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クローン病の語り

公務員の試験を受ける時に障害者枠と一般枠があったが、人事課とも相談して一般枠で受けてもいいといわれたので、一般枠で受験して受かったことで職域の幅も広がった(音声のみ)

あの、公務員というと一般の人の受験枠と、えー、障害者の受験枠というのがあって、私、身体障害者手帳を持っていますので、まあ、どっちで受けるべきなのかなというところで、あの、人事課のほうに相談をして、えー、これは、あの、そういうこれ、これこういう病気を持ってて、あの、障害者にはなるんだけれども、あの、一般の人の枠で受けても大丈夫なのか、あるいは障害者枠で受けなきゃ駄目なのかっていうことを事前に人事課のほうに聞きまして。
 で、あの、まあ、クローン病の場合、潰瘍性大腸炎の場合もそうですけれども、それほど寛解期については他の人と比べて肉体労働以外の部分については、あの、制限が生じないという場合が多いのかなと思いますので、そういう部分について何か支障がありますかというふうに聞かれまして、いや、それは特にないですよというお話をしたところ、まあ、あの、提出する履歴書などについては、あの、そのような記載はしてくださいというふうには言われたんですけれども、あの、一般の人と同じ枠で受験して大丈夫ですよということを言われていますので、情報としては、えーと、病気を持ってて障害者ですよということは、人事のほうには伝わっているはずですけども、それ以外については特に、あの、話したりはしていないというかたちになります。

―― その障害者枠と一般枠っていうのは、その、まあ、当然、その競争率とかも違うでしょうけども、その入った後での何か違いっていうのはあるんですか?

今私が、あの、就職している先に限って言うならば、えーと、仕事のその職域の幅が障害者枠だと狭くなって、いわゆる一般的な事務職だけの募集になっていますので。
 まあ、私はどっちかというと事務職ではなくて、まあ、大学で勉強したこととか、自分の好きなほうの知識とかを多少生かせる若干専門職があるような職業のほうがいいなと思ったので、あの、一般枠で受けたんですけれども、そういう、まあ、職域という広さ、狭さっていう部分では、えーと、あると思いますし。
 あの、何かその日常的な配慮が必要、例えばエレベーターがないと移動できないよとか、あの、そういうことについては実際にその採用された後に、えーと、どういう職場に異動するとかっていう部分での配慮はされるもんだというふうには考えています。

クローン病の語り

専門学校を卒業してから障害者枠で家電メーカーの経理事務の仕事に就いた。その後東京で事務系の仕事をしていた

専門学校のほう2年、在籍さしていただきまして、その後、就職のほうをさしていただきました。ま、就職を機に、あの、一度、福岡に戻ってきまして、3年、3年半、福岡でお仕事をさしていただいた後に2回目の手術っていう形で、また東京のほうで手術をさしていただいたっていう形になりますね。はい。

―― お仕事はやはり、その、臨床検査の関係のお仕事だったんですか。

いや、ええと、家電関係のメーカーのほうで、ま、そこの修理とか、え、サービス部分を、あの、担当してて。ま、事務のほうを、あの、最初、経理事務のほうで、あの、入社しました。

―― それはやはり、あの、障害者枠で、入社されたわけですね。

そうです、はい。

―― そうすると、ま、会社としても、その、病気、ま、あ、通院だとか、そういう具合悪くなったときの対応っていうのはこう、きちんとしていただいた感じですか。

あ、そうですね。ええと、福岡で働いてたときも、その、月に1回東京まで、あの、病院行くこと認めてくださってたので、はい。そのときはもうすごくありがたいと思ってました。はい。

―― それで2度目の手術をした後もあれですか。同じ会社に勤めておられたんですか。

いや、2度目の手術後は、え、東京のほうでもうしばらく、ずっとお仕事のほうをさしていただいておりました。

―― それはどんな仕事をされてたんですか。

あ、そちらは、ええと、ま、そちらも、あの、事務系をさしていただいておりまして。え、ま、事務系と製造系の会社で、あの、働かしていただいておりました。はい。

クローン病の語り

面接の時に自分の病気を伝えるかどうかは難しい判断だが、伝えないで働いてもどこかでほころびが出ると思うので、伝えた方がいいと思う

僕が、その、学生のときから社会人になったときに。やっぱりなったときじゃないな。学生のときに思っていた、その、社会人の忙しさっていうのは、そんな大したものでもないかなっていうふうに個人的には思っていて。もちろん、あの、仕事自体は大変ですし、責任感もあるし、ストレスがたまるかなとは思うんですけれども、それに耐えられるだけの体というのはみんな持っているかなとは思うんです。で、今の、うんと、僕の場合は、その就職のちょうど活動のタイミングで悪くなったっていうか発症したので、先のことが分からなかったんですけれども、もっと若い年齢で発症していて、ある程度自分の、あの、増悪とかよくなるっていうところの感覚というか、症状の強さというのを分かってさえいれば、特別本当に仕事のところで制限を受けることはないんじゃないかなっていうふうに、今になって思うので。うーん、…まあ、…本当に、うーん、悪いところを見て、その、働けないのかもしれないっていうふうに思うのはもったいないことなのかなっていうふうに思います。

―― あと特に就職、面接のときにですね、自分の病気をどういうふうにその会社側に説明したらいいのかっていうところで悩む方が多いと思うんですけれども、その辺は何か、あの、アドバイスとかありますか。

まず伝えるかどうかっていうところですか。うーん、……難しいですよね。正直、あの、僕は薬剤師として、あの、国家試験を通って免許を持っている職業なので、正直、就職先に困るということはそんなにないんですね。まあ病院が駄目だったら調剤薬局に行けばいいっていうふうに思っていたので、働き口は必ず僕の場合はどこにでもあるんです。ただ、まああの、希望する職種に、狭い恐らく関門に挑むっていう人に関しては、その、他にもたくさん、その、病気を持ってない人たちもいるわけで。まあ、そこの一部分だけ比べられちゃったら、やっぱり(病気は)あるよりはないほうがいいかなっていうふうには、個人的には思うので、伝えないほうがいいのかなとも思うんですけれども、伝えないで働いても、恐らくどっかでほころびは出てくるんじゃないかなとは思うので、僕は伝えたほうがいいかなとは思います。で、まああの、伝えて、その、駄目だったらその職場は自分には合ってないんだなというふうに割り切るのがいいんじゃないかなというふうに思います。

クローン病の語り

就職する際に、自信をもって仕事ができるのであれば病気のことは言わなくてもいいが、不安がある人は話しておいた方がいい。ただし、10年間も寛解を維持している人が病気の話をする必要はない

もう甘えることからやっぱり僕は卒業しないといけない。病気だから許されるんじゃなくて病気だからここまで努力してるからみんながね助けてあげようと思ってくれるですよね。それなのに自分は病気だからっていうことを理由にねもう、ベッドに逃げ込むようなことだけはねしてほしくないな。本当に悪くなったらあの、正直に通院することですよ。うだうだ言って、なんか行きたくない行きたくないっていって我慢するんじゃなくて。それがまあ、逆に言えば早い社会復帰に繋がるので、そこをねうまくやってほしい。

―― そのためにはあれですかね、やっぱり就職する時には病気のことはやっぱり開示する…

A:そうですね、やっぱり自己開示はとても大事だと思っています。確かにその今色んな製剤によってですね抑え込まれているので、カミングアウトする必要もなくなってきました。でそれはね、自己選択なので自信を持って仕事をできるんであれば言わないことはオッケーだと思うんですよ。ただ不安がある人に限ってメンタルが弱いので、やっぱりいざという時の保険といいますかね、ただでも10年間発症してないのにいざ発病した時は、僕はもう入院するんでっていうのはナンセンスですよね。10年間休まずに生きてきたっていう実績があることを強調すべきであってね、リスクを説明する必要はない。ただ、あのー、時々は体調が落ちるので、休憩が必要になります。
私は会社にトイレに近いところに席を座らせてほしいと、カミングアウトしてその席を今頂いている。それはね自己の努力の一つなんですね。で、運転手をしている人はその、えー…、自分なりにそのいつも通う道路沿いでどれだけトイレにいけるのか。昔は患者会で街中歩くときに、喫茶店だとかパチンコ屋とかね、トイレの場所をチェックして地図を作ったような人たちもいましたけど、今もうコンビニがないとこどこもありませんのでね、そういった不安はない。駐禁だけですね、かえって怖いのはね。だからそこはうまくどう立ち回るのか、そういうことを工夫していくことが大事なのかなと思ってますね。

クローン病の語り

就職の時は病気のことを言ったら不採用になると思って言わずに就職したので、トイレに行きづらくなって、そのことで周りの目が気になって仕事をやめてしまったこともある

―― そうすると、そのアルバイトをしたりしながら、えー、結構、7~8年?

はい、そうですね、はい。で、その間仕事ももちろんしていたんですけど、はい、ちょっと転職も何回かしていて、はい。

―― そのときに、例えば、まあ、アルバイトでも普通の社員でも、採用の面接とかあったと思うんですけども、そのときには病気のことはどういうふうに説明されました?

は、病気のことはやっぱり言ったら不採用になると思っていたので、もう伝えずに、こう、隠して働いていたので、やっぱりこう、仕事をしたときに、こう、いかにばれないようにっていう思いがあったので、もうトイレの回数が増えたりとか、すごいトイレに行きづらかったりとかっていうのがありました。
で、トイレに、何かこう、行き過ぎてると、行き過ぎてるんじゃないかって、すごい周りの目が気になっちゃって、多分実際そうは思われてないかもしれないんですけど、トイレに行き過ぎてるって思われてるっていうふうに勝手に思ってしまって、何かもう、それが今度は嫌になって、もう…辞めて、仕事は退職してしまったりとか。
ほんとにもう体調で行けなくなったっていうのもあるんですけど、何かそういう精神的な、トイレにすごい行ってる人って思われてるんじゃないかなとか、そういうのもすごく気になってました。

―― そうすると、その症状としては下痢が続いてたっていうことなんですけれども、それ以外に何か症状っていうのはありましたか。

えっと、倦怠感(けんたいかん)っていうか、やっぱりもう体が結構常にしんどい状態で、何かもう自分が元気だったときがちょっと思い出せないんですけど、やっぱり常にしんどいので、多分普通の人がこなす1日が、何かこう、すごくだらけてしまうといいますか、だらけてしまってるんですけど、一生懸命やってるんですけど、何かそう、体がしんどくてやっぱりできない部分が多い。
で、そういうのも、やっぱりこう、周りからしたら、こう、だらけてるように見えるんじゃないかなとかそういうふうに思うんですけど、やっぱり倦怠感がやっぱり強いっていうのは症状の一つだと思います。

クローン病の語り

学習塾なら午後からの勤務なので、通院もできるだろうと、病気のことは話さずに就職したが、そのデメリットもあった

そこでですね、病気のことを言わずになんとか就職出来る会社はないものかということで、学習塾に勤めたんですね。学習塾というのは子どもが学校から帰ってきてからの仕事なので、お昼すぎに出勤して、で夜9時頃退勤と、そういった勤務時間帯をとっているんですね。なので、学習塾であれば午前中に隠れて通院ができると、そういったことを目論みまして病気のことを告げずに学習塾に就職しました。で、首尾よく就職をしてえー、隠れて通院をしながら勤めも出来ていたんですがやはりあの、病気のことを言わないということもデメリットがあったんですね。
というのは、周りから見ると内部疾患なのでねどこも悪いとこがないと見られてしまうんです。で、当然病気のことも言ってませんで、私をみな健康だと思っている。そうするとまあ、皆と分け隔てないわけですよね。仕事が終われば飲みにこうぜと言ってお酒を飲んだり、まあ唐揚げとかそういった油物ですよね。低脂肪、低残渣といわれているのに、ま、付き合いでですねお酒やおつまみを何食わぬ平気な顔をして美味しそうに食べてしまったりとかですね。
後はあの、やはりトイレに行かなきゃいけないんですね。仕事をしながらもえー、ま、ちょっと仕事、授業の準備の合間を抜け出したり、授業中もですね生徒になにか自習をさせながら、自分はトイレにこっそり抜け出すと、そういった綱渡りの仕事状態をしておりました。で、当然忙しい時もあります。夏期講習、冬期講習はもう学校が休みですので朝から夕方まで授業びっしりとかですね。で、1月、2月も受験指導でですねやはり残業が続いたりとかですね、そういったあの、健康な人と同じように仕事をしてました。
そのおかげで、4年目にとうとう体調を崩してしまって、夏休みですね、あのー夏期講習の間1週間会社が休みの時がありまして、その時に海外旅行を申し込んでいたんですね。とても楽しみにしていたんですが、その夏休み前日の仕事最後の日にとうとうあの、体があの悲鳴を上げて、夏休み初日からずーと寝込んでしまったんですね。海外旅行も当然キャンセルしてしまって、で、そういった経験があって、やはり仕事を続けていくにはね、このまま隠してやるのはとてもできないなと、その時なんかやっとわかったですね。で、その年の年度末にま、自己都合ということで会社を退職しました。

クローン病の語り

一旦寛解になってから務めた会社の採用面接の時は病気のことは話さなかった。勤務時間が夕方からだったので日中病院に行くことができたし、仕事の上でも問題なかった

―― 少しよくなってから普通のOLの事務仕事をされていたということなんですが、そのときにはその仕事を始める、まあ、採用のときには病気のことはお話しされたんですか?

えーと、面接のときには話してないです。あの、その、話さなくていいように時間が自由になるというか、昼間は自由になる仕事を選んで、まあ、悪くなったときに話せばいいかなっていう気持ちで就職しました。

―― で、実際にはトラブルはなかったんですか?

なか、なかったです。同僚には話しました。社長とか上役には病気のことは言ってないですけど、一緒に働く周りの仲間には話して、うん、トラブルなく。

―― ただ、その、何ですか、その会社で、えー、忘年会だとか、そういうイベントのときっていうのは食事とかはどうされてました?

そうですね。食べれるものをかなり選んで食べてました。
 で、同僚は知っているので「これ大丈夫?」とか、「これあげるから、これもらうね」とかいう感じで、もう、か、オープンに私はしてたので、食べれないのもあるよっていうのを言って、こんなに残すけど、まあ、残すよっていう感じで…、うん、まあ、最小限に食べる感じですね。

―― でも、その上司の方とかはご存じなかったんでしょう?

そうですね。上司と距離のある職場だったので、そんなに顔を合わせて話すことは、たまたまなかったです。

―― なるほど。では、まあ、そんなに、あの、病気で何かその支障になるようなことはなかったわけですね。

はい。

クローン病の語り

転職先の会社はそれほど激務ではないので病気のことを言わずに就職した。通院も土曜日に行けたし、個室化したオフィスだったのでトイレに関しても問題なかったので、特に支障はなかった

―― で、その転職された先の仕事っていうのはあの、多少楽な仕事だったんですか。

もうあの、全然楽です。(笑い)まあ、あの、楽、でも楽というとね、働いている方に失礼なんでえすけれども、少なくとも、あの、一人当たりがこなさなければいけない業務量というのはもう半分以下という感じだったので。で、もう残業しないのが当たり前。残業する時には、あのその分をどこで、あの、代わりに休めるかっていうのをこう組織として考えてくれるような場所だったので。

―― じゃあ、その、病気に対する配慮のようなものも結構あったということですか。

で、実はそこも病気のことは言ってません。

―― あ、言わなかったんですか。

というのは、ま、その転職を、その激務の場所からする時に、あの、何か所か面接を受けたんですけれども、まあ、あの、で、一応私としては、あの、主治医に通常の業務は支障ないという診断書を出していただいて、で、ま、最終面接まで行った場合には必ずそれを見せるようにしてたんですね。で、ただ、そうすると例えば、あの、辞められる方の、ま、ちょっとかなり特殊な仕事だったので、あの、辞められる方のその次の仕事(注:後任者)っていうことで私が行ったときに、例えば私がその診断書を出したら、病気の人間にでもできる仕事を私がやってたと思われると困ると言われたこともありまして、うーん、ま、かなりの配慮が必要な職場だったら言うけれども、それなしで何とか行けそうなところだったら、もう言わないでおこうっていうような、なんとなくそんな方針が当時はありましたね。ただ、今だったら言うかもしれませんね。はい。

―― じゃあ、その病気のことを言わずにその、就職されたということは、あー、例えばトイレとかその通院とかに関しては大丈夫だったんですか。

えーと、何とか回しました。というのは、あの、一つは主治医があの、土曜日に診療が受けれるところなので、通院に関しては、ま、ほぼ、ほぼというか、ばれないです。で、あのトイレに関しては、あのー、ま、かなり、えー、ちょっと個室化したオフィスだったので、これもあんまりばれないと(笑い)。はい。うまーく、こう間を潜り抜けていきました。

クローン病の語り

大学を卒業した時病気を開示して出版社を何社か受けたがどこも受からなかった。その後コンピューターの勉強をしてその業界に入ったが、そこでは病気は全く関係なかった(途中から音声のみ)

学部を卒業したときはすごく苦労しました。だから、バブルで売り手市場だったんですけど、えーと、何次面接かでは。一応、病気で落とさないってどこも言う、言っているんですけど、えー、7社か8社ぐらいは、3次まで受かっているのが落ちてるんで。
だから、まあ、その、さっき、あの、変な話しましたけど、趣味何ですかっていう、ゲバ棒ですっていうのは、もう破れかぶれでしゃべってるのは確かなんですけど、何個も落とされてるんで、あの、そんなふうに言った記憶はありますけど、その意味では学部を出たときは。 

―― その病気のことはどの段階で、もう最初から、あの、病気のことは開示されたんですか?

えーと、履歴書にはもちろん書いてないですね。あの、書いてないんですけど、その何次、1次をまあ、試験、ペーパーの試験を通ります。で、2次試験あります。で、大体何次試験までありますよって言われたときの、大体面接のときに、あの、いわゆる病気がありますという話はして、大概は普通に理解あるようには聴いてくれるんですけど(笑)、「総合的に判断して不合格です」っていう通知がくるんで、はい。
特に出版社は8次までは、もうほぼ採用って言われてたんで採用されるもんと思ってたんですけどね(笑)。そのときも、まあ、その面接の前ぐらいで病気のことは、お話はしてたんですけど。

―― その、ど、どういうような説明の仕方をされるんですか、そのクローン病ですっていうような言い方をされるんですか?

A:そうですね。クローン病でっていう話をしたと思います。
 で、ご存じないで、あの、こういう症状があって、こういうふうに、で、まあ、そんな急に死ぬことはないです(笑)っていう話とか。

で、えーと、どうやったら食っていけるかっていうのを、どうやったら自分で飯が食っていけるかというのをすごく考えてた時期で、えーと、実際は学部出てから私、進学(笑)、したかったんですけど。
で、そこで、あのコンピューター技術者になった理由がそれで、えーと、元々、私、法学部、法律じゃなくて政治学なんですけど(笑)、法学部なんで、そのまま大学院には行きたかったんですけど大学院行っても飯が食えないというのと、えーと、病気がちやっていうので。
そこで私は「コンピューターを習ったら飯が食えるぞ」って言う先輩がいまして、当時MS-DOSしかなかったんですけど、そこから逆に専門学校に入って、実はキーボードは打ったことがないし(笑)、ないんですけど、それが、それが23か。本来卒業する年齢なんですけど(笑)、まだ学生だったんで、23か24ぐらいのときに、まあ、コンピューターを覚えて、で、その以後はずっとコンピューターの仕事をしている状態ですね。

クローン病の語り

寛解と再燃を繰り返しながら会社に勤めるというのは難しいと思い、自営業を始めるために資格を取ることにした

一応退院をした時に、あのーしばらくはまた寛解の状態になるので働くことはできたんですけれど。なかなかそれのバランスがとれなくて、やっぱりあの世間的にやはりこういう病気をもってますので通院しますってことはなかなか言えないので、あのー言わずにいたら結局具合が悪くなって、会社を辞めての繰り返しを何回もしてたので、このままではちょっとまずいなと思いまして、2回目の手術をした時がちょうどえーと私が29くらいだったので、その時にもう自営業にすれば体の方もコントロールが効くなとおもいまして、自営業にしようと思って色んな資格を取るに至っています。

その頃くらいになるともうあの、新しい病院で色んな治療を受けているので、なんていうのか自分でコントロールがだいぶ利くようになったので、そのまんま色々仕事をしながら、あの習い事をしながらっていう感じでまた、新たにちょっと自営を目指して、で、あのー結局製パン業を目指して教室に通って、まあまず講師の資格を取って、あの生徒に、自宅で生徒に教えるっていう方法を取ってたんですね。で、そのうちにもうちょっとあの仕事の幅を広げて、で、結局あれですね販売、自宅で販売という形で、完全予約制の販売をするようになりましたね。

でそれが今に至るまで結局仕事になりまして、あの、最初に働いていた障害者雇用で入った花関係の会社は辞めて、自営に結局一本全部絞ってやり始めたよって感じですね。

―― そもそもどうして製パン業を選ばれたんですか。

あのですね、私は昔からあの、ごはんよりパンの方がすごい好きなんですよね。でも、パンって結局、あの、市販されてるものっていろんなものが入ってて、で、クローン病は脂質をとにかく控えなきゃいけないってみたときに脂質がものすごく多いんですね。で、だったら自分で作ったほうがいいかなという。まあ、何を作って、入ってるかも分かるし、自分でこう、糖分とか塩分それから脂質、全部調節ができるので。パン、じゃ、やろう、パンが一番好きなのでとにかくご飯が嫌いだったので、じゃあ、パン屋になろうかと思いましてパン屋を始めたという感じですね。
あのー、人にわざわざ、その、病気の説明をいちいちしなくていいっていうことと、ま、自分の都合でこう、仕事のペースが進められるっていうのが一番、あの、プラスになってることではありますね。