ただ、最近、ちょっと心配だなっていうのは、…何か、そういうの併発、何か、先生もよく分らないとおっしゃっているんですけど、パーキンソンの人みたいに1回、こう、とんとんとんって進み始めるとずうっと進み始めてしまうみたいなのが、ときどき出てくるのかなあ…っていうのが、最近の変化というか。で、それを、…抑えようとしても、もう、何か、…突き飛ばしてでも進むというか、その進み方がちょっとこう尋常じゃない感じに、…、で、ま、主治医の先生に言うと、「ま、パーキンソン的な症状も出てきたのかな、でも、もう分からない」みたいな。で、母も、「詳しい検査はしたくない」とか言って。ま、しょっちゅう、しょっちゅう出るわけではないので、……でも、父に聞くと「気が焦るとああなるんだ」とか何かよく分からないこと言っているので。ま、ちょっと、あまりにもひどくなったりしたら、母が「嫌だ」と言っても、検査を受けなきゃなあと思うんですけど。とりあえず、おだやかに…なってはきています。
投稿者「dipex-j」のアーカイブ
あとは、ついこの前、4月の下旬だったんですけど、夜中に寝てて、あのー、おそらく自分の唾液が気管に入って詰まっちゃったんだと思うんですけど、もう、すごい勢いでむせてしまって。ソファで寝てて、もうすぐに起きて、で、「どうしたの?」って、こう、父のほう見に行ったら、そのときすでにががく(下顎)呼吸(※)が始まっていて、で、口から泡はふいてるわ、血圧、脈もどこ触っても触れないですし、で、真っ白になっていくし。で、目はえー、左目はまっすぐこっちを見て、涙流しながらこっちを見てるんですけど、右目だけもう、どっか向いちゃってるんですね。
ああ、これはもう、絶対駄目だって、やっぱりそのとき思ったんですけど、まあ、あのー、母がもう「お父さん、お父さん」て、一生懸命、体、叩いて、さすってっていうふうにしていて。で、そのときに1回こう、「はあ」ってすごい深い息をしたので、ああ、もうこれ、駄目だなって思っていたら、意外と父の、あの、命のろうそくは、また継ぎ足しをチョコチョコしてもらえるみたいで、その後、一瞬だけこう、ふーっと、ちょっと顔に血の気が戻ったような感じになったので、「ああ、じゃあ、もう救急車呼ぼう」って、救急車、その場で呼んだら、あのー、えーと、右、父は右側が動かない脳梗塞になっているので、たぶん左側の脳に疾患があるんだと思うんですけど、今度その、やっぱり、また今まであった所で、その、てんかんの発作が起きてますっていう話で。で、その脳梗塞だったり、アルツハイマーだったり、いろいろやってるから、その、てんかん発作が出ちゃってたんですね、っていう話で。ま、言われてみれば、もう手足も、こう硬直してしまって、ガタガタ震えていた状態だったので、ああ、あれはてんかんの発作だったんだっていう、気づきながら。
※下顎呼吸(かがくこきゅう)とは頭を後ろに反らし顎をあげてあえぐような呼吸をすることをさし、臨終前によくみられますが、ここで話されているのは、てんかん発作後に見られる荒く深い呼吸のことで、通常てんかん発作中に呼吸が止まるため、発作後に酸素を取り込もうとしてそのような荒く深い呼吸が起こると言われています。
あとはもう、そういう形で、その、てんかんが、どういう要因でてんかん発作が起こるかっていうのは、難しいけども、やはり、そのー、脅かしたり、だから急に、ええ、朝でも、昨日ですかね、朝、「起きるよ」って本人がパッと目が覚めたときに、私がこう来てたらびっくりして、「はっ」、こうなるから。やっぱりその、びっくりするとか、で、背後から急にこう、言ってあげると、本人も不安になって、そういうことが起こんのかなと思って、今、かなりちょっと気つけてますけど。
―― その、発作が起きるようになったのは、だいたい発症から何年ぐらいのときですか?
そうですね、3年ほど前やから、まあ、6年ぐらい経ってますね。…だからまあ、あのー、ボーンと倒れるようになったんはもう、去年、おととしの冬ごろからなんで。まだそんなにないんですけどね。その前にこういうのは、震え(※)自体はあったんで、それ、それが3年ほど前ぐらいから、ちょっとやっぱり脳に変化が出てきたんかなっていうのは。だから、それまではそういうことはなくて、ただ転倒いうのはあったん。転倒のたびに、あんまり良くないなっていうのはありました。だから、転倒を機にね、やっぱり認知症になられる方とか、転倒を機に、やっぱり悪化されて入院とかいう方もいてはるんで。えー、それでもやっぱり、こう、ちょっと目離したらこける、いうこともあるんで。だから、ちょっと家内と、私と母とで交代で見てなきゃならない。1人でじっと立たしてることが、やっぱり勝手にこける、いうこともあるから。その、こけたことがものすごく怖いので、今、その、こけるっていうことをかなり気遣ってますけど。だからまあ、こけるたびにあんまり良くなってないんで。
―― あの、何もない平坦なところでつまづきやすくなるとかってことではなく、普通に立ってても転びやすくなる?
そうですね、あの、何かしら、こう、横にこう、あのー、自分の見たい物がぽっと、あの、通られるのとか、あの、子どもさんなんか特にそう。子どもさんがすっと、こう歩いてたら、こう、自分で追っかけるんですよ、目は。で、体は動い(てない)、足は動かへん。目だけ動いているから、コロン。で、私がこう、家に、えー、前も、あの、今年の5月ごろですか。私、家に入ろう思って、家内を車から出して、ちょっと目離した瞬間にこけてるんですわ。私、追っかけてこようと。目だけが先行って、足が付いてこないから、ゴロン。それも何か、こう障害物があったから、直接ドーンとこけてないんで、まあ助かったんですけど。だから、こけることはかなり気をつけないと駄目やなっていうのが、ま、一瞬も目離せないなっていうのはある。
※ここで話されている「震え」とは、一部の筋肉が意思とは関係なしにぴくんと発作的に収縮する状態で、ミオクローヌスまたはミオクロニーと呼ばれています。
で、あのー、やっぱりけいれんを起こすようになったんですね。施設の、あの、人によっては夏場っていう方もいるんですけども、3月とか、いろんな時期あるんですね。で、うちは、あの、だいたい9月の後半から、季節が秋から冬、夏から秋、冬に変わっていくころにけいれんを起こすのが始まったんです。で、それは何年ごろかな。えー、(平成)17、18年ぐらい、18年ごろからですかね、起き始めたんです。で、あのー、起き始めたら、3カ月か4カ月に1回ぐらい起きたりするんですね。で、それを4月を過ぎると、また調子いいんですね。で、そうしてしながら来てたんですけども、やっぱり最終的には誤嚥したんですね。あのー、朝の食事のときに、あのー、ホウレンソウじゃなくて、ホウレンソウだったのかな? ワカメだったのかな。それがのどでぽっと広がったみたいなんですね。刻んであるけども、やはりちっちゃくても広がりますよね。そうすると、それがうまく嚥下ができなくなりつつあったので、ぺタっとくっついたんだと思うんです。それで、あの、そこで危ないとこだったんです。で、それはちょっと看護師さんたちがいらして、あの、吸引してくださって助かったんですけどね。で、それからが、嚥下が本当にだめになっていったんです。で、入退院を繰り返すようになりまして、あの、そうですね、だから、嚥下ができなくなって、肺炎を起こし、入退院を繰り返し、で、その後に今度、肺気胸(※)まで起こしたんですね。で、毎年そう、冬になると、あの、そういう形で肺炎を起こして、入院していたんです。で、それをずっと繰り返していて、あの、去年の7月に亡くなったんですね。
※肺気胸とは、肺から胸腔内に空気が漏れて陰圧が保てなくなるため、肺がしぼんでしまい、空気を吸い込むことのできない状態です。
あの、やっぱ進行によってちょっと違う障害が出てきまして。それ、神経症状、ちょっと、以前なかったような神経症状が出てきて、ちょっとそれが、去年ごろからちょっと顕著になってきて、それをまた新しい薬を今飲んでます。その神経症状に対する薬を飲んでます。その・・・。
―― 神経症状っていいますと?
あの、歩けなくなるんです。去年の暮れごろから、歩けない。要するに、関節に力が入らなくなってきちゃって。歩けないとか、立ち上がれなくなったのが、去年ごろから出始めて、そのための薬を今飲んでます。その、改善するための。
―― それはあの、例えば、座ってるところから立ち上がろうとするとか、あるいは寝てるところから起き上がろうとするとか、どういう時?
そうです。ケース・バイ・ケースで全部それ、要するにあの、関節に力が入らないらしくて、あの、ま、立ち上がれない。ま、寝ててとか、座ってる時でも、立ち上がろうとした時にちゃんと立ち上がれないとか。あとは歩けないとか。急にそれが起きてくるんで、それで、それが大体、去年の暮れごろから始まって、今年の春ぐらいまで続いてました。
―― 今年の春ぐらいまでということは、その一応、その治療法によって、効果が・・・。
最初は治療をしなかったんです。それほど、あの、ひどくなかったんですけども、だんだんとひどくなってきて。で、今は薬飲んで。薬飲み始めてからは改善されました、ほとんど。だから、それはま、認知症薬、ま、認知症の進行止めるんじゃなくて、そのやっぱり進行につれて、ま、多少違う障害が出てきたということで。身体的なってことで、歩行困難。まあ、歩行困難とちょっと違うんですけども、それが出てきました。
何か、あの、たぶんね、感情まみれになってたら、泣くだけ泣いて、落ちるだけ落ちて、何かこう、不安とか、恐れとか、おびえとか、そっちの領域の、どこまでも落ちていきそうな感じだったんです。それ、必死に落ちないように、止めてたわけですよね。止めてく中で、何かこう、切り替えが起きたんですね。でも、やっぱり自分の力じゃないと思います。ふと、ふっと、心が軽くなったので。落ちそうになることは、その後も何度もあるし、今も日々、ギリギリ限界を…(涙)、泣いたり、笑ったり、叫んだりしながらやってるのが現実で。何か崖っぷちを、走ってる気がします。 どうしたら命をよりよくつなげるんだろうって。だって、完治薬はないわけだし、医療の限界はあるわけだし、そうすると、ま、ある方が、先生、言ってましたよね。「医療は2割、介護は8割」。この介護が明るい希望を持っていたら、明るい空気感で過ごせるわけじゃないですか。でも、介護する側がもし、おびえと、恐れと、不安の中にいたら、きっと命はよりよくつながらないなと。私は介護のプロでもないし、資格とかもまったく持ってないけれども、でも、あの、そのときできる精いっぱいを生き抜くってことだけは、やっている実感はあるので。
あの、夫婦だとね、遠慮がないですよね。親子だと、親子の――聞くとですよ、私のこれまでの経験で聞くと――やっぱり親、親子の関係性の会話とは、夫婦のほうがもっと遠慮がない分、壮絶だったり、言いたいこと言ったり。私の中でも、分かっちゃいるけど、「いい加減にしろ」っていうことを言っちゃうわけですよ。「何回、何回、失禁して夜中に洗濯させる気なんだ」とかね。「この私の時間を返してくれ」って言ったこともあるしね。言ってはいけないあれこれ、山ほど言うんですよ。
だけど、もういい加減、私がこれ以上眠れなくなって、もうキレまくって。「こんな介護、嫌でしょ」って。「それだったらプロの、例えば、冷静に第3目線を持てる、穏やかな対応してもらったほうがいいでしょ」って。「したら、私はその分、体休めるから、いい距離感を空けて2人でやっていきましょうよ」みたいな。そういう生々しいやりとりをするんですよ。
でも、主人は、どんなにキレても、あの、げきを飛ばしても、「いい加減にしろ」みたいなこと言っても、私のそばにいたいんですって。出ていくかもしれないし、もうキレちゃって、「この現実から逃げ出したくなったら、あの、置いてっちゃうかもしれないよ」みたいなこと言うこともあるんですけど、「それは駄目」、みたいな。「それはあり得ないから」、みたいな。
じゃあ例えば、失禁したときどうするとか、失禁したときの気持ちはどうって。これがご年配で失禁、「ああ、もう年取ったからしょうがないよね」って、頭で割り切れる。でも、割り切れないんですよ、許せないんですよ。「まだできるはずだ」って。どうやったら、その、失禁を止められるかとかね。その、何か可能性に関する貪欲さが違うって言ったらいいんですかね。
―― Oさんの中では、もうすっかり、その、その現実っていうか、受け止められているような状況なんですか。
ま、分かんないですね、前よりは、ずいぶんあるとは思うんですけど。やはり、いつまでも父は父なので。何か、望んでしまうところあるかもしれないですね。……分かっていても、ああ、「でも、こう答えてくれるかな」みたいに思うと、「ああ、やっぱ、そう、違うふうに答えるのか」みたいな、がっかりしたりして。……何か、難しいです。でも、ときどき、ほんとに、しゃんとするときも、ほんとにあるので。何でそうなるのかも分からないんですけど。
で、そのときは、たぶん私が27、28とか、そのぐらいの時期だったと思うんですけれども、もうちょうど仕事もやめて、友達との縁も疎遠になって、父は、あの、アルツハイマーの症状がもっともピークの一番暴れる時期で。で、徘徊してしまうし、徘徊して、もうやっとの思いで迎えに行って、「お父さん、どこ行ってたの、心配したよ」っていうふうに言うと、もうまっすぐ私のことを見て「どちらさまですか」っていうふうに、やっぱり言ってくるんですよ。もう、どうしようもないなと思って、そのときには、あのー、正直早く死んでくれってすごく思ったんですよ。
と、意外と人間、なかなかお迎えってこないみたいで、結構、丈夫で、で、あの、父も母も超元気ですし、ただ、そのときにもう、私が支えていくっていうキャパはもうなくなってしまったときだったので、そのときは、あの、正直、うちの父と母が寝静まって、あと、うちの犬も寝たときに、あのー、ま、ガスひねったんですよね、私。「もう、みんな死なないんだったら、もう、いいよ。私が連れてってあげる。もうまとめて死んでしまったら楽になる」って、すごく思ったので。で、ひねったんですけど、ひねった瞬間に、うちの犬が「ワン」って吠えて、慌ててこっちに来て、で、「あっ」と思って、「あ、いや、まずいまずい」と、慌てて止めたんですよ。
でも、そのときに、私もあの、父が倒れてから、もうずっと――長女なんですけど、結局、その、長男の役割というか、――大黒柱もしなきゃいけない状態だったので、たぶん本人は気づいてなかったけど、ずっとやっぱり気を張り詰めていた状態というのが続いていたみたいで、その、ガス栓ひねって、犬が吠えて、「あっ」と思って止めてから、もう犬抱えて、ひと晩じゅう、もう本当に鼻水出るぐらい、わあわあ泣いて。それで今度、うちの母もビックリして起きてきて、「何、どうしたの、何があったの」、「ごめん、今、私は2人を殺そうとした」っていう話も母にして、で、そうすると、もう今度、母も「そこまであんたの人生も変えちゃって、追い詰めてごめんね」っていうので、わあって泣いて。ま、父はそのときは全然気がつかず、2階の寝室で寝てるんですけど。ある意味、そういうふうにもう、母もしんどかったし、私もしんどかったしっていうのを、ちょうど、お互い出したっていう機会ができたのが、すごくよかった、今思えば、すごくよかったなとも思っていて。それを、あのー、出したことで、「よし、そうならないように、お互い頑張ろう」っていうような、新たな覚悟ができたっていう状態だったんですよね。
―― (家族内に)介護されてるいろんな方たちがいると思うのですけど、そんな方たちが認知症についての知識をどんなふうに得ていらっしゃるかは分かりますか。
私が、まあ看護職なのでっていうことで伝えることもありますし、姉が、ホームヘルパーの資格を持っていて、なおかつ、母がそういう状況になる前から、まあ親の介護に役立てば、といって認知症サポーターの講習会に、行っています。で、今も行っています。ですが・・・ですが、知識として持っているっていうのと、実際その対応をするというのは、やはりそこには、あのー、理解しているからできることと、必ずできるとは限らないんですね、やはりですね。
で、姉の所に、例えば3泊4日とか、お泊まりすることがあるんですけど、最初のうちはいいんですけど、だんだん疲れてくると、やはり、あの、自分でよく分かっているのに、こういうことを言っちゃいけない、「駄目」って言っちゃいけない、えー、「また」って言っちゃいけないって、姉もよーく理解しているんですけれど、疲れてくると、やはり、その、何か、あのー、そういうことを、「駄目」とか、やっぱり「さっき言ったよね」とかっていう言葉が多くなってしまう。で、姉の表情も何かきつくなってしまうっていうのは感じます。だから、理解することと、あの、実際にできることっていうのが違うし、その、人間疲れてくると、やさしく対応はできなくなるなっていうのは感じています。
それは多分、お嫁さんもそうだと思うんですけど、親子の関係だともっと密接で、親に対する期待や思いもありますし、えー、近いから、こう、言い過ぎるところもあるのかなというふうに。その辺はどちらかというと、お嫁さんのほうが上手に間隔をとっているように感じます。