投稿者「dipex-j」のアーカイブ

臨床試験・治験の語り

治験に参加して初めて治験コーディネーターの存在を知り、多様な医療資格を持つ人がやっていることもわかった(音声のみ)

治験がなければ、治験コーディネーターの方に接する機会はないですよね。まあ、せいぜい、病院に行っても、事務の方や看護師の方や、それから、主治医の先生と話をしたりするだけですので、治験コーディネーターという、そういう存在そのものも知らなかったと。で、それが、実はそういう仕事をしている人もいるんだということが分かったということですね。で、治験コーディネーターの方も、いろんな方がいらっしゃるんでしょうけれども、薬剤師…まあ出身というか、薬剤師の経験のある方であるとか、看護師の経験、経歴をお持ちの方であるとか、いろいろな方がやっているんだなあということも、今回分かりました。

臨床試験・治験の語り

手術時の麻酔薬の治験中、医師の言葉もあってプラセボではないと思っていたが、その後、実はプラセボだったということを知りちょっとぞっとした印象を受けた(音声のみ)

ちょうどインタビューを受けていたときに「結果が届きました」というふうに声をかけていただいて、それで、この印刷された用紙を手渡され、具体的な被験者の名前は出てはいないんですけれども、被験者の識別コードだけが出ているんですが。そこのところに、私の名前がですね、手書きで書かれていて、これに該当するという説明がありまして。結果的には、その投薬された治験の内容は、プラセボだったということがそのときに分かった次第です。

―― それをご覧になったときは、どういうお気持ちでしたか。

はっきり言うとですね、血の気が引いたというか。

―― 血の気が引いた。

青ざめたというか。そういう気持ちでしたね。

―― それは、こう、ショックを(受けたということでしょうか)。

そうですね。

―― ご自分の予想されていたものと違ったという。

そうですね。

―― その辺の思いをもう少しお話いただけると。

治験の内容としては、この手術を受けたあとに、最初は1時間ごとに麻酔科の先生が病室のほうにいらっしゃって、痛みの具合というものをパネルで、1段階から10段階ですかね、示すようなパネルを持って来られて。で、「今、自分が感じている痛みはどの程度のレベルになっているのか」という質問をされて。わたし本人は、そのパネルを数字を指で指すという……。痛みが強ければ10に近い数字、弱ければ1に近い数字というところを指で指すというかたちでお答えをしてですね。それが、約1時間おきぐらいに、麻酔科の先生がみえて、そのパネルを使って痛みの具合を確認されるということだったんですね。何回かそれをしているなかで、当初は1時間ごとに病室に来られたんですが、その頻度がだんだん長くなってきて。

そうですね、2~3日後ぐらいでしょうかね、麻酔科の先生がおっしゃるには「今回の治験で投与したのがプラセボではないでしょう」と。「100%の効果があるものではないにしても、何%かの効果がある、そういうものを投与されたんではないかというふうに思う。」というふうに。それはご本人の印象だったと思うんですけども、そういうお話があったもんですから、「じゃ、プラセボではないんだな」というふうに思っていましたから。

ただ、実際に紙で示された内容がプラセボだった。全然効果がないものだったというのを見たときにですね、まあ、何というんですかね、ある意味、ちょっと危険なことを経験したといいますか。そうだったんだということがあとから分かって、ちょっとぞっとしたといいますか、そういう印象でしたね。

臨床試験・治験の語り

治験で自分にどんなものが使われたのか関心を持っていたので、プラセボのグループだったのかどうかも含め、治験の結果がわかったら教えてほしいと申し出た(音声のみ)

―― 実際にこの治験が終わられて「これで一応治験終了です」というふうなことがあったと思うんですけれども、そのときもフォローアップ的な意味で「この治験ご参加いただいた結果が分かったらばお知らせしますよ」とか「そういう情報を知りたいですか」とか、そういうような話っていうのはありました?

そうですね、知りたいかどうか、尋ねられたかどうかは、はっきりしないですけれども。一応、わたしのほうから、結果が分かり次第、教えていただきたいということは、希望はしました。

―― ご自分のほうから、分かれば知りたい、教えてほしいということをおっしゃったっていうことですね。

そうですね、私から申し上げたことは、それははっきりしています。

―― お知りになりたいと思われたのは、どういうお気持ちから。

特に、やっぱり、自然な気持ちですよね、まあ、好奇心というか、自分が経験した治験というのが、実際どういうものであったのかという。治験そのものが、こう100%効果のある薬であるとか、あるいは50%であるとか、25%とかですね。あと、もう、全然ゼロである、プラセボであるとか。そういう種類があって、そのどれにあたるかというのは、実際に病院の先生方も分からないという説明を最初ありましたので。どのようなものを使用されたのかは知りたいという、そういう関心は持っていましたから。

臨床試験・治験の語り

前の治験で投与されていたのがプラセボなら新しい治験にも参加できると聞き、情報公開を求めたところ、治験が終了した時点で、プラセボだったことを知らされた

―― 一つ目の治験が、そのプラセボに当たったっていうのが、情報公開されたっていうふうにおっしゃっていましたけども、そのあたりのことをもう一度詳しく教えていただけますか。

はい、えーと、まあ、8月にそのペプチドワクチン治療をして、えーと、……まあ、残念ながら、結果は、駄目だったんですけれども。それで、今度は、ほかの大学で、えーと、……ペプチドワクチンがあると、膵臓がんの治験があるということが分かったので。…それは、札幌と東京と二つの大学でやる治験だったんですけれども。それで、……うーん、まあ、そこに申し込んでみようということで、申し込んだんですよね。それで、まあ、1回来てくださいということで、そこの病院に伺って、東京のほうの病院に伺って、それで、……うーん、まあ、先生にお会いして、……まあ、お話を伺ったんですけれども。

うーん、まあ、その先生からも、その「ペプチドワクチン、あ、やったんですね」って。「そうするとできませんね」っていうふうにまず言われましたね、うん。……「それだったらば、……抗がん剤で、まだ認可されていない薬があるけれども、それを、やったほうがいいですよ」っていうふうに言われたんですけれども、「もし、仮に、そのペプチドワクチン、前受けた、一番最初に受けたペプチドワクチンが、そのプラセボだったらば、うちの治験は受けられます」というふうにおっしゃったんですよね。ほれで、……前の先生、あ、最初のときの先生に、その情報公開、「うちの母に打ったのは、……プラセボだったんですか」っていうふうに言ったら、「いや、それは、情報公開はできません」と。それで、…1年後に、だから、1年経たないとその情報公開はできませんというふうに言われていたんですけれども。去年の十……あ、ことしの1月だ、ことしの1月に、もうその薬は効き目がないというふうに製薬会社のほうから話があってですね、えーと、……もう、情報公開はできますということで、その打ってくれた先生から、直接母のほうに電話をしてくれたんですよ。ほれで、「カナイさんが打っていたのは、水だったので、もし、仮に今後プラセボを、あ、ペプチドワクチンを受けられるんだったらば、できます」というふうに言われたんですよね。そしたら、母が喜んでですね、「ああ、よかった」っていうことで。

臨床試験・治験の語り

治験の説明を受けて、全くの新薬ではないことやプラセボにあたっても今までの薬が全く飲めなくなるわけではないことがわかり、今までの薬の延長線として受け入れた。

―― もう一度コーディネーターの方とか、主治医の先生とお話しされたときのことを思い出していただきたいんですけども、その説明の中で治験のいいところっていうのは、説明されたと思うんですが、その反対に悪いところ、こういうことがあるかもしれませんっていう説明もあったと思うんですけども。そのあたりは、覚えてらっしゃいますか。

悪いところっていうのは、どうなんでしょうか。多分、せっかくこういった治験に参加してくださるのに、その中にプラセボが含まれているっていうのが悪いところなんでしょうかね。特に、今回試された治験薬も、基本的には5_ASA製剤(5-アミノサリチル酸を成分とする薬)らしいんですね。ですので、その当時、今も飲んでいる潰瘍性大腸炎の薬と基本的に何ら成分は変わらなかったと思います。そのように記憶していますし、変わらないものだと今でも思っていますけれども。そういったものを服用しますんで、その5_ASA製剤を服用するにあたって、副作用とかそういったものも、特にわたしの場合はありませんでした。そういった意味では、例えプラセボ(のグループ)にあたったとして後悔はないというふうには思っていますし。そういった意味では、コーディネーターの方が、もし、不利な点というか、そういったもの(=治験に参加してあまりよくないこと)であげるのであれば…その薬の副作用とか、あるいはプラセボにあたっちゃった場合とか、そういったことを言われたと思います。副作用も説明はされましたけれども、そんなにその重篤な、全くの新薬というわけではないわけですから。確かあのときは欧米で試験されたときにも、かなりのその重篤な副作用があるということもなかったと思いますので。そういった意味では、ある程度、今飲んでいる薬の延長線上ということでですね、考えていましたので。そういった点では、違和感というんでしょうか、そういったものはなかったと思います。

臨床試験・治験の語り

治験の詳しい説明は理解できなかったが、プラセボだと何も効き目がないということは頭に焼き付いた言葉だった。母はなぜか自分はプラセボに当たらないと自信をもっていた

(治験を担当する)先生から、その詳しい説明っていうのは受けたんですけれども、あまりにも専門用語が多くてですね……理解は、正直言って、母もわたしもできませんでしたね。それで、まして「第Ⅲ相試験というのは、そのニセ薬、プラセボが入っていますよ」(※)って(言われて)。「もし、これにあたってしまったら、ただ、水を打っているだけなので、何も効き目がありません」っていうふうには言われました。それだけは確認っていうか、はっきりと脳には頭に焼き付いている言葉でしたね、はい。

―― プラセボに当たる可能性があるっていうことを聞いて、その治験に参加するしないの判断に何か影響とかありませんでしたか。

いや、ありませんでしたね。もう、はっきり言って、母は、自分はプラセボには当たらないというふうに自信を持っていた。どっからわいている自信か分からなかったんですけれど、「絶対に薬に当たる」というふうに考えていたので、プラセボっていうのは、考えていなかったですね。今から考えると不思議なんですけれども、まあ、それだけ、(治験が)あったらすがりたいっていうのがあったので、もうできるならば、それを(=その治験に参加したい)っていう感じでしたね。

(※)第Ⅲ相試験が必ずしもプラセボ対照試験になるとは限りません。詳しくは専門家インタビューを参照。

臨床試験・治験の語り

効き目のない薬を使う場合もあると説明文書に書いてあったが、治験のために病院に通っているのだから、自分の関与することではないと思って、無条件に指示に従っていた

―― 治験を受けようっていうふうになった段階で、最初のほうの説明のときに、お薬は必ず何か効き目のあるお薬を打っていただくことになりますよっていう説明だったか、それとも、半分ずつグループ分けて効き目のないお薬を使う場合もありますみたいな、そういう話っていうのはなかったですか。

そんなのはね、そうそう、紙に書いてありましたね。効き目のないお薬を使う場合もあるけども、それは、ご本人には知らせないってことは書いてありましたよね。だけどそれは先生方がなさることで、私たちが関与することじゃないと思ってたから、無条件であちらが指示なさることに従ってました。はい。

―― では、ご自身が効き目のあるほうの薬だったかどうかっていうのは、後から先生からお知らせが来たりとか、そういうことはなかった。

それもなかったですね。はい。ただ、行って、指示されたとおりのことをして帰ってくるっていう感じで。無条件でもって、おとなしいいい生徒だったと思います。

―― そういう意味では、ご自身は、多分これは効くほうの薬だったんじゃないかっていうふうに感じてらっしゃるということですかね。

そこまで考えなかったですね。どっちか分かんないし。とにかく向こうで(=治験に通っていた病院で)指示されたことをそのまんま(やっていました)。やっぱり、治験のために(病院に)行ってるんだから、それは、こちらがしていただいて、もしかして異常が出た場合にはすぐご報告すればいいと思ってただけで。別にその、何にも症状が現れなかったんで、無条件に行ってはやってました。はい。

臨床試験・治験の語り

命に別状があるような危機感はなかったので、自分が主導権を握ってこの薬が本物か偽かを試せると思い、それでいいと思った

―― それはお薬を飲む治験だったんですか。

そうです、そうです。

―― どんな飲み方のお薬だったんでしょう。

そのお薬も「これは本当に治験で、お薬を渡すかもしれないし、お薬じゃない偽りの薬の、何か、フラセボか何か、偽りの薬かもしれない。それは私たちコーディネーターにも分からない」から、もちろん私にもわからないでしょうから、「それを渡しますから飲んでください」って言われました。

―― そのプラセボ、偽薬が入る、それがもしかしたら渡されるかもしれないっていうことだったと思うんですけど、そのときどうでしたか。

私は、偽は偽で別にいいかなと思って。極端に、逆に言ったら、自分がこれは偽か本物かは自分の体で試せるんだと。自分が主導権握ると言ったら何かおかしいですが、それでいいかなと思って。

―― じゃ、偽薬もらうかもしれないから嫌だとか。

あ、そんなこと(思わなかったです)。私は正直、自分でさほど命に別状とかそんな危機感はなかったんで、この症状がちょっと和らいでくれたらいいかなっていう感じだったんで。だから、別に薬は偽りだったら偽りでもいいなと。別に(どちらになっても)関係はないと思って行きました。はい。

臨床試験・治験の語り

飲んでいる薬が偽物ではないかという疑いを持たれないように、始めに本物の薬とプラセボを見せて違いがわからないことを示して説明したほうがいいと思う

で、あと、やっぱり、一つ、――これは、もうどうでもいいことなんですけども――気になったのは、要するに…擬似薬と本当の薬と2種類ですと、A・Bでどっちになるか分かりませんと言いながら、渡されてくる薬は、しばらくしたらば…どうもこれは偽物、私は偽物グループだなっていう気がしました。というのは、与える薬の、要するにカプセルの物ですけどね、今、みんな、普通の、私も自分で持病のために薬をもらっているでしょう。ああいうパカーンとして、こう、何ていうんでしょうかね、カプセルを閉じ込める、ああいう、あれになって、それがね、非常に粗末なんですよ。本当のお薬だったらば、こんないいかげんなはずがない(笑)。その点の配慮がちょっと。本当の薬はもちろん見ていませんけどね。で、アメリカで売っているのを輸入しているっていう説明がありました。今回は、日本のそういうもので、製薬会社さんがね、その、作っているのか、輸入しているのか分かりませんけども、今回使うのは向こうから輸入したものですというお話があったんですよ。それにしちゃあ、ちょっとね、お粗末で、どう考えても、これは手作りに近いなあと思ったんです。(笑)だから、どうもこれは偽物くさいなあという、そういう気がしたんで。

あんまりそういうことを感づかれないように、本物と偽物はこうですと言って見せていたわけじゃないですから、何とも言えませんけれども、今どきこんなに田舎っぽいね、包装のカプセルを、パッキングがね…というのはあるわけないなという感じだった。あの辺でちょっと、ちょっとお粗末かなと思いましたけどね、ええ。じゃなかったら、本物とあれ(プラセボ)を見せてね、「両方分からないでしょう?」と。で、「これはどっちかが本物、どっちかが偽物なんですけど、あなたの場合、どっちが行くかは分かりませんよ」っていう、そういう説明のほうが本当は正解ではないでしょうか、ええ。かえって、なんか「なんだ、俺、偽物かよ」っていうね、疑いを途中で持たれるようなね、そういうやり方っていうのは、あんまりいい方法ではないんじゃないかなという気がしました、ええ。

―― 「偽物かよ」って思ったときに、なんかこう、感情的に…。

ならないですよ、それは別に、ええ。それは偽物なら偽物、最初から偽物かどっちかという話で、ああ、どっちだって私は構いやしないと思っていましたから、偽物だからさぼろうかとかね、そういう気はないです。あくまで、やっぱり両方を同じような状態で比較試験というのはするもんです、のはずですからね。やっぱり、やらなきゃいけないわけですから、本物だろうと、偽物だろうと、それはもう、あの、差をつけようという気は特に起きなかったと思いますけどね(笑)。

臨床試験・治験の語り

薬が効いた気がした間は日誌を丁寧につけていたが、効果が感じられなくなってプラセボかもしれないと思い始め、飲み忘れたり記録し忘れるようになった(テキストのみ)

―― で、その治験のために、何か記録をつけたりとか、そういうこともされましたか。

このときには、患者に聞くというのが中心になっていましたので、患者日記を渡されて、そこに詳しく書き込むようにというのが、ま、この試験の大きな仕事でしたね。で、具体的には、鼻水の回数、鼻水で、あのー、鼻をかんだ回数ですとか、それから、くしゃみを何回かしたか。それから、えーと、鼻閉、あのー、鼻のつまり程度がどうだったかっていうのが、その薬を飲んだあと、どう変わっていくかというのを、毎日記録する。そのために、かちかちっていうケース、カウンターのような物を、ま、渡されて。それは、あとで使って、自分で使っていいよってもらったんですけど。

この治験ていうのは、第三相試験で、実薬かプラセボのどちらかなんですね。

―― はい。

で、実薬かプラセボか全く分からないわけで。実は、最初、この薬飲んだときには、先ほど言っていたように、通年性(アレルギー鼻炎)というのはある程度、鼻水とかくしゃみいつも出ているので、何か飲んだら治ったような感じ、軽快したような感じがして「あ、これは、本当に効いているんかな」と思って、鼻水の回数とか、くしゃみ、鼻閉(鼻づまり)の程度を自分自身で、よくみて、丁寧に(記録を)つけていました。

―― それもう効いたかなという感じは、ずうっと4週間そんな感じですか。

ええ、実は、2週間ぐらい、それが何か効いたような感じがあったんで、これは面白いなと思ったんですけども。2週間ぐらいしたら、あまり効いていないような感じがして、ひょっとして、自分がプラセボだったかななんて思ったときから、ちょっと対応がっていうんですか、心理的変化が出てきましたね。

―― どういったことでしょうか。

うん。「ひょっとしたら、プラセボだったんかしら。プラセボだとしたら、何か、ずうっと飲んでもつまんないし。」という感じが出てしまって。正直言うと、ときどき飲み忘れてしまったり、鼻水とか、くしゃみの回数なんかもつけ忘れしたようなことが出てきました。

―― 途中でテンションが下がったままというか、プラセボかなという感じで。

実は、2週間経ってちょっと症状があまり変わんないなと思ったときに、一つ思ったんですけども、「自分ひょっとしたらプラセボだったかもしんない。でも、そしたら自分がブラセボが効くタイプかどうか判定してもらういい機会かな」と思って。また、一生懸命(記録を)つけかけたんですね。ところが、またもうちょっとしてみたら、あれ、これ確か、自分がプラセボだったかどうかっていうのは教えてもらえないことになっていると(いうことに気付いた)。プラセボでも一生懸命効いたような感じで(記録を)つけたら、一体何なんだろうなと思って。最後のころになると、結構飲み忘れとか、いろんな回数のつけ忘れいうのがありました。