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クローン病の語り

海外で暮らす場合食事には特に気を付けないといけないが、最近はどこでも日本食が手に入るので基本は和食がいい。しかし、和食でも繊維質の多いものがたくさんあるので注意が必要

―― その海外で暮らす時っていうのは、あの、日本で暮らす場合と食事の面で何か特に困ることっていうのはおありになりますか。

えーと、ま、ちょっとアメリカにいた時はまだ知らない時(診断前)だったので、別として、あのイタリアではやはりあの、日本食を売ってるようなところは何か所か、あの、押さえてあって、であの、純粋に日本食屋って、食品売ってるところはないんですけども、ま、アジア食品っていう枠で売っているところ、それはもう何か所か押さえといて、
で、あと、やっぱりあの、クローン病だと一番助かるのは豆腐なんですね。タンパク質がとれて絶対安全、絶対腸閉塞にならない。で、そうすると、あの、結構あの、自然食がすごく流行っているので、その向こうの自然食専門店に行くと、必ず豆腐とかあるんですよ。あの、うどんとかもそうだし、で、ま、豆腐とか現地で作ってるんだとあんまりおいしくないこともあるんですけど、ま、でも、あの、そうやって豆腐とか大根とかね、あの、お腹に優しい日本食材がそういうところだとちょっと割高ですけれども、売っているので、あの、そういったものは結構買っていましたね。

―― やっぱり基本的には和食っていいんですね。

和食はわりといいです。で、ただ、本当に和食っていうと結構繊維の強いものが多いんで、だから山菜ですとか竹の子、きのこ、あの、胡麻、今なんでも胡麻が入ってるもので、すごいいやなんですけど。(笑)なので、和食だと、あと自分でもよくわかってるのでね、あの、物によると、あ、これいいかなと思って買って食べてみたらとんでもないっていうのもやっぱり、全然知らない食事だとあるので。で、ま、イタリアに関してはそういった意味では、比較的日本でもなじみのあるものが多いのと、あと、そう原形がわかるんですよ。あ、これはほうれんそうだなとか、あ、これは魚だなとか、あの、わりとこう素材をそのままなので、あの、食べてみたら、え、何だい、これやばかったっていうことがあんまりないのでね、あの、そういった意味ではイタリアでラッキーだったなと思います。で、ま、さっきもちょっと触れましたけれど、比較的乳製品に自分が強いので、あの、ま、クリームとかチーズとか使ってあっても私は、あの、調子が悪い時でなければね、大きな問題なかったので。
ま、後はオリーブオイルも実は私大丈夫なので、オリーブオイルが弱い人は、日本でいうお醤油みたいなものなので、入ってないの探す方が難しいので、ちょっと大変かもしれない。

クローン病の語り

治療として飲み薬は出たが一番苦労したのは食事だった。何が良くて何が悪いかわからなかったので、最初は試行錯誤して自分に合う食事を探すのに2~3年かかった

えーとそれから、治療が始まったんですけれども、まあ、治療は飲み薬の治療が中心でした。あと、まあ、一番苦労したのはやっぱり食事の点ですね。クローン病は食事を基本的には制限しないといけないということで、脂物であるとか、そういったものを避ける、腸を刺激するものを避けるようにという、まあ、大ざっぱな指導は受けたんですけれども、実際に何を食べていけばいいのか分からないという状態が最初の1年間ぐらいは続きました。
で、えーと、私が取った方法としては、いろんな食べ物を、まあ、少しずつ食べてみて、それがおなかにどういう反応をもたらすかというのを、まあ、少しずつ検証していって合うものと合わないものというのを、まあ、探していくということをしていました。
まあ、それで自分の、自分に合った食事というのが分かるにはやっぱり2~3年はかかっていたんじゃないかなというふうに思いますし、まあ、その間はかなり食事というものがストレスになっていて、まあ、友達とか周りの人と食事に行くのもおっくうな時期があって、まあ、どうしてもその診断を受けてから最初の半年から1年ぐらいは、まあ、ほとんど友達付き合いをしないような時期もありました。

クローン病の語り

絶食による精神的な影響というのはあまりなかった。絶食中の女子はエステやスキンケアに走る人が多い。また絶食友の会みたいなのを作って、みんなで情報交換などして楽しんでいた(音声のみ)

―― その7年間っていうのは非常に、その厳しい生活を送ってこられたと思うんですけども、その何ていうんですかね、まあ今は割りとその食事にはそれほどこだわらないほうだっておっしゃいましたけども、それにしてもやっぱりこれだけの厳しい生活をしていく中で、何かこう精神的な影響とか出ませんでしたか。

ああ…。
絶食をしているからといって精神的な影響ってほとんどなかったですね。あの…、割りとですね、そのときに一緒に絶食を頑張っている仲間がいたんですよ、周りに、運がいいことに。
で、皆さん、まあ、いかにエレンタールをおいしく飲むかとか…、あの、口が寂しいときにどういう工夫をしているかとか。まあ具体的に言うと、ガムの種類にやたら詳しくなるとか、あと歯磨き粉が5種類ぐらいあるとか。
あとは、まあご飯食べられないときに女の子が走るのはあれですね、スキンケア。どんどん、どんどんみんな美肌になっていって。で…、これ一概には言えないかもしれないんですけど、クローン病って色が白い人が多い。で、私も色白なんですけど、私、あの、同じ病気の人で結構色が白い人、肌がきれいな人を結構見てて、で、「もうご飯食べれない、ご飯にお金かけないんだったら、もう美容にお金をかけよう」みたい、エステに詳しくなるとか。だから、そっちの方向にみんないっちゃう人が多くて。
だから、まあ私、「ポジティブ絶食」って呼んでいるんですけど、あの、まあ絶食友の会みたいのをつくって、みんなで頑張って明るく絶食みたいな、まあ、サークル活動が当時はありまして(笑)。
で、あの、鼻からチューブを入れると、鼻からチューブを入れるサークル活動がありまして。で、あの、私が使ってた、あのチューブの太さが5フレンチっていう太さなんですけど、その、まあ5フレンチを使ってる、あの、お友達の会みたいな会があって。
で、あのチューブを洗うときには何を使っているかっていうふうなのを、みんなで情報を共有したりとか、まあ、花粉症のときには鼻に入れるのが大変だけどみんなどうしているとかっていうのを、サークル活動の中でリアルタイムに相談することができたんですよ。もう本当に、もうそのときはネット社会万歳と思ったんですけど。

クローン病の語り

会社の宴会ではなるべく自分が幹事になって店を決めるが、どうしても食べられないものが出てくることもあって、それを修行僧のように我慢しなければならないのはとても辛い

―― :会社で、ま、いろいろ仕事以外にも飲み会とかいろいろあるっていうことで、その辺のところで、その、ご苦労とかですね、もう少し話聞かせていだだけますか。

あ、はい。で、やっぱり、会社の付き合いって結構、コミュニケーションで「飲みコミュニケーション」っていう場が結構あってですね。で、個人的に行くときはなんか、「私が食べれるものはこれだよ」っていうのをお伝えするか、自分が幹事になってお店探したりするんですけれども。やっぱり歓送迎的な場になっていくと結構食べちゃいけないような中華だとかいろんなところがあってですね、結構、ま、そこに行かないわけにもいかない、いけない場って結構あるので。まあちょっと、お金を払って我慢してですね(笑)、付き合ってはいますね。
 ただ、目の前に結構おいしいものがこう並んでると非常に誘惑があってですね(笑)、うん、そこをなんか修行僧のようにこう、我慢しながらこうね、食べられるものだけを選んで食べてるっていう。ま、違う苦しみがありますね。うん。

―― :それやっぱり、そういうものを食べてしまうと、やっぱりすぐに悪くなってしまうんですか。

あ、きっと、ちょっとは食べても大丈夫です。ただ、あの、一回勧められるままにちょっと食べてはいけないものを食べたんですけど、そしたら夜中にですね、すごい吐き気が来てですね。やっぱりしばらくこう、食べていないもの、食材なのでちょっと体が受け付けなかったのか、ま、あの痛みを考えるとやっぱりやめておこうかなってちょっと思いました。はい。

クローン病の語り

小学校まで食べることが大好きなこどもだったので、食べられなくなったことが本当にショックだった。病気になってからは食べられるものを探して色々試した

―― 今毎日生活していく上で、気を付けていること何かありますか。

一番はやっぱり、食べ物ですね。食べて駄目なものはやっぱ、てきめんに来るから、食べ物はやっぱ気を付けて生活してますね。次にやっぱ、ストレスためないことですかね。やっぱ、ストレスは本当来るなというのが思うんで、何か、ため込むようなことがあったら、好きなことし続けるじゃないけど、それで発散するようにしてます。

―― そのー、これを食べるとまずいなっていうのが、今はずいぶん分かっていると思うんだけれども、分からない間はどうやってました?とりあえず食べてみるとか、そういう方法?

ああ、そうです。とりあえず分からないうちは、ちょっとやっぱ味気ないから、今まで食べてた…あ、話ちょっと、ちょっとだけそれるんですけど、僕小学校のときまでめちゃくちゃ太ってたんですよ。まるまるしてて、食べるのが一番好きみたいな、人生の生きがいみたいな感じで来てたんで、食べれなくなったら本当ショックで、だから少しでも何かね、母がやっぱ、食べたい物、食べたいだろうということで、じゃあこれ試してみる、これ試してみるみたいな感じで、少しづつ試してみたりして、で、それちょっと継続的に試して、大丈夫だったら今も食べてて、大丈夫じゃなかったやつは食べてなかったりしますね。

クローン病の語り

12歳の子どもにとって1か月の絶食はとてもきつかった。食べ物の名前を思い浮かべては画用紙に書いたり、食べ物の絵を書いたりしていた

えー、クローン病という診断を受けた翌日から、あー、絶食という風に先生の方から言われました。で、栄養剤の点滴をしますということで、次の日にあのー、鎖骨の下の静脈から、あのー、直接心臓の近くまで管を入れて、濃い栄養剤をいれますということで、それをまず1か月間行うので、その間はお茶と飴だけになりますという風に、あの言われました。はい。

―― それが12歳の頃ですか。

はい、そうです。

―― そうすると、まだ小学生の頃ですね。えー、絶食1か月というのはなかなか大変だったと思うんですけども、どんな感じでしたか。

そうですね、あのー、主治医から最初に絶食ですと言われた時は、あの、あまり実感もなく先の想像もできずに、「そうなのか」ぐらいにしか思っていなかったですけど、あのーいざ始まるとですね、もう、・・頭、食べ物のことしか考えられないような感じで、ずーっとやっぱ食べたい、食べたいで、えー、本当にきつかったです。もう食べ物の名前を思い浮かべては、画用紙に書いたり、食べ物の絵を描いたり、レシピ本を買ってきてもらって、ひたすら読んだり、っていうのをずっとやってました。そして母親に自分の食べたいものを目の前で食べてもらって、それをじーっとこう食い入るように見てました。母はそれでもおいしいと言って食べてくれました。今思うと、あの、申し訳ないなと思うんですが、あのー、それで、まあ食欲っていうのを我慢してました。

―― 逆にあのー、目の前にそういう食べ物があるのはいやだっていう人もいると思うんですけども、むしろそういうものを見ていたかったということなんですか。

私はあの、常に食べ物の近くにいたいタイプだと思うんですけども、あの、その頃はテレビはなかったんですが、あの、とにかく自分に言わずに何か食べるとか、自分に隠れて母親が何かを食べるっていう、食べたりされるとですね、とても腹が立ってですね、あの、母の、付き添ってくれてた、母の食べ物とか隣の人が何を食べているかとか、今日の病院の食事はなんだったのかていうのは必ずチェックをしていました。(笑)

クローン病の語り

絶食期間中にはテレビや雑誌で飲食店の情報を集め、食べられるようになったら全部行こうと思っていたが、油ものが多かったので、実際にはほとんど行けなかった

初は特に車で走っていて、こう道端の飲食店につい目が行ったりとか、これも人によるんでしょうけど、とにかくもう、仕事していない時、家でいる時とか、えー、テレビの料理番組とか、食、お店の飲食店の紹介をしている番組をとにかく見て、私の場合はですけど、それをいちいちこう、「この店は何がおいしい」とかメモをして、食べられるようになったらこう、もう全部食べて、食べに来たいみたいなことをしていました。
雑誌なんかでも、その、…まあ当時男性向けの「dan-chu」っていうその料理の男性向けの本があって、それをまあ、購読したり、とにかく食に関する、自分が食べられないのに食べられないからかもしれないですけど、そういった食の情報をやたらと気にしたりという、これは人によるらしくて、自分が食べられない場合には、逆にそういう情報を一切シャットアウトする人もいるらしいんですが、私の場合はもう逆で、こう、とにかく自分が食べられない時にはそういった情報だけでもという意識があって、でーまあこう、…ま、実際になかったんですけど、やっぱり食べてしまおうかとか、これはほんとに25歳だったので、まあ、なんていうんですかね、つまみ食いっていうか隠れて食べようと思えば全然できたんでしょうけど、やはりそこは病気の痛みというか腸閉塞の痛みとかがものすごかったので、実際にはやることなく本当に1年ちょっと全く固形物を食べずに過ごしていました。今同じことを同じ期間やれって言われたら絶対できないと思うんですが、

―― その実際に食べられるようになった、その1年の経った後で、食べられるようになった時に色々切り抜いてとっておいた情報とかは実際に行ったんですか。

いや、結局行かなかったですね。(笑)そのやっぱり食べたい、何も食べられない時に食べたいものっていうのはその油もの、揚げ物であったり、かなりやっぱりクローン病にはよくないものも多かったので、実際に行ったところはまあゼロではないんですがほぼ行かずに、まあ割と比較的おそばっていうのはクローン病的には悪くないと言われているので、お蕎麦屋さんは結構あちこち食べに行ったりしたんですが、やはり集めた情報は、(笑)まあほぼ大部分が無駄になってしまいましたね。

クローン病の語り

手術の前には、家族に心配かけるとか色々悩みもある。しかし、手術を引き延ばしてもいいことはないので、やると決めたらさっさとやってしまう方がいいと思う

―― その、手術は、その、どういう手術をされたのか、もう少し詳しくお話しいただけますか。

はい、はい。えっと、ちょっとざっと覚えてるだけでも、えっと、開腹手術で5回、5~6回だったかなと。その他、あの、先ほどお話ししたようなお尻の手術とか、えっと、手術の後に、えっと、うみがたまって、またそこを切開してとか、まあ、細かいのを入れるともうちょっと、あの、両手でも足りないぐらいだというふうに思いますけれども。
まあ、その大きな手術の中で、えー、今思い返して大変だったのは、その最初の入院中に腸管が破裂して、えーっと、その、緊急手術になったときのことと、あとはその、やっぱりがんだって言われて、ストーマを作るという手術ですね。そこの2つがやっぱり大きかったかなというふうに思います。
あと、そうですね、ちょこちょこその、細かい手術があって、ただ、何ていいますか、人並みに、あの、まあ、全身麻酔が嫌だとか、えっと、またやるのかとか、いろんな心配、不安、あとは、まあ、自分よりも家族が心配するかもしれない。同意書書かされてとか、何とかでね。まあ、そういったことが逆にちょっと手術ってなると、まず最初にこう、ストレスというか、フリクションになって、まあ、終わってしまえば、ああ、結果良かったねなんですけども、まあ、そういったところが何かちょっといつも手術だって医者に言われて、まず、うん、乗り越えなきゃいけないっていうかですね、嫌だなって思う部分のひとつだと思いますね。
まあ、あとはもう、手術自体はもう先生にお任せするしかないので、あとはこちら寝てるだけなんですけども、まあ、目が覚めたときに結局は引き延ばしてあんまり良かったことはないので、まあ、やるっていう判断が付いたら、さっさとやってしまったほうがいいのかなっていうのは、今、その複数回の手術を振り返ると思いますね。

クローン病の語り

入院中に腹膜炎を起こして緊急手術を受けたが、術後縫合不全で再度腹膜炎になって再手術となった。この時は助からないかもしれないと言われたが何とか助かって、この時にストーマを造った

おなかがすごく痛くなって、あの…、向かいのベッドの方がナースコールを押してくださって、で、看護師さんにおなかが痛いんですけどって言って、すぐ、じゃあCT撮りましょうっていうことになって、その日が日曜日だったので、まあ、あの若い女医先生がいらして、で、CT撮ったら「教科書どおり腸に穴が開いてます」っていうことで腹膜炎を起こして。
それで…、これから手術をするからということで、「もしかしたら人工肛門になるかもしれないわよ」っていうことで、もう、そんな人工肛門っていうのも初めて聞いたし、どういうものかも全然分からなくて、で…、えー…、まあ、しようがないので、手術をすることになって手術をしました。
で、戻ってきて、お部屋(ICU)に戻ってきて「手術終わったわよ」っていう感じで、先生に言ってもらって、で、先生が帰られてしばらくしていると、こう何か機器がピコンピコンって鳴るんですけど、多分血圧が下がってきたか何か異常が起こるから鳴るんですけど。
そうしたときに看護師さん、看護師さんが来ては止めて戻っていくんですね。それが何回か繰り返された後、ん、何かまずいんじゃないのとか思いながら言えないでいて、で、また先生が戻っていらして「どう?」とか言って。
ちょうど、そのときに足からしびれてきて、で…、足がしびれてきて、手がしびれてきて、あ、先生、後頭部がしびれてきましたってろれつが回らなくなって、たら、先生がもうびっくりして慌てて、もう一回おなか開けるからっていうことで。
多分、その最初の手術のときは人工肛門にはなっていなかったんですけれども、もう一回おなか開けるからって言って、ちゃんと診て閉めたつもりだけど、まだ中で漏れているということで、で、またドクターが呼び出されて明け方までかかって手術をするんですが、夫が呼び出されて、まあ、もしかしたら助からないかもしれないっていうことを言われたそうなんですが。
で、まあ何とか無事に戻ってきて、ICUに戻ってきたんですけども、おなかは重たいし、で、鏡を見せてもらったら何か…、亡くなった祖父の顔にそっくりで、もうほおがこけてしまって、うわあとか思って、まあ両親も来てたんですけども、もう母は、もうおびえてしまって近寄れなかったって感じで。

クローン病の語り

1回目の手術の後、ガスも出て順調だったが急にお腹が痛くなり、先生に訴えたらドレーンから黒い液が出ていて、大腸が破れているかもしれないということで、再度の緊急手術となった

ちょっと何かおなかの痛みがあるんですけど、まあそのときに間悪いとき土曜日やったんやけども研修医しかいてなかって、「まあ術後3日目ですからね、多分えーと、痛いのは当然です」っち言うたんですわ。「まあ、取りあえず痛み止め背中から針入れてますから、えーと、まあちょっと痛み止め上げましょうか」っちゅうような。その後、ガス出たから、あ、良かった、ラッキーちゅうて思うたんですけどね。  ただ、ちょっと、外科の先生が出張中に電話があって「今から出張へ行くんやけど」っちゅうて、ほんで「誰か患者さん問題ない?」っちゅったら、えーと、ほんで、まあ僕の看護師さんが何か、おなかに入ってる管のとこが何か痛いっちゅうことを言うて。  ほんで、まあそれ、外科の先生はやっぱり、えーと、ぴんときて、「おかしいことを言うな」とか言う、「ちょっと病院寄るわ」っていうて何か言われて。ほんで、まあ外科の先生が「ちょっとおなかを診してほしい」って言うて、まあ私服のまんまちょっと来て出張行く姿で診てくれたんやねんけど。  ほんなら、ちょっと診たら、その左側と右側管入れているんですよ。その管入れているとき、左側の管と右側の管の色が違う。その左側のほうがどす黒い色。もしかしたら、その、できるだけ腸を余計め取ってみたんやけど、この左側の管が腸がちょっと破れて切れてるかもしれんって。 「もしかしたら、僕の勘では」ってその先生が言うた。「大腸をもう一度手術して、大腸を止めてみなあかんで、至急にCTをちょっと撮ってみようか」って。もう本当、その先生も私服のまんまでCTの検査室で診てたら、大腸のほうに、えーと、穴が開いて、ちょっとハサミで切ったように、(先の手術で)大腸はできるだけ長めに取ってみたんやけど、このままでしたら命取られる場合もありますし、もう一度緊急手術っちゅう手術して、大腸を止めて、ストーマっちゅうか人工肛門っちゅう。  人工肛門って何ですかっていう(笑)、何、機械か、「いや、まあ今あなたも若いですから一時的人工肛、えーと、肛門、ストーマ入れて、取りあえず今の状態を戻したら、えーと、大腸は破れて命取られる場合あるから、まだ若いから、えーと、その一時的ストーマを1年間だけにして、えーと、また戻してやるから今回もう一遍手術させて」っちゅうて。