投稿者「hanaoka」のアーカイブ

クローン病の語り

昔からの友人は病気のことも理解してくれて、結婚式の料理でもわざわざ特別料理を頼んでくれたりした。最近の友達にはあまり病気のことは話していないがそれほど困ることはない(音声のみ)

ただ、仲のいい友達は本当に逆に気を使ってくれて、周囲の友人たちは、一緒に行くときに、もうそのときにすごく食事制限していたので、あの、うん、「ここ行こう。どう、食べる?」とか。あと本当にありがたいのは結婚式の招待を皆さん本当、気にしてくださって、こう「何が食べれる?」とか、「ここに食べれないものを書いて」というふうに言ってくれたりとか、みんなやってくれますね。あの、そう。それは本当うれしいというか、ありがたい。まあ、周囲に恵まれた(笑)。そう。友達に、いい友達ばかりで、ありがたいことに、うん、いい人の紹介です。

―― ああ、そうですか。  あの、その結婚式の披露宴の食事って、もう大体どこへ行っても同じじゃないですか。

はい。

―― と、それはその、あんまりよくないものを抜いてくれるとか、そういうことになるんですか?

そうですね。あの、特別に作ってくれています(笑)。もう本当に、シェフの方にお願いして全然違うものが出てきたりするときもありますし、ええ、そこまで配慮してくれますね、本当に。

―― でも、そういうときに、あの今お話を聴いてすごく、まあそういう状態に感謝しているっていうことですけど、ちょっとこう周囲と違う料理がこう出てくるわけですよね。それで何か恥ずかしいとか、説明しなくちゃいけないのかなと思うようなことはありましたか?

ほぼ、あの、そのテーブルに座っているのは知っているので、何も思わない(笑)、ですね。あの、「あ、そういうのきたんだ」って逆にのぞいてくれたりとか、「あ、それおいしそうだね」とか、「そっちがよかったな」とかもありますし(笑)。何かこう本当さまざまで、何にもあれですね。うん。で、まあ他のテーブルにきたものとかもそうですけど、食べれるものあったら流してくれたりとか、こっちも食べない?とか、じゃあ交換しようかじゃないけれども、みんな何にも、うん、本当に変わらずに。

―― ということは、まあ今職場では、まあ伏せていらっしゃるけれども、お友達とかそういう何か職場じゃないような、プライベートな関係ではもうおっしゃっているんでしょうか。

場合と、場合じゃないときがあります(笑)。あの、昔ながらの知り合いは、もう知る、入院をしていたりもするので、ずっと長い友達は知っているけれども最近、近年の友達は言っていない場合が多いですね。まあ言う、言えそうだったら言ったりもするんですけれども、様子を見てですね。  やっぱり深い仲にならないと、なかなかカミングアウトまではいかなくて、うん。それでも一緒に食事、行ったりとかはするんですけどね、あ、私が勝手に選んで食べればいいだけでというふうに思っていて。うん…、特にそうですね、カミングアウトしていないですね、最近の友達。

クローン病の語り

今までの友達には病気のことを全部話してきたので特に問題ないし、これからも病気のことを理解してくれない人とはかかわらないつもりだ

―― そういう友達との交際とかっていうときに、やっぱりその今の病気の状況っていうのはかなり、なんかハードルになります?

あー、…そう今ある交友関係ってのは、やっぱ、その、中高、ま小中高大ってやっぱ全部・・話してきたんで、病気のこととかも、そこからでも、それを理解した上で、付き合って、今でも遊んでくれる人しか残ってないというか、まあ、そういうと何か寂しい、何か友達少なそうで寂しい言い方なんですけど、ま、でも、そういう友達だけはまだ、いまだに連絡くれたりとかもあるので、だからまあ、逆に言えば理解がある友達しかいないから、問題、何も問題ないですね。交友関係の。

―― でもこれからその、新しい交友関係を作っていく時にね、そのやっぱりご自分の病気のことを説明していかなきゃいけないっていうことはあるんでしょうね。

それは勿論ありますね。あると思いますね。でもまあ、それに関しては本当に全然何も苦じゃないというか、話した方が僕が楽だから話します。話すことに関しては全然問題ないですね。ただ、それを聞いて相手がどう思うか次第なんで。それがいやなら僕とね、係らなけりゃいいし、っていうような考えなんで。

―― じゃあ、その、別に将来に対してその悲観的になってるとか、そういうことはないわけですね。

いや、その完全に悲観的になってないというわけじゃないですね。やっぱ不安な場面は多々ありますけど、そのやっぱ、男友達とかに関していえばそれで別にいいかなと思ってんで、ただ、その結婚とかっていう話になってくると、それはやっぱりそこは、かなり違ってくるだろうなと思います。勿論就職もそうだし、本当病気であるということはやっぱ大きな、・・その先がある話じゃないですか、就職とか結婚とかいうのは、だから、友達はなあなあでもやっていけるし、何かたまに会ってだべるって楽しいみたいなんが大きいから、…

クローン病の語り

患者会を立ち上げた時に新聞に取り上げられたが、子どもが学校でいじめられて、家内からも「あなたが患者会なんかするから、家族は惨めな思いをする」といわれた

―― あと、お子さんはそのお父さんの病気についてなんかおっしゃったことってありますか。

いや一切口にしませんでしたね。だって、しょっちゅう入院してましたので。お父さん何か病気だ。「クーロン病」だとか言ってね作文に書いたことも、「クーロン病」ってなんだと、で、友達にクローンって言ったらね、いやお父さんあと二人目か三人目かいると?みたいな、丁度ドリーさんていう羊がね有名だったので、そういうことがちょっと思い出されます。
もう一つは患者会を立ち上げた時に、えー…このまるまる斯く斯くしかじかみたいな方が患者会立ち上げましたって新聞に大きく取り上げられたんですね、その時に子ども達が小学校で、「お前のお父さんは難病でね、…やーい、やーい」みたいなこと言われて、子どもが泣いて帰ってきた、いじめられて。
当時家内が「あなたがね患者会なんかするっていうから、こうやってね家族はねみじめな思いしなきゃいけないのよ」って、すんごいこう、家族からこう何か、何ていうかな、八つ当たりって言いますかね、直球でこういわれた時にね、でもこれをやらないとね患者さんたちがね、救われないんだよって、誰かがやらないといけないんだ。だから僕は手を挙げたんだよって、まあ、家族に理解してもらえるように説明しました。でもそれが子どもにとっては父親の難病患者であるっていうのをね始めてこうなんか、生で体験したような感じだったんじゃないかなと思っています。

クローン病の語り

二人の男の子がいるので体調が悪くても家庭サービスには努めていた。キャンプなどにも食事を工夫しながらよく出かけた

2人の男の子がいるんですけれども、やはりあの、家庭サービスとして、ま、どこかに出掛けるですとか、野球やってたもんですからその応援に行くですとか。ま、それも他の、あの、父兄の方と、ま、遜色ないような形で出てくんですけれども体力的にちょっと、非常にきついことがあり、ま、休めないんですけれども出てって、ま、帰ってきてはもうぐったりしてしまう。ま、そんな経験もありました。
ただ、やはり人間困るとこう、いろいろ考えが知恵が出てくるもんで子どもたちと、あの、キャンプに出掛けるときに、え、油分を取ってはいけないという制約がありましたので、ま、外でなかなかこうバーベキューですとか、焼き肉ですとかそういうことができないということで。で、私がちょっとこう始めてみたのがアウトドアで、あの、鍋料理をやるということを試してみました。ちょっと、あの、隣のテントとは違うメニューにはなるんですけども、これまた非常に好評で、あの、子どもたちと外に出掛けるときには、あの、クローン病患者スペシャルのメニューを考えてはキャンプなんかにも出掛けていきました。

クローン病の語り

5年前に直腸がんが見つかってストーマを造ったが、あえて子どもに話したことはない。ストーマだけでなくがんについての説明をすることになるので、お風呂も一緒には入らない

―― お子さんは、今お幾つなんですか。

今ですね、高校2年生、17歳と、えっと、中学2年生15歳ですね。

―― お子さまたちは、お父さんのその病気のことについて、まあ、特に人工肛門を付けておられるっていうことについて、どういうふうに感じておられますか。

えっとですね、まあ、上のお姉ちゃんはうすうす分かっているかもしれませんが、下の子はまだ分からないでしょうね、多分ね。その、わざわざ説明もしてないですし、まあ、その病気があって、まあ、そういう状態にあると。時々入院したりする。けどもまたまた戻ってきて、普通に生活してるのを見て、まあ、そんなに、特別に、どう、どうこうって思っているようには見えないです。ただ、まあ、どうでしょうね。やっぱり入院すれば普通に心配するでしょうし、手術ってなれば、まあ、妻と3人で「お父さん、どうなるだろうね」って会話してるんじゃないかなと思います。
 ただ、えっと、どうでしょうね。ストーマ自体はそのうち分かって、まあ、そういう状態にあるんだっていうのは理解すると思うんですけども、まあ、一方で、その、これは結果ですけれどもね、がんによってそうなったというところでは、まあ、あの、がんっていう病気の、その認識ですよね。まあ、もうすぐ、あの、5年になりますので、まあ、お医者さん的には心配しなくていいよって言っていただいていますけども、まあ、そういうリスクを持っている、父親がそういうリスクを持っているっていうことに関しては、やっぱり最初はちょっとどうしようかなって、そこをわざわざこう、取り出して、こうなんだよって説明をするかな、しないかなと。で、えっと、そういう資料も集めたりしたことありましたけども、まあ、結果わざわざやらなくても、そのうち知って、まあ、聞きたければ聞くだろうし、まあ、それなりに対応、判断するんじゃないかなってことで、ことさらお父さんはねっていうような話はしてないです。

―― ただ、その、お子さんが小さいときなんかには、例えば一緒にお風呂入ったりとか、そういうときは。

そうですね。あの、だから。

―― 見たりしました。

うんと、えー、小さいときは、まあ、普通に入ってましたけれども、えっと、そうですね、ストーマになってからこっちですから、まあ、例えば下の子ですと、10歳ぐらいの辺りから、えっと、一緒にお風呂に入んなくなったので、まあ、男の子ですし、男同士で一緒に入ってもいいんでしょうけども、何かそこは若干、まあ、不思議がってたかなと思いますね。

―― じゃあ、その、お父さんのストーマを直接見たことはないっていうこと。

うん、ないですね、はい。私もなるべくそうならないようにしてますし。

クローン病の語り

子どもはお母さんが鼻から栄養剤を入れたり、病院に行ったりするというのはわかっているので、「おなかを診てもらいに病院に行く」というように普通に話をしている

―― お子さんは、そのお母さんの病気について、何か理解をしてますか。

うーん、どうなんでしょう。何かその、鼻から栄養剤を入れてるときは、やっぱり何かこう、「そういう何か入れてるね」「今日はしないの?」みたいな感じで言ったりとか。でも、もしかしたらそれをみんな、どこのお母さんもやってると思ってるかもしれないし(笑)。何かちょっと自分の、病院とかよく行くから預けられてるとか、そういうのは理解してるんですけど、自分のお母さんが病気だっていうところまで分かってるか分かんないんですけど、でも、病院に行ってるとか、何か鼻から管を入れてるとか、そういうことは分かってます、はい。

―― そうすると、まだ、その、お子さんに、その、お母さんはこういう病気だから、えー、どうのこうのというような、そういう積極的なお話はまだされてないかな。

は、えっと、あの、言って、まあ、言ってますね。あの、「お母さんおなかを診てもらうから、病気だから病院行ってくるね」っていう話は、あの、してます、はい。

―― それに対してお子さんは、何か反応ありますか。

うーん…うーん、そうですね、特に、何かそれがもう普通、当たり前っていうか、何か、特に何かびっくりするようなことはないですね、はい。何かそう、うん、当たり前にそれがもう、彼にとっての日常っていう感じになってますよね、はい。

クローン病の語り

子どもには自分の病気についてあまりきちんと話したことはないし、外見ではわからないのであまり理解していないと思う

―― (お子さんは)お仕事されてるということなんですけれども、ま、小さい頃、特にですね、その、お父さんの病気について何かお子さんがおっしゃったりしたことってあります?

聞いたことないかな、子ども小さいときに一度入院してるときに、まあ、見舞いとか来てるけれども、その後…、その後は入院してないので、えー、多分、子どもが生まれてからは自分、一度しか入院してないんですよ。で、子どもがまだ保育所の頃なので4歳とか5歳とか小さいうちだったから、どうだろ、あんまり…ないかな。多分、普通の人だと思ってんじゃないすか。

―― じゃあ、その、お子さまに対して、その、自分の病気はこういう病気だよみたいなそういうお話もあんまりされてない?

ま、1度か2度したような記憶はありますけど、「ふうん」ぐらいで(笑)。まあ、普段こんな感じで見た目にも分かんないし、で、ヒュミラの自己注射打つときも、あの、基本、人の前でというか、は、打ったりしてないので…。高い薬使ってるんだよ、ぐらいで。

―― でも、その、トイレにこう、ね、頻繁に行くっていうことはどういうふうに見ておられますかね。

どうでしょうね、改めて聞いたことはないですよね。あの、子どもとあんまり時間かぶらないんで、あの、子どものほうはちょっとゆっくりなんですよ。自分は結構、あの、早い時間にもう家出てってしまうので。で、帰りも自分のほうが仕事帰ってくるのが遅いのであまり子どもとこう、かぶらないのかな。休みの日、下手するとほんとに何日か顔合わせないときもありますからね、家から通ってるにもかかわらず。

クローン病の語り

食事に関しては、家内の負担にならないように特別な配慮はしなくていいと言ってあるので、子ども中心の食事で、自分は食べられるものを選んで食べている

―― それで、まあ、結婚されて、でもその後ですね、あの、何度も手術をしたり、入院したり、あの、食事のこととか、いろいろその、奥さまご心配されたと思うんですけども、その中で何か、その、夫婦の間で特別な感情とか、会話とか(笑)。

難しいですね。えっと、まあ、結婚前に、えっと、母親に泣かれたことがありました。あんたに何を食べさせていいか分かんないっていうことでね、それはありましたけども。その後、一緒になってからは、どうでしょうね、まあ、あの、まあ、そういう病気なので、えーっと、気を使ってくれるなって難しいと思うんですけども、このために何かするというようなことはなくていいですと。ただ、普通に、あの、食べたいものを、あの、食べるということで配慮としては特段しなくてもいいよっていうのは、まず伝えて、あの、おきました。
で、えっと、あとは、まあ、あとはその、子どもたちができたら、子どもたち中心の食事になりますけども、まあ、だから、もう、そっち優先で、私は自分自身で食べられるものを選んで食べるというような食生活にして、極力、その作る側のっていうか、えっと、家内のその負担にはならないようにしてきたつもりです。ただ、それでも「いやいや」ってもしかしたら本人は言うかもしれませんけども、まあ、あの、そうですね、うん、あの、もう初めからそういうふうにお互いが、あの、了解をしていればね、えっと、これ、こんなん食べらんないよとか、いや、せっかく作ったのにとかっていう問答にはならなくて済むんじゃないかなと思います。はい。

クローン病の語り

主人と結婚するときに当然病気のことは話したが、「別に構わない」と言ってくれた。調子が悪い時は主人が家事を分担してくれる。あまり深刻にならないタイプなのもよかった

―― で、あの、ご主人にはですね、どういう、病気のことはどういうふうに最初にお伝えされました?

そうですね、あの、まあ、お付き合い始める前に、私病気ですよって言ったんですけど、「それは構わない」って言うから、いや、いや、普通の病気と違いますよ、これこれ、こうで、こんなに大変なことですよって言ったんですけれども、あの、「べつにそんなのはいいです」とか言って。  でも、結婚した頃が一番具合悪かったんですねえ。だから痩せてましたし、うーん、ステロイドの点滴とか、ステロイドも飲んでたりとかいろいろしてたんですけれども。
ただ、35歳で結婚して、その翌年ぐらいに大量下血しているんですけど(笑)。だから、まあ、主人も本当に私の病気とずっと付き合って、まあ、ブーケ(注)の会員さんの中にはやっぱり病気が原因で離婚された方とかいろいろいらして、あ、そういう意味では、まあ本当に夫に感謝というか、友人たちの間では、「あなたは本当に旦那さまに感謝よ」とかって叱られます。「優しくしてあげなさい」と叱られますけど。

―― そうすると、例えばその、あの、ご自身が具合悪いときとかは、その家事ね、料理とか、そういうこともご主人は分担されたりとかしていましたか?

そうですね。あの、割りと…、料理はなかなかできないんですけど、まあ、まあ、まあ全くできないことはないので、あの、やってくれたりとか、うー、洗濯とか、お掃除とか、そういうことは本当よくやってくれました。
ただ、ありがたいのは何ていうんですかね、そんなに深刻になり過ぎないタイプだったので、だから、もう…、もうちょっと大変なんだからねって(笑)、だから、もっとこれもやってとかいう感じで私がお願いしている感じですけど。

―― 確かに、その、あんまりね、2人して深刻になってしまうと…、何か全然うまくいかなくなってしまうので、やっぱりある程度そういうふうにこう気楽に考える人のほうがいいのかもしれませんね、パートナーとしてはね。

そうですね。もしかしたら、あの、本当に言わないだけでいろいろ思ってたりとかすると思う、本当に、あの、うん。ただ、そういうことを、こう…、ありがたいことに言わない人だったので。うん。

(注)若い女性のオストメイトの会

クローン病の語り

中学生の時に小児科から内科に移り、そのころから一人で受診もしたし先生との話も、手術などよほど重大なことでなければ直接先生と話をした(音声のみ)

―― その自分で病気のことをこう自覚して、こう自分でいろいろ判断をするようになってきたっていうのは大体どれぐらいからなんですか。

と、まあ、やはり、こういったん中学生ぐらいのときに親は区切りを置いたのかなというふうには思います。
で、中学校のときから、もう小児科病棟じゃなくて内科の病棟に直接行って内科の先生とやり取りをしたりっていうかたちで、えー、治療をしてきたので、いったんそこで区切りがあったのかなというふうには思います。
で、患者会も、あの、2種類ぐらい所属しているところがあって、1カ所は常に親と一緒に行くかたちでしたけれども、えーと、もう一方の大学病院の患者会みたいなものに、あの、当時の主治医の先生のつてで行かせていただいていましたけど、そちらについては、あの、最初の1回が、まあ、小学校のときなんですけど、それ以降はずっと1人で、あの、行って講演会受けたり、まあ、お泊まりしたりっていうかたちで楽しんでいたので、まあ、大体それぐらい、中学校ぐらいのときからできる範囲で、あの、自分で考えなきゃなんない部分についてはやりなさいねっていう、あの、親の指導だったのかなというふうには思います。

―― そうすると、もう、その治療に関してもご自身、まあ、中学ぐらいからご自身で判断とか、されていたっていうことですかね。

基本的に、その診断とかについては、普段の受診とかについては大体自分メインで先生と話をしてっていうかたちだったと記憶はしています。
もちろん入院とか、手術とか、もっと大きい話になってきた場合は、あの、親も入れて話をしたりとか、あの、検査結果の説明とかについては、親が一緒に聴いたりとかっていうのはありますので100%、あの、自分でやっていたわけではもちろんないんですけれども。まあ、基本的には、えーと、私と先生で話をしたりとかっていうのは、えーと、そんなかたちだった記憶があります。