それで、最終的には、ありがたいことにね、下の妹2人がですね、あの、自分の職場を変更してまでも、最終的には、あの、自宅に入ってくれたんですね。まあ、自宅に入ってくれたもんですから、さらにですね、妹たちが重い荷物を、あの、しょわせてしまったもんですから。まあ、わたし、どっちかというとですね、もちろん、親のために介護はしているんですけれども、妹たちがね、体を壊すから、それでね、頑張っているんです、はい。あの、若い妹がね、体を壊すとねかわいそうでしょう。親がね、ま、ある程度順番ですからね、順番はね、あのー、変更になるとね、これはね、もう悲劇ですから。まあ、妹たちの体がね、心配なんですよね。それで、まあ、申し訳ありません。意外とね、妹たちのことを思うとね、涙が出てくるんですよね。大丈夫です。ていうことで、頑張っております、はい。あの、何といったって、わたし、長女なもんですからね、あの、やっぱり、責任があります。
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それで、あのー、姉妹(きょうだい)3人で、集まって、妹たちも遠くにいたもんですから。あの、5月の連休に集中して帰ってきてもらう。あの、8月のお盆に集中して帰ってきてもらう。そんときは、わたしは、お休みとか。うん、あの、体が、やっぱり、1人に集中しないように。ああ、ちょっと、こう、あの、日程っていいますかね。まあ、簡単に言うと、半年くらいの日程をね、こう組みましたね。それで、忙しい妹は、出張とか入っているからどうしてもこの日は帰れないよとかね、うーん、そういうの、よく変更になるんです。うん、変更にはなるんですけれども、やっぱり、基本的には、あの、そういうサイクルですかね、そういうのを決めて。
3人で2人を見るのがやっとなんですよね。で、それも、やっぱり、それぞれの性格があるし、持っている仕事もあるし、時間を3分の1ずつ見るってことは、まず、不可能ですから。自分の、あの、得意分野を生かして、今、介護しているわけなんですよね。ここは、じゃ、あなたね、ここはあなた。じゃ、ここは、あの、介護しながら、もう、例えば、あの、この部落の行事とかありますよね。やっぱり、いざとなったら、近所の方にお世話にならなきゃいけないから、そういうのにも出なきゃいけない。じゃ、そういうのは、あの、わたしが一手に引き受けましょうとか。あの、もう、役割をね、性格によってもう決めてあってやっとなんですよね。
―― うーん……奥さまが最終的に、もう、もうかなりのところまで、在宅で居宅でご主人が介護なさって。
もうね、行くたびに、先生がね、「ああ、あのー、Mさんの、あんたの気持ちは分かるけども、わたしに任せなさい」と。ねえ、それで「いろいろ見ているけど、男の人は、もうほんとに奥さんのために頑張りすぎちゃって、倒れる人をいくらでも見とる」と。それで、「Mさんも、一生懸命やっとるのは分かるけども、あんたがつぶれたら、…誰も見る人はいないんだから、まあ、割りきってこっちに任せなさい」。それで、踏ん切りがついたんですよ。ま、兄弟とか、姉にね、相談して、「こういう状態だから、まあ、入れるんだったら、そう、もっと早く入れないかなんだや、あんた、自分がつぶれたら、しょうがない」っていうことで、それこそ、つ、つらかったですね。うん。
―― それ、でも、しばらく悩まれましたでしょう。
そうですね。
―― うーん、最終的にその決断くだしたのは、やっぱり。
自分がもうこれが限度だなあと思いました。うーん、いやあ、このままだったら、おれ、自分が倒れちゃうなと。そう、そういう気付くようになったから、よっぽど、ある程度悪かったんでしょうね。ええ。
―― 肉体的な大変さと、こう精神的な。
うーん、やっぱり、食欲がなくなってくるしね。ええー、自分の体でないみたいな感じでしたね。
―― でも、よく、ご主人頑張りましたね。
うーん、だから、兄弟も、ここに、やっぱりね、5~6人いるですけど、この近所に住んでいて。もう、しょっちゅう言われたんですよ。「お前、そんな頑張っても、どうしようもないだで、もう割り切って、そういうところがあったら、入れないかんぜ、入れないかん」って、しょっちゅう言われたですね。「もう、ちょっと頑張ってみる」って言ってね。やっぱり、ちょっと頑張りすぎたっていうかね。ええ。
―― 何か、もうちょっと頑張れるっていう気持ちもあったんですか。
あった。あったですね。
―― 頑張りたいっていうのがあったんですかね。
うーん。
―― …それで、もう、ほんとに悩んで悩んで、最終的に、奥さまを、ま、病院のその施設のほうにって…それ最初に言われてから、奥さまが、入院するまでは、何カ月ぐらいあったんですか。
まあ、あれだね…3カ月か4カ月ぐらいありましたね。うーん、こう、先生が、やっぱり、病院連れて、行ったときでも、見ているわけですよね、わたしの行動を。それで、まあ、…「わたしに任せなさい」と、わたしは、また、「いや、先生もうちょっと頑張るってみる」と。で、結局、まあ、最終的にね、「先生お願いします」ということになったわけですけどね。
そうしたら、まあ、母はアルツハイマー、…と言われて、そのー、理性、理性がなくなったか、まあ、いろんなことを言うんですね。で、私を、その、鬼娘だと(笑)、「私を捨てる気か」とまで言ったんですけど、まあ、最終的には、そのー、私が、そのー、「お父さんの病気もあるから、ちょっとお母さん、向こうでちょっとだけ休んでて」って言ったら、「じゃあ、うちに帰ってこれるのね」って言うから、うん、当然って、「当然だから」って、「それは帰ってこれるから」って言ったら、「じゃあ、分かった」って、「じゃあ、お父さんを看てあげて」って、ふいと言って、結構明るく行ってくれたので。
で、そして不思議なんですけど、ホームでケアを受けるようになったら、母が非常に、その、外に出たっていうことなのか、社会性っていうことなのか、落ち着いちゃったんですよ。うちでギャーギャー、ギャーギャー言ってたのが一切なくて、あのー、すごく穏やかで、だけどあんまり人と関わりたくなかったみたいですけど、あの、部屋から出たくないって言ってたんで(笑)。でも、あのー、介護士の方とおしゃべりしたり、介護士の方の人生相談して(笑)、聞いたり、家では全然見せないね、あのー、様子をホームで見せるようになって、で、穏やかになって、あれ?と思って。あの、とても元気になって、普通、落ち着いちゃったの。で、今度、それを見たら、私のお世話が悪かったとかって思っちゃった(笑)。そういうふうにね、感じちゃったりしながら。で、でも、まあ、もう、すぐ父の大変なことがいっぱいあるので、あの、もう母は、じゃあ、もう、は、ホームでお願いしようと思って。
あのー、先生が言ってくださったことと、とにかく、あのー、お母さんはまだ元気だからね、お父さんのほうはこう、すごく繊細なケアが必要だから、あのー、レビー小体のほうが繊細なケアが必要だし、おうちがいいと思うから、お母さんを施設にお願いしなさいって言ってくださって、本当にそのとおりだなと思って、でも、そこがまだ吹っ切れなくて、その、母をね、出すって、家があるのにとか思いながら(笑)。
父のほうはおうちで、じゃあ続けようと思って、そうして、母は、まあ、いろいろ最初老健とか、あのー、勧められて、まあ、様子見に行ったんですけど、やっぱり母には合わないかなと思いながら。…で、それからいろいろ探したんだけど、なかなかいいところがなくて、で、あのー、ケアマネさんが、その間もいろいろな出来事があって、そのー、ちょうど父が、そうそうそう。父が、あの、…脳梗塞をやった後かな、ちょっと忘れちゃったんですけど、脳梗塞をやって、あ、戻ってきて、で、そのときに、二人とも今度、あまり動けない状況になって、で、私も限界が来て。そして、母を、あの、どこかっていうので、その、じゃ、あのー、有料老人ホームのショートがあるから、ちょっとそこ、ショ、ショートではないね、体験、有料老人ホームの体験の形でちょっとお願いして。で、それは、その見学にもなるし、それから、私もちょっとお休みができるから、で、それでお願いしてみた、みようということで、そこにお願いしたんですけど、そのホームが、有料老人ホームでしたけども、あの、お話をした段階で、すぐに、その施設長と看護師さんがうちに来てくださって。で、母の様子、父の様子、全部見て、で、まあ、じゃあ、あの、今回、お母さまっていうことで、あのー、お預かりしますってこと、お受けしますって言ってくださって。
でもそこの、その決断するところが、先生から、その、赤信号だって言われて、こうしなさいって、言ってくれたのに、そこから、踏み出すまでがすごい勇気が要って、で、あのー、…友達とか、あの、周りでは「よく頑張るね」なんて言ってくれるんだけど、あのー、…「もう赤信号だって言われちゃった」って言ったら、友達も、ああ、もう…もう駄目よと、もう在宅はあきらめなさいって、だから言ったでしょうみたいに言われて。で、あのー、主人も、もう先生の判断は一番正しいって。そして、もう決めて、そのホームにお願いして、ったらホームで落ち着いちゃったので安心して、…いたんですね。でも、心のどこかで申し訳ないと思って(笑)、ねえ、あのー、場所もうちがあるのになとか、私がいるのになとか思いながら、で、ずっとやってました。
―― でも何とかおうちでも、あの、大丈夫かなと思っていたけど、先ほどお話いただいたようなことが、ちょくちょく、あって。
そうですね。ちょくちょくあって、やっぱり1人では置いていけないし。あのー、正直私たちも疲れてきたんですよ。デイサービスに行ってる間はいいんですけど。帰ってくると、まあ、ご飯を食べてそこに、あ、隣の隣の部屋がおばあちゃんの部屋だったんですけど。いるんですけど、1日私たちがいると、あのー、何て言うんですかね…何、何する、例えば、自分が欲しい物があるとしますよね。そうするともう、すぐ「買ってきて」とか。だから、あのー、母が中心の生活みたいのになってきますよね。帰ってきても。それで…うん、でも仕事も行かなきゃいけないしっていうの、あるので。何か最後のほうは、ちょっと疲れてきたような感じがありましたね。
―― うーん、そうでしたか。
でも、何かその前に、あの、父が1年ぐらい前にショートステイで入れてもらってたんです。だから、ま、こんな言い方するとおかしいんですけど、いざとなったら、助けてもらえる所があるっていうので、ちょっと、まあ、頑張るっていうとおかしいんですけど。まあ、うちでもいけるかなと思ったんですけどね。うん、でも、その夜中に出てったりとか。すると、転んだりしても分かりませんよね、私たちも。だから、何で入ってもらうようになったのかっていうと、最後の1カ月ぐらい、あの、入るまで。それがかなりちょっと、きつかったような気がするんですけど、今思うと。
―― その最後の1カ月ぐらいは、いろいろな、こう、要求とか訴えが多くなったっていうことですか。
そうですね…要求とか、それと、もうトイレとかも、あのー…トイレにも行くんですけど、もともと、そのー、便がトイレの横にしてあったりとか、もう下は、たぶん尿をするときにもう、ちょっとずれたりなんかしてるんで、べたべた。そういうこともあるし。デイサービスに行っていたので、お風呂とかは入れてもらってきれいにしてたんですけど、やっぱりそういうのはうちに帰ってきても、次の朝までは何時間もありますよね。そういうのとかでもかな。うん、うん。
―― そうでしたか。
そうすると、やっぱり、あのー、2人の中でもけんかが起こるんですよ。何かもう不満ばっかり私が言うと、主人はそういうの聞きたくないですよね。だから、けんかが始まるようなこともありました。
―― そうですよね。もうそれで、ひと月ぐらいでもう限界かなって。
あ、そんでたまたま、その、○さん(知り合い)が新しく、あのー、特養※のほうを、増やされたっていうので、まあデイサービスも同じ系列の所に行ってるので、ちょっと声をかけてもらったので、「どうする?」みたいな感じで話し合って。もう、そしたら入れてもらおうかっていうことになったんですけど。
※特養:特別養護老人ホームのこと
今まで私もね、あのー、この、今、あんたとお話してるように、そういうこと言っちゃならんのかどうか、あの、半信半疑だけども、この家つくるについて、もう大きい、今までの、あのー、100坪ぐらいの家があったんですよね。それが去年の5月に1カ月ぐらいで取り壊して、すぐ6月からこの家を造って、お盆の、あのー、お盆が来るまでに完成してくれというふうにしてやる。そのために私が、あのー、村内の中にあるね、共同生活の○(施設名)があって、あの、施設へ。それ有料の施設。そこへ、うーん、お盆が来るまでね、この、完成するまで、やってくれたんです、はい。
そのとき私が、まあ一番困ったのは、夏の暑いとき、あの、家を壊す、家を造ってる、その辺の心配、その他あって、私も晩酌なしでいらんなくなるから、そんなことでやっているうちにね、やっぱりね、男っていうのは駄目なんだね。1人でぼけっとして、ぼけっとじゃなくてテレビ見て、新聞見て、晩酌飲むと、晩酌飲むとちょっとはね、陽気になるけども、それまでがね、私寝てて、目が覚めて「あれ」っていう、こういう感じで。私がノイローゼ気味になってきた。ノイローゼになって、これは駄目だということで、まああの、そういうふうに、私の判断だし、私が一番よく分かるから、夜眠らんない、うん。あ、何て言うの、あれは、あの、眠りが浅いというのかね。すると次の日ね、ぼけーっとしてるわけ。ほんで、あの、何か体がふらふらするようなね、そういう状況になって。ええ、それで、まあ安定剤、それ、以前からも飲んでんだけど、たまには安定剤とかね、そういうものを飲んだりしていますがね、はい。ま、そんなので、男っていうのはやっぱり1人になって、あの、今までいた連れ合いがいなくなると、男っていうのはやっぱり弱いんだなと。きついようだけれども、そういう精神面では弱いなと、私がきつい、自分では思ってる。だけども、そういうふうになって、ノイローゼ気味になって、あ、退所させたの、はい。
ということが、ま、あって、それで今、家にいておれが面倒を見ると。子どもたちは「あそこ出ると、今度入りたくても入らんないよ」と、いろいろ心配してくれるから、「いや、もうこの状況は、村内の施設だからね、おれがよく、あの、話を聞いて、所長とも話もできるんだし、いい通所のデイサービスの施設もあるし」ということで、だからデイサービスのほうへお願いするというふうに話もして、うまく子ども納得させて、8月の…10月までね、あの、いました。
なかなか、あの、看られないっていうような。ま、直接そういうふうには言わなかったんですけども。えー、精神科で薬をもらって、そういう…の考えてみてもらえますか?とか。あと、朝だけでいいんですけども、部屋に鍵をかけて…えー、その1日のうちに、まあ、うーん、数時間とか数分だとかは、鍵をかけさせてもらって、えー、お願いしたいんですけどっていう、そういう感じ。
―― その有料老人ホームの入所のときに?
そう、そうですね。入所してたときに、そういう感じで。えー…そうですね。で、夜もこう、そこは60人いるんですけども、入ってる人が。夜が3人だけなんで、職員の人が。3人だと、どうしても1人で20人見るんですからっていうことで。あのー…1人の人ばっかりには、あのー、でき、できませんからっていうこと言われましたね。ええ。
―― うん。それは「おうちに帰りたい」っていうことをおっしゃるだけではなく、実際に荷物まとめて、こう、出ていくとか、そういう行動があったので。
は、できないですね。
―― あ、それはできないのに、鍵をかける。
で、できないですね。ええ、はい。
―― あ、お父さまはご自分で歩いて出るということは?
歩けなかったですね。ええ。車いすです。
―― それでも鍵をかけるというのが、不思議ですね。
えー……ま、うーん、鍵をかけさせてもらってっていうんで、こう…そうですね、こう、たぶん…外だと歩いて、歩いてっていうか、ま、少しは立てるんですね。立てて、えー、外に出て倒れたりなんかするとっていうことで危ないからっていうので、だと思うんですけど。
―― ああそうでしたか。
はい。それが、そうですね、続いたんで、じゃあっていうので…じゃあ、こちらで、じゃ、違うとこ見つけますからっていうので、ええ。で、結構ほら、お金も…(笑)。
―― 高いですよね、有料老人ホーム。
ええ。何か、えーっと、7、7、21万。最低22万から、だいたい25万。最初は27万ぐらいかかったんですけど。1カ月が。えーと、これからずっと続くとなると、ちょっと、あのー。
―― そうですね。
給料あれなんで。あのー、やっぱり確かにいいんですけど。ええ。ちょっと25万ぐらいだと難しいんで、じゃあ、ほかのとこ探しますからっていうので、ええ。えー、退院してきたんですけど。
そこに1週間ぐらいいて、えーと、12月の、えー、平成、そうですね、10年の12月の27日までいて、10日ぐらいですか、入院してて。退院してきたんですけど。で、そこから、退院してきてからはもう立てなくなって。しゃべるのはしゃべれたんですね。しゃべれなくなって…うーん…そうですね、年末なんで、年末年始なので、どこも看てくれるっていうか…えー、施設だとかお願いできないし、うーん、困ってたんですけども、えー、で、そのとき…総合病院に行ってですね、診てもらって、えーと…で、そこの、あの、ワーカーさんに、あの、先生のほうから「じゃあ、見つけてやってください」って言うんで、ワーカーさんに頼んでもらって、ワーカーさんが、あのー、有料の老人ホームなんですけど、そこを見つけてくれて、ええ。1月の3日からお願いすることになって。えー、3日の…そうですね、夕方連れていって、1月、そうですね…それ、本当に助かって。ええ。もうどうしようかなと思って、もう、明日のことじゃなくて今日のことっていうか、今日のこともそうですけど、今現在、何していいのか全然分からなくて。介護の経験だとかも、そういうのもまったくないし。本当にそのときは助かりました。だけど、あの、うーん…年末から…3日まで、えーと、休んでたんですけども、なかなか長期間休むわけにもいかないので、ええ。姉に頼んで、何日かこう、交代で見てもらったりしたんですけど…
で、私は、あのー、フルタイムで仕事してましたので、朝、出勤してから義母を、えーと、デイサービスのほうに送り出して、仕事して帰ってきて。で、食事の支度をして。それがもう、ほぼ、まあ、あの、フルタイムですので毎日のようにあって、私のほうももうちょっと、すごくしんどくて。で、義母の面倒もとてもしんどくて、主人と話して、もうやっぱりグループホームに入所させたいっていうので、それで主人も一応オーケーしてくれたので、もう、その、えーと、グループホームを見つけて、予約っていうか、各場所にお電話、あと、あのー、えーと、入所の手続きをしたんですけれども、なかなか空きがなくて。それでやっと、今年の8月にお電話がかかってきて、義母がやっとの思いで入所。うん、義母を、ちょっと申し訳なかったんですけれども、入所させたっていう経緯があるんです。で、先ほど申し上げたように、義弟は8、えーと、7月に就職が決まって、で、今現在(夫婦)2人っていう形になっています。
―― うん。お母さまのほうの、その認知症の進み具合っていうのはどんな感じなんですか?
えーとですね、あのー…足がそういうふうに骨折しましたもので、車いすの状態で、で、自宅内では一応、あのー、杖歩行と、あの、誰かがそばにいて必ず手をかけて、トイレまで連れて行く、食事をするところまで連れて行く。そういう状況でしたので、もう、えーと、目が離せない状態だったんです。それで、まあ義弟が帰ってきたので、その、昼間の部分は義弟に任せて、で、夕方から私が職場から帰ってきたら、私と義弟とで見ているっていう形になったので。ちょっと本当にもう、私が一番しんどかったですね。
まあ、義弟は昼間は、えーと、義母はデイサービスにもうほとんど毎日のように行ってもらってたので、昼間、義弟は自由に過ごして、夕方から私と義弟と、交代交代で、まあ、見るとか。と、夜中にちょっと起きだし、義母が夜中起きたりして。そのー、夜中起きて1人で歩けないのにもかかわらず、歩こうとするので、そこでまた、あの、倒れたりしたら、また骨折の恐れがありますので、そういうものに、そういうことを気遣って、夜中起きることもしばしばありましたので、そういう状態だったんですね。
それで、ちょっともう、家族みんな、ちょっとしんどくなってたんですけど、でも義弟は自分が、その、就職がないまま家に居てるので、義母をあのー、グループホームに預けてしまったら、自分がちょっとやっぱり立場的にもちょっと困るみたいなこと、形で、ずっと反対はしてたんですけれど、まあ、でも、義弟が就職が先だったので、で、グループホームが後で決まったので、まあ、その辺りは仕方ないねっていうことで、義弟に一応許しを得て、それでグループホームに入所させたっていう経緯ですね。