投稿者「sakuma」のアーカイブ

新型コロナウイルス感染症の語り

保健所から発症して10日経ち、感染性はないから外に出て大丈夫と言われたが、それが世間には知られていないので、PCR検査で陰性を出さなければ職場復帰は難しい

えー、1月12日に保健所のほうから電話が掛かってきて、「もう発症してから10日間たったので、もう人にうつすことはありません、もう明日から、外に普通に出て大丈夫です」というようなご連絡をいただいて、それでも、やはり…えー、仕事の復帰をするのは難しいだろうなと思いました。あの、あまり10日間で人にうつすことがなくなるっていうことが世間では知られてないと思うんですが、それを言ってもなかなかこう、PCR検査で陰性を出さなければ、えー、心配される方が多いので。特にやはり、あの、私、バイオリン教えているので、その…教室の生徒さんなどにご迷惑がかからないように、えー、PCR検査を受けて陰性が出てから復帰ということに、えー、しなくてはいけないかなと思いまして、実際には19日に、えー、またPCR検査を自分で受けに行って、えー、やっとその翌日陰性が出て、社会復帰することができました。

――それで、こう、もう堂々とお仕事できるなみたいな、そんな感じだったんでしょうか。

えー、堂々というか、ま、陰性の証明をして社会復帰ができるっていう感じですね、うん。とてもうれしかったです。

――ってことは、それ(陰性証明)がない状態で、(保健所から)口頭で電話で、「あなたもう大丈夫ですよ」って言われるだけっていうのは、やっぱりすごく、あの、社会生活をしていく上ですごく不都合があるってことですかね。

そうですね。あの、特にそういう音楽教室などでは、ちょっと、PCR検査で陰性が出なくては復帰は許されないのかなというプレッシャーがありました。

――はっきりそのPCR検査受けてくださいって言われたりもされたんですか。

え、言われたりはしなくて、こちらからPCR検査を受けて陰性が出てから復帰しますっていうことを言いました。

――じゃ、なんとなくその空気を察してしまって、そういうふうに思われたということですね。

そうですね。やはり自分も自信を持って復帰できないと思いましたし、そういうこともあるので、ま、ぜひ、あの、PCR検査、あの、コロナにかかった人は、例えばその療養期間が終わって1週間とか、まあ、1カ月以内に1回だけただで受けられるっていうようなシステムを作ったほうがいいんではないかなと思います。

――あるいはもう、その、世間の人がみんなその辺のことをちゃんと理解すれば。

そうですね。

――ま、いいかもしれないですけどもね。

うーん、でも、やっぱり心配ですよね、理解していても。陰性が出たと言われたほうが安心なのかなと思います。

――それはそうですね。やっぱり、その、自分が万が一まだ、ウイルスがあったらどうしようっていうのは、確かにずっとやっぱり不安ですよね。

はい。あの、人にうつす心配ですね。今までは自分がうつる心配をしていましたけれど、人にうつしてしまう心配をずっとしていました。

新型コロナウイルス感染症の語り

発症直前に行った歯科医院に電話で感染を伝えた。これまでも濃厚接触者や感染者が出ると予約延期の連絡があったので今回もそうしたのだろうと申し訳なく思った(音声のみ)

その、熱が出た当日、行った歯医者さんにも、病院から電話をして、「申し訳なかったんですけど、結局、私コロナだったんです」って言って。で、あの、お詫びして、「あ、そうだったの、そうじゃないかなって何となく思ってたんだよねー」って言われて、はい、もうすごく、もう、謝ってお詫びしたんですけど。

あのー、歯医者さんも、他の私以外の方も、あの、コロナの可能性があるとかって言われると、もう次の日の予約とか、その次の予約を取ってらっしゃる方に片っ端から電話して、ちょっとこういう状況なので、消毒をするから、ちょっと、明日の予約は延期してくださいとか、ま、そういうことをされてたんですね。だから私のときも、きっと同じようにされたのかなーと、あのー、ほんと申し訳なかったなーと思いましたけど、そういったこともありましたね。

新型コロナウイルス感染症の語り

部下8名が濃厚接触者と判断されPCR検査を受けた。初診料の自己負担分は自分に負担させてほしいと伝えたが、「明日は我が身なので」と遠慮された(音声のみ)

その、後で調べたことなんですけど、その保健所も、その地域によって違うんですよね。で、濃厚接触者に認定されて、PCR検査を受けます。そうすると、そのPCR検査も、その病院にかかる費用も、全てまかなうところと、自治体っていうんですかね、あとは、その「初診料は有料ですよ、自腹で負担してください」っていうようなところと、さまざまなんです。

なので、その、迷惑をかけた、まあ、うつってはいなかったんですけど、迷惑かけたとするとすれば、そこなんですよね。その、濃厚接触者にしてしまったことと、あとはお金が若干掛かったっていうところで、まあ、うん。

ま、これに関していうと、そうですね、その、(自分が)「お金払うよ」って言った、ま、大した金額ではなかったんですけど、「お金払うよ」っていう話をしたんですけど、でも、「やっぱり明日はわが身なので。やっぱりそういう、実際かかってしまったその、本人からお金もらうわけには(いかない)…」と。まあ、(自分は)上司の立場だったんで、「いいよ、いいよ」とは言ったんですけど、「やっぱりその、人としてどうかっていうふうにやっぱりちょっと思ってしまう部分があって。そこは、いや、いいです」と。「(本人ではなく)会社から出るならいいですけど」みたいなことで、丁重にお断りはされたんですけど、はい。そこはちょっと、うつしてはいないものの、その、はら、まあ、出た費用に関しては、ちょっと、うーん、なんでこんなにそれぞれ(の自治体)によって違うのかなっていうのと、判定基準が違うのかなあっていうふうには思いましたね。

――すみません、ちょっと今、私、あの、フォローしきれなかったところがあったのが、ええと、その、かかった費用を払うよって、あの、ご自身が払うよと、その、えー、部下の方たちにおっしゃった。その費用というのは、それは、あの、何の費用ですか。

ええと、初診料、初診料ですね。自治体が負担しない初診料。ある自治体が負担しない初診料です(笑)。

新型コロナウイルス感染症の語り

「ママ病気なんだよ」と説明しても子どもには分からない。「汚いから来ちゃダメ」と、子どもも自分も泣きながらの毎日が繰り返された

で、お父さんが一生懸命、説明するんですけど、分かんないですよね、感染症とか。風邪でもない。やっぱつらかったのは、「ママはね病気なんだよ、ママ病気なんだよ」ってうちの夫が説明した長男は、その、3歳になったほうが長男、「ママね、キスしていいよ」って言うんですよね。で、それは、YouTubeで、風邪を引いた赤ちゃんにママがキスを「早く良くなってね」と、抱っこするYouTubeがあって、だから「ママ、キス、ママ、キスしていいよ」だか、「キスしてあげるよ」かな。私が、風邪っていうか、病気でもキスはできるというので、そういうふうに言ったんですけど、そのキスもできないと。

トイレに行くときはパパに「トイレごめん、行くね」って言って、そうすると「ママが出るから」って言って一生懸命、夫は子どもたちを押さえて、でもそれでも、ぱーっと夫の手をすり抜けて行くと、夫がこう、首根っこじゃないですけど、こう引っ張って戻して、もうその瞬間もう、もうなんかもう、阿鼻(あび)叫喚じゃないですけどぎゃーってやっぱ、泣いて、そんなのを見ながらもう「ほんとごめんね、ほんとごめんね」って言いながら、もう、説明ができない。なんでこういうことになったのか。

夫に一番感染させてもあれだから、そのー、…スイッチとか全部拭いて、だから行って帰ってくるだけじゃなくて、行きながら自分の痕跡を消しながら、で、トイレとかして、で、また元来たところ拭きながら戻る。もう、どう見てもおかしい、子どもからしても。「ママ何してるの?」「ママね、汚いから」って言って、「ママ汚いから触っちゃいけないんだよ」とか言って。でね、ドアのこういう、分かりやすく言うんですけど、下の子が、1歳半だったんですけど、当時。私がドアを閉めるときに、私が隔離、自分で自己隔離してた部屋は鍵がかかんないから、普通にドア閉めるしかないんですけど、で、そしたらこう、手をこう入れてくるんですね。ドアノブじゃ、あの、一生懸命、手を入れたら私が閉められないと。それで、ドア閉めさせないでもう「ママ、ママ」泣きながら。

夫もね、「駄目!ママんとこ行っちゃ駄目!」みたいな、やっぱ最後すごい怒るけど、「ママんとこ行っちゃ駄目」って怒るお父さんなんかいないじゃないですか。それが、もう多分、長男はね、なんかそれもびっくりして、なんかもうおびえちゃって、なんでパパこれで怒ってんの、みたいな。でー、もう、下のほうは泣き止まないし、私も泣きそうだし、長男も理解しようとして、なんでこんなに自分の両親が怖い顔して、自分たちがママんとこに行くのを引き離そうとしてるのか、一生懸命理解しようとするんだけど、もうよく分かんないような顔で、途中から夫(が言うに)は、上の子はなんかね、…泣かなくなっちゃったんですよ、急に。で、下の子が泣いてても「んー、ママ病気なんだって」とか言って、すごい、急に途中で、なんか冷めた感じになっちゃって、だからほんと無理やり大人にさせちゃったかなっていう感じで、すーごくそれはつらくて、そんな1週間、家であって。

新型コロナウイルス感染症の語り

その後3カ月くらい下の子は親の姿がみえないと大泣きし、上の子もチック症が出た。小児科で「不安の表れ」といわれたので、叱るのをやめ、いっぱい抱きしめてあげた

子どもの話で思い出すのは、あのー私が帰ってきたのはいいんですけど、その後やっぱり子どもの心と体、体はないですね、心ですかね。やっぱり結構な影響があったんですよね。で、やっぱりあの、ママが突然、自分たちの目の前から、消えたというか、感染症とかそのコロナってことが分からない子ども、年だったので、まあ結局、今も分かってんのか分かってないのか、分かんないんですけど。

しばらくはやっぱり特に下の子なんかは、私が一瞬でも家の中、家にいるのに、もう退院したから、なんかトイレに行ったりとか、一瞬でも、一瞬でも視界から離れると「パパどこー」みたいな、「ママいるー?」みたいな。ママがどっか行っちゃうんじゃないかみたいな感じで、発狂したような泣き方をして、あとは突然夜起きて、夜泣きとかそれまでしなかったと思うんですけど、「ママいる?」とか言って、結構、何て言うんですかね。あのー…、おびえるようになってしまいましたね。なので、それで上の子どもは、チック症っていうか、目をパチパチパチパチするような、ちょっとその、これまでなかった、ちょっと乱暴になってしまったりとか、そういう、今までとちょっとこの子変わっちゃったなっていうのがちょっとあって。で、心配になって小児科に連れてったんですよ、かかりつけに。

かかりつけの先生が、「やっぱね、それはもう不安の表れで、ママが突然こんなことになっちゃって、自分でも理解できないから、とにかく今は『ママは、ずっともういるからね、元気になったから』と、いっぱい抱きしめて、いっぱいハグしてあげて、とにかくなるべく一緒にいてあげて、もう安心するしか、安心させるしかないんだよ」って言われて。だから、その「チック症とかも多分、一時的なものと思うから、ストレスだから」と。「とにかくストレスだよ」って言われて、それで言われたとおりにもう、2カ月3カ月ぐらいかかりましたね。

それは。子どものその、ちょっと乱暴な。今も、意識的にもうなるべく一緒にいるし、あんまりもう、なんかこう、食べ散らかしたり、おもちゃ片付けないとかでも、もう全然、絶対怒るのやめようと思って、とにかくずっと一緒にいる、何かあっても。で、私もこう抱きしめてあげられることの、他愛のない、だけどすごくそれが、いかに幸せなことなのかってのをやっぱりすごく感じたので、もうすごくそれは幸せだなと思っていたので、もうずーっとギューってしてあげたいっていう感じだったので、で、そのうち、その次男の夜泣きとか、その長男のチック症っていうのはよくなりましたね。

新型コロナウイルス感染症の語り

私がなるわけないという気持ちがあった。可能な限り在宅勤務していたし、通勤ラッシュや人込みは避けるようにして、マスクもしていたので、感染経路が全くわからない

ただ、 私がなるわけないというふうに思う気持ちもあって、まあ、つまり、その、報道をする立場として、その当時、もう在宅勤務も可能な限りしていましたし、通勤ラッシュにも乗らないようにしていましたし、人混みを避けるようにはしていたし、マスクとかもしていたので、感染経路も全くわからない。というか、「違うかな、思い過ごしかな」と、思ったっていうのがその3月28日の午後5時ぐらいなんですね。

それで、えー、ま、当時、夫が家にいて子どもたちと留守番というか、その、土曜日だったんで家にいたんですけど、すぐ夫に電話して「においが全くわからないんだけど」って言ったら、夫も「え?」って言ったんですけど「それ、コロナじゃん」みたいな。いや、コロナかもしれないけど、コロナじゃないかもしんないっていうので、とりあえず、まあ、ちょっとその場で上司に電話をして、で、「今、会社にいるんですけど、私、においが全くわからなくなって、コロナだった場合ちょっとどうしましょう」みたいな。でー、上司に電話しつつ、夫にも連絡しつつ、とりあえずちょっと会社にいるので、ま、とりあえず家に帰って、で、保健所に連絡をして、保健所の指示を仰ぐしかないよねって結論になり、ま、マスクをして気を付けながら電車で帰ったんですね。

新型コロナウイルス感染症の語り

息子が濃厚接触の可能性ありとのことで、通園先の指示でPCR検査を受け、陽性と判明。保健所の指導はなかったが、幼いので隔離するよう言われてもできなかったと思う

――お子さんが濃厚接触者かもしれないという段階で、保健所とのやり取りが始まったと思うんですけど、その時点で生活の仕方とか、暮らし方というか、気をつけることとか、そういうのってかなり詳しく指示があったんでしょうか。

詳しい指示は、保健所からはなかったです。子どもが陽性になってから保健所とのやり取りが始まったので、それまでは保育園とのやり取りでしたので、特に、あの、こうしてください、ああしてくださいとは特に言われませんでしたし、(息子のPCR検査の結果を待っている間)私も、ま、どうせ、どうせっていうか、(息子が元気でいるので)多分陰性じゃないかなって思って過ごしてたので、ま、もちろん手洗いうがいはしっかりしますし、マスクもして生活はするけれど、うーん、あと、外出はしないっていうふうにはしてましたけど、家の中で、その、触れたところを全部消毒するとかそういったことは、もうやってもやりきれないので、だし、私もちょっとそんなにまめにできないので、あの、やりませんでした。

――そうすると、今度そのPCR検査の結果が分かって(息子さんが)陽性だって言われた後の保健所ですね。そこから保健所。それは、そのときにそのお子さんとの接触のあり方とか、あるいはお食事とか、お風呂とか、そういういろんなものですね、家の中の消毒とか、そういったこと全部、その辺はどんなお話をされたんでしょうか。

はい。その辺も特に詳しい指導はありませんでした。あの、それまでもすごく(息子と他の家族は)濃厚接触でしたので、そこできっちり分けた生活をしても、あの、「そんなに変わる?」っていうふうには私もちょっと思ってるところもありましたので。例えばそこからきっちり分けろっていうふうに言われても、それはちょっと難しかったと思います。子ども2人小さいですし、あの、1人でご飯食べさせるわけにもいきませんし、お風呂も全然1人じゃまだまだ入れませんので、そこは、やるなって逆に言われてしまったら、じゃあやってくれんのかいっていうような、あの、話になってきてしまうので、難しかったかなと思います。ですし、そういったことを、こういうふうにしてくださいっていう指導も、特にありませんでした。で、かえって、陰性だって、ほかの家族が陰性だって分かってからのほうが、「えーっ?」てなって。こんなに濃厚接触してるのに陰性だったら、もう絶対大丈夫だよ」みたいな(笑)へんな自信がもうあったりもして。特に陰性だって分かってからも、家の中での生活は特に変えませんでした。

新型コロナウイルス感染症の語り

自分は地下鉄通勤だったが、ドアツードアで1時間くらいなのでその間で感染したのかと思う。夏ごろまでマスクが入手困難でマスクをしていない人も結構いた(音声のみ)

――じゃあそのー、ご自身が今回、ちゃんと気を付けて生活されていたということで、その持病もあるから。その中でも感染したっていうのは、なんかご自身の中で心当たりってありますか。

全くないです。だから、それまでは、やはり、あの、マスクも徹底されてなかって、私は、地下鉄で通勤をしてますので、ま、約1時間もかかりませんけど、ドアツードアで、あの、1時間ぐらいみてますので、まあ、その間で…どこかで感染したのかなあとは思ってます。…それ以外、全然、見当もつかないですね。

3月にはね、 志村さんが亡くなられて、4月には、岡江さんがね、亡くなられてっていうこともあって、でー、コロナが大変だっていうのは皆さん、そういう意識は多分あったと思うんですけどね。でも、その頃はマスクも手に入らなかったですしね。あの、私はそういうことはなかったんですけど、あのー、たまたま以前、別に買ってた物があったので、ま、それが使えて、そういうのでは苦労はしなかったんですけど、あのー、マスクしてない方もやっぱり8月とか、いらっしゃいましたので、あの、スーパーとかに行っても、お年寄りの方とかが私の後ろにこう、並んでぴたっと付くんですね。

で、マスクもしてないので、「すいません、ちょっと離れてこの線にありますから、離れていただけないですか」って言ったら、あのー、…怒り出して、で、「何を言うんだ、おまえ」。でー、「くだらん」とかって言って、もうつばをぼんぼん飛ばすんですよ。もうほんと、もう泣きそうになりましたけど、そういう方がまだいらっしゃいました、8月って。7月とか8月とか、もうね、あのー、マスクなんか全然関係ないと、うん、言われる方もたくさんいらっしゃいましたね。

新型コロナウイルス感染症の語り

2020年3月当時はコロナの知識が今の半分くらいしかなく、そんな身近にコロナが来て、父が1カ月もしないうちに死んでしまうとは予想もしていなかった(テキストのみ)

――最初に、その、コロナに感染したって、その、お父さまと妹さんがって聞いたとき、ご自身一番最初にどんなことを思われましたか。一番心にきたことというか。

うーんと……そうですね、今もうコロナに対しての知識あるから…その当時は…コロナなんか関係ねえと。で、おやじだとか妹には会いたいなという気持ちのほうが強かったですよね…はい。

――当時、本当に、その、コロナについてって、どのぐらい、今と比べる、今が、今を例えば100%というか、10にすると、当時の知識ってどのぐらいだったと思います?

半分も行ってなかったと思いますね。はい。

――その、その当時、えっと、その、お父さまとか出掛けられるときにはマスクとかあんまりまだしてない時代、時期だったですかね。もうしてらっしゃいました?

そうですね、あ、ええと、マスクはしてたと思いますよ、確か。はい。

――でも、でも、なんか、そんな身近なこととはみんな感じでなかった。

うーん、そうですね。ここまでくるとは予想もしてませんでした。とにかくおやじも元気だったんで。うん、それが、あの、急に、ね、えー、1カ月もしないうちに死んでしまったっていうのがちょっと、まあ、ショックでしょうがないですよね。元気だっただけにです。はい。

新型コロナウイルス感染症の語り

第3波の流行でどこでもらっても不思議ではなかった。仕事がら感染防止対策は徹底していたのにかかってしまったので、どこで感染したか全く想像がつかない(テキストのみ)

――と、逆に、その、お心当たりというか、どこで感染したっていうようなお心当たりはありますか。

全くないです。

――その辺は、でもご自分で、悩みませんでした? あ、どうしてだろうって。

いや、いやもう、もうあれだけ、はやってましたから、もうどこでもらっても不思議じゃないっていうふうには思ってましたし、職場のほうで、結局、在宅勤務認めないみたいなふうな感じでしたから、もう、かなり私自身も、そうやって病院に出なくちゃいけない仕事っていうこともあったので、あのー、正直、他の普通の一般の方に比べると、かなり気を遣ってはいました。自宅で食事をするのも、あの、ぜーんぶ小皿に個別に分けて、おんなじ、例えばお皿、大皿から一緒につついて食べるとか、そういうことも一切しないようにしてましたし、うちに帰ってきたらば、もうそのままお風呂場直行してシャワー浴びてとか、もうそういうこう、何て言うんですか、持ち込まないようにもするし、もうかなり自分としては気を遣って感染対策していたにも関わらず、もうなってしまったわけで、もうこれはもう、どこでどういうふうにうつったかなんていうことは、もう想像もつかないと。まあ、もちろんその前に病院での仕事もあったんですけれども、病院なんか、なおのこと感染対策には、徹底してるわけですよ、皆さん、当然のことながら。なので、ま、病院でもらったっていうことも考えにくいしっていう状況なので、もうどこでどういうふうにとか分かりません。