診断時:19歳
インタビュー時:29歳(2018年7月)
関東地方在住の男性。妻と二人暮らし。中学の頃から下痢や腹痛の症状があったが、受験などのストレスでしょうと言われ、なかなか診断がつかず大学1年の時に初めてクローン病の診断がついた。その後は食事療法とエレンタールとヒュミラでほぼ寛解が続いている。現在勤務医として病院で働いているが、学生時代自分が患者として過ごしてきた時の気持ちを忘れないように意識している。これからはSNSなどを通じて若い患者とのネットワークを作っていきたいと考えている。
プロフィール詳細
中学2年のころから通学途中の電車のなかでお腹が痛くなったり、下痢でトイレに行きたくなったことがあったが、それほど頻繁ではなかったので、気のせいかと思って我慢していた。しかし、高校生になると段々その頻度が増してきて高校3年の頃はほぼ毎日電車のトイレに入らなければならないような状況になっていた。そこでいくつかのクリニックに行ったが、どこでも受験勉強によるストレスだと言われて正しい診断は出なかった。
大学1年生になっても同じような状態がつづいていたので、また別のクリニックに行ったらそこの先生にこれは潰瘍性大腸炎かもしれないと言われたので、すぐに大学病院で診察を受けたらクローン病という診断がついた。その時は、それまで5~6年診断がつかなかったのが、ようやく診断がついて、しかもその病気がすぐに命に直結するものではないということがわかって、ショックというよりほっとした気持ちの方が大きかった。
しかし、治療は食事療法が主なもので腸を刺激しないように色々と制限があった。またエレンタールという成分栄養剤も飲んでいた。そのせいで学生時代は友達付き合いが減ってしまったが、今から思えば食べられないものはあるけれど、こういうものなら食べられるから一緒に行こうとか、もっと自分から提案すればよかったかな、と反省している。
薬はペンタサ(*1)とエレンタール、そして3年ほど前からヒュミラ(*2)を使いだしているが、副作用もなく寛解を維持できている。一度腸閉塞で入院したことがあるが、手術にまでは至っていない。
医学部を卒業して、現在勤務医として働いている。勤務医というのは労働時間も長いし、当直などもあるので体力的にはきつい仕事だが、職場が病院ということで、同じ病院の消化器内科で診察を受けたり、検査をしてもらっているのでとても助かっている。お腹が痛くなることも時々あるが、当直の翌日にはできるだけ早く帰れるような配慮をしてもらっていることもあり、それほど悪化せずコントロールできている。また、自分は学生時代の6年間を主に患者の立場で過ごしてきたので、患者の気持ちを忘れないように、自分の頭の中が医者側に行きすぎないように常に意識している。
患者会に対しては、社会の中で難病患者という扱いをされるのが嫌で抵抗があった。しかし、大学3年のときに一度患者会の集まりに参加してみたら、同じ悩みを抱えている人と話をすることで、色々な患者の知恵を教えてもらうことができた。その時に自分が患者であることを完全に認識し、こうやって前向きに生きている人もいるということを知って前向きな考えに変わったのかなと思う。
これからはSNSなどを通じて、特に若い患者とのネットワークを作っていこうと考えている。
*1 ペンタサ:(一般名メサラジン)クローン病の基本薬
*2 ヒュミラ:(一般名アダリムマブ)生物学的製剤(ヒト型抗ヒトTNFαモノクローナル抗体製剤)
大学1年生になっても同じような状態がつづいていたので、また別のクリニックに行ったらそこの先生にこれは潰瘍性大腸炎かもしれないと言われたので、すぐに大学病院で診察を受けたらクローン病という診断がついた。その時は、それまで5~6年診断がつかなかったのが、ようやく診断がついて、しかもその病気がすぐに命に直結するものではないということがわかって、ショックというよりほっとした気持ちの方が大きかった。
しかし、治療は食事療法が主なもので腸を刺激しないように色々と制限があった。またエレンタールという成分栄養剤も飲んでいた。そのせいで学生時代は友達付き合いが減ってしまったが、今から思えば食べられないものはあるけれど、こういうものなら食べられるから一緒に行こうとか、もっと自分から提案すればよかったかな、と反省している。
薬はペンタサ(*1)とエレンタール、そして3年ほど前からヒュミラ(*2)を使いだしているが、副作用もなく寛解を維持できている。一度腸閉塞で入院したことがあるが、手術にまでは至っていない。
医学部を卒業して、現在勤務医として働いている。勤務医というのは労働時間も長いし、当直などもあるので体力的にはきつい仕事だが、職場が病院ということで、同じ病院の消化器内科で診察を受けたり、検査をしてもらっているのでとても助かっている。お腹が痛くなることも時々あるが、当直の翌日にはできるだけ早く帰れるような配慮をしてもらっていることもあり、それほど悪化せずコントロールできている。また、自分は学生時代の6年間を主に患者の立場で過ごしてきたので、患者の気持ちを忘れないように、自分の頭の中が医者側に行きすぎないように常に意識している。
患者会に対しては、社会の中で難病患者という扱いをされるのが嫌で抵抗があった。しかし、大学3年のときに一度患者会の集まりに参加してみたら、同じ悩みを抱えている人と話をすることで、色々な患者の知恵を教えてもらうことができた。その時に自分が患者であることを完全に認識し、こうやって前向きに生きている人もいるということを知って前向きな考えに変わったのかなと思う。
これからはSNSなどを通じて、特に若い患者とのネットワークを作っていこうと考えている。
*1 ペンタサ:(一般名メサラジン)クローン病の基本薬
*2 ヒュミラ:(一般名アダリムマブ)生物学的製剤(ヒト型抗ヒトTNFαモノクローナル抗体製剤)
インタビュー28
- 中学2年の頃から下痢が始まって高校3年の頃には通学電車のトイレに毎日入らなければならないような状態になった。いくつものクリニックに行ったがいつも受験のストレスでかたづけられてしまった
- 中学2年くらいから下痢の症状はあったが、頻度が増えるにしたがって腹痛も出始めた。お腹の右下の部分が痛くなったので盲腸かと思ったこともあった。また夏場には脱水症状にもなった
- 自分が病気であるということをまず割り切って認めたうえで、色々なことができるということに気付いてほしい。そのためにも同病の人を見つけて仲間を作ることが大事だと思う
- 医師としての仕事もしながら患者としての活動もしていきたい。特に小中学生も含めた若い人たちに対してSNSのようなものを立ち上げて何かサポートできないかと考えている
- 自分が医療行為をする時に普段から気を付けているのは、自分が医療者側に行きすぎないように、患者の立場や気持ちを忘れないようにしている
- 始めは患者会というものに抵抗があったが、同じエレンタール(成分栄養剤)を飲みながら話ができたことで、自分が患者であることを認め、前向きな考えに変わった
- 患者会の一つの問題として、中心で活躍している人が中年で、若い人がほとんどでてこないということがある
- 指定難病としての医療費助成制度があるのでとても助かっている。ヒュミラという薬はとても高額なのでこの助成制度がなければとても使えないくらいのもの
- 医療系の大学に進学したので、先輩には理解してもらえたが、入学したばかりの同級生にはわかってもらえず、食事に一緒に行けないことをネガティブに捉えられてしまっていた。
- 大学受験の時も試験中にトイレで時間ロスがあって、現役の時は失敗した。しかし翌年合格した大学の試験の時だけは不思議と調子が良くて試験時間中にトイレに行かずに済んだ
- 治療として飲み薬は出たが一番苦労したのは食事だった。何が良くて何が悪いかわからなかったので、最初は試行錯誤して自分に合う食事を探すのに2~3年かかった
- 病名を聞いて母はショックを受けていたが、自分は5~6年も病名が分からなかったので、病名がわかり初めて説明してくれる先生に出会えたとほっとした気持ちの方が大きかった