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クローン病の語り

高校時代はネガティブな性格だったが、母もつらい気持ちであることを知り、心理学の勉強をして、ポジティブな言葉を意識して使い、自分で自分の心をコントロールするようにした

夜に母に一度だけ言ったんです、私は病気になってとてもつらい、嫌だって。そのとき看護師で夜勤で遅めに帰ってきて、遅めの夕ご飯を1人で母が食べていたんです。で、私がこの横に立って、お母さん、私はつらい、嫌だって言ったんですね。
そうしたら母が食べている箸をパンッて置いて「あんたね」って、「自分の娘が病気になって、こんな普通なご飯すら食べられなくなって、でも何もできない親っていうのは本当につらいんだよ」って言って母が泣いたんですよ。で、もう、ぐさっ、もう、ばーって刺さっちゃって、で、私も泣いて(笑)。

だから、それ以後はずっと私の中で私じゃない、つらいのは私じゃないっていうのがあるので楽、楽じゃないな、受け入れて、病気の私のゴール地点は、病気でよかったよって、病気になった自分のほうがよかったよって言えることが私の母への恩返しなんですね、本当にそう思っているので、そうなりたいって思ったんですね。
で、実際、私、女子高生のとき本当にネガティブで、ネガティブなことばっかノートに書いてたんですけど、ネガティブじゃあおなか痛くなるんだってことを知って何かあの心理学の勉強をして短大、18~19で心理学の勉強をして、何かこう自分のことを好きじゃないと他人の話は聴けないっていう勉強をしたんです。すごいショックで、そっか、人の力になりたかったら自分のこと好きじゃなきゃいけないんだって知って。
だから「マインドコントロール」とかいう言葉、自分の心を自分でコントロールする、ネガティブなサイクルから自分でポジティブなサイクルに飛ぶとかいう勉強をすごいしたんですね。
で、もう、それがすごく私に合っていたんです。結構、頭で考えるタイプなので、頭に入ってくる情報のほうが整理ができるんです。それから、自分がどれほどこうポジティブなサイクルにいたのか。
で、やっぱりその母のきっかけがあってから、ポジティブな人間になりたい、なるんだ、なりたいって思って…、例えば明るい言葉を言うとか、人に明るい言葉を掛けるとか、プラス思考に無理やり考えてみるとか、そういうベタなことから始めたんです。で、今、いい感じなんですけど。だから、それは大きいですね。

クローン病の語り

病気になる前は親が敷いたレールの上を歩いてきたが、現実に突き当たって、そのストレスで病気になってアラームが鳴った。それからは自分で物事を考えるようになった

―― 自分がその病気になったきっかけっていうか、原因みたいなものをご自分なりに何かこれかなっていうのはありますか。

あります、あります。あの、原因、自分で思うのは、やっぱりどっちかというと自分であんまり考えて生きてこなかったので、大学に入って、あの、本当にどうやって何をして生きていくんだっていうことが、ちょっとこう現実を突き付けられるというか、で、そのときにすごいストレスがあったんですよね。
私はこういうふうに生きたいんじゃないのに、何でこんなことをやっているんだろうっていうような。で、本当、大学やめたいんですけどっていうのを、こう親に相談して「ばか言ってんじゃないよ」って、こう言われている時期だったので、多分それが。
今まで、ずっとこう何となくのほほんと生きてきたのが、こう現実に差し掛かってのストレスだったんだと思うんですけどね。

―― 病気になるまでのご自分と、病気になってからの、その自分の考え方とか、何かセルフイメージっていうんですかね、そういったものの変化っていうのはありましたか。

そうですよね。やっぱり、その病気になる前までは、まあ、どちらかといえばこう、いい子、いい子として育ってきて、あの、レール、敷かれたレールみたいな上にいたわけなんですけど、病気になって、あの、アラームが鳴ったっていうか、あ、本当にどうやって生きていきたいのっていうふうに、こう聞かれているような感じっていうか。
まあ、それまでは多分、あんまり自分で物事を考えずに生きてきたと思うんですけど、そこからは考えるようになったし、あの、すごい良かったなと思っています。

クローン病の語り

今は寛解状態なので健康な人とも友達ができて、遠くまで遊びに行ったり、食事も色々なものを食べたり、健康な時より病気になったほうが活発に色々なことができているなあと思う

ただ、いろいろなことに向かって遊びに行く、遠征行ったり、ほんで自分でドライブしたり。今何か、今はちょっと同じ病気の人で、健康な人らとも一緒に仲良くしたりいろいろな人たちで。
何か、だから健康なときより、病気したときはいろいろ動いてます。東京のほうまで行ったり、鹿児島のほうまで行ったり。それで、まあああいう広島のほうのあの原爆ドームを見に行ったり、いろいろだから自分で楽しみを持って。
まあ、中にはクローン病の人もずっと具合悪い人もいてます。でも僕は今んとこ、毎日月火、月曜日から、えーと、金曜日まで仕事して、ああ、日曜日はどこか行こうかっちゅうかたちで自分でいろいろなとこをあった。
で、今は、まあ友人ができていますからね、ちょっと楽しみが増えています、ちょっと。結構やっぱり、その音楽を聴いて何かいろいろなとこへ行ったりして。僕的にだから中学校からで仕事、まあ家庭が厳しかったからね、仕事せなあかんかって、それが無理たたったけど、そのときにもうほんま仕事せなあかんか、家にお金入れたらなあかんっていうことを自分に、健康なときに自分で気い晴らせるもんがなかったんですよ。
でも、病気していろいろなこうやって大阪市内とかいろいろなとこが見れて、いろいろなとこにちょっと遊びに行こうかっていう気分になりました。
だから、かえって病気した後の仕事も、いろいろなこともできて良かったと思います。ある意味クローン病になったのも、まあ大変なことは大変なんですけど、まあ今いつどないな、またね、がんとか起こすかは。いろいろなちょっと楽しみができた。
ただ、まあ大阪のほうまでね、治療をしていきながらいろいろなもん見れて、ああ、それで仕事もできて、ほんでまあ食事ももう結構いろいろなもん食べてね。それぐらいですから、かえって(笑)、健康なときより病気になったほうが活発にいろいろなことできてるなあと思って。

クローン病の語り

病気になって始めたこともあったり、病気をしなければ出会えなかった人たちに出会えたりして、病気をして得をしたこともあった

―― 病気になってから、まあ、自己イメージの変化っていうんですかね、そういったものっていうのは何かありますか。

そうですね。あの、やっぱり元気だったときには分からない、その、お仕事も軌道修正していて病気でも何とかできるお仕事のほうにシフトしていって、で…、まあ、自分が思い描いたものは逆にやれていたりするんですね。あの、うーん、バリバリやれているわけではないですけれども、こうしたかったっていうものを。
ただ、病気になったからできたこともたくさんあって、あの、その、難病指定されると区から、あの、月々幾らか頂けたりして、助成金みたいなのを頂けて、それで、そうだわと思ってお三味線を習い始めてみたり(笑)。はい。あの。
で、そのブーケ(注)もそうですけれども、あの、今まで自分が知り合えなかった人たちとたくさん知り合うことができて、人としての私がそのまんま生きていたら分からなかったことや、あの、うーん、今も全然駄目ですけれども人としてのこう何というんですか、お付き合いの幅が広がったというか、病気しなければ出会えなかった多くの人たち、すてきな人たちにたくさん出会えたなって。
それは、うーん、病気しないほうが、それは一番いいんだけれども、それはそれなりの生き方があったかもしれないけれども、うん、病気したことで得したこともたくさんあるかなって思います。

(注):若い女性オストメイトの会

クローン病の語り

病気になる前は完全に受け身で誰かに言われた通りに生きてきた気がするけれど、病気になって、いろいろな本を読んでから、自分の思い方でどうにでもなるということに気付いた

―― その病気になるまでと、それから、まあ、病気になってからですね、その、ご自分のその考え方とか、そういうのが何か大きく変化したっていうことはありますか。

うーん。
病気になる前は…、誰、誰かの受け身、完全に受け身で誰かから言われたとおりに生きてた気がするんですけど、病気になってからは、しばらくも、まだその半分はそうだったんですけど、病気、一番苦しくなってからはいろんな本を読むようになって心の世界があることとかいう自己、自分の、かん、思い方でどうにでもなるよっていうのを、し、気付くきっかけを病気がくれたと思うので、まあ、そこからはどんどん考え方次第、楽しい人生に今なっているので、まあ、何かのせいにするとかいうんじゃなくて自分が思ったとおりにやってみれば何とかなるんだっていう気持ちになってます。

―― それは、病気になってどれぐらいの期間がたってからですか。

その気持ちになったのは、病気になって……、10年、9年、10年ぐらいですね。

―― その、それまでっていうのは、その、そ、今までと変わらない、その受け身の気持ちが続いてたわけですか?

はい。もう主婦だから家にいなきゃ、主婦だからおうちのことしなきゃ、もう病気だからお仕事はできない、全部諦めてたんですけど。
まあ、その本を読むきっかけになったのは、もうとことん頭がおかしくなるぐらいおかしくなったときがあって、そのときにもう薬もやめ、病院も行かず…、何か、西洋医学を全部否定したときがあって。
そこまでやると、もう栄養失調ですね、完全に栄養失調で脳に多分栄養いっていなかったみたいで、それこそ本気で精神科に連れて行かれて…、からの退院した後にそういう本を読み出して気が付いたんで、やっぱとことん痛い目に遭わないと気付かない自分、自分だったのかなとか思うんですけど。

クローン病の語り

病気をコンプレックスだと思っていない。病気は自分の特徴の一つという感じで店の常連さんや友達に話をする。顔を出して語るなど自分ができることは積極的にやっていきたい

―― あの雑誌のインタビューを受けられたり、それから、まあ、今回こういう、このインタビューを受けていただいたんですけれども、まあ、そういうその、自分のことを、映像もお顔も出してお話しをされるっていうことに対する何ていうか、あの、何て言ったらいいのかな(笑)、その抵抗みたいなものは特にないですか?

そうですね。もう、あの、お店をやってしまっているので、あの、顔を出すことには慣れているんですけど(笑)。あの、やっぱり顔を見て話さないと伝わらないことってあると思うので、恥ずかしいことをしているわけではないので積極的に、あの、自分ができることはやっていきたいなと思っています。

―― 逆に、その病気だということを、まあ、病気というか難病だということが、まあ、他の方に伝わって、それに対してその何か嫌な思いとかをされたことはないですか、じゃあ。

そうですね。あの、病気自体をそんなに私がコンプレックスだとは思っていないので、まあ、あの、常連さんですとか、友達にも、あの、一つの、まあ、特徴みたいな感じで話して、こう自分をもうちょっと分かってもらおうっていう意味で、あの、病気のことを話すときはありますね。

クローン病の語り

クローン病があっての私と思っている。周囲には、仲が良くなっていく段階で病気を伝えている。隠そうとは思っていないし、抵抗感はない

―― えー、周りの方にご自分の病気のことをですね、あの、どこら辺までお付き合いの方に病気のことをお話しとかというのはご自分の中で何か決められていることとかってありますか。

初対面の方だとなかなか、あの、また説明も難しいっていうのもありますし、初対面の方がクローン病を理解するっていうのもなかなか難しいと思うので、何回か会っていく中で、実はこういう病気なんだけれどもっていうふうな話をしていくかたちが多いかなと思います。
ただ、私的にはもう病気を隠そうとは一切思っていないので必ずもう仲良、仲が良くなっていく段階でこういう病気なんだっていうのを伝えていっておりますかね。

―― じゃあ、病気を開示することに対するその何ていいますか、抵抗感みたいなものは持っていないということですか。

そうですね。私自身としてもクローン病がありの私だと思っているので、そこに関してはもう、あの抵抗というのは全くない状態ですね。

クローン病の語り

頑張って何とかなることもあるが、だめなときもある。体の声をちゃんと聴いてあげることが必要。病気と友達にはなりたくないが、口うるさいおばさんくらいには思っておけばいい

そうですね、あのー、ま、クローン病って傍目にまずわからないですよね。で、あの、あと、主な症状が下痢とか腹痛というので、人に話しても話しにくいし、話してもそれがどんなに大変か、え、下痢で死んだ人いないよ、みたいに言われたりとか、あの、すごくあの、なかなか人にも話しづらい、特に若い女性とかだったら、まず人には話せないし。で、あの、だけど、こう、まず日常生活を送っていくのにものすごく努力がいる。
例えば、今日私がここに来るんでも、朝ともかくお腹を落ち着かせようって、実はすごく頑張ってるんですね。毎日そうしてるから何とも思ってないけれども、日常生活送るのにすごく頑張ってる。で、一方で、どんなに頑張ってもどうにもならない病気。だから頑張ればなんとかなることは、ものすごく頑張っちゃう。もうその二つの間で、すごく行き来をすることがあると思います。だけど、あの、…病気っていうのはあってはいけない?…害悪じゃない。あの、これはとある有名な、全然医学と関係ない先生に聞いたんですけども、ある社会現象について、「これは排除すべき病理ではないと。そうではなくて刺激に対する生体反応だと、だからあなたはどういう反応が起こっているのかそれを良く聞きなさい」と。
あの、それは私が今も毎日頑張ってることですし、で、あの、特に頑張ってる時に調子が悪くなると、こんなに頑張ってるのに、こんな時に調子悪くなっちゃった。でもそう思うとすごく悲しくなっちゃうけども、逆に言えば体が今まで頑張ってついてきてくれていた。でもう、ちょっとこの辺で限界ですよって言っている。そういうあの体の声っていうのはちゃんと聞いてあげて、本当に頑張ってる時は本当に限界までついてきてくれてるから。だから私は病気とお友達になろうとよくクローン病だと言われるんですけど、あんまりお友達にはなりたくないなとは思いますが、でも、お友達になりたくなくっても、あの、口うるさいおばさんくらいには思っといていいんじゃないかなと思います。はい

クローン病の語り

病気になって自分の理想が叶わなくなり、いつの頃からか「病気が嫌い」から「自分が嫌い」に変わってしまった。病気と自分が切り離せなくなってしまったのかもしれない(音声のみ)

中学の時は、その、病気がそこまでひどくなるまでは、私はものすごく学校のどちらかというと中心として生徒会もやっていたくらいなので、そういうことにやりがいを感じていたタイプなので、それが全部なんかできなくなってしまった、部活ですらもちょっときついという状況で、で、まあ、それなりに一応進学校ではあったので勉強だけでもものすごくきついので。本当は自分の理想としては勉強もやって部活も充実させて文武両道みたいなのが理想だったんですけれど、それがやっぱり叶わなくなってしまったというのが自分の中ですごく納得が行かなくて、常に自分が嫌い。

―― この納得がいかないところまではよくわかるんですけれども、それがこうなんで自分が嫌いっていうふうに向いてきたのかなっていうところがね、ちょっと難しいかもしれないんですけれど何かこう、うまく説明できるようなことってありますか。

うーんそうですね。多分、ま、病気が嫌いっていうのが恐らく、みなさん何か思うことで、自分も多分そういう風に思っていると思うんですけど、たぶん長く病気と付き合っていく中で、あの、病気がある自分っていうのが段々こう当たり前になってくると、何か、なんでしょうね、病気と自分ってそんなに切り離せるものじゃないというか、だから、病気のことが嫌いということは、何か自分のことが嫌いみたいな、なんかそういう不可分のところがあって、で、なんか、だから、そういうこう自分が嫌いっていう言い方に自分の中でなってきちゃったのかな、段々と。最初は病気が嫌いだったのが、何かその、病気があることが当たり前になってくるにつてれ、うーん、何か自分が嫌いになっていっちゃったのかなっていう気がしますね。

―― なるほど、はい、わかりました。

はい、わかりますかね。

―― うん、なんとなくわかるような気がします。

表現として、病気やだやだって言っていたのが、うん、そうですね。自分が嫌だ、にいつの頃からか変わって行ってしまったのかもしれないって、今気づきました。

クローン病の語り

病気は自分とセットであるものだから、「乗り越える」でもなく「受け入れる」でもなく、「付き合う」、「共存する」という感じだ

―― ま、病気との向き合い方っていうので、これはなんか語ってるのは、その、病気って自分は乗り越えるのか、それとも受け入れるのかみたいな、その。

乗り越えるでも、受け入れるでもなく付き合うって感じですかね。もう共存するみたいな感じですね。もう、まあもう、自分とセットであるものだと思っているので、うん、乗り越えるとまではいかないと思います。

―― ここ、自分の中で、その、付き合えるなって、これでなんとか付き合っていけるっていうのをいつ頃思われましたか。

もう、2回目の手術した辺りぐらいからもう30代後半になりつつあるときから、あの、もう、あの、私のもともとクローンではない友人とかにも話すようになってきたし、もう、もう割と世間的にも認知度が、ていうか、まあ、(クローン病に)なってらっしゃる方が増えてきたっていうのもあるので。もうその辺りからは、うん、共存していけるかなっていうかもう、自分でもこのままで大丈夫だなっていう、思うようになったって感じですかね。

―― それはじゃ、ある程度、その、周りの受け入れが、その。

そうですね。

―― 社会的な認知度が上がってきたことは結構それ影響してる?

はい。