投稿者「hanaoka」のアーカイブ

クローン病の語り

27歳のころ、最初潰瘍性大腸炎と診断された時はクローン病じゃなくてよかったと思ったので、その後クローン病と診断が変わった時は突き落とされた感じだった(音声のみ)

私、初めの1カ月間は潰瘍性大腸炎っていう診断で、それで、あの保健所に届けたのも潰瘍性大腸炎だったんですけど、あのステロイドが効いて炎症が治まって詳しい検査をすることができたんですよ。
で、クローン病で特徴的な縦走潰瘍っていう潰瘍性大腸炎にはできない潰瘍ができていることが分かっちゃったよと、なのであなたは今日からクローン病ですって主治医に言われて、へ?とかって言って(笑)。
で、何か、あの、潰瘍性大腸炎って分かりやすいですよね、あ、大腸に潰瘍ができるんですねっていって。で、クローン病って一見、分からないですよね、あの、お医者さんの名前なので。あの、だから、すごい、いや、これはちょっと何か言い方もよくないかもしんないんですけど、クローン病だって言われたときにちょっとがっかりしちゃって。
あの、潰瘍性大腸炎だって言われたときに、あの、クローン病じゃなくてよかったってちょっとだけ思ってたんですよ。なので、ちょっと、あの、まあ奈落の底とまではいかないですけども、ちょっと何か1カ月後に一回ちょっと、また、あの、ちょっと突き落とされちゃったみたいな感じな気持ちになっちゃって。
で、まあ、あの、潰瘍性大腸炎だったら大腸だけで済むけども、クローン病だったら人数も少ないし、まだ分かんないこともあるし、あの、目とか、関節とか、あの結局、口からあれですよね、お尻まで全部出ちゃうっていうふうに聞いたので、ちょっと、まあ、がっかりした思いもありますけども

クローン病の語り

始めのころは、将来像が描けずにポンコツになってしまったようで、死んでしまおうかと思った。しかし「大変な病気だが一緒に治療していこう」という医師の言葉で治療に前向きになれた

19歳になった時に、大量の下血と、そして、わずか2か月くらいで体重が20キロくらい落ちまして、これは何か自分は変なこう感染症にかかったんではないかとか、このまま死ぬんじゃないかという恐怖感がいっぱいあって、いくつもの病院を回ったんですけど、ま、原因不明だと。で、そういえば僕は17歳、16歳の時に痔の手術をしたなっていうのを思い出して、で、大腸肛門病センターという、ま、この名称のついた病院に伺って、そうしたら、当時の院長さんから、「君は大変な病気だよ、クローン病という病気にかかってるね。今は原因不明で治るかどうかもわからないけれども一緒にあの、治療していこう」っていうドクターの優しい言葉がけがあって、それで、何か治療には前向きに取り組むことができるようになりました。
ま、なにせ当時は治療法がなかったので、絶食とえー、ステロイドですね。で、もっとひどくなれば中心静脈栄養療法で、3か月ほど絶食をしてというような治療法しかなかったんですけど、ま、それを大体一度入院すると3か月スパンですよね。えー、それを年、3年間の中に1年に3回入院したとしても、まあ、9回か10回経験をして、でー、その一番多感な19歳20歳という将来に向かって何か頑張ろうという時にですね、その、自分が本当にこうポンコツになっちゃったという思いとか、えー、将来像が描けないので死んでしまおうかと思ったり、もしくはその寛解期のその数か月をですね、酒浸りになってみたりとかですね、なんかまあ、体にとっては良くないようなことばかりをですね繰り返していたような気がします

クローン病の語り

医師から「今は完治させる手段がなく一生付き合っていかなければならない」と説明を受け、ショックで不安ばかりだったが、先輩患者を見て自分もやれるという気持ちになった

―― でその、クローン病というふうに診断されたときに難病というような言い方はお医者さんはされましたですか。

はい。あの、非常に、ま、当時としては珍しい、あの、患者の少ない病気ということをまず聞きました。で、治療といっても今は完治する手段方法がないので、えー、難病という形で、あの、一生付き合っていかなければならないというような、そういう話を聞きました。

―― で、それを聞いてどういうふうに思われました?

正直、ま、ショックでしたね。あのー、やはり、なぜ自分がこういう病気になっちゃったんだとか、ま、これから先どうなってしまうのだろうとか、ま、最初は不安ばかりよぎりました。でも、その、悩んでても始まらないというですか、その状況に自分を対応させていかなければならないなということを少しずつこう、気が付くようになり。あの、ま、最初は自分なりに、やってたんですけども、ま、これも患者会に出入りすることによって、その、先輩患者であり同じ病気の人たちからいろんな方法、やり方なんかをこう聞くことによって、で、どんどん、どんどん考え方、視野が広がっていきました。

―― その、具体的に例えば、その、言われて励まされた言葉みたいな何かありますか。

そうですね、あの、言葉じゃないんですけれども、私より4つ年が上の、ま、先輩患者がおりまして非常にアクティブな方で、あの、いろんな活動をしている、ま、山にも登りますし、あの、ボランティア活動なんか、他のボランティア活動なんかも一生懸命している。ま、そういう人を間近に見て、え、一緒に行動することによって、あの、やはり、やればできるじゃんみたいなそういう気持ちにはなりました。

クローン病の語り

24歳で診断を受けた時、先生から「死ぬわけではないが治りにくい病気」と言われた。全く知らない病気で情報もなく人生終わりだと感じてすごくショックだった(テキストのみ)

―― 確定診断を受けたときなんですけども、どんなふうに感じられました。

いやもう、あんまり、あの、聞いたことがない病気で本屋さん行っても見つからないし、周りに誰もいなかったのでもう駄目だなと思いましたね(笑)。もう会社も、あの、辞めないといけないかなとかいろいろ悩みましたね。もう治らないって言われたのがもう、すごいショックで、そんな、なんとか治したいっていうのと、うーん、なんとか治る方法ないのかっていうのともう、もう人生終わりだなっていう感じで(笑)。ま、死ぬ病気じゃないって先生に言われたんですけども、結構、かなり、誰も、あの、病院でもいなかったのでショックでしたね。

―― あのー、最初に、その、確定診断受けたときにお医者さんは、ええと、どういう説明をされました? 難病っていう言葉は使われました?

難病っていうか、まあ、え、最初の1回目のときは、あの、何も言われてなかったんですけど2回目ぐらいかな、もう、あの、まあ、難病っていうよりか、まあ、なかなかちょっと。何年で治りますかって、3年ですか、5年ですかって言うても「うーん」とか言うて、まあ、ちょっと治りにくいようなことを言われましたね、もうこれから、あの、入退院繰り返すっていうようなこと言われて…。難病っていう、治りにくいようなことを言われました、と思います。

クローン病の語り

大学院に行き、入りたい会社に入り、結婚を考えていた人生の絶頂期に難病と診断されて、人生終わったと思った。しかし、それからちゃんと20年生きている

―― あの、最初にクローン病って言われて、それがいわゆる難病認定されてる病気だと、なかなか治らない病気だというふうに初めて自覚した時ってのは、どんな感じでした?

もう、なんか、人生終わったと思いました(笑)。その時は、あの多分私の人生で一番の絶頂期だったんですね。だってあの、やりたかった勉強、そのアメリカまで行って大学院まで行って、修士号を取って帰ってきて、やりたい、あの、入りたかった会社でやりたい仕事ができて、で、まあ、当時結婚もしようとしていましたし、もう人生の一番いい時と、思った瞬間に、難病だって言われて、何かこれから先自分は生きて行けるのかなって思いました。それから20年ちゃんと生きてます。(笑)

クローン病の語り

レミケードは最初は劇的に効いたが、狭窄があったためにお腹が張ってしまった

―― あと、レミケードが2回目までは良かったけどもっていうことなんですが。その副作用か何かが出たんですか。

そうですね。あの、やっぱり何ていいますか、最初は劇的に効きました、皆さんと同じように。これ、やっぱりすごい効くんだなということで、良かった、良かったと思ってたんですけども、まあ、良かった反動が出て、急激におなかが張ってですね、職場でもうどうにもならないような状況で。えー、かかりつけの先生に電話をして、そしたら、まあ、すぐ来なさいと、まあ、すぐ来なさいで、行くは行ったんですけども、まあ、電車の中でも、ちょっともうどうなるかなというぐらいにカエルのおなかの状態でたどり着いて、えっと、まあ、処置をしていただいて何とかというような形で、まあ、その、狭窄(きょうさく)に対して、狭窄がある人に対しては、えー、使用を、あの、ちょっと注意深く見守ってくださいっていうような注意書きがあるそうなんですけれども、まあ、それだったのかなというふうに思ってます。はい。

―― それでレミケードをやめて。その後は何か別の薬を飲まれました?

えっと、結局ですね、あの、まあ、レミケードは使えないよねと。で、私のときはちょうどはざまで、その次の薬がまだ出てきてなかったので、まあ、あの、まあ、それ以上の手が取れないと。先ほど申し上げた、その、ドレナージ(注)で何とかしのいでいくっていうようなところに、まあ、結果として行き着いたという感じですね。はい。

(注)ドレナージ:一般的には術後などに腹腔内にたまった体液などを管を使って体外に出すことを言うが、この方のドレナージは特殊なもので、直腸に管を刺して排便するもの。詳細は「その他の治療法」に語りがあります

クローン病の語り

生物学的製剤については先生に聞いてみたが、狭窄があるので使えないとのことだった。今のところ栄養療法で落ち着いているのでいいかなと思っている(テキストのみ)

―― ま、最近ですと、その、免疫調整剤だとか生物学的製剤だとかっていうのがたくさん出てると思うんですけど、そういうのは試されたりとかしたことはないんですか。

あの、先生にもちょろっと聞いたんですけども、まああの、全然、あの、先生からも話はないし。ま、あの、狭窄があるので手術してからだったら、なんか、レミケードやヒュミラも使えると思うんですけども、狭窄があったらなんか駄目っていうふうに聞いて、それで、あの、細いところにね、いくら、その、治療したところで駄目かなともう自分でも思ってるので。まあ、もう。悪くなって手術をした後になら、あの、使うのかなと思ってますけど今は、まあ、栄養療法でなんとか落ち着いてるので、まあ、今は、まあ、まだいいかなと思って、よく感じです。
なんかこう感染症とか、あの、感染しやすいとかいろいろ副作用もちょっと聞くので、まああの、それでなくてもこう、ちょっと皮膚が弱くって、なんかいろいろ、皮膚、湿疹とかもできるようなので、まあ、今はやめとこうかなと思っています。

クローン病の語り

ステラーラはレミケードやヒュミラとは機序が異なって、効き方はレミケードよりは緩いといわれている。使い始めて2週間だがお腹の痛みは引いてきた

ステラーラは、えー、同じバイオ系ではあるんですけれども、あの、レミケードとかヒュミラっていうのが、あの、抗TNFα抗体とかなんとかっていう類いの薬に対して、えー、ステラーラは、インターロイキン10…、32だったか4だったか(正しくは12と23)ちょっとそこまでは覚えてないんですけれども。その、同じ炎症を起こす抗体に対してかぶせるような薬ではあるんですけれども。その炎症を起こすものの、あの、違いなんでしょうね。で、あの、IBDというかクローンに関連してるっていわれてるのはその2つみたいで、で、そのTNFαのほうも、まあ、十分効くんですけれども自分の場合、その、副反応性のせいで、まあ、やめてる。なので、今度のレミケードでその、ああ、レミケードじゃなくてステラーラで副反応が出なければいいなって思ってるんですけれどもね。
ただ、効きが緩い、緩やかだっていわれてるんですね。で、実際使った感じもレミケードのときにみたいに、あの、こう打った後、すぱっとこう効いてる感じは全くなくて、じわじわと。2週間ぐらい多分かかると思う、効いてる感じが、なんとなく効いてるのかなっていう。ただ、腹痛はものすごく落ち着いたので。
打つまでは、えーと、ヒュミラをやめて1カ月半ぐらい一応、その、バイオのない間あったんですね。で、まあ、その、最後ヒュミラやってるときはもうおなか痛かったんですけれども、おなか痛かったんですけれどもやめたらほんとに痛くて、で、やっぱり大腸カメラやったら潰瘍がぽこぽこといっぱいあったんですね、まだ深くはなかったんですけれども。 ところがやめた途端に、やっぱりあの、再燃というか、あの、抑えられなくなって出てきたのか、えー、その辺は、まあ、ドクターじゃないので分かんないんですけれども。で、ステラーラを使って2週間ぐらいたったら、やっぱりおなかの痛みっていうのがだいぶ引いたので、効いてきたのかなと。

―― あの、ステラーラも点滴ですか。

ステラーラは、初回だけ点滴です。初回だけ静注で、えー、2回目以降は皮下注なんですね。あの、剤形違うんですよ。なので、1回目は点滴で、まあその、2週間ぐらいたつと効いてくるっていう。
で、2回目以降がまだ、初回点滴しか打ってないので、あの、皮下注なんですけれど、2回目以降は皮下注なんですけれども在宅できないんですよ。なので、えー、病院に行って打たないといけないと。

クローン病の語り

最初はレミケードを使っていたがその後ヒュミラに変えて今でも使っている。ヒュミラは自己注射で2週間に1回自分で注射している

―― えっと、先ほどレミケードを使って、え、最初はすごく良かったけれども、だんだん効きが悪くなってきたというようなお話なんですけど、今、現在はどうなんですか。

はい、え、現在は…、レミケードから、え…、自己注射の、え…ヒュミラに切り替えております。

―― それはどんな効き具合ですか。

はい、えっと、レミケードよりも効きはマイルドですけれども、えっと、持続型としては、うーん、ヒュミラのほうが自分には合ってるような気がします。で、一番のメリットは、あの、自己注射でできるものですから通院をせずに、ま、ヒュミラ、え、レミケードですと4時間ぐらい、あの、病院で拘束時間があったんですけれども、それがなくなったというのがやはり最大のメリットだと思います。

―― それはどういうタイミングで打たれる、毎日打つんですか。

え、ヒュミラは2週間に1回、え、自己注射で打っております。

―― そうすっと、その、病院に行くタイミングっていうのはどんな感じなんですか。

はい、現在、あの、通院は基本2カ月に1度、処方箋を出していただいて、え、薬の処方とあと血液検査、え、これが基本になっております。

―― それで、その、え、ヒュミラをもらってきて、で、2週間に一遍自分で注射すると。それ、どこに打つんですか。

え、1回に、あの、1カ所なんですけれども、え、太ももの右、左、外、中と、あの、4カ所ありますので、え、ローテーションでずっと、えー、4回やったらまた元の位置に戻ってくるような形で打ち分けております。

―― それは痛くはないんですか、あんまり。

そうですね、あの、全く痛くないわけではないですけれども、え、あの、痛さを少しでも、ま、軽減できないかといろいろ自分でも試してみまして、え、現在は、あの、お風呂上り、少しこう体がこう、ぽかぽかしてるときに、え、打っております。

―― それは別に、その、慣れるとかいうことなく最初から誰でもできるものなんでしょうか。

はい、あの、最初は病院での注射指導がありまして、で、看護師さんに打ってもらってたんですけれども。え、4回目か5回目ぐらいからこう自分で、最初は病院で自分でこう打つようになり、で、慣れてきたところで、え、自宅でも、あの、打てますよということでだんだんと切り替えていきました。

クローン病の語り

レミケードは最初良く効いたが、効きが悪くなってきたので免疫調整剤のアザニンを合わせて使うようになった。又最近はレミケードを4週間置きにやっているので調子がいい

―― で、レミケードは効きました?

あもう、最初は本当すごいなと思いました。あのー、…使った後がもう、やっぱ、楽で、お腹の痛みもすごいなくなって、でー、2か月に1回なんですけど、レミケード打てるのが。で、最初はやっぱ、レミケード始めたての頃はやっぱ、効くんです。2か月いっぱいいっぱい。でも、やっぱ何年も続けて行くと、効果減弱していって、ま、1か月しか、2か月1回なんだけど、1か月分しか効果がないとか、6週分しか効果がないとかになるんですね。で、それでどんどんどんどん問題だな、減衰していて問題だなと思っていたので、それを相談したら先生が今度、アザニン(免疫調整剤)を飲まないかということで、あの、自分の抵抗力を弱めるけど、その、それによって、レミケードの効果は多分ちょっと残るよみたいな、伸びることができるよっていうことでアザニンを出されて、アザニンを今も飲んでます。

―― それはいつごろからアザニンが加わったんですか。

それは、えーと…それも大学生の時でしたね。大学1年、2年くらいですかね。ちょっとうろ覚えですね。

―― えー、高校2年のころからレミケードを始めて、しばらくたって、まあ、ちょっと効果が減衰してきたころにアザニンを追加でやって今はそういう状況を続けている。

あ、今は、えーと、今年の、今年の何月が忘れたんですけど、今年から1か月に1回打てるようになったんですよ、レミケードが、あの前は1回に打つ量を倍量にして2か月に1回だったんですけど、今はそれの倍量を普通の量にもどして1か月に1回打てるようになったんですね。今、そっちにしたんですけど、そっちにしたほうがちょっと体の調子がいいかなっていう感じがします。だから、今年から、今1か月に1回打ちにいってます。

―― それは、まあ、まだうまく効いているということですね。

あー、そうです今それに代えてからの方が持ちがいいなっていうのがありますね。