌いではないので、ちょっと絵を描いて、今こういう状態が自分に起こっているっていうようなことを書いたら、ちょっと、先生が、学会とかでこれちょっと使ってもいい?なんていう、逆に言ってくださったりとかしていたので。

何でしょう。私としては、うまく言えないですけど、今、患者さんに起こってることってなかなか伝わんないんですよね。先生こう痛いんですって言っても、先生はやっぱりわかっていても、でも本当はわからないじゃないですか。頭でわかっていてもっていうところがあるから、やっぱりそこはお互い信頼関係で、患者としてもきちっと説明して伝えていくことが大事だし、やっぱりそこを先生方も医療関係の方も、副作用についてもっとわかっていただければなっていう風に思いました。こう、副作用が本当に微妙なんですよね。本当に微妙に色々あったので。

臨床試験・治験の語り

被験者も医療者も病気を良くしたいという目標は同じ。一緒に治験に参加しているんだという気持ちでディスカッションしていかなくてはならない

自分が言えるほど、何かそういう知識とかそういうものないかもしれないですけど。自分の場合、非常に、そういう寄り添ってくれる方が多かったので、とにかく、よく、人の話を聞くっていうことが大事じゃないですかね。そこら辺は、一般の方も、多分そうかもしれないですけども。やっぱり、一方的っていうかたちの方も、もちろん世の中にいっぱいいますから、あれだけのやっぱ、会話っていうことは、治験の場合だと、なおさら、その、これから踏み出していく段階なので、お互いにイーブンイーブンと思うんです。だから、医療者も患者のほうも、お互いに目標が結局はその病気をよくするためのものなんで、お互いに一緒に歩いていこうよっていうかたちのものを感じる、または、お互いに発せられるっていうことが大事じゃないかなと。患者はもう、わたしでは、よくなりたいのっていうの、もちろんありますよ。ありますけども、そればっかりじゃなくて、医者のほうもどうなのかなって悩んでいると思うんで。お互いに、こう、いろいろディスカッションなりなんなりしていかないことには、広がっていかないんじゃないかなと。それは、人との関係だと思うんですね。

臨床試験・治験の語り

治験を実施する側がよくわかっていることでも被験者にはわからないことが多いので、非常に丁寧な説明が必要である

私からちょっとメッセージなんて言える柄ではないんですけどね。そうですね、やはり、これは立場が逆ですから、非常に難しいんですけれども、(治験実施者と被験者は)お医者さんと患者さんの関係にやや近いんですよね。で、治験をなさるほうの方は、いろんなことがよく分かっていらっしゃると。で、片っ方のほう(被験者)は、ほとんど分からない方が多い。私もそうだったんですけどもね。ですから、その方に、やっぱり、説明ですね。これは本当にやっぱり丁寧にしていただくと。私の場合には非常に丁寧にしていただきましたし、基本的に私は大体、もう、これは自分で参加しようという気持ちがありましたけどもね。参加の気持ちがない人を無理やりさせるというものでもないと思いますけども、やっぱり適合する条件の人、そういう人をやっぱり世の中から見つけ出して、それで、やっぱりやらなきゃいけない仕事だと思いますんでね。そのためには、それなりに、勧誘ではないんですけれども、それらしい人が出てきた場合には非常に親切にね、お勧めをするということは一番大事だろうと思います、ええ。

臨床試験・治験の語り

病院の医師から積極的に臨床試験があることを患者に伝えて、そのデータを日本の医療に役立ててほしい

―― 最後に臨床試験をこれからやっていく医療者とか周りの研究者とか、そういう分野の人たちに対して何かリクエストとか伝えたいことってありますか。

だから、それは、その臨床試験があるということを、まあ、僕の行ってる病院で、その該当する病気で、先生から臨床試験があるということを、あるならば声をかけていただきたい、と。もっと患者さんに声をかけて、データを集めて。いろんな医療分野があると思うんですが、そのデータを集めて、その医療研究に役に立ててこれからの医療に役に立ててほしいと思います。

それを、僕にかかわらず、呼吸器の病気なんかはいろんな病気があると思うんですが、それにやはり、今の医療現場では、ちょっと日本は遅れてるんで、そういう臨床試験があれば、どんどん所属する科から、科の部長から、その、常勤なり非常勤の先生あるいは、かかわらず、あれば、どんどん、どんどん、患者に言うていって、どんどん、どんどん、治せない病気も治せるようになっていただければありがたいと思います。

臨床試験・治験の語り

ネットができない高齢者のことも考え、患者が探すのではなく、医療関係者が情報バンクのようなものを作って、個々の患者に向けて治験の情報を発信してほしい

そうですね、もっと、自分から治験の情報を集めるんじゃなくて、病院側のほうから、医療機関のほうから、治験をやっていますっていう、ネットでも新聞でも何でもいいです、そういうのをもっと情報公開をしてもらいたいです。例えば、利用しているのが、がん情報サービスっていうネットがあるんですけれども、そこでも、治験の情報とかもあるんですけれども、そういうんじゃなくて、もっとこう、もっと大々的に、全国を巻き込んだ、そういうサイトとかを立ち上げて。苦しんでいる、だってお年を召した方が、こう、もいらっしゃるわけですよね。だって、治験の年齢が十何歳から、八十何歳までいらっしゃる。若い方は、そういうネットとかもできるかもしれないですけれど、年老いた方で、あまりネットで、こう、できないじゃないですか。

だけど、そこら辺を、ネットができなかったら、まあ、新聞も読むのも必要かもしれませんけれども、何か、こう、一度がんにかかった人に対して、こう、もっとフォローをしてもらいたい、治験、治験側は。だから、例えば、膵がん、わたしの母が膵がんで入院していると、そしたらば、その人に向けて、情報発信をしてもらいたい。こちらからが探すんじゃなくて。…そういうことをお願いしたいですね。まず、その、ネットの……情報バンクみたいなものを作って。