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クローン病の語り

自分もクローン病だし、主人はクローン病の他に1型糖尿病もあるので、経済的にも子どもはちょっと難しい

―― 例えば、その、お子さんを持つとかっていったことについてはその当時考えられたことはあったんですか。ま、37だから、可能性はあったかと思うんですけど。

あの、うちは、あの、主人が、ええともう、正直いいますと1型の糖尿病でもあるんですね、あの、クローン病の合併症っていわれてるんですけれど、なので、もうなんか、医師からもう取りあえず今この薬っていうか、まあ、注射してインスリンに頼って生きてるので。ま、あのー、子どものことはちょっとしばらく待ってって言われてたこともあったんでっていうのと。まあ、なんていうのか、うちはもう、その、経済的に、こう、病人病人なのでなかなか自立してなかったっていうのあるので、子どもを持とうということは考えてなかったっていうのありますね。

―― 分かりました。

やっぱりどうしてもお金もかかるし、どっちかが入院したときどうしようっていうのがものすごく頭にあるので。ですよね。

クローン病の語り

病気を抱えて結婚して子どもを産むとなると、仕事を続けるのは難しいだろうと思い、今は仕事を取るべきと考えた(音声のみ)

まあ産めないわけではないと、あの、お医者さんからは言われていますけれども、それも個々の患者さんによって相当違うので私の場合はちょっと、私の主治医の先生はうーん、まあ、リスキーではあるよねっていうような、年もその頃そんなに20代とかではなかったので。そういうこともあるし。あとはまあ、飲んでいる薬も免疫系の薬なので、子どもへの影響がちょっとわからないということは前からいわれていたので、あまりこう若い頃から、あまり子どもをもつ家庭というイメージが自分のなかにそもそも期待していなかったのかもしれないですけど、あまりなくて、なので別にそのことですごく落ち込んだりはしてないんですけど、そういうものかと思ってたんですけれど。そういう相手にすごく求められると逃げたくなると。(笑)そういうことはありましたね。自分の病歴(注:病気のこと)を勝手に調べられるのはちょっといやだったかなって思います。
ま、できれば授かればと勿論思ったことはありましたけれども、結構その時点でもう30超えてましたし、あとはやはり仕事がやっぱりあの、大事な時期だったので、そこで普通の健康な人のように仕事との両立っていうのは多分無理だろうと。(本人注:最初の主治医の先生に大学時代から「仕事と育児の両立は期待しないように」といつも言われ続けてもいた)場合によっては入院して管理しなければならなくなると思うので、そうなると多分全部キャリアがなくなってしまうだろうと思ったので、そこでかなり悩みましたけど、やっぱり今は折角仕事がうまくいきそうな時期なので、そこは、自分はそっちを取るべきではないかと思って。まあ、それが正しかったのかはよくわからないですけども…子どもよりは仕事の方が自分である程度コントロールできる。頑張ればある程度結果が出る。子どもってやっぱり、別にクローン病の方に限らず、私は基本的に授かり物だと思っていますから、そこはやっぱり、そこに賭けるのは、うーん決心がつかなかったですね。

…やっぱりまあ、ただ結婚してあの二人の生活っていうだけであれば、特に、特段大変っていうことは思わないと思うんですけども、やっぱり、あの、出産と育児っていうことが入ってくると、うーん、そうですね、・・ま、体力的な面で、うーんと、どうしても普通の人よりは、ないかなっていう風に思うので、ま、例えばすぐに疲れるとか、それから、うーんと、やっぱりその免疫系の薬であるとか、あとレミケードみたいなものを打っているので、どうしても感染し易かったりするので、そういう意味でも何かしょっちゅう何かに感染したり、何か風邪ひいたりとか、何かそういうことをするので、そんな状態なので、それで、えーと、ね、子どもを育てるっていうのはなかなか大変だろうなっていう風に思いましたね。

クローン病の語り

子どもを作るときはサラゾピリンの服薬は中断していた。子どもが生まれるまでは特に悪化しなかったが子どもが生まれてから夜泣きなどで睡眠が妨げられて体調が悪化することがあった

―― えー、お子さんもいらっしゃるというお話なんですけれども、その、お薬を飲んでおられたと思うんですけれども、それがその妊娠に影響するようなお薬っていうのは特になかったんですか?

あの、ご承知のように、あの、えーと、サラゾピリンでしたっけ、は精子少なくなるっていうんで、実は子どもがつくりたいっていうのは当時の主治医には相談して。えーと、まだそのときは低量の、ステロイドも取ってたんで、薬を切るために、すごく体調を整えて第1子は産まれるんですけど。  だから、そ、そういう意味では、す、すごく頑張ってできた子っていうのが自分の中では、あ、いや、ふ、2人の中ではすごくあって。だから、子どもができるように、いろいろ、いろいろ先生にもご相談、当時の先生にもご相談して…、薬は、ほぼ、ほぼ切ってたと思います。

―― で、その薬を切ることによって、逆にそのクローン病が悪化したりとかいうことはなかったんですか?

薬を切ったからかどうか分かんないんですけど、実際に第1子が産まれてからはすごく体調が悪かったのは事実なんですよね。私、女性じゃないんで本来は家内が悪くなるんでしょうけど、やっぱり夜寝ないですし、子どもは。  だから結局、寝たいときにやっぱり起きるんで、確かに子どもができてからはすごく体調が一時、すごく悪かったのは事実ですね。

―― で、お2人いらっしゃる。

子どもは3人もいまして。

―― あ、3人いらっしゃる。お2人目と3人目のときはどう、同じような状況だったんですか?

3人目って要は3人って、2人目は3人目、あの双子なんで、えーと、それはもう田舎に帰ってで、逆にある程度安定してたんですね。長男と4歳離れてできている子なんですけど、まあ、そのときも、まあ、1人の男の子はよくないと周りがうるさく言うんで、一人っ子はよろしくないと言うんで(笑)、次の子が欲しいなと思ったら何もせずにできた双子、あの、べつにその、な、何の作意もなくできた双子なんですけど。で、双子のときは、もうできたからって体調悪くならなかったのは、恐らく鈍感になってまして、親として、あの、夜泣きもあんまり気にならなくなっていたと思います(笑)。

―― そのときも、やはり薬を何か調整されたんですか?

そのときも飲んでいないですね、確かに、薬はなるべく控えていたと思います。

クローン病の語り

サラゾピリンを飲んでいた時に精子を測ったら少ないことがわかったので、それからペンタサにきりかえたら精子の数も戻っていて子どもを作ることができた

―― で、その後、ま、お子さんも生まれたということなんですけれども、ま、その、妊娠に対する、その、薬の影響とかっていうのは特に心配はなかったんですか。

そうです、実は、あの、ずっとサラゾピリン飲んでまして、あの、あれは精子を変形さしたり減らしたり、奇形はないけど取りあえず妊娠できないっていうので、ま、ま、そのとき、飲んでるころはそんなもう、え、気にもしてなかった。 あるとき、ま、結婚の話もあったからやったかな、なんかの機会がありまして自分の精子を泌尿器科で測ってもらったら、なんか先生が深刻な顔されて、これはもう、あの、ちょっと大学病院のほうでちょっと見てもらわんぐらい精子が少ないですって言われた。え、そんなんですかって言われて。実は僕、サラゾピリン。そのときは医者にサラゾピリンの話ししなかったと思うんです、思いも付かなかったので。で、けど、帰ってゆっくり考えたら、そや、サラゾピリンなんかそんなん書いてあったなと思って、あの。 結局そっから、ペンタサに変えたりとか、そんときはレミケードを打ったりとかしてそこでぴたっとサラゾピリンやめてしまって。で、数年たってもう、僕、自分も心配ですので結婚と関係なしに精子どうなったか調べていただいたら、なんか先生、サラゾピリンのこと言ってないがゆえに「戻ってるわ、どないしたんやろ?」ってびっくりして。結局、サラゾピリンのこと内緒にしてしまったんですけれども。  で、まあ、だから、妊娠可能なこっちは状態になって良かったなというのがあって。ま、それで奇形児ができるとか、そんなんあんまり、というか多分、学問的にはないやろうというのはなんか勉強して知ってましたので、あの。ま、それでめでたくできたかなと思います。

クローン病の語り

将来子どもはほしいと思っているので、今飲んでいる薬を飲みながら妊娠しても大丈夫かと心配していたが、最近薬を継続しても大丈夫だという指針(注)が出たようなので少し安心している

―― あの、将来的に、あの、ご結婚とか、された場合にですね、お子さんとかも考えておられます?

そうですね。子どもは欲しいなとは思っています。ただ、その…、今年に入って確か妊娠、出産…、するに当たってアザニンだとかヒュミラ、レミケードだとかのお薬を継続しても大丈夫ですよみたいなマニュアルが出たはずなんですけれど、それが出るまでは本当に何か病院ごとの対応だったり、先生の考え方だったりとかで、これを飲んでいる間は妊娠してはいけません、みたいな先生がいたりだとか、いや、飲んでいても大丈夫だよって言う先生がいたりだとかしたって聞いてたので、何かその免疫抑制剤もやめられない状況で、ヒュミラも打たなきゃいけない状況の私でも子どもを妊娠できるのかなとか、産んでいいんだろうかとかっていう葛藤はすごくありました。で、TwitterとかSNSでその同じぐらいの年代の女の子たちと、同じクローンの女の子たちと情報をやり取りして、何か私の講習会では大丈夫だって聞いたよとか。で、もし産んでから…、母乳をあげるにしても母乳への移行は少ないって聞いたよだとか、そういう情報をすごくやり取りしてましたね。  で、今回、その継続しても大丈夫っていう指針(注)が出たので、少し安心して妊娠とか出産してもいいのかなっていうふうに思ってはいるんですけれど。  ただ、病状がどうしても悪い状態が続くと妊娠しにくかったりもすると思うので、そういうところは、その、お付き合いしている方にも伝えて、それでもいいよとは言ってもらえたので、理解がある人でよかったなとは思っていますね。

(注)新しい指針:厚労科研(難治性疾患等政策研究事業)「関節リウマチ(RA)や炎症性腸疾患(IBD)罹患女性患者の妊娠、出産を考えた治療指針  https://ra-ibd-sle-pregnancy.org/

クローン病の語り

今飲んでいる薬は妊娠が分かった時点ですぐに止めるものと、数週間後に止めるものがあるようなので妊娠がわかったらすぐに主治医に報告するように言われている

―― あの、ご結婚されたばっかですけども、あの、お子さんとかね、考えておられるかもしれないんですけど、その、お医者さんからは何か言われていますか、薬のこととかで。

はい。えーと…、主治医の先生はかなり専門性の高い先生に診てもらっているので信頼してはいるんですけれども、あの、やはり妊活を始めてから3年ぐらいたって、まだやっぱり授かっていないという状態なので、授かりにくいのかなっていうのは自分では思っています。それを踏まえた上で主治医の先生と相談して、あの、やっていっているところですね。

―― その、今飲んでいる薬とかは、その妊娠とか出産に対する影響っていうのはないんですか?

今飲んでいる薬は、えーと、子どもができていると分かった時点で中止する薬も含まれているとは聞いているので、あの、できたらすぐに報告してくださいとは言われています。

―― そうすると、その、妊娠期間中はその薬を止めるっていうことになるわけですか?

そうですね。ちょっと、そこのところは、どの薬がっていうのは聞いてみないと分からないんですけど、えーと、すぐにやめるものと、あと何週に入ったらやめると、あの、なっているものがあるみたいで、そこは、あの、主治医の先生と相談しながら、という感じですかね。

クローン病の語り

診断がついたのが高校1年の5月で、夏まで入院していたので「不登校」じゃないかといううわさまで出た。その後も毎年入院して、点滴の針を刺したまま学校に行ったこともあった

それで診断が付いたのが高校1年生の5月のときで、で、そこから絶食ですよね、絶食して点滴、持続点滴して。で、大体、最初は3カ月ぐらい入院していたと思うんですよね。夏休み期間中も、大体入院していたので…、うん、夏休みぐらいまで入院してましたね。
で、「あの子は不登校なんじゃないか」みたいなうわさが立つぐらいになったんですけど、でも、あの、学校に出るときに担任の先生に何となく説明してもらって、で、病気で休んでましたっていうことで、うん、復帰して、しました。
で、うーん、高校時代は、そうですね、その後も1年に、何カ月かの入院を1年に1回は繰り返しているような状況で…。
でも、その中でも主治医の先生とか、あの病院の栄養部の方に協力していただいて点滴を外し、点滴の針を入れたまま病院に外出っていうかたちで病院から学校に通学させていただいたりだとか、あと病院食をお弁当箱に詰めてもらって、えーと、みんなと食べたりだとか。もちろんエレンタールだけのときもあったんですけど、そういうかたちで学校生活を送ることができてました。
で、入院してたんですけど何か他にやることもなかったので勉強は、まあ、まあできて(笑)、それで、うーんと、大学はちょっと都会にある国立大学を目指して。で、結構受験のときはストレスも大きくて下血したりだとか、発熱したりとかすごい状況だったんですけど(笑)、それでも何とか合格して4月からストレートで入学することができて、通い始めることができました。

クローン病の語り

大学受験の時も試験中にトイレで時間ロスがあって、現役の時は失敗した。しかし翌年合格した大学の試験の時だけは不思議と調子が良くて試験時間中にトイレに行かずに済んだ

―― その大学受験のときとかですね、その試験場でトイレへ行きたくなったりとかっていうことはなかったんですか?

ええ。それが実際に、まあ頻回にありまして、えーと、予備校に入っていたときは模擬試験なんかも多かったんですけれども、まあ、そういうときも、あの、なかなか、長い時間座って受け続けるっていうことができなくて、まあ、大体1回トイレに行ってしまうっていうことが多くてですね、まあ、その分時間のロスになったりとかっていうことがありました。
が、えーと、自分が合格した大学っていうのは1つだけだったんですけども、その大学を受験する日だけはですね、不思議と、まあ調子が比較的よくて、朝から夕方まで、あの、試験時間中にトイレに行くっていうことはなく受験できたので、まあ、ラッキーだったなと思っています。

クローン病の語り

中学の時は体育祭も参加したが、高校の時は全部見学だった。また、修学旅行の時は事前に旅館に電話して特別食を用意してもらっていた

―― 修学旅行とか運動会とか結構学校行事ありますよね。そういうのはどういう風にやってた?

あのー、中学の時は正直さっきの話の通り、なんか、あんまり病気がわかってなかったから、まあ、体ちょっと動かしてたりしたんで、中学の時の体育祭は出ましたね。ちゃんと、なんか走ったりもしたし、何か、組体操みたいなのもしたし、中学の時は出たんですけど、まあ、高校の時は本当に一番症状が酷くて、高校の時はもう全部見学って感じで、テントの中から体育祭は見させてもらって、で、中高ともに修学旅行はもう、母と一緒に電話とかで、その宿泊先とかにお願いして、ごはんこういうのがいいですとか、本当に申し訳ないですけど、みたいなのも全部電話して、あと、保健室の先生とか学年主任の先生とかに頼んで話通して行きました。修学旅行は。

―― じゃあそれは、かなりお母さんが協力してくれて、事前に学校と調整して、

ああ、そうですね。

―― 準備をして行った。

はい。

クローン病の語り

小中学校時代というのは、みんなと同じであるというのが美徳になりうる時期なので、病気の子はそれに対して負い目があるのは間違いない(音声のみ)

やっぱり小学校とか中学校の頃のイメージが僕はすごく強いんですけれども、あの、高校ぐらいになるとそうでもないんですが、小中学校というのはやっぱり、あの…、みんなと同じであることっていうのが、あの、美徳になり得る集団なのかなという部分。
 で、もう、その患者さんのお子さんとかがいらっしゃったら、そのお子さんは自分はみんなと違うっていうのは、もう痛いほど自分では分かっている。だから、もう、そもそも、あの、そういう集団に対して若干負い目があったりすることも、方も多いと思うんですけども、そういう部分で、あの、後ろから先生方が、あの、大丈夫だよっていう雰囲気を出してくれるだけで子どもさんたちは随分、あの、安心されると思うんですよね。
 なので、あの、特に、あの、あんまり小学校、中学校とかの発症、少なくはないとは思うんですけども、その、まあ、思春期とかそれぐらい特有の悩みっていうのがあると思いますので、その部分については、まあ、小中学校の先生は大変お忙しくされているっていうのは昨今ニュースなどで聞いていますけども、あの、ご協力いただければ、あの、お子さんたちも、あの、快適な学生生活を送れるのかなっていうところで、あの、お願いしたいところではあります。