投稿者「hanaoka」のアーカイブ

クローン病の語り

周りの人に迷惑がかかることもあるのでお芝居の仕事はできなくなったが、朗読の仕事を始めた。病気がなかったら語りの世界には行けなかったと思うので、病気も人生の一部だと思っている

―― でも、そのお仕事のほうでは、その何か配慮をしてもらう必要があったとか、そういうことはないんですか?

ああ、大変なときはありました。仕事中にやっぱり(ストーマが)漏れてしまって。
で、たまたま、あの、抜け出していいときだったんで、近くの病院の売店に行って装具の代わりになるものを買って応急処置をして、あの、お仕事終わって家で貼り替えるとか。
だから、その、うーん、病気のことで何か仕事で配慮していただいたって、まあ、あまりにも具合が悪いときは、こう早めに上げていただくようにとかお願いはしていたとは思いますけれども、あんまりそれを言ったことはないかもしれませんね。

―― 逆に、その病気のためにですね、何か仕事をご自分でセーブしたりとか、やりたかったけどできなかったとか、そういうことはないですか?

あ、それはたくさんあります。うん。
やっぱり、あの、積極的にお仕事は、うん、もし、やってご迷惑掛けちゃいけないなと思うので、あの、私の場合はこう、あの、毎日行く仕事ではないので、求められたときにやらせていただくというお仕事なので、あの、まあ、お仕事ないときも我慢して、あんまり積極的に。
ただ、少しよくなると、その、ずっとお芝居とかもしてたんですけれども、病気になる前は、ただ、病気になってそれがよくなってきたときに、あ、お芝居はできないけど語りというあの朗読ですかね、そういうものだったら1人でできるかなと思って、そちらのほうをやるようになりました。はい。
だから、逆に病気にならなかったら語りの世界にはいけなかったかなと思って、まあ、まあ、病気も一つの(笑)、生きる上での、うーん、一緒に生きていきましょうって感じですかね。

クローン病の語り

自営業だと自分のペースで仕事ができるのはいいが、体力的に働ける時間が限られているので経済的には厳しい

―― やはり、その、自営業になったということはすごく、その、自分の、あの、生活、病気と付き合いながら生活していく上ではすごく良かったと思ってらっしゃいますか。

そうですね、やっぱり、あのー、人にわざわざ、その、病気の説明をいちいちしなくていいっていうことと、ま、自分の都合でこう、仕事のペースが進められるっていうのが一番、あの、プラスになってることではありますね。
ただ、あのー、一般的に自営業っていうと普通の人は毎日働いてますけど、あの、私の場合は、その、毎日は働くことは体力的に無理なので、収入がプラスになるかっていうとなかなかプラスにはならない。なんとかぎりぎりで生活ができるっていうので、ま、その辺は改善してかなきゃいけないなと常には思ってますね。うん。

―― 今は週にどのぐらい働いて…

週に3日で1日だけ予約の人を取ってるのでトータル4日ではあるんですけれど、まあ、3日でも週末の営業だけなので、週末だけだとやっぱりそんなに多くのお客さまが来るというわけではないんで、はい。

―― では、可能であれば日にちを増やしたいというふうな、には思ってらっしゃる?

ことは思ってはいるんですけれどやっぱり病院に行かなきゃいけないので、月に1回まだ病院に行ってますし、病院に行ったりしなきゃいけないし。ええと、製パン業ってものすごく朝が早くて夜が遅いので、それで、いや、どうしても疲れがたまってしまうので、その疲れを回復するのがなかなか毎日だと難しいというのでなかなか増やせないので、そこが課題です。

クローン病の語り

電車通勤で苦労した会社を辞めた後、猫カフェを開業した。家族と助け合えるため、出勤の調整もでき、好きな猫と触れ合いながら仕事をしている

―― それで、最終的にはその会社をお辞めになったわけですよね。それはやっぱり、その続けていくのが難しくなったということですか?

はい。そうですね。
えーと、まず一番には通勤時間の問題でやはり、あの、電車通勤が難しいっていうことと…、あとは、えー、症状がだんだんと悪化してきてしまったので、あの、仕事を続けるのが難しいと思いました。

―― じゃあ、その辞めたというのは、その、ご自分からその辞めようと思って辞められたわけですね。

そうですね。あの、会社からは、あの、どんな配慮でもするからっていうかたちで(笑)、かなり引き留められたんですけど、あの、どうしても体に負担が掛かっているのを自分で感じていたので、ちょっと体を大事にしようっていうことで転職を決意しました。

―― それで、その後はどういう仕事とかをされたんですか。

えーと、現在の自営業の仕事に就くまでは、その準備期間として、あの、地元のアルバイトなどをして…、パートタイムで働いていました。

―― で、今の自営業っていうのはどういうことをされているんですか。

今は、えーと、猫カフェと、カフェと写真スタジオが併設されているビルで仕事をしています。私はそこで猫カフェの店長として責任者をしています。

―― どんな感じのお店なんですか。

そうですね。猫カフェは猫とゆっくりとした時間を過ごして、癒されていただくようなスペースですね。
で、あの、ご飯を食べたい方はカフェに行ってお茶をしたりランチをしたり過ごしていただくような、あの、お店になっています。
< class="interviewer">―― で、何か、そのIBD食みたいなものも出しておられるっていうことなんですけど。

はい。途中からの取り組みで、自分が、あの、病気で、あの、病気の人にもお店に来てほしいという思いからIBDプレートというのをちょっと入院中に考えて(笑)、実現することができたので今お店で、あの、置いています。

―― やっぱり、その、自営業にされて、何ていうんですかね、ストレスとかそういうのは軽減された感じですか?

(笑)…。
そうですね。あの、会社員として働いているときと、あの、違う苦労はあるんですけれども(笑)。やっぱり、あの、クローン病をしている身として、あの、トイレにいつでも行けたりとか、食事を好きなものを好きなときに取ることができたりとか、あと、まあ、家族で、あの、助け合いながら出勤日を調整したり、そういった、あの、調整ができるので働きやすくはありますね。

クローン病の語り

焼き物の仕事はその場にいなければならないというタイミングがあるが、その時に下痢でトイレに行っていたらその製品がすべてだめになってしまう。そのため、この仕事はあきらめた(音声のみ)

―― えーと、そのお仕事は辞められたんでしたっけ。

辞めざるを得なかったです。

―― それは入院したからっていうことですか。

もう、ちょっと、続けていく自信がなくなってしまったんで。

―― それはやっぱり、その体力的な問題ですか?

体力的にもそうですし、次に再発するのがいつか分からないっていうと、いつ下痢が…、いつ下痢が襲ってくるかが分からないし、もう病気のことも踏まえていろいろ考えたら、こう続けていく自信がもう全くなくて、うん、辞めたくはなかったんですけど、もう辞めざるを得ないだろうというふうになったので。
そのGCAP(血球除去療法)の治療も、その実家の近くの病院ででしかしてなくて、他の病院だとしてないっていうことになったんで、それがあってもう辞めることになりました。

―― それはやっぱりあれですか、その窯の前にずっと何時から何時まではいないといけないっていったときに、そのトイレへ行きたくなったら困るとか、そういうようなことですか。

そうですね。その、僕がちょっと難しい話になるんですけど、あの、僕がやってた仕事がちょっと成形の仕事で形を作るっていう仕事なんですけど、その、例えば石こうってあるじゃないですか。石こうを、石こうの型があって、例えば、こういうペットボトルだったらペットボトルのこう周りにこう型があるんです。で、そこにどろどろの粘土を入れることによって、その石こうが水分を吸ってこの着肉をするんですよ、粘土が。で、それで、ある程度着肉した段階で、その余ったどろどろの粘土をこう出さないといけないんですよね、こう。で、このどろどろの泥を入れたときに着肉するまでの間はちゃんと見てないといけないんです。
で、そのときに、もし、あの、返すタイミングのときにおなかが痛くなってトイレに駆け込んだりしたら余計な肉厚まで取ってしまって、あの、もうそれはものにならない。で、1個だけじゃなくて、こう10個とか50個、20個、30個やっていくんで、1個駄目になったら、その後もう全部駄目になるっていうふうな感じだったんで、もう、その、そういった意味で時間の制約がありました。

クローン病の語り

本屋で働いていた時は、絶食中は外から見てわかったので仕事でも配慮があったが、絶食がなくなってからは全く配慮がなくなってしまったので退職することにした

えー、やはり職場の理解が大きいかなと思うのは、一番最初に勤めていた、発症した本屋さんではこちらがその食事を摂らないとか・・・外から見てわかる症状がある場合にはかなり気を使ってくれて、色々配慮をしてもらったんですが、その食事がとれるようになった、わりとこう見かけではかなり痩せはしたんですけれど、食事を摂るようになってからはまた体重もそれなりに戻ってきたので外から見てわりと、前と変わらなくなったということになるとやはり前と同じようにまた頑張ってほしいということを言われて、まあ、それ自体も今考えれば、こちらも周囲に対して理解を求める行動が足りなかったのかなとも思うんですが、当時はやっぱりその、難病と言われてなんでわかってくれないんだろうっていうことがあって、仕事自体は、本屋さんの仕事というのは一部いわゆる接客業でもあるし、ちょっと力仕事的なところもあるんですがそれ自体、仕事自体というよりは、あー、やっぱり人間関係、周囲のま、配慮がこちらから見ると足りなかった。向こうからすると病気に対する理解が足りなかったために、その摩擦が起こって自分から退職してしまったんですが、
逆に実家の飲食店を手伝っていた時には、やはりその家族がまあ、同僚と言いますか、一緒に働いているので、その意味ではえー、職場の理解はありました。ただ当然、来店されるお客さんは、そういうことはやっぱりあんまり関係ないので、お客さんからお酒を勧められたり、いろいろお土産を持ってきてくれて、これ食べなよと揚げ物を出された時にですね、やっぱりそれはその場の雰囲気でお酒を飲んでしまったり、いろいろ食べてしまったりということがあって、まあもしかしたらそれが積もり積もって1度目のその狭窄での手術に至ったのかもしれないんですが、そこはなかなかちょっと難しいところがあります。

クローン病の語り

病気になったことでそれまで勤めていた会社をクビになった。引き抜きされそうになった時には辞めないでくれと言っておきながら、病気になったとたんに手のひら返しでクビにされた

ほんで、まあこのクローン病が発病したときに、まあ、その外科の先生と知り合うたときに、えー、今まで15年働いた会社が、まあ今までものすごくちょっと良くしてくれていてたんが、人間って勝手なもんで病気なった途端。
まあ、今まで僕ちょっとはっきり言うて仕事でも、えーと、そこ引き抜きされたことあんですよ。そやから今の会社は、その会社は「いや、将来的にもうあなたは必要やから」っちゅうて「絶対片腕にしたいぐらい、辞めんとってください」って言うて父親と母親が話して、病気なった途端手のひら返すように、もう解雇やっちゅうて。
ただ、病気のことを分かってほしいっちゅうても理解してないのに、もうそんなやったらもう要らない、そんなやったら辞め、ただ、もう解雇しますっちゅうかたち。

それやったらもう結構ですっちゅう、こちらは辞めますっちゅうことで、まあ今その堺市のほうの病院に、大阪市内のは置いておいて堺のほうの病院に行って診察行って、ほんでしばらくそのときで無職になっていろいろアルバイトをしたり、病院も行ったりしたけどやっぱりたまに調子悪うなるんですね、その気温差で。
でも、入院はなかったんですよ。まあ自動販売機の設置したり何か運送業者とかいうかたちで、えーと、いろいろなアルバイトをしていたから、ちょっとやっぱり体調崩してもうてやっぱりアルバイトでも。

クローン病の語り

会社にとっては計画的に休まれるのは問題ないので、自分から会社に対して配慮してほしいことなどは積極的に言ったほうがいい

まあ、当時の上司もべつに普通に働いてたら問題ないと言ってましたけどね。で、どうしてもコンピューターの仕事なんで実際どこでもできれちゃう、できるんで(笑)、でも本当はサービス残業になるんですが、持ち帰ったらべつにできないことではないんで、まあ、そういう意味では有利に働いていたような気はしますけど。

特にソフト業界はなんですけど、もう当時からちょっと病んでいるって言ったら変ですけど、オタクみたいなやつも結構いるんで。
そして今、今もそうなんですけど、ちょっと変わった業態というか、あの、就業の仕方がちょっと変わっているんで、当時から、どこで休んでてもあんまり分からないんですよね。
だから、どっちかいうと成果が、納品までにきっちり何かができるっていうことを大事にするんで、そんなに当時も気にしてなかったと思いますね。

―― えー、勤めておられて、こんな配慮をしてもらえて良かったとか、あるいはこんな配慮をしてほしかったとか、そういうようなお話ってありますか?

あの、今、実はその勤めているんで、普通に、あの、兵庫県で勤めているんで会社員なんですけど(笑)、今は配慮、結構配慮、通院は、あの、評価には値し、あの、いわゆる勤務評定には関係ないという判断をしてもらっていると思うんで…。
あの、いわゆる病気で休むのって、べつに風邪で休むのも病気なんで、まあ、取引先の方に言わせると、まあ、「分かって休んでくれるから、比較的雇用はしやすい場合もあるよね」って言う社長さんも、い、いるぐらいで。
だから今の、多分オーナーもそう思っているの、今私を雇用している会社の社長さんも。だから、その辺の配慮は逆に言ってもらったほうが。あの、会社から、計画的に休んでくれるのには問題がないっていうふうに言ってもらえるようなことを言ってもらえば多分患者、今はもういい年こいてるんで言えるんですけど、若いときはなかなか頑張っちゃうんで、どんどん症状はひどくなるんですよね。
だから、少し、その、最初から会社は理解しているとこは結構あると思うんで、その辺は配慮してもらえると思いますし、配慮したほうがいい。逆に長続きするような気はしますけどね。

クローン病の語り

当時勤めていた会社では難病で休む人は私がはじめてだったので、会社は社労士や産業医と相談して職務規定を作ってくれたり、会社の理解は有り余るくらいだった(音声のみ)

あの、私が初めてのケースだったんですよ、あの難病で、就労しているっていう、うちの会社で。なので、もう、だから結構人より良かったかもしれません。まあ、前例がなかったわけなんで、私が前例だったので、あの、そういう私のために職務規程を作ってくれるっていうふうな(笑)。
まあ、結局、今まで難病で休んだっていう人がいなかったので、まあ、ちょっと社会保険労務士の先生と相談をして、あの、私のために社員規程ができました、みたいな、そういうレベルの話で。
で、そうなっちゃうと、もう、あの産業医の先生が、もう本当に頑張ってくれて、もう、あの…、休ませないと大変、残業をさせない、業務形態ですか、あの、残業をしないっていう、あの、まあ、勤務っていうのも私のせいっていうか、私のために会社が作ってくれたりして、で、それでもう、まあ…、会社の理解は本当余りあるぐらいありましたね…。
で、まあ難病はいなかったんですけども上司、同僚に、当時がんになった人が結構多くて、で、それでやはり1年休む、休んで放射線治療をしたとか、あの、まあ頑張って治療したけども、白血病だったから、あの、リタイアして、あの、頑張って治療をするっていうふうな人も出始めたのと同じ頃に私もあのクローン病で休んでいたので、まあ、違う病気だけども休んでいる人が他にもいたっていう(笑)。
まあ、あの、クローン病はまあ、今のところ死なない病気といわれておりますので(笑)、あの、がんの人も頑張っているし、私も頑張ろうみたいな感じ。
まあ、あとは本当にもう当時の産業医の先生には足を向けて寝られないですし、本当に人事の人はもう、あの産業医の先生とタッグを組んで、あの、守ってくれました。本当に、もう。
だから、仕事を続けるっていうことに関して言えば本当にもう私、幸せな環境で。まあ、そこの会社には私、18年いたんですけど、もう幸せな18年間だったと思います。

クローン病の語り

職場での昼飯は一人残って時間をかけて食べていた。夜の飲み会でも食べられるものだけ選んでたべていたので、割り勘負けはしたけれど普通に付き合っていた

―― あと、食事なんかがいろいろ制限があったと思うんですけれども。

そうですね、はい。

―― その会社の飲み会とか。そういうところで影響はありませんでした?

そうですね、あの、飲み、まあ、まずお昼だと思いますけども、お昼皆さんと一緒に食べるときに、えー、まあ、極力その、消化のいいものを選んで食べる、それと、あとは時間をかけてしっかりかんで食べるということを心掛けていました。なので、当時製造業だったんで、皆さん10分ぐらいで食べて、えー、以上終わりっていう昼のスタイルだったんですけども、僕は30分ぐらい残って、どうぞ、どうぞ先に行ってくださいっていう感じで、じっくり、あの、1人残って、えー、まあ、かみ砕いて食べていたということをしていましたね。まあ、それが違いと言えば違いでしょうか。
あと、夜は、えっと、まあ、飲み会自体は確かにありますね。でも、まあ、逆にそういう場ではもう皆さん自分のペースでやられているから、こっちは、まあ、食べられるものをつまんで食べていると、まあ、飲めるものを飲んでいるというような感じで、まあ、割り勘負けはしますけども(笑)、まあ、そんな形でお付き合いも普通にしていました。はい。

クローン病の語り

職場での飲み会がある時は事前にエレンタールを飲んでおき、飲み会では大好きなお酒は飲まずにウーロン茶で、他の人にお酌して回り楽しんでいた(音声のみ)

―― あの夜食事に行ったり、飲み会に行ったりとかね、そういうお付き合いっていうのがあると思うんですけれども、なかなか絶食してたらそういうこともできないと思うんですよね。その辺で、その同僚の人とのお付き合いとか何とかで困ったりしたこととかっていうのはありますか。

困ったりしたことですかねえ……。基本的に困ったことないですね。
あの、今日は飲み会っていう日があると、もう事前に夜の分のエレンタールを、あの会社の冷蔵庫に突っ込んどいて、飲み会の前に飲んどいて、で、飲み会のときはウーロン茶とかジュースしか飲まないっていうふうな…。
で、私は、あの…、お食事には興味がないんですけども、すごい飲んべえなんですよ。なので、あの、お食事をやめることよりも、まあ今はもう平気ですけど、もう、あの病歴も長くなってきましたから。ですから、若いときにつらかったのは、どっちかというと禁酒のほうがつらかったんですね。
ですから、飲み会にはとにかく行きたい、行きたいので、でも、あの、入院するのは嫌だし仕事はしたいし、休職するのは嫌っていうことで、まあ編み出したのは事前にエレンタールを飲んどいて、あの、酒の席には着くけどもお酒は我慢をして、ウーロン茶とジュースを飲みつつみんなに飲ませて回るっていうふうな感じで、もうお酌をしまくるっていうふうな感じで。
まあ、困ったことといえば、エレンタールを水に溶かして持ち歩いていたので、あの、ずしって感じだった(笑)。あの、朝、あの、いつもだったらお昼の分のエレンタールを溶かして持って行くんだけども、その倍の量のエレンタールを持って行かなきゃいけなくて、もう満員電車の中で、ずし、ずし、みたいな感じで荷物が重い、早く飲みたいみたいな。でも、今飲んじゃうと飲み会のときに飲みたくなっちゃうから、ちょっと我慢みたいな感じで、あの、ちょっとエレンタールの運搬に苦労をしたけども、まあ周りも、あの…。
まあ、そうですね、職場の業界は意外に、あの、病気に理解がある業界だったっていうのが大きかったですよね。あとは、あの糖尿病とかがんの人が割りかしいたと。なので、あの、まあ、それで飲み会に参加しないという選択肢を取っている人もいたんですけど、まあ私は飲んべえだし、あの…、会社の人が好きで、あの情報収集もしたいし、営業マンだから、あの、横の情報と縦の情報をちゃんと取っておかないと仕事に差し障りがあるので、まあ頑張ってエレンタールを持ち運んで、で、まあ、お酒飲みたかったけど、あのウーロン茶とジュースで我慢してみんなの話を聴きながらお酌をするっていうふうな感じだったので、まあ、つらいことといえばエレンタールが重いということと、お酒が飲みたいっていうことがつらかったですね。