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クローン病の語り

保健室の先生には痔ろうの状態を診てもらったり、保健室で(ガーゼの)付け替えもやらせてもらっていた。学校ではこれ以上の手助けはないというくらいだった

あ、ちょっと保健室の話に戻るんですけど、一つ、もう一つあるんですけど。僕お尻が悪かったんですよ。だから、実は保健の先生に、お尻痛い時診てもらってました。保健の先生に普通に。ちょっとお尻見せるの恥ずかしかったんですけど、先生今ちょっとどうなってますか、みたいな感じで。保健の先生に診てもらったりもしてました。それも母と二人で頼んで、してもらうようにしてました。付け替えとかもあったから、その保健室でしなくちゃいけなくてですね。

―― 自分で?

そうそうそう。

―― なるほど。今振り返ってみてね、こういう手助けがあったらもっと中学高校楽しかったんじゃないかなというようなことありますか。

うーん、でも僕は、…もう十分ありましたね、手助けは。だから、何かこれ以上の手助けないなって感じでしたね。だから、でもただ、手助け云々というよりか病気によってできないことの方が多く・何か、根本的な違いなんですけど、なんか病気だからできないことに悲しみを覚えてたんですけど、その、病気だからしてもらえることに関しては全然何もなかったですね。もう、そこまでしてくれるのかみたいな、逆に感じだったんで。はい。

クローン病の語り

中学時代は病名もわからなかったので、症状があっても我慢して友達にも先生にも言えなかったが、高校に入って病名が分かり、先生に病気のことを伝えられて気持ちが楽になった(音声のみ)

やっぱり学校生活ってこう何時間の授業があって、で、休み時間と、ま、そういうような、勝手にお手洗いにいけるような環境ではないですし、まあ、授業中に行きたいといえば行けるのかもしれないですが、それは非常に言いづらいので、ま、相談もしなかったしできなかったですし、そのときは病名もわからなかったので、えーと、やっぱりそういうトイレに行けるのか行けないのかとかそういうことが不安でしょうがなかったかなーというのと。
後は何かまあ、お手洗いでお腹壊してるというのが嫌なので、人がいないようなお手洗いを探してわざわざ外に行ってみたりとか。休み時間はなんかほぼそのことで終わってしまうので全く休まらず。

そうですね、でも別にそのことを友達や先生に言おうということは全くその時点では思いつきもしなかったですね。それは何故なのかはちょっとよくわからないのですが。多分病気とは言われていなかったというのもあるでしょうし、えーと、近所の小さい町医者に行ったところ、ま、町医者レベルですとその頃はクローン病とか潰瘍性大腸炎とかま、そういうような病気は知られていなかったと思いますので、なんか簡単に受験ストレスでしょうみたいなところで、メンタルの問題にされてしまって、それで何か自分としてはショックで、これ以上やっぱり言えないという、なんか、親にも言えない。なんかこうメンタルが弱い子みたいな風に思われてしまうのが嫌で、すごくそれでギリギリまで我慢をしてしまった、というのが自分の中では辛かったかなと思います。

まあ高校に入ってからは、まあ、一応担任の先生にもこれこれこういう病気がありますので、ちょっと皆さんと同じことはできないことがあります。体育などはちょっとステロイドも飲んでますし、っていうようなことは話してたので、その分は気が少しは楽になりました。
ただ、やっぱりみんなが体育をやっているのに自分だけできないであるとか、どうしても圧倒的に体力がありませんので、ステロイドを飲んでいるせいなのかわからないですけれども、なんか妙にすごく元気になる時もあれば、その後の何とも言えない疲労感っていうか耐え難い疲労感?っていうのがものすごく辛くて、それをやっぱりうまくコントロールできていなくて、そのあたりがやっぱり辛かったかなと思います。

クローン病の語り

中学高校の先生には両親から話をしたが、ステロイドの関係で体育の授業を休むくらいの説明で、当時はあまりわかってもらえなかった。保健室の先生はよく勉強してくれて、相談に乗ってもらった

―― 学校の先生とかには、ご両親のほうからご説明されたんですか?

そうですね。説明しているんですけれども結局、もう本当にクローン病って今はちょっとは、ちょっと少し、まあ、患者さんも増えているのであれでしょうけど、当時は説明をしても、まあ、分かってもらえないというか。まあ、おなかの病気っていうふうな説明はしていたと思います、まあ、担任の先生とか。  で、やっぱりその後、ステロイドとかを飲んでいたので、まあ、体育とかはちょっと休むことがあるかもしれないというような説明ぐらいで、まあ、その他は、まあ、トイレにすごく、私に関しては困っていなかったので、えーと、その辺ぐらいの説明で、まあ、とく、あとはその保健室の先生ですかね、に説明をされて。  で、高校時代の保健室の先生には結構詳しく。で、その保健室の先生は結構勉強をしてくださって、まあ、私もちょくちょく相談に行ったりして、あの、相談応じてくれたような記憶はありますけど。はい。そんなところです。

―― じゃあ、あの、お友達なんかには病気のことをお話しされました?

そうですね。あの、うーん、まあ、入退院をかなり繰り返していたので、友達は、まあ、何かしらの病気を持っているとは知っていたんですけど、私のほうから実はね、こういう病気でって詳しく説明することはなかったですね。やっぱり言いたくないというか…、まあ、難病ですし、もう、その「難病」っていう言葉を、まず使いたくなかったのと…。
で、実際には食事制限、食事も気を付けるような生活を送っていたんですけど、だからやっぱりそういう制限食をしているんだっていうのもあんまり知られたくなかったので…、うまいこと逃げたというか。

クローン病の語り

中高大と学年が上がるごとに母が学校の先生に話して配慮してもらっていたので、自分も友達に病気のことは隠さず話していた。友達に恵まれていて本当にいい学生生活だった

―― 中学生のころに、ま、調子が悪くなったということなんですけれども、その、学校の先生とか友達には何かこう話しをしました?自分の病気のことで。

あ、それは勿論しました。あのー、…実は伯母も同じ病気で、やっぱ母がその身近で見てきてるから、親身に、余計親身になってくれて、こういうのはすぐ先生とかに言ったほうがいいだろうということで学校の先生にも、もう母と一緒に行きましたし、その、毎学年、あの、中高大と言いに行きましたし、もう、僕も別に病気とか別に隠す気もないというか、隠さないほうが円滑に友達関係も進むから、もう、言ってましたね。

―― そうするとその学校で何かその、特別に配慮してもらったりとかっていうこともあったんですか。

ああ、ありました、それは勿論。例えばトイレの近い教室だったりとか廊下側の席だったりとかもありましたし、あのー、保健室では寝かせてもらえる時間も勿論他の生徒に比べて多かったし、あのー、栄養剤をさっき、先ほど言ったラコールとかエレンタールとか飲んでたので、それも置かせてもらったり、保健室の冷蔵庫を使わせてもらったりとか、あとまあ、そうですね、もう、自分が何も言わずにトイレに立っても何も言われないみたいなのもありましたね。

―― そういう意味ではそうですね、すごく楽だったでしょうね。お友達はどうでした?お友達にもその自分の病気のことは話しされました?

それは勿論そうですね。もう、みんないい、俺は本当運がいいというか巡り合わせがいい感じで、まあ、本当になにも邪険に扱う友達とかもいなかったので、本当にいい学生生活だったなと思います。

クローン病の語り

医療系の大学に進学したので、先輩には理解してもらえたが、入学したばかりの同級生にはわかってもらえず、食事に一緒に行けないことをネガティブに捉えられてしまっていた。

―― それで、まあ、大学1年のときに病名がはっきりしたということなんですけれども、病名が分かってからですね、その、お友達とかにはどういう説明をされました?

えーと、まあ、そうですね、学校自体がその医療関係のところだったので、先輩に関しては、えーと、病名を言えば、まあ、ある程度は理解をしてくれる先輩もいて、すごくその点ではよかったんですけれども、一方で大学は1年生だったので同級生もまだその医療の勉強はこれからっていう状況だったので、病気のことを名前を言っても全く理解されませんでした。
なので、そのときに自分の中でどういう説明をすればいいのかっていうことをすごく悩みました。が、まあ、腸の病気で食べられないものがあるとかっていうことを話しても、周りもなかなかそれは、で、じゃあ、こうしようっていう解決策を、まあ、自分から提示もしないし友達からも、じゃあどうするのっていうことになってしまって、じゃあ、もう一緒にご飯は行けないねっていうような、そういうふうに、まあネガティブに、と、捉えられてしまったのかなというふうに思います。

クローン病の語り

高校は入学して1か月で入院してしまったが、学級委員長の子が気にかけてくれて、その子のグループに入ることができ、病気のことも色々聞いてくれたので話しやすかった

―― 高校1年生のときに3カ月入院して、で、学校に復帰されたということなんですけれども、周りのお友達には、えー、ご自分の病気のことをどういうふうに説明されました?

はい。と、元々入学した学校があまり、私が元々いた中学が人数少なかったのもあって、進学した先で元々の友達っていうのがあんまりいない状態だったんですよね。
なので、ほとんど同じクラスの子が初めましての状態で入学して、で、そこから1カ月もたたないうちに入院してってしてしまったので、もうほとんど関係もできてないような状況での入院で。
で、退院したら、もうみんなグループが出来上がっているみたいな感じだったので、あ、どうしようって思ったんですけど。委員長の子とかが結構気に掛けてくれて、で、自分のグループに入れてくれたりだとかして遊ぶようになって。
その中で、何であんなに入院してたの、入院してたじゃない、休んでたのとか、で、グループにいない子も、いなかったの何でって聞いてくれたりしたので、そこで、あの、実はクローン病っていう病気になって入院してて、で、だから、あの、授業に来るときも点滴の針入れてたりしてたんだよねっていうのを伝えて…。そうしたら何か、どういう病気なのって聞いてくれたりもしたので、そこで説明をすることができましたね。
で、結構、高校だとチョコレート食べたりだとか、おやつ持っていったりもできたので、あの、チョコ要る?とかって言ってくれたりしたんですけど、そのときは、あ、チョコは私駄目なのって言って、逆にあめあげるっていう感じでちょっとやり取りをして(笑)、ああ、あめなら食べれるんだみたいな感じで、あの、食べれるものを友達から聞いてくれて、そこでお菓子のやり取りをしたりだとか、何か一緒にご飯は行けないけれど別の遊びをしたりだとか、おうちでトランプしたりだとか、そんな感じで、そうですね、何か友達からも積極的にいろいろ聞いてくれたりしたので、私からも答えやすかったかなと思います。

クローン病の語り

中学1年で3か月入院して学校に戻るとステロイドの副作用で太って見えてしまい友達にからかわれた。薬の副作用だという事を説明してもなかなか分かってもらえなかった

まあ、学校に復帰したら、まあ、友達たちはみんなびっくりをして、入院したのにそんなに太ってどうしたの?みたいな感じでは言われたんですけども。まあ、そこも副作用なんだよっていうふうに説明はしてもなかなかこう、まあ、うーん、納得がいってもらえないような状況でした。
 
で、やっぱり、まあ、そういうのもあって、中学校時代は年に2~3回は入院を、入退院を繰り返しているような状況で、あの定期試験っていうんですかね、あれも入院中に、えー、受けたりもしました。で、中学校はそんな感じでかなりもう、あの、入退院でおなかも痛いしっていう感じでした。
で、高校に入ってからも、まあ、高校に入ってちょっと落ち着きはしたんですけども、えーと、高校の3年生のときにまた入院をして。で、そのとき初めて、あのエレンタールという、あの栄養剤を先生が処方してくださって、したんですけれども、それがすごくおいしくなくって、もう、どうしても飲めない、くて。
でも、先生は、これは飲まないと治療にならないっていうふうに言われて、でも、私はもう絶対飲まないというふうに、まあ、ちょっと少しけんかするような感じになって、で、そこで、あの鼻からチューブを入れたら、あ、入れて、あの、夜投与する方法があるっていうところを紹介してもらって、そこからその経管、あ、夜間の経管栄養、私たちのその患者の中では夜間EDと言ったりするんですけど、その夜間EDは、を始めました。

クローン病の語り

お弁当の時間に自分はエレンタールだけしか飲んでいなかったが、それを友達に説明するのは難しかった

お弁当の時間。お弁当の時間、えー、そうですね、クローン病と診断されたのが6年生の終わり頃だったので、中学校のお弁当の時間っていうのはエレンタール、飲み物だけ、水筒だけ持って行ったことが多かったんですけど、一緒に食べてくれる人は、を、まず探すのにどうしようかって、ずーとそれが心配で、あのー、だったんですけど、友達の方が一緒に食べようって声をかけてくれたので、まあ、一緒に食べる友達は確保できたんですが、その飲み物だけっていうのがやっぱり珍しい、人から見るとですね。「それなーに」っていうふうに聞かれて、どうやって説明しようかなとか、
自分の病気をどこまで言おうかなとか、そういうのは色々模索というか、考えながら、友達にも合わせて、この人にはここまで言おうとか、この人にはもう隠しておこうとか、そういうのも自分でまあ、子どもなりに考えてたと思うんですけど、そういうのこう、…説明っていうの、病気の説明っていうのが困ったなっていうふうに思います。やはりクローン病っていうのは誰も知らないし、先生も知らない、学校の先生もあのー、勿論知らなかったし、どういうことが困っているのかとか、勿論トイレが困るっていうのは自分から言えなかったし、やっぱり授業中にトイレに行きたくなっても一生懸命我慢して、なるべく行かないようにしてたような感じです。

クローン病の語り

小学校の時にステロイドの影響で、おにぎりみたいな顔になって初めて学校に行った時、恥ずかしくてなかなか教室に入れなかった

―― 12歳で確定診断がついたということなんですけれども、その小学校、中学校くらいの時っていうのは、学校生活っていうのはどんな感じでしたか。

そうですね、最初の入院が、あのーステロイドを使う入院だったんですけど、半年くらい入院して、で、その後に学校に初めて行く時にはもうムーンフェイスで、おにぎりみたいな顔だったんですけど、その状態であの、教室に入るのがすごく…入れなくて、ずーと、こう廊下でこう…ためらってたと思うんですけど、入った時にやっぱりみんながワーって見てですね、あのー反応するんですよ。それがとてもこう見れなくて、ずーとこうもう席について恥ずかしくってですね、とてもあの、勇気のいることだったです。ただ、それでもよく自分で教室に入れたなと今でもすごい思うんですけど、あのー、そのことが、離れないというか、忘れられないです。色々なことを多分忘れているとは思うんですけど、今でもずーとその光景は思い出せます。

クローン病の語り

10年前に障害者雇用でベンチャー企業に就職して在宅で7年間勤務した。会社にはこちらができることを伝えて、会社のほうでそれに合った仕事を切り出してもらっている

一般的な、要するにサラリーマンとしての就労に関しては、うーんと、たまたまそれも、その障害者就労センターからのつながりというか、縁がいろいろあって、当時、10年前なんですけども、まだ障害者の就労の支援のほうがそんなに活発でないときに、うーんと、えー、ベンチャー企業で障害者の人の雇用の、…進めようという会社ができたんですね。
 で、そこに、ちょっと相談に行ったら、東京のほうの、当時障害者の雇用を進めようとしていた企業さんのほうに就職することができて、で、そこで、もう、初めてと言っていいような形で、一般就労ですね、一般就労で就労しました。(障害者雇用制度を利用した一般就労という意味)
 まあ、もう、そのときはもう、うーんと、障害者就労の理解のある就労の仕方を進めるってことで、在宅で就労しました。約7年ぐらい働いたんですかね。はい。

―― 在宅でのお仕事っていうことなんですけど、具体的にはどんなお仕事をされてるんですか。

主にパソコン使ったデータ入力であったりとか、あとはもう、これはもう、会社との関係なので、もう、会社のほうで、えー、その人に合った仕事を切り出してもらって、で、こちらもできることを伝えて、えー、それをやってくというやり方ですね。
 あの、結構自分、うーんと、特例子会社で一時特例子会社で、精神・知的障害の方と一緒に働いてたんですけども、あの、できる仕事をどうやってつくってくかっていうのが、やっぱり大切かなと思います。

―― …それは当然、その会社との、何ていうんですか。

コミュニケーション?

―― 協議っていうか、交渉が必要になってくるわけですね。そういうのは、ご自分で直接やられるわけですね。

そうですね、はい。

―― その辺何か、その間に入ってくれる、うー、ような人とかっていうのは、特に公的なサポートみたいなのはないんですか。

ああ、うーんと、公的なサポートは今、徐々に整いつつあるとは思うんですけども、でも、まだ十分じゃないかなっていう気はしますね。どっちかっていうと、あの、うーん、何だ、事業所さん、要するに、あの、事業所さんに通ってて、そんで就職した方に関しては、事業所さんと通じてとかになるのかもしれないんですけど、あとはまあ、上司ですね。上司の方とかが入ったりとか、あとは、うーんと、企業によってはジョブコーチさん入っているとこもあると思うので、そういう方と、えー、密になってやってくとかってのはあると思うんですけど。
 まだここら辺は、あの、自分が今までの見てきた中で発展途上というか、もっと改善の余地があるかなと思うので。はい