投稿者「dipex-j」のアーカイブ

認知症の語り

施設に入っていた妻を引き取り介護している。できれば、ゆくゆくは息子たちの誰かにこの家に来てもらい、世話になりたいが、その話になると喧嘩になってしまう

ま、そのうちに子どもが、あの、こっちへね、裏のほうはずっと広いからね。まあ、裏のほうへ家を造る、あるいは孫がね、あ、うちの内孫のせがれが、あー、いるんですよ。それも、役場へ入れてもらうってね、言うもんだから、どっちかが来るだろうと。だが孫は、じいさんが亡くなったら、死んだら来ると、そういう話だから、それじゃ駄目だと言ってるから、ま、せがれが、長男がいるんだから、あれじゃないほうが、あのー、長男がね、やらんきゃね、やらんとはっきり言ってくれと。そうすりゃ、おらが考えると。じゃあもう、嫁さんも来ないというんであれば、はっきり言ってくれと。そのうちにもう、いいと。おまえは親の面倒見ねえでいいから、一切もう、こっちへ来んなというぐらいの、あのー、2人の弟がやってるんですよ。

―― うんうん。

それが、そういうことまでやる。だから、結構ね、うちの中に何か寄ったりなんかしてね、たまにここ寄ったりなんかすると、男3人、嫁さん3人でしょ。そんで私でしょ、で、孫が来るでしょ。これやってるうちね、しまいにはけんかになってさ。やっぱりうちの中ね、けんか、そういうけんかなるんですよ。うん。これ以上、そういう、ま、親でも誰でも、元気になのが病気になったり何かすることによって、この先どうするんだという、親の、じゃあ、面倒は誰が見るんだということを、やっぱり私も決めてもらいたいし、また子どもからも見てもらわなきゃなと思っているけども、どうにも駄目だということになれば、そのようにして今から考えなきゃなんね。
だからお金もなくたってね、お金等、節約しても、有料のその施設に、じゃあ、この程度で入られるなら、じゃあ、今の金で、じゃ、何年生きてそこへお世話になれるか、というところまで考えてやらなきゃならんなという、お金の計算も含めて、やらなきゃならんと。ある田んぼなんて、今、私もやってませんから、この年だからもう農協に委託をしてやってますからね。
ま、そういうことで最終的にはやっぱり、うーん、子どもが面倒見て、自分の家でね、まあ面倒見てもらいたいなと。私も親はみんなそういうふうになってきたから、2人でね。やってもらいたいと思うけれども、それがどうしても難しいなら、それは病院へ入るのか、施設入るのかということは、その時期になれば仕方ないと。そのためにやっぱりいろいろと話をしてって、子どもたちにも言い聞かせておいて、最後はこうだというふうに、まあ、お願いしたりやってます、はい。

認知症の語り

遠方で協力できず、母の症状が原因で「お姉ちゃんにはわからないよ」と妹は家を出た。近県に越してからは月1-2回通っているが、母にうまく接することができなかった(音声のみ)

で、結局は、しばらくして妹は家を出ることになったんですね。えー、そのときにも、まあ、妹が家を出るっていうふうに聞いたときに、私はまあ、(関西から首都圏へ)転勤するっていうことが決まってたので、「もう少し我慢してみて」って言ったんですけど、やっぱりもう我慢できないっていうことになって、まあ、妹は家を出ることになったんですね、うん。
まあ、そのときにやっぱり、「お姉ちゃんには分からないよ」っていうことも、まあ、一緒に暮らしてた妹は、あのー、私に対しては言ってたので。まあ、一緒に暮らしてると、やっぱりすごく大変だったんだなっていうことは思いますね。

―― うん、うん。

ま、実際に、その後に、私も(首都圏に)越してきてからは、月に、あの、仕事をしてたので、なかなか行けなかったんですけども、実家のほうには。それでも月に1、2回ぐらいは、あのー、行くようにしてたんですけど、妹が出てからですね。それでもやっぱり、あの、月に1、2回だけでも、割としんどいときはあって、まあ、母と接するのも、結構まあ、病気と分かっていながらも、あの、うまく接することができなくって…うーん。
 
で、その後、家に帰ってきては、あの、何て言うの、自分に対してすごく罪悪感を感じたりとか、母に対してそういうふうに言ってしまったとか、優しくできなかったこととかを、こう反省したりとかもしたりして。それでもやっぱり、一緒にいると、まあ、何でそういうふうに、うん、なるのっていうか。こう、うーん、けんかしてしまったりっていうのはあるんですけど、「何で、そういうふうに何回も言うの」とか、うーん、うん、まあ、そういう状態でしたね、そのときは。

認知症の語り

長女としての責任感もあり、母と同居したが、母は夫に気を遣い、夫は同居してストレスを感じていると思う。どうしてあげることが母にとって一番幸せなのか悩んでいる

本当は長女なものですから、うーん、そうですね、まあ、私も母はちょっと心配でしたので、私も長女だからやっぱり見てやらなきゃいけないのかなっていう、ちょっと責任感もあって、うん、まあ、あの、「母が動けなくなったら私が見るから」っていうのは言ってたので、うん。別に特に問題はなく。私のほうはいいんです、私はいいんですけれども、うん、まあちょっと、主人や子どももいますので、ま、そこでちょっと、うーん、気持ち的にはあんまり賛成してないかもしれないんですけれども、状況がしゃあないので、何とか受け入れてくれましたけど。はい。
やっぱり主人、この、ま、自分の、母は自分の家じゃないので、すごく何か不安なんですよね。何かやっぱり落ち着かないっていうか、そのことはちょっと心配なのと、やっぱり主人と母の間のことですね。やっぱ、母も主人に気を遣い、ま、主人はあんまり気を遣わないんですけど、うーん、その、何かやっぱり、主人もストレスになりますし、今までと違う生活なので、そこがちょっと不安ですかね。だから、まあ本当は、私の本音としては、しせ、施設にずっと入所できたほうがいいのかなと思ったり、でも、それでも施設に行ったら、私、今日、あのー、明日、実家に帰りたいと、帰らしてもらいたいとかって、いっつも言ってるらしいので。そうですね、一番どうしてやることが母の、ね、とって一番幸せなのかなっていうのはちょっと悩みですね、うん。

認知症の語り

去年くらいから母の足腰が弱くなり、生活面の介助が必要となってきた。妹は仕事を辞めるわけにはいかないので、それまで妹と暮らしていた母を引き取って介護している

3年くらい前まで、うーん、そうですね、そのころは妹と一緒に2人で暮らしてまして、そんなにお世話するほどではなく、別、特別、手がかかることはなかったので、一緒、あの、買い物に行ったり、それからですね、身の回りのことも全部できましたので、食事も母がずっと準備してました。認知症と言われながらも、何とか準備したりしてましたので。ただ、去年のくら、去年ぐらいから、ちょっとですね、足腰がちょっと弱くなったので、あのー、道で転んだり、それから、ちょっとつまづいたり、家の中でも転んだりしてましたので、うーん、ちょっとそれで何かちょっと、料理の仕方も少し手順が分からなくなったりしてたんですけれども、まあ、一番の原因は足腰が弱くなったので、お風呂にも、うちは内湯もあるんですが、母はちょっと銭湯が大好きなので、近くの銭湯に行ってたんですけども、なかなかそれもちょっと、去年は冬は雪もひどかったので、なかなか行けないということでしたので、あのー、デイサービスとショートステイ、1泊のショートステイを利用してて、で、去年くらいからうちに週3日ぐらい、こちらのほうに来て一緒に過ごしてたんですけれども、その間にお風呂入れたりしてたんですが、あとデイサービスとショートステイもありましたので。
で、でも、ちょっと、今年の春ぐらいから、まあ、お薬もいつも妹が管理しててくれたんですけれども、あの、朝と夜の分を、朝飲んですぐまた飲み忘れたのかなと思って、また夜の分も飲んで、何かお薬の管理もできなくて、お風呂にもちょっと、あの、入りに行けない状態ですし、ちょっとあのー、下のほうも失敗したりしてたので、うん、今年の、えーとですね、そうですね、夏過ぎぐらいからちょっと、こちらのほうに来るようにな、あの、その前にちょっと1カ月ぐらい、ミドルのショートステイっていうか、ちょっと、あの、デイサービスを利用っていうか、お泊まりをしてたんですけども、その後、こっちのほうに、9月からこちらに住所を移して、今はうちの家族と一緒に住んでます。

―― 今、長女の方の生活の変化はどんなものがありますか。

ああ。変化ですか。何かいちいち、やっぱり、母のことがちょっと気になるので、もう、朝いれば、もう四六時中、何か世話してるような気が、あれしたの、こうしたの、どうしたのとか、うん。これ食べてとか、ほらね、ちゃんとこたつに入って温かくしててとか、声かけが増えたのと、やっぱり、ちょっと私は主人もやっぱり自分のね、私の母なので、主人にも気を遣い、母にも気を遣いで、何かこの間に挟まれてちょっとストレスがたまるっていう感じですね。

認知症の語り

妻の介護と仕事の両立は、仕事を辞めて協力してくれた義母の助けなしに成り立たなかった。高齢の義母は、最近では持病が悪化し、もう体力的に無理な状況だと話している

病いの進行は、だんだんやっぱり進んできたんで、どっちか家内の面倒見なあかんなということで、義母が勤めを辞めてくれて、家内と一緒に、えー、生活するのがだいたい1年半ぐらい、家内、家内と義母が同居でずっと生活してたんですけど。
今、介護と仕事の両立は、義母とかの協力も得ながらさしてもらってるんですけど、やはり、義母が大事ですよね。ここで義母がもう、「私は嫌や」と投げられてしまったらもう、本来もう、ここで介護終わりなんですよ。あの、義母にも、こう不満があるから、不満もやっぱり私は、あの、聞かざるを得ないと。それで、ま、いろんな不満も、義母があって、で、私に知らず知らずの間に脳、頭の中にそういうことが、こう、鬱積して、やはりこういうヘルニアとかの悪化が出てきたんかなと思ってますけども。それは病気のせいにしたくはないということで、今は、その、自分のヘルニアにも闘ってますね。

―― あの、お義母さんが感じられている不安ていうのは、もし差し支えなければどのような?

いや、義母が感じているのは、自分の体がもう、はっきり言って老体ですよね、83で。やはり、年々、やっぱり歯がおかしいとか、足が痛いとか、腰が痛いとか、やはり歳を取ってのやっぱり病いっていうのは必然的に出てきてるんで、自分自身の体力がやっぱもう持たないと。で、家内をトイレ連れていくにも、もう無理な状況に入ってきてるから、私には、100%介護をできへんよと。だから、あなたが見やんと、介護は成立せえへんよということで、デイサービスに帰ってきての2時間ほどは、(妻は)もうベッドに寝かしてもらってます。だから、義母には、もう手かけてもらわんようにはしてるんですけど。そういうことが、まあ、今、介護と仕事の両立で、今、歯車がうまく噛み合わすようには、こう、協力関係で成り立ってますね。

認知症の語り

母を週4-5日介護している姉が心配だ。姉は母が死んだら燃え尽きてしまうかもしれない。姉も友人から介護生活だけでなく社会とのつながりを持つように言われたと話していた

もうちょっと自分のことを大事に考えてほしいなって。シングルですんでね。これが子どもがいたりね、あのー、だんなさんがいたりしたら、また別なんですけど、彼女(姉)は1人もんなんで、そこいら辺ももうちょっと、だから、どうしてこう、もうちょっと先を見ずに、今、今を見るん。今も大事やけど、今と同時に、もうちょっと先を見とけへんかったら、だから介護者っていうのはきっとそういう家庭、結構多いと思うんですけど、自分はそういう仕事にかかわったからだけじゃない…(かかわった)からかも分かりませんけど、あの、やっぱり、今、今半分、先半分ていう感じで、もう済んだことしょうがないんで、もうね、絶対帰ってきんへんから、しょうがないんで。今半分、先半分ていう視点で物を見とけへんかったら、絶対しんどいと思うんですよ。

―― そうですよね。

だから、僕の悩みちゅうのは、だから、姉がやっぱり燃え尽きてもろたら困るんで。そこにあんまり加担、があっと加担していってたら、おばあさん死んでまったら、姉自体がものすごく、こう、ダメージ受けるんちゃうかなっていう気分あるんで。それも、こないだの時に、ま、それは自分で言うてました。やっぱり、社会とのつながりを自分で持っていって、それは友達にアドバイスされたみたいです、同年代の。社会との、そのかかわりをきっちり持っとけへんかったら、そういう介護生活なんか送ってて、その、要するに、要介護者が死んだときにね、ものすごいダメージを受けるんで、っていうのを友達から言われたみたいです。
だから僕も、そのとき、友達から言われたっていう話を自分から切り出したもんですから、「そうやで」って。「あんた、自分のこともよう考えとかんと、あんたももう、ええ年なんやから」、あの、その、「今、その、おばあさんをこう、見てるという、そこに酔いしれてたら」、ちょっと言葉悪いけど、「あかんと思うよ」って。やっぱり、自分ちゅうのをもうちょっと、自分の生活ももっとこう、大事にしてきへんかったら、その、その、今も含めて、先も含めて、きちんということになるから、もうそろそろ今からそれを、まあ「それは友達にも言われたんや」とは言ってました。

認知症の語り

介護中は体調を崩したことはなかったが、何かあれば息子に言って、たまに来てもらったり、話を聞いてもらった(テキストのみ)

―― その途中、その介護中に体調崩されるとか、そういうことはなかったんですか。

おかげさんでね(笑)。もう70過ぎてから、がたがたっと来たような気がしますね、いろんなとこがね、うん。(体調崩すことは)なかったですね。わたしは、多分なかったです、ええ。

―― それは、その前にきっと、そういって「手伝って」とかって、その、お嫁さんのほうに言ったりとかして。

嫁さんに言えないから、息子だよね(笑)。

―― 息子さん。息子さんのほうに言って、あの…。

そう。そうするとね、来てくれたよね。やっぱり日曜日しかね、あの、そんな普通の日にあれだから、日曜日にはたまに来てもらったりして。やっぱり男の子ってね、何か、まあ、言ってみれば照れがあるのね、何となく。と、思うの、うん。で、まあ、娘は分かってるから、それ、それ、いろんなことをね、その、やってもらえたんだけどね。何となく、息子は照れがあるような気がするね、うん。ま、やって、まだそんな、深、息子も深刻に考えてなかった、っていうの(笑)。ただ、わたしが、わあわあって言ったときに、ま、聞いてくれたりしたことはありましたね、うん。そんなことかなあ。

認知症の語り

舅の介護を義姉に協力してもらえず、ストレスで心療内科に通っている。夫は協力してくれるようになったが、我慢して引き受ける前に義姉とも話し合えばよかったと思う

それとあと、うちのほうでは、その、主人にお姉さんが1人いるんですけど、そのお姉さんがうちから5分ぐらいのとこにみえるんですけど、あまり協力してもらえないんですね。で、もう、その、そのことですっごく、わたしはもうストレスが貯まって、ちょっとあの、心療内科に通うようになっちゃったんですけど。その、どういう、その、うちのね、おじいさんと、そのお姉さんとの人間関係がどんなふうなのか、どういう育ち方をしたのか、よく分からないんですけど、そのー、4月、今年の4月なんですけど、「もうおじいさんの面倒見るの、やんだわね」って、そういうことおっしゃる。で、どういうことって。もう、ほんとにその時にショックで。自分の親なのに、どうしてそういうこと言えるのってねえ。で、主人に言ったら、「うん。俺はその分、見るからいいわ」って言ったんですね。でも、そんなことできるわけないんですよね。で、そういうことで。
で、また、ちょうどそのころに、下の子が、あのー、結婚したもんですから。その、そこで主賓であいさつもしてもらわなきゃいけなかったので、何かあんまり関係を悪化させたくなかったもんですから、そこで、わたしがすごく我慢しちゃったんですね。で、もう、「じゃあ、わたしがやるからいいわ」っていうふうに思っちゃったもんですから。そこで、もうちょっと深く、どうしてそういうこと言うのか、話し合いをすればよかったんですけど、それ、やらなかったもんですから。すごく人間関係が悪化して、もうわたしはもう、お姉さんの顔も見たくないっていうような気持ちになってしまったんですね。

―― うん、うん。そうですか。

だから、もう全部、もう自分が一手に引き受けてやっちゃったもんですから、ちょっと疲れが出ちゃったんですね。

―― そうですね。逆にあのー、3姉妹の絆が強くなったり、ご主人とその、ご夫婦の関係が強まったともいえますね、きっと。

そうですね。そいで、あの、わたしが心療内科に通うようになったのは、もうすっごく些細なことでものすごい怒ったり、何かそういうふうで、妹がね、その、「ちょっとそれは、そんな怒り方は異常だから、医者行ってこい」って言ったもんですから。で、その時に、主人に「こういう人が突然自殺したりするから、気をつけてね」っていうようなことを言ってくれたらしくて(笑)。で、それからすごくね、あの、協力してくれるようになって、はい。だいぶ楽になりましたね。

認知症の語り

夫婦で暮らしている認知症の両親を姉妹3人で見ている。兄は一度同居したがうまくいかなかった経緯があり、認識のずれや気持ちのすれ違いで疎遠になっている

で、また、兄がいるんですけど、兄の所はちょっと遠いもんですから、あんまり、あの、言えなかったし。1度(両親が兄と)同居して、で、また実家(元々両親が住んでいた家)に戻ってしまったっていう経緯があるもんですから、なかなか、あのー、相談しにくくて。で、しょっちゅう、(両親が)うちへ来てたんですね。

―― 認知症のご家族を介護するようになってから、人間関係とか、あのー、社会との対応に対して、大きく変わったなと思うようなことは何かありますか。

そうですね。あのー、ま、うちの両親のとき、についてもそうなんですけど、うちのおじいさんについてもそうなんですけど、きょうだいとの関係がね。すごく悪化してしまって。うちの両親の場合は、兄がいるんですけど、その、認識の違いで、もうこう、気持ちがずれてしまって、けんか別れっていうことで。あのー、兄はこう、やっぱし男1人に、きょうだい3人女ですので、こちらが束になってかかるもんですから、「もうお前たちとは縁を切る」っていうことで、もう、ちっと、あの、まったく面倒は見なかったんですね。だから、3人で何とかがんばってね、あの、面倒見てきたんですけど。
で、今も、ま、音信は不通なんですけど、それがすごく悲しいですね。こんなことになるなんて、もう、ほんとに思ってもなかったんですけど。だから、その、男と女の違いなのか、その、何て言うか、兄ん所には父親がそんなにして頼っていかないもんですから、その、様子が分からないんですよね。わたしの所には、もうしょっちゅう来て愚痴を言ってくから、もう、「そういうことはよそでしゃべっていかんよ」って、父親に言って。「わたしが聞くから」って言って。
で、まあ、「もうちょっとがんばって」っていうことで、帰していってたんですけど、兄は1カ月に一遍ぐらい、顔を出せ、出して、で、自分もちゃんと見てるっていうようなこと言うもんですから、こちらも腹が立つんですよね。で、2人でやれなくなったら、あのー、面倒見れば、見るからいいって言うんですけど、もう、十分2人でやってけない状態だから、「何とかしなきゃいけない」っていう話をするんですけど、そこら辺がすれ違ってしまって…。

認知症の語り

実家の両親のところに介護をするために頻繁に通っているが、自分の場合は環境が整っていて、夫も姑もいい人で快く送り出してくれるので感謝している

あと、やっぱり、あの、嫁ぎ先とここと、うちが2軒あるわけでしょう。と、ここにいるときは、あ、実家にいるときは、当然、嫁ぎ先の親のことが心配になる。向こうにいるときは、逆に実家の親のことが心配になる。どこにいても、常に頭の中には、こう、親、親、親、親、親と初め4人いるわけですもんね。何か、それが、こう、常にのし、のしかかってくるっていうかね。それで、中には、ほら、「もう、お嫁に行ったんだから、実家のことにいつまでもかかわりあっているもんじゃないよ」って言われたりしたんですけど。ま、それに対してはね、今、自分は、実家に行く力があるし、環境もね、整っているから行かしてもらうんで。何もね、あの、外部にいるね、あなたに言われる筋合いはないわということで、もう、ほんとに、実家の介護頻繁に来ているもんですからね。もう、こっちもね、いざ、あの、もめるんだったら、もう離婚してもいいわぐらいの、そういう覚悟でね、頻繁にきているんです。はい、もう、いざとなったら、自分は悪いことしているわけじゃないからね、そんなにあれだったらって、思うぐらいの、あれできているんですけど。でも、幸いなことにね(笑)、夫がすごくいい、いい人で、あの、母もいい人でね、うん、悔いのないように行っておいで」って言ってもらえるんで感謝、はい。