……で、そういえば、あのー、家族会で、あのー、配偶者じゃなくて、あ、患者さんの子どもたちのグループっていうのも何か会合のときにあったんですね、別のテーブルで。そういうのもあったなと思って。娘にちょっと話したんです。というのは、娘が、「子どもと話してみたい」と、こういう人、親を持った。で、そういえば、こういうのがあったわと、で、「行ってみようね」って言っているうちにちょっと娘も忙しくなってしまって。で、今度、息子が、この間5月に、「そういう会合に自分も行ってみたい」って言うんで、行きましたけども。たまたま5月の例会は、ちょっとイベント風で飲み食いしたり雑談したりっていう形式なので、子ども同士の輪っていうのは、全くなかったんですけども。息子は、そういう親のことを受け入れているし、娘は、わたしに、「ママ、好きなことやってね」と。「歌が好きならどんどんやってよ」とメールもくれますし。
投稿者「dipex-j」のアーカイブ
あの、家族、家族の会っちゅうのが…行って話して、「ああ、そういう考えもあるんだ、そういうこともできるんだ」っていうのはできるんだよね。でも、そこへ出れるっていうのが、出れん人のほうが多いんだろうなって思って。
―― うん…家族の会は、やはりこう、できれば出席したほうがその人にとっては…いいけれども?
うん、だって、いいと思う、本当に。今行ってるのは、あの、市があれ(主催)した、何回かに分けて、お金のこととか、その、病院の介護士が話してね、ケアマネが話してって、いろいろな人がいろいろ話してくれて、セットにして(実施した講座)、それが終わった後、来た人たちでちょっと顔見知りになってるから、「家族の会やってください」って言われて。今、月に1回来るんだよ。だって、それぞれの状況が分かって、それこそ愚痴とか、こういう状況だっていうのが出て。「もう夜、いつもドライブ行ってんだ」とかいう、おじさんが隣でしゃべって、「どうすりゃいいが」とか言って。そんな話を、あの、「僕んところ、僕んところはもう終わった」とか言って、うん。だから、奥さんを看てる男の人が3人で。で、まああの、お姑さん看てる、実母を看てる、いろいろな人がいろいろあって。来て話してるんだけど、うん。進展はないよね、でも。でも、何かちょっと開く、開く気がする。
―― ああ、そう。
うん。だけど、それだけの意識持って、集まってる人だからだと思う。だって、その、その前は何回かの市の、そのー、こう、こう、授業みたいなのをやった(受講した)人だもん。普通行きたくない、あんなもの。うふふふふふ。広報で出ててさ、「これでやります」っていわれても、「えーっ」と思う。私も最初「えーっ」と思ったけど、「まあ行ってみるか」と思って行った。
―― その行ってみるか、っていう動機づけはどこから生まれてくるんですか。
ああ、出たがりじゃない、はっは、はは。知りたがり。
―― うん、でも、出てよかったと。
よかったと思う。うん。いらん話もいっぱいあったけど。
―― 家族会の何か活動っていうのは、ほかにどんなことがあるんですか。
2カ月に1回、えーと、家族の方、認知症の方、および、その家族の方と集まって、情報交換とか、あるいは、認知症にかかわる勉強会。で、去年、あ、今年の初めに、認知症の先生を迎えて講演会とかしていただいて。ま、そのときにもいろいろ勉強会、スライドを見せていただいて、勉強会させていただいて、あるいは、あの、食事会をしたりとか。だいたい2カ月に1回のペースで集まって、何かこう、やって情報交換をしていますね。
それは、うちはまだ間もないんですけども、もう何十年も行ってる方もいらっしゃるので、そのときに、えっと、例えばこういうことになったら、こういうふうにしてとか、病気がこういうふうに進んでいくっていうのが目の当たりに、その患者さんも見れて、その家族の方の話も聞けるので、だいたい何年後にこんな感じかな、何年後にはこんな感じになるのかなっていうのが、先読みできるっていうか、ができるので、まあ、あの、ばたばたしないでも、「ああ、こういうふうになっていくんだな」っていうのが、あらかじめ分かるので、うん、そういう点に対しては何か、素直に、その、認知症っていうのを受け入れることができるかなと思いますね。
何も知らないで、急にいろんなことが出てくるよりも、だいたい段階を追って、こういうふうになって、こういうふうになってっていうのが分かるので、で、今、先ほど申し上げたこだわりっていうのが今、出てきてるので、「ああ、こういうふうにこだわってくるんだ」と。ま、この次が今度、こういうふうになるんだろうなっていうのが、ほかの方のお話が聞けるので、その点すごく、あのー、はい、勉強になりますね。
ああ、それはね、僕いわくね、男性って介護をされない(しない)ものやと思ってはったんね、今までは、周りがね。で、えー、女性が当然やっぱり、介護をされる(する)ような環境にあったというのは大事ですよね。だから、ま、ここが、男性のお住まいであって、で、通常、奥さんが病気になりはった(としても)、娘さんがおられたら、娘さん(が)介護されてる(している)って多いんですよ。で、ご主人が介護しはるって少ないんですわ。
だけど今、男性介護者の会がそうやって、こう盛り上がってきたいうのは、今までご主人がされて(して)いない、あの、娘さんが介護されたはったん(していたの)が、ご主人も入るようになりはった。それが男性介護者の連絡会という形で、えー、皆さんがこう、集まられて、「僕も、家内介護してるんやで」と、「お母さん介護してるんやで」と、こう出てこられたんが、その男性介護研究会の発端になってます。だから、みんなそういう気持ちで、その会に集まってはって。
で、女性の方とはまた、もう1つ違うのは男性の方のは、どっちかと行政のほうに、こう、入っていく人が多いんですよ。行政に入ってく、いうのは行政の改革とかね、そっちのほうに、あのー、こう、少し時間を割いてでも入っていかれるとは思いますよ。で、私もどっちかっていうと、えー、「介護、今されてる(している)方に、こう、行政でね、助けられる部分ないんか」と。今、だから、えー、介護者をサポートする会てありますよね。だから、気持ち的にものすごく詰まってはる人が多いから、そういう会を立ち上げられて、えー、その会で、こう、皆さんは介護に携わってはる方を、あのー、サポートしましょうよという。それはやっぱり男性介護者の方が、こう、かなりズームアップされてきて、それが、ま、発端かなというのは結構出てきてると思います。
その富山の、あの、交流会でね、そらあ元気もらいましたね。あれでね、もう、家内が変わりました…。あのね…(涙)…家内の思いの中で…自分自身がね、戻った。……人に、人には言えないね…そういうことが、3日間の、もう最後になってから…(涙)…自分からね、言えるようになったんですよ。……それからね、やっぱり彼女自身がやっぱり…もう、どなたの前でも、もう、自由にね…しゃべれるようになった。……そやから、彼女自身も、今、いろんなとこへ行って言ってることは…「私は今までね…今までやってることができんようになってるけども、今は…皆さんの前でどんなことでもね、もう言えるようになりました、楽しいです」ということを本人自身が…言ってるんですよね。……そやから、この…交流会で…同じ立場の仲間の中にね、やっぱり……入れた。また、同じ仲間がおるということでね…まあ彼女自身も大きな自信にね、やっぱりつながったということやと。
本人、本人はね、やっぱり、あのー、はっきり言うたことは、やっぱり、あのー、「一般の方の中に入ると、やっぱり、『あ、あの人、ちょっとおかしいんじゃない』とかね、いうことのね、もう視線が分かる」って言うんです。一緒に話とってもね。もう、そういう態度がやっぱり分かると思います、僕も、はっきり言うて、うん。それがね、やっぱり感じるいうこと、今になってはっきり言うてますね、うん。
ところが、交流会行ったら、みんな一緒やから。うん。もう同じことを言うても、ああ、これね、あれはこの病気なんやと、うん、誰も一緒なんやというふうに、みな理解者ばっかしやから、うん。本人ね。あの、ほかの方の本人がおっても、ご家族がおっても、うん、平気で一生懸命聞いてくれるわけ。うん。何回同じこと言ってもね。で、そんなことでやっぱり本人自身がね、やっぱりこう、そういうとこ行くと、もう気楽にしゃべれてる。うん。それ、一般との差がね、やっぱはっきり自分でも、やっぱり感じてるわけ。そういうことですね。
とにかくもう、ちょっとでもね、病気を改善の方向に持ってって。そやからね、僕、交流会とかね、こんな、そんなことでね、ようある話やけどもね、一番嫌なことがあるんですよ。看取りの話、ね。もう嫌なんですよね、うん。看取りの話。それからね、やっぱり…「ああ、奥さんまだ元気やね。うちかてな、もう何年前まではそんなんやったけども」。その話、そんなこと言わんといてくれる(笑)、ほんまに。そういう話、一番嫌いなんです、僕、うん。そやから、とにかくね、もう前向きに、えー、考えてね、もう行こうと自分自身は思ってる、そういう中でね、そういう話出てきたら、もう、うん。この場外れたいな、思うんですよね(笑)。うん。
で、平成11年の秋に初めて出ていったんですね、会に。「お父さん、少し、あのー、勉強しに行こうか」って言って、2人で行ったんです。で、自己紹介のときに、本人が「僕はアルツハイマー病です」って言ったんです。で、「家内とがんばっていきます」って言って話したんですね。で、まだしっかり分かってますんで、薬の話とかが出てくると、入っていくんですよ、話が、自分が。うん。だから、みんなで笑ったんですけどね。そういう状況が最初です。
―― うん、うん、なるほど。当時、ご本人というのも、その会の中にいらっしゃったんですか。
はい。連れていきました、私は。ほかの方も連れてこられてたんですけども、やはり本人の前では話せないって言われて、あのー、誰か、あのー、その中に来てる方で、外へ連れていってくださったりとかされてたんですね。で、主人にも声をかけてくださったんですけど、主人は「僕は結構です」って言って、みんなと一緒にいたんですね。だから、本人知ってますからね、うち。隠さなくていいわけですよね。うん。
―― その家族会のメリットっていうのは、どういうところにあるって感じられましたか。
そうですね。いろんな情報、自分では仕入れられない情報とかがありますよね。それをやっぱり、調べてくださったりとか、あの、教えていただく。で、こういう施設もあるよとか、こういう利用の仕方もあるよとか、いうのとかも教えていただけるし。それから、あの、進んでる方たち、もううちより進んでる方たちもいらっしゃいましたのでね。そうすると、その方たちから、いや、こんな、こんな状況で、そんなときはこういうふうなやり方をしたよとか、いろんな情報が出てくるんですね。
そうすると、あの、何人も、10人いたら、10人違いますからね。するとその中から、あ、うちはこの、この方の話はうちで使えるかなとか、そういう形で、あの、あの、自分で、自分なりにやってきましたね。うん、それが家族会のいいとこなのかな。あのー、みんなで集まってしゃべりながら、あのー、そこでやっぱりストレス発散ですよね。みんな泣きながら、こんなだ、あんなだっていうのが始まりですね。うん。
だから、ほんとに病気になって、自分が苦しい思いをして、そして、まあ、認知症のご本人とかと、会う機会もあったりとかして、そこには家族はいなくて、ご本人たちだけで話し合う機会も何回かあったんですね。もう、そこでわあっと自分たちの気持ちを共有してね、「こんなつらいことがあるんだよね」、「ああだよね、こうだよね」と言ってね、その中で奥さんの悪口を言ったりとかしながら、ま、そういう中で、何ですかね、うん、やっぱりこう、苦しさ、つらさ、そういったことを。こう、十分にこう、十分にって言ったらおかしいね。こう、自分が味わって、仲間がいることでこんなにこう、自分が強く、ね、なって、この病気と闘っていきたいんだっていう、気持ちを強くしてくれる。ほんとそういうことが、こう…、彼の気持ちや、これから、あの、生きていこうというね、強い意志を、こう、何て言うか、豊かに豊かにしていってくれてるのかなあっていうふうに思うんですね。
まあ、わたしなんか、ほんとに診断された次の、2、3日後にですね、ほんとに無償の講演会っていうのを聞かせてもらって。もう、その場ですぐに入会をさせてもらったんですけど。まあ、集いに行くことによって、うーん、いろんな介護者の方がね、皆さん…。ま、ご本人ていうのは彼1人だったんですね、参加するのは、最初は。
だから、最初は彼にとっては、その介護者の方のお話を聞くことがとてもつらかった、辛かったんですね。皆さん、こう、もう進まれた方のお話で、若年性ではなくって、もうやっぱり、あの、高齢者のね、方の。で、自分はあんなふうになってしまうのかなっていうことで、もう最初はとても行くのが、あの、ちょっとこう、重たい感じだったんですけども、まあ、そういう話ではなくって、今度、その、人とのかかわり合いがですね、集いに行くことによって、話ではなく人とのかかわりが、こう、できてくると、ああ、別に(認知症の)話はお聞きしなくても、その人と何かいろんな話をしたいっていうような形に、こう、あの、もう認知症のことではなくって、人間としてですね、こう、話をすることができるようになって、うーん。