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クローン病の語り

小6でクローン病の診断を受けた。叔母が潰瘍性大腸炎だったので、病気のことは母から聞いたり患者会で学んだりした。カレーやラーメンが食べられないことにショックを受けた(音声のみ)

―― それで、まあ、クローン病という診断が付いたわけですけれども、まあ、小学校6年生だとなかなか、どういうことかって理解できなかったんじゃないかと思うんですけども、その辺は記憶ありますか?

と、あの、私は、あの母がですね、母の妹が潰瘍性大腸炎なんですよね。なので、あの、まあ、そちらのほうの入院のときのお手伝いとか、あの、普段の生活のお手伝いっていうかたちで母が割と親身に手伝っていたりしましたので、その関係で、同じIBD(炎症性腸疾患)というくくりの中のクローン病だということで、主にその病気に対する理解とか勉強については、母が中心となって行ってくれたという記憶があります。
で、もちろん僕らは小学生、僕は小学生でしたので、あの、主に普段どういうことができないだとか、どういう症状が起こるとか、あの、そのあたりについては、まあ、母から教えてもらったりだとか、当時、付いていた看護学生の方がいろいろ調べて勉強、教えてくれたこともありますので、そういう中での勉強だとか。
あとは、もう当時から、患者会というものには、まあ、行ったほうがいいということで母と一緒に行ったりとかして、その中で勉強していったというかたちになりますが。まあ、クローン病だって言われて、最初にみんなが言われてショックを受けるのが、あのカレーを食べれない、ラーメン食べれないと、そういうあたりの話かと思うんですけど、やっぱりそのあたりは結構ショックを受けたなと、まあ、という記憶があります。
あとは、鼻からずっとチューブを入れて栄養を入れなきゃならないとか、そういう実生活的な部分でやっぱり影響出る部分っていうのが、あの、すごく嫌だったなっていうのと、まあ、先ほども言ったかもしれないんですけど毎年、小腸造影の検査を受けなきゃならないと言われて、すごく嫌だなっていうふうに思ったのが当時の理解でした。

クローン病の語り

中3のときに診断がついたが、医師から詳しく知らされておらず、診断と自分の状態が結びついていなかった。ただ目の前の受験や学校生活をどうやって乗り切っていくかを危惧していた(音声のみ)

―― クローン病と診断されたのが中学3年の時ということだったんですけれども、そのときはどんな風に感じられましたか。

中学3年生の時は正直ものすごく、もうほとんど、よく生きていたね、っていわれるぐらいの状況まで放置してしまった状態でしたので、えーと、何がなんだかわからないというのがもう、その時の気持ちだったと思います。ただ、もう目の前に受験ということがありましたので、病気のことを考えているというよりは、「この受験どうしよう」ということで頭が一杯でした。
で、あの、その時の主治医の先生から、これは後から聞いた話なんですけども、あのー、敢えて私が二十歳になるまではあまりそのいわゆる特定疾患であるとか難病であるとかっていうことは極力あの、言わないようにしていたのよ、ということを後から言われまして、二十歳になったから一応詳しく話すねっていうことを、えーとおっしゃられたので、恐らくあの、10代のころはあまりわかっていなかったと思います。(笑)調子は悪いなというのは思っていましたけれども、それとなんでしょ、診断名とかクローン病という病気をあまり結びつけて考えていなくて、ただ日常の学校生活であるとかそういうことをどうやってこの体調で乗り切っていくかということをものすごく危惧してた、という印象はあります。

クローン病の語り

クローン病と診断されたときは、すでに1型糖尿病という難病をかかえていたので、ダメージは大きかったが、難病という言葉には免疫があった

えー、正直、クローンになったときにはかなり落ち込みましたね。うーん、まあ、ただでさえ、その前に1つ、その、えー、持病があって、さらにもう一つ加わることのダメージって、ものすごく大きかったですし、まあ、そのとき働いてたので、えー、まあ、その休んでる、休職してる間は、やっぱりこう、気晴らしに、ちょっとこう、外に外出したりするんですけども、そのときには、やっぱりこう、普通に働いてる人がそこら辺に、こう、見掛けると、「ああ、自分は今後ちゃんと生活できるのかどうか」っていうところが、ものすごい不安でしたね。

―― で、そのときに、あの、クローン病っていうのは、その、難病と言われてるんですけども、その、難病っていうようなことをお医者さんからは説明されました?

えっと、難病とかっていうことは特に言われてないですかね。まあ、そのときには親のほうが、ちょっとこう、調べていてくれて、えー、まあちょっと、そういう申請とかも、おー、入院してるときに確かしてもらってたはずです。

―― …そうすると、難病っていう言葉に対する何かイメージみたいなものってのは、ありました?

うーん、っていうかもう、元々、その1型糖尿病も、まあ、いわゆる難病ですから、まあ、そこら辺でいうと、ちょっとまあ、他の患者さんよりかは、変な意味、免疫があったのかなっていうのはありますね。もう一生この病気と付き合っていくしかないのかなっていう、変な開き直りみたいなところはありましたからね。

―― お医者さんからはどういう、その、この病気に対して、どういう病気なんだっていうような、その説明っていうのは、どんなふうな説明がありました。

えっと、僕がかかってた主治医、その当時の主治医っていうのは、えー、はっきり言って、クローン病はあまり、こう、専攻ではない内科の医師だったので、特に、えー、「クローン病だから、こうこうこう」っていう説明は一切、そのときはなかったですね。どっちかっていうと、あの、胃のがんのほうの研究を主にされてる医師だったので。

クローン病の語り

二十歳になって難病だということを聞かされたが、「難病患者」というイメージと自分の間に乖離があった。体調はすごく悪いけれど自分が難病患者であるという実感はなかった(音声のみ)

―― そうしますと、難病とか特定疾患とかっていうことを二十歳のころに説明されたということなんですけれど、その難病という言葉を聞いたときに何かイメージみたいなものはありましたか。

難病、そうですね、あの、やはり二十歳になると一応自分は働くのかな、働かなきゃいけないのかなということを考え始める時期でしたので、学生でしたらまあ、何とかなっていたことが、働くって、私働けるのかしら、っていうそのことがすごく心配でしたし、なんか自分は、まあ、あの、体調はものすごく辛いんですけれども、自分が難病患者であるということはなんかあんまり実感がなかった。
そこまで私はひどいのかな、寝たきりではない、ま、一応波がありますけれども、落ち着いているときは動けますし、介助が必要なわけではありませんし、自分のなかでそれまであった「難病患者さん」という勝手なイメージと、今の自分というのが何か乖離がある気がして、私は難病ではないんじゃないかと、ただ、よく原因がわからなくて治りづらい病気、それが難病なんだろうなーというふうに解釈して過ごしていました。

クローン病の語り

初期のころはまだ重症ではなかったせいか、難病と言われたら自分はそれに立ち向かうヒーローになったように感じた。数年かかって病名がついて戦う相手がようやくわかった

―― その、難病っていう言葉を先生は使われました?

最初に言われました。君は残念やけど難病でなかなか治らん病気や、けどまあ、これから一緒に頑張ろなっていうような言葉いただきました。

―― すいません。その、難病っていう言葉に対するイメージってなんかありましたか、その当時。

うーん、これもちょっと笑われるかもしれません。なんか、難病になったら、それに私は立ち向かうヒーローだっていうような感じに思って、あんまり、これ頑張って、なにしろやってることは全然違うんですけれども、立ち向かってなんとかやると思っても、あの、それよりも病名が数年かかって付いて、戦う相手がようやくはっきりしたっていうのの、ほんまおかしいですけど喜びのほうが大きいので。
ま、大変そうやなちゅうのは後から分かってくるので。ま、だから、判別がつかないってことは逆にいうと初期症状やっていうことですので、そんな、あの、腹痛もありましたし、微熱もありましたけどそんな大変な思いの手前のまだ症状でしたので、そう思えたのかなと思います。

クローン病の語り

難病という言葉は最初絶望的な言葉で社会に出るのも怖かったが、今ではそんなに明るいのに難病なの?と言われる。難病はむしろ自分の人生にとって得ぐらいに思っている

やっぱ、当時10代の女子だったので人にも言えないし。だから、そのときはもう自分は彼氏も絶対今後できないし、絶対結婚もできないしってすごいこう、悲観的にすごい思ってました。

―― それは、あのクローン病と診断された後、そういう。

そうです。もうクローン病の一番の原因が食事とストレスって言われたので、でも原因不明。原因不明だけど食事とストレスって言われて、そんなの生きていく上で欠かせないことだし、元々こう、しん、心配症な子だったのでストレスなんてこの先どれだけあるんだろうって思ったら、もう怖くなっちゃって。だから、短大も行くのやめようかなって思ってましたね、そのとき、こう社会に出るのが怖くなっちゃって。

治らない、原因不明っていうのが、もう私、それが最初ショック過ぎて毎日泣いてたんですけど。でも自分の努力、食事と(笑)、もう精神的なコントロールをね、頑張ってると、よくなることもある、人もいるっていうことを本当に伝えたいなって思います。

―― そうすると、その、まあ難病というふうにね、いわれていますけれども、その難病っていうイメージ、「難病」っていう言葉に対するイメージっていうのは、こう変わってきましたかね。

うん。難病って言うと、いまだに「え?」ってされるんです。そんなに元気なのに難病なの、そんなに明るいのに難病なの?って思われるのがむしろ私の人生なんです(笑)。得? 得ぐらいに思っていますね。普通の人の発言よりもちょっと何ですか、重みになるじゃないですか、私の背景が実は難病ですっていう。
だから、うん、難病って最初はもう本当に絶望的な言葉だったんですけど、全てを諦めさせる言葉だったんですけど、今は、難病を持ってからの夢、自分の夢、病気とは関係ないとこの夢があれば、うん、明るいものにもなるなって思います。

クローン病の語り

最初に聞いた時には、「難病=(イコール)死ぬ」のかなと思った。「難病」、「治らない」という言葉にずっととらわれていた部分がある

―― 難病とかっていう言葉はどの段階で聞かれましたか。

ええと、一応、あの、最初に、その、疑いで言われたときに、あの、19ぐらいだったんですね、18、19ですね。その間に言われて、ああもうだから、難病ってイコールもう死ぬのかなと思っていたぐらいなので、治療法がなくて死ぬのかなと思っていたので、かなりそのときは精神的なダメージが多かったんですけれど。 まあ、でも、ま、なんとか、そうも言ってられないので(笑)、あの、取りあえず、あの、五体満足というわけではないけれど、ま、内臓悪くても何とかなるかなぐらいまでちょっと、持ってかないと精神的にほんとにこのままでは崩れてしまうと思ったので、はい。

もう、それ以前やっぱり難病って、あの、前も言ったように難病って言葉にずっととらわれてたっていうのも変ですけどそういう部分もあるので。

―― とらわれていたってどういう、ご自身が?

そうですね、難病イコール治らないっていう感じですかね。

―― その、治らないっていうことがやっぱり一番大きなつらいところなんですかね、この病気の場合。

そうですね。そこがもう、最終地点がないっていうか、まあ、結局はもう、切ったものは、切っても切っても(また手術になる)ってことなので、それもしょうがないっていうことになっちゃうと。
うん……。

クローン病の語り

難病と言われても大変なことだとは思ったが先のことは想像がつかなかった。さんざん病院を回って診断がついたので、やれやれと思った

―― 難病だというふうに、あの、分かったときに、何かこう、思われたこととか、ありますか。

はい、そうなんですよね。だから、あの、難病っていう言葉自体で、えっと、何ですか、さっき申し上げたとおりで、その、どうなるかが全く想像付かないんですね。ですから、言葉だけでは難しい、大変なことなんだっていうのは分かるんですけども、実際に先ほどこれまでね、お話ししてきたような、そんな状態になるとか、そういうことが起こるっていうのは、えー、そうですね、その、最初の取っ掛かりの説明のときには、まあ、やれやれ診断が付いたんだぐらいの話で、そこから先のことってなかなか、ちょっと想像が付かなったですね、正直ね。

―― その診断が付いたときは、でも、やれやれって。

やれやれでした、本当に。うん、さんざんあちこちの病院行って、はい。検査もたくさんやってっていうことでしたので。

―― 分からなかったときのほうがやっぱり心配。

そうですね、はい。何か分からないもの、分からないまま、えー、この胃薬飲んどけとか、下痢止め飲んどけとか言われて、症状が変わらないっていうほうがつらかったですね。

クローン病の語り

診断名を告げられた時は、診断名が分かってよかったという気持ちと難病で治らないという絶望的な気持ちの半々だった

―― …ご両親は、最初にその、まあ、異変があったときに、その病気のこととか、あるいは、まあ、診断されたときにですね、病気のことを調べられたりとかしましたか。

うーん、ちょっとそこら辺聞いてないですけども、してない、そんなに詳しくはしてないと思うんでね。多分、先生からのほうの説明を少し詳しく聞いたぐらいで、多分まだ自分が、えー、クローン病と診断された辺りっていうのは、情報源という情報源はなかったと思うので、はい、先生から話を聞いて。

―― ご自分は何か、当時はまだインターネットない頃でしたか。

ああ、はい。ないですね。はい。

―― どういう形で調べたりとかされました。

ああ、調べてはないですね。結局、自分、小さいときから病気だったので、先生からの、えー、診断を告げられたときに関しては、まあ、うーん、診断はついたのは良かったけれども、結局治る病気じゃない、治療法も分かんないっていうことで、えー、……何でしょう。半分、半分良かったっていうのと、まあ、半分はちょっとやっぱり、誰でも難病って聞くと、えー、感じると思うんですけど、まあ、絶望というか、要するに、うん、なんで、ショックがありましたね。はい。
情報、情報調べるっていうとこまでいかなかったですね。ただ、恵まれていたのは、当時、結構同病の患者さんがいたので、そういう人たちと話をして、うん、いろいろと話を聞けたっていうことぐらいですかね。

クローン病の語り

病名を聞いて母はショックを受けていたが、自分は5~6年も病名が分からなかったので、病名がわかり初めて説明してくれる先生に出会えたとほっとした気持ちの方が大きかった

えーと、大学1年生の7月に初めて大腸カメラを受けて、そこでクローン病という診断に至りました…。はい。

―― その後はどんな感じでしたか。

はい。えーと、まあ、診断を受けたときは、まあ、母親と一緒にこう先生の話を聴いていたんですけれども、母親はすごくショックを受けていた様子でした。
まあ、私としては、まあ、潰瘍性大腸炎かもしれないっていうことを聞いていまして、えーと、まあインターネットで調べていまして潰瘍性大腸炎、それからクローン病という、まあ病名ぐらいは知っていました。
ですので、まあ、それがこうすぐ命に直結するとかっていう病気ではないということも分かっていましたし、どちらかといえばですね、今までこう5~6年症状が続いていたものを初めて説明してくれる、まあ、先生に出会えたという、まあ、ほっとした気持ちが、ほうが大きかったのかなというふうに思います。