投稿者「dipex-j」のアーカイブ

認知症の語り

義母と夫の2人の面倒を見ていたときは大変だったが、仕事が息抜きになっていた(音声のみ)

―― お義母さまも認知症で、そのー、一緒に見られていた頃というのを考えると、ものすごい、もう過重労働というか、まったく自分の時間もない中で大変な思いされてたと思うんですけれど、よく平静を保っていられたなっていうふうに思うんですけど。

ああ、やっぱしそれは息抜きする時間が、仕事があったから、それで100%ずっと家にいて2人を見るんやったら、絶対私もつぶれてますけれども。仕事があったので、逆に言えば。仕事をしてたからこそ、家に帰ったら、まあ、しなくちゃいけないことは、しなくちゃけないんだっていう、こう、割り切りがあったから続けられたと思うんですね、逆に。
もう仕事もしんどいんですけれども、でも、また場面が変わりますから、仕事は、仕事をしてるときは、まあ仕事の顔になって、仕事の、あの、気力もありますし、仕事しなくちゃという思いもあるんで、で、離れて家に帰ったら、今度はこの仕事をしなくっちゃとか、切り替えがあったからこそできたと思います。

認知症の語り

妻の病気が1ヶ月で治るのなら介護休暇を取るが、そうではないので、今の状況を維持することが大切

老老の介護の方も、えー、おられますし、やっぱり遠方介護の方もおられます。そういう方、そういうので、みな、大変なんですよね。ただ、私は仕事をさしてもらってるんで、今、結構、マスコミとかで、あのー、よく撮られてはんのが、仕事しながら介護するって大変やなと。介護休暇とってはるんですかとか、いろいろ言っていただくんやけど、介護休暇をとれば、私はもう会社を辞める時点やなと、私はそう思ってますんで、介護休暇をあえてとってまで、家内を介護しようということも1つも考えてない。だって、認知症で、もうね、先1カ月後に治るんやったら、それは介護休暇とって、えー、きっちり家内の病気を治します。ただ、認知症は治らない病気ということで、私は治す、治ってほしい、治ってほしいって思ってても、この病気はあくまでもひどい病気なんで、だから、それを実質、やっぱり受け止めているんで、治らない病気だから介護休暇をとってまで、あの、家内に介護しても、24時間介護しても結局は治らへんのやったら、今の現状をやっぱり、こう、悪くはしたくないということで、今、介護と仕事の両立は、義母とかの協力も得ながらさしてもらってるんですけど、やはり、義母が大事ですよね。

認知症の語り

家のローンがあるし、妻の介護費用もかかるので働かざるを得ない。介護と仕事の両立は大変なことというより、そうしないと成り立たない状況にある

あのー、働いてるから大変とか、私ひとつも思ってないですよ。ただ、今、自分が今、働かざるを得ないと。多額のローンを抱えてます。家のローンを抱えてる。で、家内のやっぱり、えー、ねえ、介護施設を利用さしていただくのに、介護施設の利用料かかる。病院代はかかると。そういう形でやっぱり出る金、お金のほうが多い。そこへ何もしない私がいていれば、いつか生活できない日が来ると。だから、働かざるを得ない。だから、家内とずっと一緒にいてあげるのがベストであろうやろうけども、働かざるを得ない状況下が、今、私の介護と仕事の両立に入ってまして。で、そこで仕事場の理解を得てるいうのが、ま、第1の要因なんですけど、ま、こんな人いらんわと言われてしまえば、私はその会社から、この今の会社から辞めざるを得ない。たちまち生活はやっぱ厳しい状態になると。今でも大変、ちょっと厳しい状況にあるのに、なおかつ厳しい状況に入るので、介護と仕事の両立は、私には自然的に、それがしないと駄目な形だったんですよ。だから、私はあえて、介護と仕事の両立が大変やなとは思ってないです。

認知症の語り

夫婦でコンビニを経営していたが、妻の体調変化をみて、何かあれば後悔してもしきれないと、コンビニを閉めた

平成の18年の春まで、コンビニ、ずっと営業してきたわけです。で、その間、やっぱり、子どもはそれなりに成長してきて、やっぱりいろんな思春期とか、いろんな問題が出てきまして。残念ながら、その子どもの中で、えー、1人、やっぱり自立がなかなか難しいいう、そういう環境になってしまったわけで。それにずいぶんやっぱり、私ども2人はいろいろ、苦労したいうんか、いろんな面でね、立ち向かって。それで、まあ、あのー、家内のほうは、もう、やっぱり僕からも責められる。やっぱり、その子どもがなかなかね、言うこと聞いてくれない、いう、そういう感じから、やっぱり苦労しまして、平成17年ごろから、やっぱり、ちょっとこう、疲れがね、妻に、表面化してきたわけです。それで、まあ、あの、これ以上もう無理やということを自分が知って、まあとにかく、あのー、契約、コンビニのフランチャイズ契約は18年、までやったんですけども、もうちょっと半年前からちょっと閉めたいな、いう感じで、話出したところ、やっぱり今閉めてもらったら、ちょっと違約金がかかりますよ、いうことなんで。まあまあ、いろいろちょっとこう、ごたごたとしたんですけども、まあまあ辛抱して、えー、満期まで頑張って、5月に閉めることはできたわけです。
それで、えーとね…やっぱり家内が体調、そういうふうに壊してきて、やっぱり、平成、えー、要するに、17年度、18年。その2年の間、ものすごくやっぱり心配した時期なんですよ。そのときにちょっと、やっぱ僕も慌てて、うん。まあまあ、とにかく、このままではちょっと、僕は許せんな思うてね、うん。今、この世を去られたら、とにかくもう後悔のしようがないというふうに感じて、ま、ちょっとばたばたといろいろな人やら、相談やら、何やかやとした時期なんです。それで、あのー、どんな感じかいうたら、えーとね、その、コンビニを閉める…うーん、もう年末から正月、正月明けぐらい、ちょっともう様子がだいぶね、変わってきて。あのー、お客さんとのレジ、えー、レジの仕事がちょっとやっぱり、もう1人では無理になってきたいう感じ。

認知症の語り

日中、母の安否を定期的に画像確認できる設備や地域コミュニティーで看てくれるような制度があれば、安心して働ける。介護者はどうしてフルタイムで働けなくなるのだろうと思う

ほんとに日中、何やってるか分からないので、あのー…一番いいのは、その、母は誰か来ることが非常に嫌いなので、そういうサポートがちょっと苦手っていうのがあるので、監視カメラとかがあって、そこで何かをこう、母の状況が分かって。そこからあのー、サポート、うん、ま、そういうシステムが、施設的な部分ではありますし。あとは、もう少し身近な状態でのコミュニティーというか、あのー、地域の中に、近い所で、例えば、何か集まりがあったりとか、そういうようなことをサポートしてくれる、団体であるとか、そういうのがあったりすると、非常に働いてて状況が分からないという中では、非常にいいなというふうには思いますし。まあ、そうですね、あのー、まだ(母が)自分で、1人でいても特に問題はないっていう思いがあるので、いいんですけれども…それが何時間ごとに、こう、こちらで分かるような、大丈夫かな、元気かなっていうのが分かるようなことがあると、非常にうれしいですし。
あとは、そうですね、働いてる、うーん…これはあの、今のは家側なんですけれども、職場の方の環境の整備としても、やはりそういうところで、うちの会社はまだいいとは思うんですけれども、介護休暇とかもあるので。そういうようなところも、そのー、どうしてその、介護してる人はフルタイムで働けなくなっちゃうのかなっていう思いもあるので。うん、会社側の整備も今後必要だとは思いますし……うん。保育園の足りないのと一緒で、その、夜間でも、こう、見てくれるような施設が気軽にあったりとかするとですね、出張のときとかもいいのかなというふうには思いますけれども、はい…。

認知症の語り

私が夫の世話をすることができるので、ヘルパーさんはつけられないと言われたが、支援があれば働きに出ることもできるはず。家庭科の男女共修を進めてきた立場からは不満が残る

介護保険についても、あのー、あの方がいますね。相談員で来てくださる方(ケアマネジャー)、お話を聞いてると、わたしが女性で、主人の世話をすることができるから、ヘルパーさんは付けられないというか。それ、もし逆だったら、ヘルパーさんを付けてくれるっていう。そういうのって、ちょっとおかしいと思うんですね。やっぱり、わたしはこれで何とかやれてるけれども、もし、わたしが男だ、女だって言わなくて、ただの人に対して、こう、あの、支援をしてくださるんだったら、わたしだって、例えばもっと若ければね、外に働きに行くこともできるし、何かすることもできるのにっていうの、ありますね。男だから、女だからっていうんで、区別されることは何かすごく、ちょっと嫌な感じの、何かこう、古い封建的だなっていうね。現代にそぐわないんじゃないかなと思いました。

―― そうですね。以前、家庭科を教えられてて。

ええ、そうなんです。

―― 男の子も家庭科をね。

男女共修のね(笑)、ちょっとこうやった家庭科の教師、元家庭科の教師としては、すごい不満が残るとこですね、ええ。

認知症の語り

両親の話し相手になろうと思って教師の仕事をやめたが、両親、義父までが認知症になり、のんびりと過ごす時間を持つことはできなかった

仕事辞めて6年目なんですけど、もう仕事辞める時もすっごく疲れて。いろいろ辞めた理由はいっぱいあるんですけど、両親がそういうふうになってきて、大変だから、まあ、あのー、ね。わたしを育ててくれた両親だから、あのー、話相手になって、見てあげようかなっていう気持ちもあったんです。ところが、こんな大変なるとは思わなかったので(笑)。

―― そうですね。でも、お仕事辞めて介護をされていて、やっぱりこんなはずじゃなく、お仕事に戻りたいということでしょうか。それとも、お仕事辞められたこと、今、6年前を振り返って、今はどんな気持ちでいらっしゃるのですか?

仕事辞めたことは、もう後悔してません。もう戻りたいとは思わない、思わないですね(笑)。もう精いっぱいやったので、あのー、何て言うか、自分の思うどおりのね、学年経営とか、いろんなものできたし、もう思い残すことはないっていうことで、あの、辞めれたのはよかったんですけどね。で、その後、もうちょっと両親と、あのー、何て言うか、のんびりとこう、話をして、あのね、健常な両親と過ごす時間があったらよかったなって思うんですけどね。何か、わたしが辞めるのを待ってたように、みんながバタバタっと(笑)。

認知症の語り

妻の発症から8年、仕事の場を自宅に移し、24時間介護をするようになると社会性がなくなり自分が孤立するかもしれないと思うと怖かった

―― ご主人として、やはりどうしてもその、奥さま中心の生活にならざるを得ないところあるかと思うんですけど、何かこうご自身でストレスがたまったりとか、そういうことってないんでしょうか。

ええとですね、今まであの、僕、東京で仕事やってたんで、24時間一緒の生活やってなかったんですよ。で、一応先月から、まあ24時間の生活始めてみて、東京で仕事やってる時は、仕事が結構やっぱり気分転換になったんで、ストレス発散できたんですよね。あとは、たまにまあ、酒も飲んだりして帰ってきたんで。ただ、あのやっぱり24時間、先月からいると、「ああ、少しやっぱりストレスもたまるのかな」って思ってます。それと、今はまあ仕事やってないんですけども、あの、やっぱ帰り、僕の場合はまだそうでもないんですけど、やっぱり毎日ここで、1日ここで家ん中で家事とかやってると、もう社会性が僕にもなくなってくるような気がして、それがちょっと怖くなって。たぶん、そういうふうになっていくのかなと、何もしないと。あんまり外へ出て、ほかの人としゃべる、話したりすることもないんで。だんだん、本人以上に、私の方が孤立しそうな感じをします。で、もしかすると、24時間介護してる人というのはやっぱり、だんだんと介護する人の方がやっぱり孤立する場合もあろうかな、と感じてます。

認知症の語り

働きながら介護している友人は上手にヘルパーさんを利用しているが、私の両親は他人が家にいるとパニックを起こすので、自分が勤務日数を減らすしかなかった

わたしの友達はですね、あのー、ヘルパーさんを上手に利用していますね。おむつの交換に頼んだりですね、そういうのやっているんですけど、うちの場合は、やっぱり、あのー、両親がね、こう、他人さまをこう入れたくないっていう気持ちが、やっぱり、あるもんですから。どうして、こんな知らない人がいるのって。変な人がいるよって、怪しい人がいるよってなると、パニック起こすでしょう。ですから、それができないから、自分がそうですね、勤めて、自分の勤め、勤め方を大幅に、うーん、例えば、週3回しか行かないとか。それしかできないですね。時間短縮するっていうことは、無理ですもんね。通わなきゃいけないから。休みは休み、働くなら残業してもいいからみっちり働く。うーん、だから、週の3回は全然行かないよとか、そういうかたちをとれば、ま、実際にそういうかたちとったんですけれども。それで、それを利用して、通ってこれたんですけど。仕事の内容によってはね、やっぱり、そんなことを言うんだったら辞めてもらいたいようなこと言われるところもあるだろうから。うーん、ヘルパーさん入れたり、訪問看護さん入れたりそういうこと考えないと無理かもしれないよね。

認知症の語り

認知症の母と離れて住んでいた私は診断を聞いて、今までの母は戻らない、生きていても人間性が失われていってしまうのではと思うと悲しかった(音声のみ)

やっぱりそれ(母の認知症という診断)を知ってから1、2年ぐらいはもう結構、悲しかったというか、やっぱり今までの母の思い出があったので、もうそれがなくなってしまったっていうふうに、もう戻らないのかなっていう思いで、やっぱり、うーん、悲しい思いはありましたね…。まあ、結構、友人に話したりしても、そんなに、あのー、重いふうには感じないというか、まあ、生きてるからいいじゃんっていうふうな感じには思うのかもしれないんですけども、何か今考えても、やっぱり、あの、ま、生きてはいるんですけど、本人のもともとあった人格とか、そういう人とか人間性とか、そういうのはやっぱり、失われてっちゃうっていうようなところが、ま、今、現在も残っているところはあるんですけれども、うーん、やっぱりちょっと失われてってしまってるところがあって、それは、やっぱりちょっと悲しいっていうのがありますね。で、そんときもやっぱりそういう思いが、失ってしまっていく思いがあって悲しかったんだと思います。