投稿者「dipex-j」のアーカイブ

認知症の語り

自分の血圧が高くなってしまい、夫を入所させることにした。個室だったので、最後は泊まりこんで、そこで生活していた。施設でも病院でもなるべく一緒にいて、自分がケアをしていた

で、そうこうしてて、私が、あのー、血圧がすごく上がったんですね。で、今もちょっと血圧の薬は飲んでるんですけども、そういう状況で、あの、うちの(家族)会の前代表、私が立ち上げたわけじゃないんですね、この会。それで、前代表が、あのー…あれだよ、口添えしてくれたんだろうと思うんです。申し込んでたとこの1カ所に。そこに入ることになったんです。で、入ったんですね。ちょっと遠いんですけどね、ここからだと。えー、40分ぐらいかかるのかな、車で。それを毎日、私は通いました。
で、ひどい、最終的にはもう、ひど、あのー、誤嚥を起こしたりしてるときは、熱が出たりしたときは施設にも泊まりこんでましたので。個室だったので、あの、もう本当に、あの、(自宅の)部屋っていう感じに造ってたんですね。ですから、カウチ(ソファーを)置いて、あのー、食器類も置いて、私がそこで生活できるようにしてたんです。ですから、朝、午前中、お弁当持っていって、お昼、夜はそこで何か軽くちょっと冷凍庫に、冷蔵庫に入れてたもの食べたりとか、買っていったりとかして食べて、8時半ごろに施設を出てくるっていう生活をずっとしてたんですね。
で、病院に入ったら病院にも午前中から行って、最後の、あ、面会時間の終わるまで病院にいて、帰ってきてたんです。だからほとんど、あのー、私がいるときは私がやってるっていう形ですよね。で、施設ではやっぱり職員さんの手、借りないとできない部分ありますのでね。で、あの、文句言いながら(笑)。だからもう本当、職員さんたちも、いえいえ、看護師さんたちも大変だったと思うんですね。あのー、うるさい家族ですので。いろんなこと言いますんでね。うん。でも、それがあなたたちの仕事でしょ、っていうのが私の考え方なんです(笑)。お給料もらってるんでしょ、っていう。

認知症の語り

施設に泊まったのは入所半年で一度だけ。毎日でも泊まれるのかどうかはわからないが、家から遠いので、移り住むということも考えてみたが、仕事もあるので難しい

それでわたしが行ったら、すごい表情がもうパッて変わって。最初でもね、最近、あの、けげんな顔するんです、最初。うーん?ってしてて。そのうち、だんだんにこにこしてきて、うん、なんですよね。だから、あのー、暮れからお正月ね、あの、泊まったんですよね。前、居た所は、あの、「うち、泊まるのは1泊3,000円いただきます」って言われて、うん。そいで、「泊まってもいいですけど」って言うから、ああ、あんまり歓迎されてないなと思って(笑)。行かなかったんですけどね。で、今度の所は一緒に泊まって。で、夜だけでも一緒にいたら全然違うんですよね。それで、何て言うのかなあ、あのー、施設の人がね、すごく熱心にやってくださってるのも見えますし。うん。だから、本人も安心して寝てるし。ああ、なんかこういうふうにね、こう、夜だけでも接するとかね、そういう施設があったら、すごくいいなと思って、うん。夜はそこに寝に帰るみたいな(笑)。そう。ちょっと、何か。

―― 現在は、その老健に週に何回ぐらい泊まりに行かれるんですか?

週何回も行ってないです。

―― 1カ月に?

今年の、うん、去年から今年にかけて1回ですね。そうです。

―― あ、1年。そうですね。22年8月ですから、半年ぐらいで一度行かれたってことですね。

そうです、はい。まだ、次のは決めてないんですけど、うん。

―― それは、あの、家族の方が希望すれば。

ええ、いつでも泊めてくれる。

―― 老健側。ああ、そうですか。じゃあ、仮に毎日でもオッケーってことですか。

そう、毎、毎日だったらどうなるのか、まだ聞いてないんですけど(笑)。そうすると、ちょっと、あのー、遠いので、うちの自宅からね。うん。え、どうなのかなと思って。で、そこに移り住むとかいうことも考えてもみたんですけども、そのー、○(自営の場所から)離れてるので、ちょっとなっていう感じなんですね。うん。

認知症の語り

施設に入る日、これ以上一緒に暮らせないことを説明し、写真を撮ったら、母は決死の覚悟の顔をしていた。施設に入ったら、母は自分から「よろしくお願いします」とあいさつした

そうやって駄目な所、1つずつ消して最後に残った所に、もういきなり連れていったの。うん。

―― その選んでるときに、お母さまは自分が入るっていう所を選んでるっていう意識はお持ちでした?

多少あったと思います。あの、全然分かんないときもあったし、そこに入れられちゃうんじゃないかっていうこともあって。うん、ありましたね。

―― で、最終的にその突然連れていって、そこで暮らすことになるときに、それはすんなり行きましたか?

行きました。その、その時に、あのー、「今日行くよ」って言って。入ろうねって説明はしてたんですね。わたしもいつも行くからって。このままだとね、お母さんもまたけがするかもしれないし、ね、関係ない所にいるの、嫌でしょって。もう分かるとか、分かんないとか関係なく、ちゃんと言ったんですね。で、本当はそうふうにしたくないんだけど、2人しかいないから、あの、これ以上ね、無理だと思うからって言ったんですよね。「ごめんね」って言って。で、やっぱりその朝、あの、写真撮ったんだけど、あのー、後から見返したらね、母としてはすごい決死の覚悟の顔してますもんね(笑)。

―― あ、そうですね。

本当に。

―― 分かります、うちもそうでしたから。

うん。ねえ、本当。そいで、いきなり連れてって、もう、やっぱりまっすぐ行けなかったんですよ。だから、ちょっとね、あのー、何て言うの、車の中だったけど、一緒に果物食べて、じゃあ行くよっていうことで、こう、ちょっと1拍置いてね。で、行くよっていうことで、行って。中入ったら、あの、向こうからもね、出てきてくれて、そしたら、いきなり自分から、「よろしくお願いします」っていうふうに挨拶して。それから、すんなり、うん、行きました。本当にね、何か、ああ、ちゃんと分かってるんだなって思いましたね。

認知症の語り

母が入所したグループホームは薬の飲ませ方や車いす移動に疑問を感じた。拒否するとはいえ検診や入浴等しておらず、老健に相談するといじめかもしれないと言われて移ることにした

―― 今は、そのグループホームに、まだ同じグループホームにいらっしゃる?

いえ、あの、去年の8月の末に、あのー、老健施設の方に移ったんです。っていうのは、1つのことがきっかけで、あ、ここに置いといても、違うかもしれないって思ったんですね。それは、母がだいぶ足腰弱ってきたんですよね。で、あのー、歩き回るんだけど、座ってることも多くなってっていうときに、やっぱり便秘がひどくなってて、で、下剤をね、飲んでたんですけども、そのー、下剤をこう、何で、口開いたから放り込むっていう、そういうことがあったんです。で、それを母は口の中にずっと入れてて、あのー、もう途中で、途中でっていうか飲み込まずに、こう、うえって吐き出してたんですよね。それで分かったんですけども、で、それがちょっとね、あの、納得させて飲ませなくちゃいけないのに、そういうことをしてたら、ちょっと肺炎とかになっちゃうかもしれないしっていうことで、あの、注意されて、それから、液体のね、検査用の強い下剤を飲まされるようになったんですよね。で、それもかわいそうだなって思って。
あと、何て言うのかな、こう、車いすにね、なっちゃったときに、どういう対応になるだろうかって、本当はそこにね、あのー、動けなくなったらどうするって言われてて。で、病院に入れるか、ここでも看れますよって言われたんですよね。で、確かに寝たきりの人は何人かいるんです。でも、何か車いすに移したりとか、そういう作業見てたときに、すごく何か、あのー、プロっぽくないんですよね、やり方が。服を引っ張ったり、とか、うーん、何か、あれはちょっと体にくるんじゃないかとか思って。
で、そうしたときに、もっとちゃんとお医者さんもね、あの、かかってないっていうか。あのー、毎月、定期検診があるんですけども、あのー、あなたのお母さんは拒否だからって、一度も受けてないとか。それからあと、お風呂もですね、拒否してたら入れてもらえないから、1カ月以上も入ってないときもあったりとか。あの、口をね、あの、歯を磨くのも自分でできなくなって、で、やりましょうって言ったら、ぷいってするから、もう駄目とか、それからあと、パジャマにも着替えないで、お風呂に入って着替えるまで同じ物を着てるとか。
で、あと、一番だったのは、あの、夏にね、あの、みんな靴下はいてるのに、うちの母だけ裸足だったの。で、すごい、足冷たくなってむくんでるんですよ。どうして?って言ったら、歩き回るから鍛えてるのっていうことなんです。うん。それで、あれって思って。で、それをそのー、あの、老健の所に相談に行ったら、いじめかもしれないって言われて。うん。だから、その辺はどうかよく分かんないですけど。…それで、ちょっとあの、もっとね、あのー、本当にお医者さんが必要なときは診てもらえるとか、そう、その、パジャマにね、着替えるのもそんなに、お風呂に入って着替えるとき以外は、同じ着たきりスズメっていうことがないように、そういう所選んだ方がいいなっていうときに、見つかって。もう、運よく入れたんですよね。

認知症の語り

母がゆったり過ごせる、居心地の良い施設を探した。グループホームはこれまでの生活の延長線上で暮らせることを大切にしていて気に入った。老健施設は病院的で母が嫌がった

施設はできるだけ母が、あのー、ゆったり過ごせる所、監視され過ぎでもないし、そのー、何て言うのかな、できるだけ、あの、さっぱりしてるっていうか、あの、所っていうのを…こう気にしてました。ていうか、自分がこう、見た感じ、居心地のいい所っていうか、あの、母っていうよりも(笑)。それを主に。で、何カ所か見た中で、やっぱり何て言うんだろうな、あのー、老人幼稚園みたいな所あるんですよね。
何か、あのー、子どもじゃないのに、こう、いろいろなぬいぐるみとか、それから、こう、うーんと、折り紙の飾りとかで飾り立ててあったりとか、うん。それで、いろんな物がごちゃごちゃと置いてあったりとか、うん。そういう所は嫌だな。あと、圧迫感がある所は嫌だなって。あと、管理されてる人を、見た印象が良くない所は嫌だなとか(笑)。うん、いろいろあったんですけどね。
で、あの、すぐ近くに、あのー、わたしの前、勤めてた所が、その、に老人施設ができて、うん。温泉もあるし、いいなと思ったんですけど、そこ見に行ったときは、何かね、あのー、気持ちが明るくならないんですよ、その建物の中にいて。うん。ああ、これは落ち着かないなって思って、近いけどやめにしたとか。うん。で、あの、すごく、あの、働いてる人が若くて感じいいんだけど、何か周りがごちゃごちゃし過ぎてるっていうか、それはあの、お年寄りのためにっていうことで、火鉢とかね、そういう昔の物をあっちこっちディスプレーしてるんだけど、それが何か雑然としてる感じがしたの。だから、何となく気持ちがね、ただでさえ何かまとまりがつかないのに、もっと気持ちが雑然としちゃうんじゃないかって(笑)。それは、ただのわたしの感覚なんですけども。
そういうことで、すごく何かすっきりしてて、こう、何て言うのかな、何にも置いてない、広いスペースがあるような。そういう広い…家の中なんだけど、そういう広間があって、で、あと床が軟らかかったんですよね、うん。で、あのー、個室もさっぱりしてるし…っていう所があって。で、主に施設だったんですけど、ここがいいなって思ったんですね。 で、そこを運営してる方も女性だったし。ここならいいって思ったんですね。で、あと、いろいろ、こう、今までの生活の延長線上で暮らせますっていうことと、できることはやってもらうってことと、できるだけ外に連れ出して、あの、いろいろなね、所を、あのー、何て言うのかな、こう、遊びに行ったりとか、その、お食事に行ったりとか、そういうことをやりますよっていうことだったんで。で、庭にちょっとした畑も作ってますっていうことだったんで、ここならいいだろうなって思って。

―― それは老健施設ですか、グループホーム?

グループホームです。ええ。

―― あ、グループホームですね。

はい。で、老健施設は、あのー、そのころ隣の町にあったんですけども、見に行ったら、ちょっと病院的だったんですね、見た感じが。

―― ああ、そうですね。

うん。で、ああ、これちょっと駄目だなって。(母と)一緒に見に行ったんだけど、「もう帰ろう、帰ろう」って言うんです。「ここは嫌だ」って言って。うん。それでやめてましたね。

認知症の語り

何度もけがを繰り返し、片時も目を離せない、何をやるかわからない状態になったため、もう限界だと思った。ケアマネージャーに相談し、少しでも母の気に入りそうな施設を探した

いろいろけがさせたのですけども、何かもう見事に乗り切ってくれて(笑)。そう、うん。これ以上ね、もう無理だなって思ったときに、やっぱりあの、何て言うのかな…そう、ケアマネジャーの人とかも相談したんですよね。いろいろね。で、うちにも来てくれて。うん。で、あのー、あっちこっち探しました。んで、やっぱり母が気に入りそうな所、もう絶対、施設には入らないって言ってたんですよね。だから、あのー、少しでも、わたしが見てもここならって思う所がいいなって思って。何カ所も探していたんですけども。うん。もう駄目だなって思ったときに、連れてったんですけどね。

―― 施設に入れなければ、もうやれないなって思われた、あのきっかけが、ご自分の生活にお母さま合わせている。

ええ。

―― そして、けがもたくさんする、というところですね。

ええ。あと、あの、片時も目が離せない。何をやるか分からないんで、変なことしちゃって。だから、例えば、何て言うのかな、あのー、お米といだり、ご飯作ったりとかっていうことで、ちょっとこっちに集中してる間に何か起きちゃうんですよ。するともう、何かいつもそばに張りついてて、ご飯も作れない状況になるなんていう(笑)、うん。そこですね、やっぱり。うん。

認知症の語り

家を売るのも簡単ではないので早めに決心して、母を施設に入れる準備をしたいが、姉は意見が異なる。月1回ケアマネと3人で会って話し、姉の心の整理がつくのを待っている

で、僕の気持ちとしては、まあもう、おふくろはどうせ、これより良くなることなかって、どんどん進行、ま、いずれ進行していくわけやから、できたら、そういう家を売るていうこと自体も簡単な作業じゃないんで、もうできたら、もう早いことそういうこと進めていって、おふくろを、そのー、まあ、グループホームなり、あのー、なかなかその、特養はちょっと難しいですけど、有料のその老人施設とかいうのを具体的に考えていった、考えていった方がいいということを、わたしはもう1年ぐらい前から、ずっと姉に言い続けてるんですけど、姉の方はまだその、お母さんの状態が今の状態であれば、何とかこの今の形で、あのー、こう、在宅で行きたいっていうのは、姉のまあ、気持ちなんです。
で、その話し合いを、こう、2人でやると、やっぱりどうしても感情的になったりすんのは嫌なんで、ていうか、もう取り返しのつかんとこまで行っちゃうと、かなわんので。僕も姉の性格は分かってるもんですから、最後は泣くか、黙り込むかっていうことになっちゃうと、もうそこでかなりしんどいことになるんで。あの、ケアマネージャーが月に1回、あの今、要介護1なんですよ。で、ケアマネージャーが、あのー、自宅をこう、月に1回来る、来ますよね。そのときに必ず、僕、この1年半、約2年間、あのー、3人で会うようにしてるんですよ。あの、姉と僕とケアマネージャーと、ま、母親もおって。それを必ず月に1回、あのー、話し合いを持つ場を持って、第3者の人にそこにおってもらって、やっぱ話をせんと、どうしてもその、2人で話をすると、感情的に相手がなっちゃうもんですから、今、そういうふうなことを続けてます。

―― ああ。もう、あの、すごい、最初から工夫されていてすごいなあと思うんですけど、あの、お姉さんの方はどうですか、だいぶ。

ええとね、こないだも前回、今度12月の19日に、もう今年最後の、その3、出会いがあるんですけど、えー、ですから、10、今11月のそのケアマネージャーとの、その、あの、会合のときは、やっぱりその、今の状態でそのー、まだできたらね、続けていきたいみたいなことを姉は言いました。そのとき、ケアマネージャーさんおられるときに、あえていつも聞くんですよ。「もう自分の正直な気持ちを言うてくれ」と。要するに、自分で、自分の気持ちで背伸びして、あのー、例えば事進めたら、例えば家の売却進めていって、途中であの、がーんと、あの、ちゃぶ(台)返しされるような、されたら、えらいことになるんで。もう、自分がどうしても納得ができへんのやったら、もうそれでええから、自分が今どうしたいかっていうのをもう優先してくれたらええから、っていうことを、いつも僕は、まああの、聞くようにしてるんです。もうそうすると、今の、できたら、(この)体制で、ま、もう少し心の整理がつくまで行きたいと、あの、言いましたですね。

認知症の語り

200人待ちと言われ、老健をあちこち申し込んだ。最終的にショートステイしているところの老健が空いていて審査に行くと、入れてもらえることになった(テキストのみ)

ショートステイ行くようになって、ショートステイは泊まりですよね。で、泊まり行って。で、この、あれしていいのかな。あの、ショートステイでも、最終的にね、やっぱりどっか入れたいね。あの、老健、お願いしたときに、娘が同僚であそこ入れた人がいるよっていうこと聞いて、で、あちこち申し込んだんですよ。もう、この近くで。それで200人待ちとか、なかなかねえ(笑)。
で、あそこへも、最終的に行ったとこへも申し込んでおいたの。ほんで、ショートステイしながら、あの、話があって。ショートステイしてるとこへ審査に行ってくださったの。審査に行ってくださって、「いいですよ」って言われて。まだね、空いてたのね、そこは。別にコネも何にもなく。で、そこへ入れていただいて、4年弱ですね。ちょっとその、ね、あれにはいかない、4年ぐらいで、11月に入って3年、4年、4年目の2月だった、結果的には。
で、そこで、もう、もうショートステイの時から、もうしゃべれないし、何も知れないし。で、あそこの、あの、老健入った時も、ま、おとなしいから入れてくださったの、多分。審査、審査があるのね、あれ、きっと。よく分かんないですけど。で、割とおとなしかって、ずっとおとなしかったです。うん。

認知症の語り

両親は同居の妹が仕事をしながら介護していたので、限界だった。施設に入ってもらうしかなく、それが父親の死期を早めたのでは、と思うと後悔が残っている

あの、わたしの両親は、妹がね、仕事しているので、家に誰かがいて、そのー、送り出してあげれば、家で見て、デイサービスでね、よかったと思うんですけど、もうとにかく、もう妹も限界で、施設に入ってもらわなきゃやってけない、っていう状況だったんですね。
で、もう、わたしたちも、姉とわたしと妹で、3人で協力して見てたんですけど、もうほんとに限界でしたね。それで、施設に入れたのが結果的に、その、父親の進行を早めて、まあ亡くなる原因にもなってしまったかなって思うんですね。だから、あのー、すごくそういう意味で、両…、あの、両親のほうに対しては、すごくね、もうちょっと、うん、そばにいて見てあげれるとよかったなあっていう、すごく思いがあるんですね。
だから、あの、うちの義理のお父さんに対しては、もう、父親にやってあげれなかったことをね、あのー、やってあげようっていう、そういう気持ちで。だから、うちのおじいさん、ほんとに幸せじゃないかなって思うんですね。だから、朝、あのー、身支度して、送り出して、で、「お帰り」って出迎えてあげれるので、そういうことを、あのー、いっそね、両親にやってあげたかったなって、すごく思ってるんですね。

認知症の語り

これから私たちの顔がわからなくなったとき、自宅で最後まで看取るか、施設に預けるか、姉妹で話し合っている

うちの実家の父と母も、まだね、デイサービスとショートですから、ま、これからですよね。これからは、わたしたちの顔が分からなくなったときに、また、きょうだい(姉妹)で話しあって、じゃ、どうするかっていうことですよね。ええ、そんときに、どっかお願いするのか、また、自宅でずうっと最後までみるのかっていうこと、またね、話し合いするんですけれども、やっぱり、あの、生活するために働かなきゃいけなくて、どうしても、日々介護できない方も、たくさんいらっしゃいますよね。そういう方たちのために、こう、受け入れ先の窓口がもっと広がっていればなあって思います。はい。