まあ、まだ、まだ訪問診療ってそんなにメジャーじゃない分野なんですけれども、えー、まあ認知症の方とか、難病でこう通院が難しくなっている方とか、あとはがんの、かなり進んで、やはりまあ肉体的に負担が大きい方とか、また、ご自宅でもう最期をお迎えになりたいと、病院で、あの、亡くなりたくないという方などもいらっしゃるわけで、そういった方のために、えー、そのご自宅を回って、診察をするっていうのが訪問診療なんですね。それを始めたんです…。
で、まあ…、まあ、実を言うと、あの…、そうですね、おととしまで3年間はこう1人でその訪問診療のクリニックをずっとやっていたんです。
まあ、ただ、ちょっと1人でやっているとさすがに(自分の)病気の具合が悪くなったときに(笑)、あの、バックアップが…、あの、誰もいないというのは、ちょっとさすがにまずいよねという感じがありましたので、じゃあ、これはもう具合が悪くなっちゃう前にきちんと、もっとこう組織立ってやれるところでやってみようということになって現在の、えー、クリニックに…、まあ、入職したわけですね。
で、今は、まあ、同僚の訪問診療をやっている先生方と一緒に、まあ、いろんな自宅を、ご自宅を回って、えー、僕も時々体調を崩したりとかすることはありますので、そのときは別の先生が代わりに、じゃあ僕が行ってくるよと、こうこう、こうだったよとか、そういう感じでやっていただいて、で、非常にいい関係で仕事ができているかなとは思います。はい。
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あとはやっぱり、本当に体調を崩すと入院してしまうので…、結局、限られた人数で、まあ、看護師はしていたので、私が休むとその分誰かが補塡(ほてん)しないといけないというところで、あ、迷惑を掛けてしまったっていうふうな思いというか…、うーん、そういう、ちょっと苦悩というかはありましたね。あとは特段、困った感じはなかったですね。
―― でも、あの、まあ、忘年会とか、そういう正式なイベントでなくても、ちょっと同僚の方とね、えー、一杯飲みに行こうかとか、そういうようなお付き合いっていうのはどうでした?
ああ。まあ、ちょっと女性の職場っていうのもあったので、あんまりそんなに回数はなかったですけれども。まあ、私自身がちょっとこう、そこら辺は、まあ、声、声が掛からないようにというか、少しこう、さ、避けるというか、少しこう引いて、まあ、いたところはあったかもしれないですね。あんまりこう、そういうところにどんどん行くような感じではなくて。はい。
―― じゃあ、その職場での何ていうんですか、人間関係で特にその困ったとか、苦労したことはなかったんですかね。
そうですね。人間関係に関しては、すごく困ったっていう覚えはないですかね。
あの、まあ、幸いにして皆さん、配慮してくださるというかですね、あの、うーん…、もう、その長く続けられたところは全部病気を言って。まあ、あの、まあ、一番トップの、まあ、管理職の人にも言っていますし、えー、その配属された病棟とかの、まあ、上司に関しても詳しくはこうこう、こうでって説明はしないんですけど、病気があってやっぱり通院をしているっていうことを言っていましたので、まあ、それが自然に他の人にもこう知れていてっていうところで、まあ配慮をいろんな面でしていただいていたので。
まあ、その分というか、私がやっぱりその働く上で何ていうんですかね、嫌だと思うのが、やっぱり病人、全て病人扱いされるのがすごく嫌なので、あの、何ていうんですかね…、いろんな人にこうサポートしておく、日頃から。
そうすることで、自分が調子悪くなったときに「大丈夫?」っていうふうにやっぱりその、声を掛けてもらえると思うので、日頃からこう、いろんな人にこう、あの、言い方はすごい悪いですけど(笑)、こびを売っておくというか、え、あの、いろんなことをしておくと、まあ、何か困ったときはいつでもサポートしてくれるので、そ、そういったのをしていたからかもしれないですね、その人間関係がうまくいったっていうのは。
その辺はやっぱり何か、その12歳から発症しているので、あの、うまくこう調整する力は付いているのかもしれないですね(笑)。はい。
今そのある程度土日は休みがもらえるとか週休二日、完全週休二日なんてもう、もう雲の上のような、なんかこう待遇ですよね。当時はそれが月4回の休みしかありませんでしたからね、ですから今は本当にいい時代になったなあ。あと本人さんたちにもですね、やはりこう目標持って仕事を頑張ったほうがいいんじゃないっていうようなアドバイスをしています。
その中で、本人の努力の成果としてですね、企業側が配慮をしてくれるようになるんですね。あの、貯金がたまるっていうんですかね、会社に対して努力したことがあの企業内部の中で認められ、で、何かあった時にいつでも相談していいよっていうな人間関係が構築されてきて、それで自分の居場所がねきちんとできていくと。で、ちょっとくらい入院したってですね、まあ、彼ならなんとかするだろうちゅうね、まあ、会社側の期待もあったんだろうと思うんですけど、まあ、そのおかげで、えー自分なりにいい仕事ができたのかなと思ってますね。
ただ、長期に休むと、まあ例えば2か月とか3か月とか休むとですね、管理職ではおられなくなる。まあ、平職に戻るわけですよ。だから、再発と共にせっかく1年かかって、えーこう昇給したのに平に戻るっていうね、もうその悔し涙は何回も飲みました。これが会社なんだと、だから一度でもこう病気をすると、この、えー、出世街道から外れていく、これはもうある意味仕方がないのだろうと、言う風に当時は感じていました。
ですけれども、今のご時世になって、えー、医療技術が進歩し、多くのこう薬がね開発され、ましてや手術をしないでいい時代になったり、もしくは通院だけで、あのー、病気を抑え込めるっていうか、そんな時代になったんで、もうその、病気の課題にだけとらわれて人生いきるんじゃなくて、もう思いっきり仕事をして、そして、自分の可能性を少しでもこう高めていって、その中での治療というか、治療と就労生活の僕は両立だろうと思うんですね。これをね、あの今の患者さんたちには是非目指して欲しいなって思っています。
突然朝起きると調子が悪いっていうことがあって、仕事を突然休むことが度々あったので、あのー、やはりギリギリの状態で、人数で回している病院、病院っていうのはそういう感じなので、自分の休んだ時のフォローっていうのを…人にお願いするっていうのはとても申し訳なくて、でも自分の体は動かないからしょうがなくって、そういう部分であのー…本当に申し訳ない気持ちだったんですが、それに対して周りが私を責めたりとか、そういうのは全くなかったし、まあー、調子がよくなって戻ると、よかったねっていう感じで喜んでいただいたし、あのー、職場の中の人間関係とかいうのは、とても恵まれてました。
―― まあ、でもそのためにはやっぱりご自身も色んな努力をされた結果だと思うんですけども、どういうようなその努力っていうか、自分での配慮っていうのをされてたんですか。
あのー、調子が悪い時にはどうしても他の方に代わってもらわないといけないので、自分ができるときとか調子のいい時とか、例えばその、…何かの研究とか発表とか、そういうデスクワーク的なこととかいうのは、できるだけやるようにしました。そしてまあ、…一生懸命というか、って言われるんですけど、自分は必死なんですができることは、できないことが多いので、できることはやろうっていうことでそういう思いでやってたらですね、周りの方があの、とてもすごいね、すごいねっていう風に、言ってくださって、で、自分が始めたことでも、あの、まわりの方も賛同してもらって、一緒にまた、始めるっていう内容のことも多かったし、とてもその、私というものを…大事にしてくれて、あのー、尊重してくれて、認めてくれて、で、応援してくれたんです。とてもあのー…同僚には恵まれたなと思いました。
―― 制度的な問題に対してなにかご意見ありますか。
えー、一つは私が発症した時と比べれば、クローン病患者さんがものすごく増えているので、えーと、制度的なことで言うと、私が発症した時には、クローン病患者は医療費もかからず、クローン病に関する医療費は自己負担ゼロ、薬に関しても、ほぼ自己負担ゼロで受けられていました、治療が。今はかなりその難病全体の制度が変わったり、患者数が増えたってこともあって、自己負担する金額とか、いろんな面でやっぱり負担が増えている面はあります。ただ、うーん、必ずしも医療費とか社会制度っていうものを、えー…無くなったら非常に困るんですけど、もう少しこうクローン病とかの患者が社会で活躍できるような補助の仕方っていうものを行政には考えてもらえるといいのかなと。一つはその、就労、就職のことでは、難病患者は障害者手帳を持ってないと障害者枠での就職ができないっていうことがありますが、まああの仮にですけど、いろんな条件を付けてもいいので、難病患者枠みたいな形で就職の支援をしてもらうとかっていうとまあ、一定の人はかなり助かるのかなと思います。
―― 社会保障制度的なものを含めて、その、社会一般に対して何か、こう、要望とかおっしゃりたいことってありますか。
うーん、そうですね、まあ、この、IBDの方々の多くが、まあ、体の内部のほうに、ちょっとこう、病気を持ったりとか、まあ、ちょっとこう、人によっては、まあ、欠損をして障害者になられてる方もいるんですけれども、見た目が分からないんですよね、外見からでは。
でも、その中のほうでは、ちょっとこう、具合が悪かったりとかっていうことがあるんで、そういう人たちが、まあ、多くいるっていうことを、ちょっとこう、もうちょっと広めてというか、まあ、広報みたいなことをしてもらって、一般の人たちにも、まあ、こういう、こういう人たちがいるんだっていうことを広く認識してもらえたらなっていうことは思います。
―― あの、最近、あの、都営地下鉄が作ってる、内部障害者のこういうカードみたいなのありますよね。
はい。
―― ああいうのって、使われたりしたことありますか。
えっと、もらってはきてるんですけど、あれを付け……自分では付けてないですね。付けてる人はちらほら最近見掛けるようにはなりました。
―― それは、何かこう、抵抗があります?
うーん、抵抗があるというか、どうですかね。まあ、普通に、外に出て、こう、生活してても、その、「自分がそういう人です」ってアピールをしなくても、対処できる状態でいるので、特に、逆にこういう、まあ、自分のことを普通にできる人がそういうものを持って、逆にこう、変な目で見られるっていうのも、何かそういうことのヘルプを必要としてる人も必ず何人かはいるので、そういう人たちの邪魔にならないのかなっていうのは、少しどっかあるので、まあ、そういう助けが必要になるような、その、体の状態のときには付けるとは思うんですけど、今自分のことは自分で一応できるんで、それでまあ、付ける必要はないのかなっていうことで、今は付けてないです。
あの、ヘルプマークっていうの全国的に広まってるんですけれども。ま、あの、見た目に何かしらこう分かるような方であれば、あ、そうなんだなってすぐ理解してもらえるかもしれないんですけれども、やっぱり自分たちが付けてたら、なんでこの人そんな、あの、それ付けてるから座れる。あの、障害者マークなんかと同じように思われてしまうとあれも意味なくなってしまうので、こういった理由で付けてるんだよっていうことをやっぱり世の中で分かってもらわないと、あれも意味なくなっちゃうマークなのかなとか心配してるんですけどね。
―― あの、ヘルプマークっていうのは、あの、東京がやりだしたこう。プラスの。
そう、そうです、そうです。あれも、まあ、全国的にこう広まりつつはあるんですよね、あの、デザインが、まあ、何種類かはあるみたいなんですけれども東京で始めたヘルプマークのデザインが一番多いんじゃないのかな。
―― ご自身も付けたり。
いや、してないです。あの、自分はいいかなと思って付けたりはしてないですけれども。ま、障害ある方だったり、あと妊婦さんだったり、あとはそういった方が付けてる分には、あの、全く、あの、見た目に分かるのでみんな席譲ってくれたり、多分すると思うんですね。優先席に座ってても誰も文句言わないと思うんですけれども。
あの、ストーマ付けてたり、あの、背中に点滴背負ってたりする人、分かんないですよね、だから付けてるんだよっていうマークなんですけれども。なんだこの人、普通、あの、普通の元気な人なのにここに座ってなんて思われるのも、で、いちいち説明して座るのも大変じゃないですか。そういったふうにならないように、やっぱ理解が進んでくれるといいのになって。
あの、町の中でスーパーなんかで、あの、普通に歩ける人が障害者マーク、ぺたっと張って、障害者マークのところの駐車場を堂々と使うようなことがやっぱり横行してるじゃないですか。ああいう使われた方にならないといいなって。
―― そのためにはどうしたらいいんでしょうかね。
いや、でもね、その、その話するとモラルの問題ですよね(笑)。いや、日本人、世界から褒められるような日本人なんですけれどもね、なんかあったときはほんとにいい人なんですけど、日本人って。普段、平和だとなんか、ちょっと、ずれてますよね、今ね。
(注)東京都のヘルプマークの詳細はこちら↓
http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/smph/shougai/shougai_shisaku/helpmark.html
―― 今、その「給付金」っていうお話があったんですけれども、それは、えーと、障害者手帳をお持ちだから出るものなんですか?
えーと、はい、そうですね。あのストーマの場合はあの障害者手帳が付きまして直腸、私の場合は直腸障害で出たんだと思うんですけれども、あの、まあ各自治体で変わってくるのかもしれないですが、少なくとも東京都のほうでは、えー、ストーマの給付金は、あの申請すれば、障害者手帳がもらえて、えーと、給付金がまあ、これも区、市区町村で違うのかもしれないですが一定のお金が、4カ月に1回で、もらえて、契約している、ストーマの仲介業者っていうんですかね、の方に連絡しておくと、その給付金を使いながら、ストーマの注文ができるような、関連企業も含めてですね、のを使わせてもらっている状態です。
―― あ、直接お金をもらうんじゃなくて。
そうですね。
―― そのストーマ代金から引いてくれるみたいなかたちになるわけですか。
そうですね。
あの、給付金の用紙、紙が届きまして、お金はあなたはこのお金まで上限使えますと、給付金使えますというのがきて、それをあのストーマを扱っている業者さんに送るっていう。で、あの、そしてその中から賄ってやってもらって。ただ、オーバーしたものは自費で払っていくっていう状態です。はい。
―― 障害者手帳っていうのは4級ですか?
えーと、私は、まあ、これもいろいろあるんですけど、今はできるか分からないんですが、鼻からチューブを入れる経腸栄養剤をやっていたときに小腸機能障害が、あの医師によっては取れる可能性があって、そのときにもう既に4級を持っていて、で、直腸機能障害と合わせて3級に今なっているんですね。
で、そうすると正直、あの障害者のいろいろ受けられる、えーと、コンテンツといいますか、が、変わってきますね、4級と3級では。
―― 障害者手帳を取ってその障害者枠の雇用とかっていうのがあるとおっしゃいましたけど。(その他に)良かったこととかありますか。
いや、取りあえず、あの、うち、車がなきゃいけないので(笑)。あのー、自動車税だけは減免になってるので、それはすごい助かってます。うん……。あとはもう4級なのでほとんどないんですよ、あの、3級からなんです、いろんな助成があったりするのは。なので、うん。
―― でも、その4級を受けられるよとかっていうことは、それは、あの、病院のほうから教えられた。
A:いえ、そうではなくて、あの、同じ患者さんで同時期に、えー、2人3人ぐらい、あの、申請する方がいらっしゃって。で、まあ、同じような状態だったので、じゃ、全員で先生に言って出してみようかって、たまたまそんな感じで出して全員、その、手帳を取った時期があるんですよ、かなり前なんですけど。
―― じゃ、それがなかったら自分では、だけでは分からなかったかもしれない。
そうですね、知らない制度っていったらあれなんですけど、うん、認知がなかったので。
―― じゃ、今の、あの、今の患者さんなんかでも、その、取れるかもしれないけど取ってない人とかもいる可能性があるってことですかね。
そうですね、それはそう思います。ただ、今、あの、えーと、私の主治医のほうに話をしたときに、今、障害手帳取るのは昔に比べてものすごい厳しいから、あのー、かなり、血液検査のデータだけではなくてその人の今の状態がかなり悪くないと無理だっていうのを、取りにくくはなってる。
―― ハードルが高くなってるんですね。
そうですね。
―― で、結果的に小腸が今、2メートル弱ぐらいということなんですが、えー…、あの、障害者手帳とかはお持ちなんですか?
はい。えーと、手帳もですね、最初はちょっと実は葛藤というか何ていうんですかね。何か変な、うーん、その、やっぱり障害者っていうのに認定されるというんですかね。もちろん、それはこう見て分かるというか公表、私は障害者ですっていうふうに公表しているものではないんですけど、何かこう障害者って認定されることに戸惑いというか。まあ、その、特に、その思春期というか10代の頃はね、まあ、ちょっと知識もありませんでしたけど。
で、ただ、えーと、やっぱりその障害認定を受けることでさまざまな、その何ていう、福利サービスというか、あの、福祉サービスが受けれるので。
で、そのときにかかっていた主治医の先生からも、こんなに大変な思いをしているんだから、それを受ける権利はある、あるよというふうに言ってくださって。まあ、確かに下痢も多いし、あの、夜間のその経管栄養もしていましたので、っていうところで、えーと、はた、15~16歳のときに、まあ、診断書を書いていただいて、障害者手帳の小腸機能障害4級ですかね、の、手帳を持っています。