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診断時:20歳
インタビュー時:49歳(2017年10月)
東北地方在住の男性。両親と3人暮らし。発症は幼少の頃と思われるが、診断がつかなかったため中学1年の頃から病院にかかっていなかった。20歳の時に体重が26キロくらいで、ふらふらになって大学病院に担ぎ込まれ、ようやくクローン病の診断がついた。その後病院で内科治療を始めたが、結局4回ほど手術をして小腸の大部分と大腸を切除してストーマとなり、また栄養摂取が困難になったため、在宅IVH(中心静脈栄養)をしている。現在は病状も落ち着いているので、主に在宅で仕事をしている。
語りの内容
一般的な、要するにサラリーマンとしての就労に関しては、うーんと、たまたまそれも、その障害者就労センターからのつながりというか、縁がいろいろあって、当時、10年前なんですけども、まだ障害者の就労の支援のほうがそんなに活発でないときに、うーんと、えー、ベンチャー企業で障害者の人の雇用の、…進めようという会社ができたんですね。
で、そこに、ちょっと相談に行ったら、東京のほうの、当時障害者の雇用を進めようとしていた企業さんのほうに就職することができて、で、そこで、もう、初めてと言っていいような形で、一般就労ですね、一般就労で就労しました。(障害者雇用制度を利用した一般就労という意味)
まあ、もう、そのときはもう、うーんと、障害者就労の理解のある就労の仕方を進めるってことで、在宅で就労しました。約7年ぐらい働いたんですかね。はい。
―― 在宅でのお仕事っていうことなんですけど、具体的にはどんなお仕事をされてるんですか。
主にパソコン使ったデータ入力であったりとか、あとはもう、これはもう、会社との関係なので、もう、会社のほうで、えー、その人に合った仕事を切り出してもらって、で、こちらもできることを伝えて、えー、それをやってくというやり方ですね。
あの、結構自分、うーんと、特例子会社で一時特例子会社で、精神・知的障害の方と一緒に働いてたんですけども、あの、できる仕事をどうやってつくってくかっていうのが、やっぱり大切かなと思います。
―― …それは当然、その会社との、何ていうんですか。
コミュニケーション?
―― 協議っていうか、交渉が必要になってくるわけですね。そういうのは、ご自分で直接やられるわけですね。
そうですね、はい。
―― その辺何か、その間に入ってくれる、うー、ような人とかっていうのは、特に公的なサポートみたいなのはないんですか。
ああ、うーんと、公的なサポートは今、徐々に整いつつあるとは思うんですけども、でも、まだ十分じゃないかなっていう気はしますね。どっちかっていうと、あの、うーん、何だ、事業所さん、要するに、あの、事業所さんに通ってて、そんで就職した方に関しては、事業所さんと通じてとかになるのかもしれないんですけど、あとはまあ、上司ですね。上司の方とかが入ったりとか、あとは、うーんと、企業によってはジョブコーチさん入っているとこもあると思うので、そういう方と、えー、密になってやってくとかってのはあると思うんですけど。
まだここら辺は、あの、自分が今までの見てきた中で発展途上というか、もっと改善の余地があるかなと思うので。はい
インタビュー10
- 小学校のころは、症状としては発熱だけで、下痢や腹痛はなかったのでお腹の検査はせずに血液検査、骨髄穿刺をやった。最終的に診断がついたのは20歳のときだった
- 宗教に頼って、しばらく病院に行かない時期もあったが、24歳の頃にラジオのパーソナリティーに影響を受け、宗教に対する考えが変わって病院での治療に戻った
- 10年前に障害者雇用でベンチャー企業に就職して在宅で7年間勤務した。会社にはこちらができることを伝えて、会社のほうでそれに合った仕事を切り出してもらっている
- 診断名を告げられた時は、診断名が分かってよかったという気持ちと難病で治らないという絶望的な気持ちの半々だった
- 通常在宅でIVHをやる場合は皮膚の下にポートをいれるのだが、自分は感染症にかかりやすいので普通にカテーテルを入れて2か月に1度くらい交換している
- 在宅IVHをやっているが、カテーテル感染することがあり、最初のころはカテーテルを抜いていたが、最近は抗生剤を使って抜かずに済ませることもある