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インタビュー時39歳(2011年11月)
関係:長女(実母を介護)
診断時:実母54歳、長女29歳
2002年に実母が若年性アルツハイマー型認知症と診断され、アリセプト内服中。長女は結婚後すぐに夫の転勤で関西に転居。1歳の子どもがいる。母は再婚相手の義父と妹(次女)と3人暮らし。一時、母の嫉妬妄想が悪化し、妹は限界を感じて家を出てしまった。その後、長女(介護者)一家は再び関東圏内に転勤になり、月1~2回の遠距離介護ができるようになった、妹もいまはまた戻ってきて、再び母や義父と同居している。現在、母は週2日デイサービスを利用。
語りの内容
で、結局は、しばらくして妹は家を出ることになったんですね。えー、そのときにも、まあ、妹が家を出るっていうふうに聞いたときに、私はまあ、(関西から首都圏へ)転勤するっていうことが決まってたので、「もう少し我慢してみて」って言ったんですけど、やっぱりもう我慢できないっていうことになって、まあ、妹は家を出ることになったんですね、うん。
まあ、そのときにやっぱり、「お姉ちゃんには分からないよ」っていうことも、まあ、一緒に暮らしてた妹は、あのー、私に対しては言ってたので。まあ、一緒に暮らしてると、やっぱりすごく大変だったんだなっていうことは思いますね。
―― うん、うん。
ま、実際に、その後に、私も(首都圏に)越してきてからは、月に、あの、仕事をしてたので、なかなか行けなかったんですけども、実家のほうには。それでも月に1、2回ぐらいは、あのー、行くようにしてたんですけど、妹が出てからですね。それでもやっぱり、あの、月に1、2回だけでも、割としんどいときはあって、まあ、母と接するのも、結構まあ、病気と分かっていながらも、あの、うまく接することができなくって…うーん。
で、その後、家に帰ってきては、あの、何て言うの、自分に対してすごく罪悪感を感じたりとか、母に対してそういうふうに言ってしまったとか、優しくできなかったこととかを、こう反省したりとかもしたりして。それでもやっぱり、一緒にいると、まあ、何でそういうふうに、うん、なるのっていうか。こう、うーん、けんかしてしまったりっていうのはあるんですけど、「何で、そういうふうに何回も言うの」とか、うーん、うん、まあ、そういう状態でしたね、そのときは。
インタビュー家族19
- 母を連れていった最初の病院で、同行していた妹が医師から「あなたたちも大変ね」といきなり言われたことに戸惑いを感じた。今は別のところに通っている(音声のみ)
- 母が最初に長谷川式の検査を受けたときには基準値を1点か2点ぐらい下回っていた。当時は離れたところに住んでいたが、それを知って悲しかった(音声のみ)
- 母がいなくなって翌朝倉庫で見つかったり、保育園でトラブルになったりして、何度か警察の世話になったのを機に、玄関の鍵を中から開けられないようにした(音声のみ)
- 母は嫉妬心が強くなり、再婚した夫と同居していた次女の関係を疑ったり、他にもつき合っている人がいて子どもがいるという妄想を抱いたりするようになった(音声のみ)
- 遠方で協力できず、母の症状が原因で「お姉ちゃんにはわからないよ」と妹は家を出た。近県に越してからは月1-2回通っているが、母にうまく接することができなかった(音声のみ)
- 外出先で母が騒ぎはじめると、「静かにして」とたしなめてしまう自分がいて、後で反省してしまう。同居している妹や義父は、普通に対応ができていてすごいと思う(音声のみ)
- 偏見に対して強くなっていきましょう。家族が認知症になっても、悪いことばかりでなく、楽しく過ごせるときもあるので一緒にがんばりましょう(音声のみ)
- メディアに出るときに夫の両親に一番最初に相談したが、理解してくれた。「認知症にだけはなりたくない」といった声を聞く度に、周りの人を思ってもっと強くならなくてはと思う(音声のみ)
- 認知症の母と離れて住んでいた私は診断を聞いて、今までの母は戻らない、生きていても人間性が失われていってしまうのではと思うと悲しかった(音声のみ)