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クローン病の語り

3回目の手術は小腸を少しと大腸の5分の4を切除して同時にストーマを造った。また、麻酔があまり効かなくて術後も3日くらいは痛くて眠れなかった

で、3回目(の手術)はもう、こちらの有名な先生が分かりましたので、ま、あの、外科のIBDで名の知れた先生に切っていただいて、まあ、今度の場合は、落ち着いた状態やけれども症状は、落ち着いた病状やけれども(下痢の)症状はちょっとつらかったのでストーマのための手術して。そのときはわりかた大きい手術で、え、12時間かかって大腸の5分の4、で、残存小腸が、3メートル弱と、が残るぐらいの手術をして。
で、ストーマを、なるので、先生に前日の、あの、お話しするときに、僕、ストーマになるのはもう決断してなんの憂いもないんですけども、なんかこの手術ってメリットありますかって聞いたら、あの、即座にそこにやっぱり一番がんのできやすい部位を全部取ってしまうんで、クローン病ががん化する、ま、リスクはあるけれどもかなり軽減されたって言われたんで。ま、一つの救いがあって良かったかなというような思いをしました。
それと3回目の手術は今度は、今度もやっぱり熱出したりとかしてまして何より、あの、麻酔が、背中からなんとか麻酔(硬膜外麻酔)っていうのを入れるんですけれどもお薬が全然効かないので。ま、3回共ですね、痛いままで、特に3回目がむちゃくちゃ痛くて、あの。もうこの痛さで3日寝られなかって、もう、前に普通に書いてある絵がなんか動きだしたりとか、あの、病院やのになんかSMAPの歌が流れだしたりとか、もう。多分、あの、痛いからどんどん、どんどん、あの、セーフのラインのいっぱいを麻酔打ってくれはったせいやと思うのに、痛くて痛くて。で、まあ、あの、患者会の仲間にこそこそと電話して「この痛いの、君、どうやった?」とか聞いて、ま、ちょっと、もうちょっとやったらようなりますよっていって。まあ、実際そのとおりなって。
で、もう一つも細かい話で。ベッド、僕、寝るときに頭を下げて、下げ気味のベッド位置にしていたら、で、おそらく腸が普通は上から下に流れなあかないもの上がってたんで。で、だから、それを3日目にようやく気付けて、体起こしてちょっと下に流れるようにベッドにしたらだいぶ痛さが減ったので、あの。そういう工夫もあって。もうほんま、殺してくれぐらい痛かったんですけれども、もう。で、ま、助かったなという思いで。

クローン病の語り

術後麻酔が切れた後の痛みと不快感が辛かった。また、腸が動き出さないと食事がとれないので、そのために動かなければならないのも大変だった

手術の思い出ですね。手術をやりたいですかと言われれば当然やりたくないです。で、やりたくない理由は痛い、これが第1ですよね。あの、麻酔が切れた後の痛みというのはやはり背中が重苦しい、えー、何とも言えない不快な状態が続くんですね。で、あの、鎮痛剤、痛み止めも時間を置かないと打ってもらえなかったりして、その術後の麻酔が切れたあとの痛みとの戦いですね、これがひとつ手術は大きな…何というか抵抗を感じるところ。
あと、もう一つ手術で嫌なのは麻酔をかける時ですね。あの、背中を丸めて背骨のところに針を刺して麻酔薬を打つんですが、(硬膜外麻酔)その時にやはり何とも言えないあの、ゾクゾクするような不安感がありましてね。そういうところで手術はもうできればやりたくないなと思ってます。

―― 術後の状況というのはどうなんですか。

術後はですね、まずあの腸が動くまでが一つの戦いですね。で、当然あのおなか何十センチも開腹してますので、お腹切ったところを糸で縫ったりですね、ホッチキスのようなもので止めてあるんですね。で、それがくっつくというのがもう一つの戦いで、傷口が治ること、あと腸が動いて食べられるようになること、これがあの術後の大きな乗り越える山になるんです。で、傷口についてはねあの、消毒、当然これも痛いんですけど、徐々に目に見えて治っていくのでこれはあまり心配はないんですが、腸がなかなか動いてくれない時がありました。で、腸が動かない時はもう食事が始められませんので、とにかく身体を動かすしかないんですね。で、痛い、塞がってない傷口を押さえながら、えー、病院内の廊下をぐるぐるぐるぐる回ると、そういったことを毎日やり続けると、それがなかなか術後辛いところですよね。

―― どれくらいの期間で退院できるんですか。

はい、腸が動くのに1週間ぐらいかかったことがありますね。で、それからやっと流動食が始まって、段々三部粥とかね五分粥とかお米の割合が増えていって普通食になってやっと帰れると。で、術後に早い人で2週間くらいですかね。傷口も塞がって食べるようにもなる。で、遅いと3週間とか4週間、そのくらい退院までかかります。

クローン病の語り

拡張術というのは開腹して広げるものと、ブジ―という鉄の棒で広げるという方法がある。自分は両方やったがいずれも腸閉塞の状態で緊急におこなったもの

今の会社に入ってえー、10年くらいたちます。その間、自営業、実家の飲食店で働いていた時に、手術を1回、大腸の狭窄で拡張術を受けまして、その後今の会社に入ってもう一度今度直腸の狭窄でやはり拡張術を受けてその間、腸閉塞などで何回か入院を繰り返していたんですが今のところは、腸管の切除はせずに拡張術で対応していたので、まだ腸の長さは普通の人と同じになっています。今現在はえー…狭窄が3か所か4か所あるということで、主治医には近い将来手術を勧められています。

―― その拡張術というのはどういうことをされるんですか。

一度目の大腸の拡張術は開腹手術で狭くなったところを広げて縫い直すという方法をやりました。で、2度目の直腸の拡張術というのはこれは色々な方法があるらしいんですが、私の場合には麻酔をかけて、ブジ―という鉄の棒でグリグリこう広げていくという方法をとりました。両方とも最初の拡張術は術後2週間で退院できました。2度目の直腸の拡張術の方は切開をしないということで3,4日で退院できました。

―― そうするとそれをするとその、食事の通りがよくなるということなんでしょうか。

そうですね。あのー、1度目の狭窄の手術の時はその少し前に腸閉塞の症状があって、緊急的に、ものすごい腹痛があったので救急車で当時通っていた病院に搬送されました。2度目の直腸の狭窄のほうでもやはり狭いところに、直腸に詰まってしまって、その時は自力で病院に行ったんですが、…やはりその狭い、腸管が狭くなるということで食事や排泄物が詰まってしまって腸閉塞の症状が起こるということで、それを広げることでほぼ、一時的にはその症状は緩和されるんですが、現在またその狭窄が何か所かあるといううちの一か所はやはり直腸がまた徐々に狭くなってきているというので、まだ今のところは腸閉塞の症状は起こっていないのですが、まあ主治医に言わせると、まあ近い将来そうなる可能性があるということです。

クローン病の語り

痔ろうの手術を何度もして肛門も緩くなっており、便漏れも度々あったので、このまま生活するのは厳しいということで、妻とも話し合って大腸全摘、ストーマ造設の決断をした

で、大腸全摘になった理由っていうのがまさに腸閉塞で、えーと、仕事中に、あ、仕事行く朝からもうかなりおなかは痛かったんですけど、時間たてば落ち着くかなと思い職場に行ったら、もう耐えられない腹痛になってしまって救急病院のほうに行ったら、もう閉塞、腸閉塞の状況になってて。
まあ、入院で落ち着くかなと思ったんですけどなかなか落ち着かず、まあ検査をしてみてかなり狭窄がひどいので。で、大腸のほうには潰瘍もかなり強いのがあったので、大腸に潰瘍が強いのがかなりあったのでそちらも、ちょっと取っておくっていうのもどうかなっていうところがあって全摘っていう話のほうに進んでいきました。

―― その、まあ判断っていいますかね、大腸を全摘しようというふうなことを決めたときっていうのは、その、まあお医者さんと当然お話をされたんでしょうけども、ご自身としてはどういうことで、どういうふうな決断をされましたか。

やはり妻、まあ、まだそのときは籍を入れてなかった状態ですけれども、やっぱり妻とはかなりそのとき相談しましたね。今後、もう付き合っている段階で結婚とかは考えていたので、まあ、これから障害者として生きていくんだっていう話を妻と結構しまして。
だた、私のほうも繰り返す痔ろうの手術とかで、肛門括約筋っていうのがだいぶ緩くなってしまっていて仕事の最中にもう漏れた、便が漏れたりとか、そういったこともあったので、私の中でもうこの状況でずっと生活していくのは厳しいなっていうところもあったので、私自身は前向きに大腸全摘とストーマ造設っていうのを検討してドクターと話をして、じゃあ、やっていこうかっていうかたちで進んできました。

クローン病の語り

痔ろうが悪化して痔ろうがんの心配もあったので、4年前に大腸全摘の手術をしてその時にお尻の方は閉じて永久人工肛門にした

―― 大腸全摘したっていうのは、いつ頃されたんですか。

大腸全摘したのは4年前ぐらいですかね。

―― そうすると、その製薬企業に就職される前なわけですね。

そうですね。雑誌編集のときに手術のほうは行っていましたので。

―― ああ。あの大腸全摘って、まあ潰瘍性大腸炎の場合は本当の全摘っていうかですね、あの直腸部分を含めて、えー、摘出するんですけれども、クローン病の場合、その大腸全摘って具体的にはどれ、直腸はある程度残すというふうに伺っていたんですが。

あ、もう、私の場合、痔ろうが複雑痔ろうっていうものになっていまして、だいぶ、痔ろうの穴が上のほうにまで延びてしまっていて。で、今回の手術、その手術の決め手になったのが、まあ主治医のほうからこういうタイプだと痔ろうがんのほうになりやすいタイプっていう話をされていまして、ちょっと人工肛門というのをかなり、あの、近いうちに考えたほうがいいっていう話をされまして。
まあ、私としてもがんというのはなかなか怖かったので、じゃあ、もう永久人工肛門を考えようかなと思いまして、もうお尻のほうも閉じて小腸までのところはもう全部取ったっていうかたちで。なので、もう大腸自体はもう全くない状況ですから。

―― そうすると、その小腸の先っちょが出てきて、なっているっていうことですね。

そうですね。ストーマで出ます。はい。

クローン病の語り

最初の手術は小腸と大腸のつなぎ目の切除、2回目は胃と十二指腸を繋ぐ幽門と直腸の切除で大腸ストーマも造った。3回目は大腸に穴が開いて緊急オペとなり、小腸ストーマになった(音声のみ)

―― あと、その手術を何回かされているということなんですけれども、具体的にはどういう手術をされたんですか。

えーと…、あの、痔ろうの手術は何回かしているんですけど、多分2~3回で、開腹も3回ぐらいちょっと増えまして、はい、あの開腹の手術もしたと思いますね。

―― 開腹の手術っていうのはどういう、小腸ですか。

そうです。初めは小腸、大腸のつながっているところが狭窄(きょうさく)を起こしていて、切ってオペして、切ってつなげたっていうのが初めで、で、あとは大きくはその1回、そうですね。
えーと、2回目は、ストーマになったときかな、だったんですけれども、幽門、胃と十二指腸のつなぐ幽門が、狭窄を起こして切除プラス、えーと…、直腸狭窄が起きていたので、もうそこは使えないというふうになって、まあストーマ、大腸ストーマになるということでやったというのと、ここ最近なんですけど、1~2年ちょい前ぐらいにちょっとあの、(大腸に)穴が開いてしまいまして緊急オペに翌日なったんですね。
それで、あの大腸に穴が開いたのでもう使えなくなって小腸のみで今、ストーマの緊急オペになりました。それの3回が大きな開腹オペ。あとは痔ろうとかのでそんなに、うん、下半身麻酔みたいなのです。うん。

クローン病の語り

なるべく腸を切らないという主治医の方針もあってぎりぎりまで我慢したが、ついに腸閉塞を起こして切らざるを得なくなった。その際、腸を休めるために小腸ストーマを造った

―― それで手術をされたということなんですが、その手術はどういうような感じだったんですか。

えー、手術は、ずっと手術を勧められることはあったんですけど、あのー、昔、20年前くらいはあの、なるべく手術をしないように、なるべく腸を切らないようにというふうに先生が言われていたので、えー、ぎりぎりまで手術を我慢するような形で行ってたんですが、いよいよ腸閉塞、腸が細くなって、物が通らなくなる状態になってしまったので、そうなるともう手術しかないのでですね、そこで、手術、いよいよのぎりぎりに手術になったという感じだったんですけれど、あのー、そういう風に無理を重ねてたということがあったので、体の方の栄養状態がですね、とても悪い状態で手術をしなければならなかったので、その後の経過をですね、切った腸がつながるかどうかというのを先生が心配されていて、で、そこであの、2回目の人工肛門を開けて、まずは腸を休めましょうということで、腸もたくさん取ったんですけれど、その時の手術で2回目の人工肛門を造ることになりました。

―― Q:その時には大腸も一緒に切ったんですか。

最初は小腸だけの炎症だったんですけども、やはり繰り返すことによって大腸の方にも炎症が及んでしまって、大腸にも狭窄部分ができてしまったので、それと小腸と大腸の癒着がありまして、その間に、腸と腸の間に瘻孔があったということで、結局は大腸の半分も取らざるを得なかったということで、小腸のストーマを開けることになりました。

クローン病の語り

29歳の時に腸閉塞部分を切除する2回目の手術をしたが、1回目の時のように劇的にはよくならず、36歳の時、今から3か月前に3回目の手術をした

で、そのときは、ちょっともう結婚をしていて子どもを考えていたときで。で、もう腸が狭くなっていて、腸閉塞になったんですね。で、それでもう腸閉塞になってる、あ、はい、なってしまったので、もうやっぱり手術。腸閉塞を結構繰り返していたので、あと、まあ、そういう妊娠っていうのを考えたときに、その状態ではやっぱり難しいってことで手術をしました。それが2回目の手術で、29歳のときです。
で、そこから手術をして、えっと、手術をしたんですけど、やっぱりなかなか状態が、あの、初めの手術のときみたいに、何か劇的に栄養状態が良くなったかっていったら全然そういうわけではなくて、手術をしたから、まあ、その狭い所は恐らくなくなったと思うんですけども、何かちょっと1回目のときの手術の感覚とは何か違う感じで、すごい良くなったっていう感覚はあんまり感じられなかったですね。
で、まあ、多分、その病歴もだんだん長くなっているので、そういうのもあると思うんですけど、それでもまあ、腸閉塞にならなくなったっていう安心感はあったので、その後、でもなかなか、他にも症状があって、そこだけじゃなくて他にもいっぱい多分潰瘍があったので、その、すぐまた妊娠っていうのがなかなかできなくて。狭い所はないんですけども、結局そこから子どもを産んだのは何年後かなんですけど、そこからまた7年ぐらいして、子どもが3歳のときにまた腸が狭くなってきて、今度2人目の妊娠を考えたときに、またちょっと腸が狭いってことで、3回目の手術をしたのがこないだ、つい最近なんですけど、えっと、36歳の、ほんとに今、3カ月前に手術をしました、はい。それが3回目の手術です。

―― その手術っていうのは、その小腸を、その詰まった所を切るっていうことですか。どれぐらいの長さを切るんですか。

えっと、ほんとに、何か腸が狭くなって、狭窄(きょうさく)をしている所をできるだけ、何か先生も短く切りたいっていうことだったので、あの、あと、もう近くに、その狭い所の近くにひどい炎症があれば、そこもまとめて切っちゃうっていうふうな感じで、私は、多分そんなに、毎回50~60センチぐらい、今回は多分30センチぐらいだったと思いますね。
だから、えっと、すごく腸が、3回手術してるんですけども、あの、腸が多分、全部まとめてもみんな、半分になってるってことがないぐらいです。(半分以下にはなっていない)

クローン病の語り

段々悪くなってイレウス(腸閉塞)を起こすようになり、主治医と相談して手術に踏み切った。その頃は腸が短くなっていたので、最悪ストーマになることを覚悟するよう言われた

―― その後、えーと、3回目の手術はだいぶたってからですかね。

そうですね、もう、はい。医者になって初期研修の2年も終わって、脳外科に入って、脳外科でしばらく活動を続けて。
で、その間にやっぱりだんだん悪くなってきていたのは自覚していたんですけれども、まあ、あるところでやっぱり狭窄がひどくなってしまって、で、もう度々イレウスを起こすようになってきましたので、ちょっとこれはもう難しいなということで、じゃあ3回目の手術をしましょうかと主治医の先生とも話をして。で、踏み切ったっていうかたちですね。はい。

―― そのときは、やはり小腸の一部を切除されたんですか?

そうですね。はい。
もうなるべく、もう残っている小腸も、あの、少なくなってきていますので、あの、こう最低、必要最低限のところだけを取って、まあ、2カ所ぐらいだったんですけど、それで、こうつないで、つないでということをやるから、はい、あの、まあ…、場合によっては、こう人工肛門になったりとか、あとは埋め込みのCVポート(在宅でIVHを行うためのポート)を使わないともう栄養は取れなくなるとか、あの胃ろう(注)を作らなくちゃいけなくなるとか、そういったことも覚悟の上で手術受けてねと言われて、うん、そうですか、と言いながら(笑)、手術を受けたのは覚えていますね。
まあ、運がいいことに、あの残った小腸はそこそこ、あの、頑張ってくれたのでいまだに、まあ人工肛門も、PEG(ペグ=胃瘻のこと)も、CVポートも作らないでは済んではいるんですけれど、まあ、ぎりぎりで(笑)、動かしている感じですね。はい。

―― 今、小腸は何センチぐらい残っているんですか。

そうですね、残存小腸は、まあ150センチぐらいだろうと言われていますね。

―― と、それって半分ぐらい。

そうですね。あの小腸っていうのは、あの、生きているときの長さと、あとお亡くなりになってから、こう取り出して測ったときの長さっていうのが全然違う臓器なので、はい、こう生きている状態での150センチっていうのは大体半分ぐらいだろうという認識で、でいいんじゃないのと、えー、説明されたっていうのは覚えていますね(笑)。はい。

(注)胃に穴をあけて体外から管を通し、直接栄養を投与する方法

クローン病の語り

発症して10年目にいつもと違う次元の腹痛があり、緊急入院したら腸管から中のものが漏れていると言われて緊急手術となり、小腸の3分の1を切除した。その2年後には大腸の全摘もした

まあ、そんなかんだでこう…十何年目だったでしょうか、家族旅行から帰ってきた翌日に腹痛で、病院を受診しようと思ったときにいつもとはもう全く違う次元の痛みがありましたものですから、まああの、即地元の胃腸科に行ったんですけれども。えーと、もうおなかに中の物が出始めてるというような状態で、で、即刻これはもう手術をしないといけないというようなことがありました。で、これがまた、あの、ゴールデンウイークの真っただ中でして、で、地元の病院では対処できないということで、え、総合病院のほうに急転院。で、そこで開腹手術をして、ま、小腸の3分の1ぐらいを撤去しました。これが外科的手術の初めてのときです。
で、その後、また2年間ぐらいは落ち着いていたんですけれども。で、今度は大腸のほうにこう、だいぶ病状が、あの、激しい所があるよということで、ま、たまたま、あの、検査で分かって。ま、開腹手術を一回やってしまうと、ま、2回目というのは割とこう抵抗なくできるもんかと思っていたんですけれども、もしかしたら、その、人工肛門にしなければいけないかもしれないというような説明がありまして、これは非常に、あの、やはり迷いました。
ま、そんときに、あの、同じ患者会の先輩から、「そのままにしてても良くなるわけではなし、ま、次の一歩を踏み出してみては」ということで背中を押され、え、大腸全摘の手術に臨みました。これが2回目の外科的手術です。で、え、幸いにも人工肛門のほうはもう取り付けをしなくて、え、大腸全摘で多少、あの、便の回数が増えたのと、食事をこう、こまめに取らなければならないとか、ま、いろんな制約はあるんですけれどもだいぶ楽になりまして。それからは、あの、大きな入院というのは経験しておりません。