月別アーカイブ: 2022年3月

新型コロナウイルス感染症の語り

社内で感染事例があり、陽性と分かる前から出勤停止で様子を見るというルーティンができていた。復帰後も会社の配慮が手厚くあって、ありがたかった(音声のみ)

――会社のほうの対応というか、ご自身が陽性っていう話をする前ですよね、多分。どの段階で会社のほうには「これはあやしい」っていう話が行ったんですか。

これはもう14日の休んだ時点で、もう疑陽性っていうか、とにかく出社停止で様子見るっていうようなルーティンではあったので、そこに従いましたね。で、16日に、本当に発熱で入院っていうような形になったときに、もうそれになったというか、「ああ、やばい」ということで。16日の日ですよね、大騒ぎしたっていう感じですかね、はい。

――でも、本当にその、職場の方たちが出社停止になるとか、あるいはその、分かんないですけど、取引先の方とかにも連絡がいくっていうことになったと思うんですけど、それは会社のほうで全部対応をされた感じですか。それとも…。

もう全部会社でやってましたね、はい。そこは、もうできあがってるので。

――職場絡みでもう少しお伺いしたいのは、戻った場合…ときに、職場の皆さんの反応はどんな感じでしたか。

ええとですね、まず「びっくりした」っていうのと、あとは「後遺症どう?」っていうようなところで、「もう絶対無理しないでくださいね」って言われましたね。職場で、ほかの部署で出た人は、私よりも全然重症というか、味覚障害もいまだに残っているような感じで、咳き込むような感じなんですけど、私、今こうしゃべってる間で一度も咳き込んではいないと思うんですよね。なので、なんていうんでしょうね、比較的症状的に後遺症もなく。

会社は本当に、初めてかな、会社の人にこんなに温かくしてもらえると思わなかったですね。
会社側の配慮っていうのは相当厚いと私は思ってます。すごい助けてもらいました。うん。よかったですね、そこは。

新型コロナウイルス感染症の語り

その時は濃厚接触者も思い当たらず、とにかく職場に迷惑をかけまいという気持ちと解雇の不安で、感染の事実をすぐには伝えられなかったのが心残りだ(テキストのみ)

――それまでにその会社で、陽性になった人は1人も出てなかったのですか。

いないですね。で、ましてや、去年(2020年)1月~2月のコロナの状況になってから、朝の点呼っていうのがあるんですけども、その点呼では管理職からね、コロナに感染した場合、申告するように、家族でもいたなら申告するようにっていう、そういうようなことは一切何も、朝の点呼では言われたことないんですよね。そういうことを一言でも言われてれば、コロナになっちゃったっていうように、言ったと思うんですけどね。

ただ、先ほども申し上げたように、うちのその業界が年末年始の繁忙期で、自分がもし、そのコロナだったっていう感染(が確定)した日に会社に伝えた場合、(その時点では)濃厚接触者はいないっていう自信はある(状態だった)んです※。けれども企業に1人でも出たら、えらい迷惑かかるなっていう部分があったんで。「これは言わないほうがいいのかな」、あと「コロナで解雇されるの、もしかしたら後であるかも分かんない」っていう、そういう部分があったんで、会社にはその時点ではコロナだった、コロナ感染は、言えなかったのはね、ちょっとそう…自分では心残りっていうんですかね、そういう部分はありますね。

※濃厚接触者の定義は発症前2日間に密な接触があった人までを含むとされます。当時は第三波でひっ迫していた保健所から詳しい聞き取り調査はなかったそうですが、高熱が出る2,3日前から休んでいたので「濃厚接触者はいない」と判断したそうです。(参考)積極的疫学調査実施要領における濃厚接触者の定義変更等に関する Q&A(2020 年 4 月 22 日)

新型コロナウイルス感染症の語り

この1年で疲れてしまい、感染前よりいろんな意味で弱くなったと感じる。以前のように頑張って強く生きるより、つぶれないように楽しいことを見つけて生きていけたらと思う(音声のみ)

――一つお伺いしたいのは、その、ええと、このコロナが来る前のご自身と、この後の、今のご自身、この2人はどう違う、何か変わったっていうところはありますか。この体験を、とても大変な体験、この大変な1年間過ごされて。

どう変わったか。

――同じ人間なのか、別の人間に変わったと思うかっていうことでもいいんですけど。

ああ…うーん、まだ、やっぱりちょっとこう、先がまだやっぱり見えてないので、世の中みんな見えてないと思うんですけど、どうなっちゃうんだろう、いつまで続くんだろうとか、ワクチンにもやっぱり不安がありますし。ここが今終わったわけではないので、なんともいえないんですけれども、人間、私的には弱くなりました。あの、やっぱ疲れたんですね(笑)。1年間疲れたんですね。だから自己防衛的に、あの、嫌なことを考えないようにする力はついたかもしれないですけど。あと、プラスに生きてく…いこうという、うーん、考え方に変わったのは、変えられたのはありますけど、実際やっぱりこの1年間分で、あの、いろんな意味で、あの、弱くなりました。やっぱ女手1人で子ども2人を支えていくっていうことの怖さとか、弱さとか。前は、コロナにかかる前は必死でしたから、強かったと思います。逆に言ったら。うん。その道を選んだのは私なんだから、あの、責任とかいろんなもので、あの、ま、それもつらかったんですけども、ただそこに、あの、病気と父の死は、ものすごい私にのしかかってきたので、今から今度こう、這い上がっていかなきゃいけないんですけど、年齢的にも別にそんな強く頑張って生きてかなくてもいいんじゃないかなあって思いながら、あの(笑)。そういう精神面で、今います。つぶれないように、楽しいことをできるだけ見つけて、生きていけたらいいなと思います。
あとは、子どもが健康ですくすくと、私も病気したらね、子どもが大変なんで、みんなが元気で、あの、いれたら一番いいことだなって思ってます。はい。

新型コロナウイルス感染症の語り

会社の推薦で表彰されたこともあるのに、コロナ感染の報告が遅れたことで、長年勤めた会社から激しく責められて本当に悔しい(テキストのみ)

――そうしましたら、その、えー、コロナの経験? この、今回のコロナを経験したことで、それまでのご自身と今の自分って、同じ人ですか。それとも何か大きく変わりましたか。

うーん、そうですね、結局コロナに感染したことによって、今の社会的な、あの、企業による制裁を受けたっていう部分が、あの、大きいんで。結局、前と後っていうのは、結局その、社会的制裁じゃなくて、企業による制裁ですか、その思いが一番強いですよね。結局今まで、まあ、企業には、あの、38、9年勤めてたとこで、結局知事からの表彰、あと環境大臣からの表彰も、まあ、企業推薦なんだけども、そういうふうに、あの、推薦されて、(して)くれた企業が、今私にこういうことをするのかなっていうのが、やっぱりそれも強いですよね。2回ほど企業から、あの、そういう推薦されて、表彰されて、あの、受けてるんですけどもね。ま、こういうふうに会社が推薦してくれた俺を、なんでこういうことをするのかなっていう思いがやっぱり強いですね。
かといって、自分が残業代未払いとか、反対に会社に請求したのもちょっとあれかなと思うんだけど、結局自分に対する、その、会社からの言葉ね、それがどうしても自分としては、あの、人生に対する、あの、本当、悔しさです。それしかないですね。

新型コロナウイルス感染症の語り

自分と妻どちらが療養施設に行き、どちらが子どもと一緒に入院するのか決断を迫られた。これから悪化する可能性のある妻が入院、自分は療養施設に行くことになった

じゃあどっちが療養施設に行ってどっちが病院、(どっちが)子どもと一緒に病院に入るのかということを選ばなくてはいけなくて。その療養施設は陰性の人は絶対入れないってことだったので、子どもと一緒に入るんであれば病院。で、療養施設に行くほうは必ず1人という形を選ぶことになりました。なので、私か妻のどっちかが療養施設に行って、どっちかが子どもと一緒に入院するという形になりました。で、どっちがどうしようっていう形になったんですけど、もちろん普段私も、子育て頑張ってるつもりですけど、どうしても妻のほうが、子育てしてる時間が多いっていうことでもありましたし、私はその時点でもう(発症から)5日か6日経っていて、そのとき熱はあるけど、あとはもう特に何の症状もないみたいな状態だったので、そういう意味では悪化する可能性がある妻のほうを、病院に行ってもらったほうがいいんじゃないかという、そういう算段もあって、妻と子どもに病院に行ってもらうと。で、私は1人で療養施設に入るということになりました。

新型コロナウイルス感染症の語り

入院中、妻は子どもと2人きりの環境に相当のストレスを抱えていた。自分の療養期間が明け、ホテルを出ててすぐ、息子を迎えに行った

一方で、妻のほうはですね、もちろんLINEとかでやり取りをしてたんですけど、病院に入って、妻のほうは実は私以上に軽症で、最初の晩に38度の熱が出た以外は、そこから下がってほとんど…。妻のほうも味覚と嗅覚はすぐ無くなって、ただそれ以外はもう熱もすぐ下がって、自分の身体で感じる症状はあんまりないという状況でしたけど、病院で子どもと2人っきりというのが相当ストレスで、しかも妻の場合は、子どもにうつしちゃったらどうしようというのが非常に気になっていて。病院で、個室。病院の個室に入らせていただくのはありがたいんですけど、狭い個室で2人っきりで子どもといる。ずーっとマスクをして、子どもが「遊んで遊んで」と言っても、なるべく近くに行かないようにしながら遊んで。しかも、私の療養施設のほうはWi-Fiがバンバン飛んでましたけど、病院のほうはそうではなかったらしく、しょうがないのでスマホで動画を見せたら、すぐ月のデータ通信量の上限に達してしまって、どうしようみたいな状況で。悲鳴のような…しかも病院の個室なんですけど、電話は禁止ということになっているらしく。なのでLINEとかでやり取りをしていて、そういう悲鳴のようなLINEが届きつつ、こちらは環境としては非常に快適なので、申し訳ないなと思いながら過ごしてました。

でまあ、一応その(療養施設の退所)時点で私は、ちょっとだけせきは残ってる感じでしたけど、もちろんマスクはしてまして、一応もう外に出ていい、感染力がないという認定だったので、その日の午後に車で子どもを迎えに行って。妻が入院してる病院に子どもを車で迎えに行って、子どもを引き取ってきました。それで妻もようやく1人で過ごせるようになって、ああ、よかったなあという感じでした。子どもは最初は「病院楽しいね」とか、よく分かってなくて言ってたらしいんですけど、それなりに…3日も4日も同じところにいるので、ストレスが溜まってたみたいで、食事をあんまり食べないとか言われてたので、帰ってその日の夕食は全部好きなものをあげたりしてですね。そこからはもう、基本的には子どもと2人で妻が退院を迎える…3日後ぐらいだったと思うんですけど、その日まで子どもと2人で過ごしてました。

新型コロナウイルス感染症の語り

陰性だった長男も同じ病院の個室に入れてもらえた。それぞれ別の個室で、キッズケータイで連絡を取っていた。退屈で早く帰りたいと電話がかかってきた(音声のみ)

長男が小学校5年生、次男が小学校2年生。で…まあ、長男は運動もして水泳とかやって体…2人とも赤ちゃんのときからちょっと、男の子なんで弱かったんで、病院ばっかり行ってたんですけど、長男は水泳をやらせることによってすごく鍛えられていて、活発に元気なんですけども、下の子は何もやらない子なので、体がちょっと弱いんですね。だからか、まだ小さいので、私にべったりなんで、濃厚接触者になり、うつってしまったんですけども。長男は5年生にもなるとあまり甘えないので、自分のお部屋にいることが多かったこともあるんでしょうか、ずっと陰性なんですね。(陽性である)可能性があるということもあって1人置いとけないので、国から許可を得て…入院を同じように個室で取ってくださって。入院費用に関しては国の負担になるんですけども、陰性が出てると(長男については)自己負担になるかもしれないって。でもそれはひどいでしょっていう話で、保健所の方がすごくいい方で、今回コロナ発症のときからずーっと私を担当してくださってた方がいて、いろいろ助けていただいて、親身に国とも交渉していただいたりとか、いろんなことしていただいて。

――お子さんとは、お部屋、個室でバラバラだったっていうことなんですけど、キッズケータイを持たせてたので連絡を取り合ってたというのは、コンタクトは全部携帯電話を通じて?

そうです、そうです。

差し入れをしてもらいたくて、動いてくれたのが私の兄と、元旦那なんですけれども。一応子どものパパなので、助けてくれて。子どものパジャマが足りないって、やっぱり2週間だとね、洗濯もできないので、使い捨てまでいかないんですけど、どんどん使ったものがこう山積みになっていく。うん、でまあ、私が帰ってから全部洗って、洗ったんですけど。できるだけ、長く着てもやっぱり気持ちが悪いので「パジャマ買って来て」とか。あとお菓子もね、食べたいから、子ども元気だし(笑)、退屈で。今ゲームだとかいろんなことができるから、だいぶよかったんでしょうけど、何もないよりは。でも退屈で「早く帰りたい、早く帰りたい」って電話が掛かってくるんですね。「いつなの、いつなの」っていう感じで。

新型コロナウイルス感染症の語り

両親は重い基礎疾患を持っていて、同居の姉一家にも感染を広げる恐れがあった。保健所から子どもの預け先候補として提案されたが、相当ハードルが高いと伝えた

われわれ両親が陽性になって、子どもが陰性になったときに、ま、もちろん選択肢の一つとして、私なり妻なりの両親に預けるという選択肢は、もちろん出てくるとは思うんですけど、実は私自身の両親は割と近い所に住んではいるんですけども、姉の一家と同居をしているということがありました。なので…ということと、あとうちの両親は、共にちょっと重い基礎疾患を持っているということがあって。陰性ではあります、私の子どもは陰性ではありますけど、やっぱり万が一…陽性、検査を受けた後に感染したとか、まあ要は偽陰性だった場合に両親に感染させてしまうと、かなり致命的なことになるということもありますし、あとその姉一家にまで感染を拡げてしまう可能性があるということがあって、もちろん、お願いすれば受けてくれたとは思いますけど、ちょっとやっぱり現実的な選択としては、選択しづらいなという感じではありました。
で、妻の両親はかなり遠方でして…かなりってことはないけど、遠方、関西のほうなんですけど、そもそも移動してもらうこと自体がリスクですし。私41(歳)で、妻も同年代なので高齢ではあるので、やっぱり高齢者がいる家庭に預けるってことは、相当ハードルは高いなというふうに思ってました。実は保健所からは一応「ご両親に預けられませんか」みたいなこと、ちらりとは言われたんですけど、「そこはちょっと…しんどいですね」という話はしてました。

新型コロナウイルス感染症の語り

ひどい頭痛が続きかかりつけ医に相談したが耳鼻科受診を勧められるだけだった。後遺症について情報収集したが、症状が多岐に渡り、確定的なものはなかった(テキストのみ)

今でこそかなり、後遺症外来みたいなのもできて、後遺症について、だいぶ分かってきて問題になっていったんですけど、そのとき、まだ2カ月ぐらい前、3カ月ぐらい前は、あるらしい、どうもこういうことになっている人が、どうも多そうだっていうぐらいの状況でしたから、これがCOVIDにかかった後遺症なのか、そうじゃないのか。ほんとに、ある意味こう、血管にだいぶダメージがあるんじゃないかっていうことも分かっている中で、この頭痛、ほんとにこのまま放置しといて、この鎮痛解熱剤でこう、痛みをただ取るっていうふうなことの対応だけで、大丈夫なのかっていう。それこそMRI検査とかしなくて大丈夫な状況なのかっていうことは、それこそ、近くでいつも診てもらってる、PCR検査とか予約してくださった先生にも「いやあ、頭痛があまりにもひどく残ってるんだけども、これはこのまま放っておいても大丈夫なんだろうか」っていうことは、ご相談したんですけども、そういうこう、せきをするとかなり響く感じの痛みだったんですね。そういうこう頭痛なんだけど、「それはもしかしたら副鼻腔炎かなんかの、そういうのが関連してるかもしれないから、耳鼻科に行ってみたらどうか」とか、その「CT検査とかMR検査とかを受けたいなら、そういうやっぱり耳鼻科のほうにかかって、そこから、紹介状出してもらったほうがいいんじゃないか」みたいなふうに言われてしまって、なんかこう、そういう部分に関しては、なんかまだ、当時そのときは、これはどうしたものかって、そうするとまた耳鼻科に行くと、またゼロから説明しなきゃいけないわけじゃないですか。こう、いついつこういうことになって、今こういう経過で、こうなって、ああなってっていう。それはまたそれで大変だし、医師のほうとかも、別にかかりつけの先生であるわけじゃないので。

COVIDに関しては、あの、後遺症のところは情報収集はしましたかね。その、この頭痛とかそういうことに関しては、うん。だけど、そのCOVIDそのものについては、うん、そんなに、うん、調べなかった。まあ、も、元々その前、どういうことっていうのは分かってました、はい。

―その後遺症に関することっていうのはどういうところで、あのー、探された感じですか。

まあ、インターネットとかですかね。で、ちょうどそういう話題が出始めたぐらいのときだったんで、多分、NHKとかでも特集したりとかもしてたし、うん、でもそれも、それもCOVIDと、の症状と同じように、かなり多岐にわたっていろんな症状だったので、こういうこれがっていうふうな、こう、確定的なものではなかったし、うん。…まあ、だから調べた程度っていうふうなことなんですかね。

新型コロナウイルス感染症の語り

嗅覚障害の専門医にかかり、ドイツで生み出されたスメルトレーニングを受けた。半年~1年かければ多くの人が治るというので、焦らずにやっていきましょうと言われた

その嗅覚検査を受けに行ったそこの病院の先生に嗅覚障害を治す薬っていうのはないんですと、「鼻詰まりを治す処方とか、あるんです。こうなんか、ないわけじゃないんですけど、緩和させるってのはあるんですけど、神経性の嗅覚障害の場合、これに効くっていうお薬ってのはないと言われて、多くの場合、例えば、年を取ることによって嗅覚が失われるとかは、もうちょっとまあ治しようがない、ないんですけど、こういう神経性の場合は、えっと、ないんだけど、時とともに戻ってくる場合と、あとはリハビリによって戻す場合っていうのがあって、それでそのリハビリってのは何ですかって聞いたら、そのスメルトレーニングっていうドイツで、ドイツで生み出された、嗅覚障害を治す療法で、幾つかにおいがあるんですけど、アロマオイルを使う場合が手っ取り早いので香料なので。例えば何だっけな、レモンとラベンダーと、クローブと、何とかって幾つか決められたにおいがあって。私、元々はラベンダーの元々アロマオイルを使ってたので、あったんですよ。それを希釈して、日に朝晩決めた時間にこう嗅いで、嗅覚、こう刺激を与えていく。
で、もう一つは、例えば身近にある、例えばせっけんとかコーヒーとかレモンとか、嗅がなくてもにおいを知っているものがありますよね。長年の自分が使ってきたものとか。それを、使う…嗅ぐ前に脳内でイメージをして、まず。なんかこんな、コーヒーってこんなにおいだったかなって、まずイメージした後に、実際のものを嗅ぐ、という、2種類をあるので、2種類同時にやってくださいみたいな、自分のペースでいいですよ。で、直接的にアロマとかを嗅ぐっていうのは、ちょっと刺激なんですけど、もう一つの思い浮かべるっていうのは、まずはなんか脳内の記憶にある嗅覚を思い起こして、かつ、実際のコーヒーだったらコーヒーのにおいを嗅ぐことで、脳内の記憶と鼻から入ったそのニオイ分子が元々こうなんか、つながらないから分かんないにおいが、だんだんだんだん、脳内の嗅覚を呼び起こすことによってみたいな、まあ、リハビリなんですけど、っていうのでだんだん治っていくことがあると。
で、嗅覚障害の場合、大体、半年から1年かければ多くの人は治るんです、というので、なので、あんまり焦らずに、やっていきましょうみたいな感じで言われました。で、それは、いわゆる、スメルトレーニング、それをそういう、アロマだったり、その元々ある、知ってるにおいを思い出して実際のを嗅いでみたいな、そういう意識、におい、意識してやること全体をそのリハビリを、スメルトレーニングとその先生はおっしゃってて、で、それをなんかやって、かつ鼻のCTを撮りに行って、…やっぱりそこでも若干やっぱり嗅覚にちょっと異常がある、あの、神経にっていうのがCTで分かったんですけど、「すごーくちっちゃいよ」って言われて、「多分そんなに心配しなくても、大丈夫なんじゃないかな」みたいな。