投稿者「hanaoka」のアーカイブ

認知症の語り

夫の場合、認知症により、たがが外れて本来のかたくなな性格が暴走する場合もあるという説明に納得がいった(テキストのみ)

かたくなな性格とかに気付かれたのは、その病状の変化が糖尿病の後からですか。

糖尿病の1型が出た時が50歳だから。それで、(看取るまで)26年、認知症の発病っていう形が20年ぐらいは潜伏期があるっていうことだから。糖尿病にかかってから徐々に徐々にってこう、出てきてたような感じがするんですけども。それは病気のせいだからと思っていました。大学病院に糖尿病の調整で入院して退院する時に、認知症で治療していきましょうって言われた時に、先生に慰められましたもんね。認知症が発症しているようですからって、性格じゃなくてよかったですねって(笑)。

神経内科のほうの先生に、うちは、MRI、頭のそれで見るとやっぱり前頭側頭の空間が、普通よりもやっぱり広く空間ができてるとか。そういうことがやっぱりはっきりしてるから、これは単なる性格が悪いっていう話じゃなくて、確かに前頭側頭型の症状ですって。それはそこからはいえますって言うんですよね。それで、考えも、硬直。それこそ、自分の前しか見えないみたいなね。それこそよそさまが見えないみたいな感じ。同じことは、糖尿病でかかり始めてからすぐ言われましたけどね。

最期に、「うちの人は、認知症じゃなかったんじゃないですか。性格がよくよく悪かったんじゃないですか」って(神経内科の先生に)聞いたら、「いやいや、検査でちゃんと出てますから、認知症ですよ。でもね、性格にたががかぶってて、それが外れてもろに出て暴走するっていうこともありますけどもね」っていう話で、双方納得しました(笑)。

認知症の語り

小規模だとみんなが1人の情報を共有しあってくれて、じゃまなくらい人がウロウロいる。一人ぼっちになることがないのがいい(テキストのみ)

食事なんかでも、まず施設と病院では対応が全く違うんですよね。しょっちゅう食事が足りてなければ食べられるのであれば食べさせたいと施設の方では対応してくれたし、まあ病院ではそれはむずかしい。まあ寝たきりになってしまえば同じなのかもしれないのですけれど、それでも1人を面倒みるという体制づくりでは、やはり施設の方が優っているなあという感じが素人目から見えたんで。
こう頑張れば、こう少しでも生きられるという感じのところから、まあ楽にさせたいという感じ、痛みがないようにさせたいと、それが最終的に、あの苦痛、吸引とかの苦痛に繋がらなかったし、あのーむくみもなったからそれでスッキリしていたし。まあ、少しはよかったかなと。

病院で入院されている時と施設におられるときと、ご本人の気持ちという点ではかなり違っていたんでしょうか?

やはり違うんじゃないかと思うんですよね。(病院では)色々着替えとか、おむつ変えたりとか。若い看護師さんとか、(夫は)足蹴にしていましたからね。なかなかやっぱり、先生の思いと、そのスタッフのその思いとか色々やり方とかでは(食い違いもあり)、なかなかむずかしいものがあるのだろうなという感じがしましたね。大きければ大きいほどね。
そうすると、小規模だとみんなが一つの1人の情報を全部が共有しあってくれて、そこに座っているとどんな状態だということを把握してくれているし、みんな前でウロウロしているし、まあじゃまなくらいいるし。それがいいんじゃないかなと思ったんですね。病院だと1人ぼっちになっちゃうことがあったから。

認知症の語り

要支援の人から要介護5までのご家族が参加して皆が体験談を語り合う、それが先生役となり、安心と自信を得られた(テキストのみ)

T(地域名)方式っていってね、I施設、G施設、あと、N施設という3カ所の施設で、それこそ共同体制をつくって。どうにも大変な人を預かった時に、やり合ってその人手を借りたり、その施設を借りたり、人を足したり、そういうことをやり合ってどうにか回せるようにするっていう、そういう体制をつくってらっしゃるんですよね。で、うちが、GにいながらIのところで泊まり込んで、Gの職員がIのところに行って泊まってくれてと。そういうような体制でできましたっていうような。そういうようなこともあったし。
だから、そういう体制で、まあ1カ所だけっていうのはなかなか難しいことなのかもしれないと思います。そういう体制のところの一角で、利用させてもらいました。で、Iでは、そこにお世話になっている(前頭側頭型の)家族の会をつくってあったんですね。で、私も入れてもらって、で、いろいろ、話をすることで。そこには、介護1からとか、要支援だとか、そこの介護1から5までぐらいの人がいたのかな。すごい、いろいろいて。それで、一緒に集まって、うちがどうの、こういうことで困ってるとか何とかっていうような話で、みんなの話が一応出るんですね。そうすると、あ、うちは今はあそこら辺にいるんだって。ああいうことも経験してきたとか、その先にはああいうことが待ってるんだとか。それが分かるんですよね。自然に、受け入れられたんですよね。その介護者が、やってきてるっていうことで、一緒のテーブルを囲んでる人たちがやってきてるっていうことで。それをまあ受け入れられて、何か自分もその時が来たら、こういうふうにやればできるんだっていうような自信にもつながってたし。だから、そういう意味では、まだまだ介護度の浅い人たちに言わせても、みんなの話聞いてるからっていうような感じで言ってくれてますね。で、まあ、その人もまた進めばその介護度の浅い人に対してそういう、指導にはいたらないまでも、経験談を話すことで共有ができるっていう、その体制がね、見事だなと思って。

認知症の語り

弄便(ろうべん)という不潔行為が始まり、手は真っ黒。夫は、引き出しやクローク、整理ダンスにも便を丹念に押し込んでいるが、悪びれる様子はない(テキストのみ)

弄便(ろうべん)ですか。不潔行為とか、そういうことがしょっちゅう出てくるようになったんですね。それで、ヘルパーさんも、日にちを増やして、朝、見てもらったりしながら、だいぶ、お手上げだったこともあったんだろうと思いますが、私も当然一緒になって見たりして。そうすると、不潔行為みたいなのは並じゃなく、その一部屋。もう私はもう部屋を分けて、何年か前からもう部屋分けて自分一人で寝るようになってて。もうどう不潔行為しようが勝手だよっていうような感じでいたんですけども。
朝行くともう部屋の中がくさい。シーツは、茶色、掛け布団は汚れてる。壁は汚れている。周りには落ちている。手は真っ黒。それで手を頭へやる。つかみ出すんですよね、気持ち悪いからね。部屋にあって、整理の引き出しなんかの中に入っている。ゴミ箱に入ってる。クロークに入れている(笑)。ちょっとたってから、気が付いたらカーテンにも付いている。それで、上掛けはカバーをしてたんですが、もうカバーいちいちやってられないんで、それはやめにして。で、毛布のね、ちょっと厚めぐらいのを買って、それで直接もう、洗濯をする。そういうようなことじゃないと対応できなくなってしまって。それで、ずーっとそれできたんですよね。

引き出しだとか。そのー、空気清浄機だとか。加湿器の隙間だとかね。そういう所にね。とにかく、丹念に入れてあるんですよね。そういうことって何だろうなって思ったら、処理してるのね。とにかく自分の目に見えない所に(笑)。自分がやった行為を隠すっていうことじゃなくて、ただその汚いものっていうのは分かってはいると思うのね、私。それを始末したっていう。紙おむつをトイレに突っ込んであったりとか。流そうと思ってっていうのは、それを流せばきれいになっちゃうわけですよね。何にもなかったふうになるっていう。そういうこと。そういう意識じゃないのかしらと思うんですよね。

――ともかく汚いものを目の前からこう、どっかに退けたいっていうそういう感じですかね。

そうそう。手を真っ黒にしてね(笑)。それ頭に持っていったりね。ほんとにね。そういうことじゃないのかなと思ったんで。悪ぶれるですか、そういうことではない。何でこんなことするのよっていうこと自体がないことなんですよね。

認知症の語り

子供がおらず先々のことを考えて、成年後見人制度を利用した。弁護士が、なんの報告もなく報酬を口座から引き落としていたことがわかり、申し入れをした(テキストのみ)

(平成)27年から、成年後見の申請をしたんですよね。その時に私も、登録はしてたんで、できたら私にっていうつもりで裁判所に行ったんですけども、「家族の人は駄目」*ってもう頭ごなしなんですよね。それで、弁護士に、させるっていう話で。不服なんですが取り下げはできないっていう話で、それっきりになってそれで、やったんですが。成年後見ではその1年、自分がうちの家計を全部きれいにして報告をして。通帳も全部出しますから通帳の写しで、送ってもらって。それで、家計簿を集計して送ってたんですよね。それは、弁護士さんがそれを集計して、1年間集計して裁判所に報告。1年目の時に、通帳から引かれてたんですよね。何十万かがね、勝手に。それを見て、私が怒って弁護士に「何ですか、これは」っていう話。本人に勝手にっていうことは、本人は分からないからどうしょうもないかもしれないけど、家族です。家族がいるのになぜ一言も、断らないんですか。
これは、通帳を見れば、通帳の名義は、いっときでも弁護士の名義になってるんですよね。それだからどうにでもなるんですよね。それ自体は、ま、仕方がないことかもしれませんけども。だからといって家族がいるのに、分かってるのに勝手に、下ろしていいものですか。それ、一般の人の、常識じゃ考えられないことだって30分以上話をして。で、じゃあ本人に断りますかっていうから、本人に断って分かるんだったら成年後見いらないつって。わけの分かんないことを言う。それで、私は引き下がらなかったら、結局はその裁判所の、決定通知っていうのがあるんですよね。それで、手当は幾らでいいというような裁定が出るんですよね。それのコピーを送ってきたんです。で、実費運賃もやりますかって言うから、切手とか足代はそれはかかったもんだから、私のほうでも大体分かるからそれはいらないですけど。通帳から勝手に下ろさないでください。ほんとに頭へ来たんですよね。そういうことをされてみんな我慢してるっていうことがあるんじゃないかと思うんですよね。たいしたことされてないのにね。財産管理をしてるっていうことなんですけど。財産管理は、全部送ってますけども、日常の生活費の、計算は全部私がやってるし。それで、出してはいる。
なぜ成年後見やったかっていうと、そういうことも見込まれてはいたんですけども私は子どもがいないんで、もし仮に相続が発生すると、向こうの本人のきょうだいに行くんですよね、ちょっと公にしておいたほうがいいかなっていう感じがあったんで。ちょっと手ごわい人たちだったんで。それをやっといたんです。そういう意味でね。だけどまあそういう、毎年毎年、手当が引かれてるっていうことが、そういうことがあって。一つありましたけども。まあ、それはそれで成年後見は立てた、意味は一応ありました。

*家庭裁判所では、申立書に記載された成年後見人等候補者が適任であるかどうかを審理します。その結果、候補者が選任されない場合があるとされています。(参考:裁判所 裁判手続き 家事事件Q&A 第11 成年後見人には必ず候補者が選ばれるのですか。 ) この女性の場合、被後見人と後見人候補者の生活費がもともとはっきり分離されていないような場合に該当する可能性が考えられます(参考: 家族信托と相続「親族が後見人になれない13の例」

認知症の語り

1ヶ月の夫の状態を記録して渡すことで、診察時に状態を詳しく伝えられるばかりではなく、自分の気持ちを落ち着かせるのにも役立った(テキストのみ)

断片的な、言葉は発することはまだできていたんですけども。その頃同時にそのー、着替えに、ズボンをはくのに前後にはいたり、後ろ前とかひっくり返してはいたとか。上に着たり。ジャケットに足を入れたり。まあ、私も、あの「えっ?」っていうくらいもうびっくり。こういうことも起きるんだっていうことでね、何か記録を取ったんですよ(笑)。まあ、それはもう自分を落ち着かせるためっていうこともあるでしょうし。ちょっと距離を置くとか。あんまり近寄ってそんなことは駄目だとかって言いたくもないから、ちょっと写真を撮ったり、そういうことでやってきたんです。そいでメモを取るっていうのはそのー、K先生によく話を聞いてもらってっていうことがあったもので。ひと月に1回、行ってたんですが、その間のことを、私も忘れますから、こういうことがあったって。こういう状態でこういうことが起きたっていうことは逐一、メモするようにして。それでそれを持って、先生に診てもらうようになったんですね。

もちろん先生は本人に語り掛けてくれるし、「どうでした、この一月の間は?」とか何とかって、話を持っていってくれるんですけども。それに対してはほとんど、「変化ありません」とか、「特にありません」。そんなことで終わってたんですよね。だからそれじゃあしょうがないし、私があんまり本人の前で汚い話ばっかりするのも、嫌だなってこともあるし。先生の診察のつづりが、やけに厚くなって、どんどんどんどん厚くなってきたのは分かってたんですけども。極力薄くして、書き出しして持って行きました。で、それをまあ、パソコンでこう入れてたから、それは残っててあるんですけどもね。何か施設入るにしてもそれまでの状況はどうですかって説明するのにも、そこでピックアップしてちょっと編集して、お渡しするとかっていうことにはよく使いましたよね。

認知症の語り

糖尿病の教育入院期間中に大声を出して迷惑をかけた。退院後、認知症と糖尿病を地域の病院で診てもらうことになり、2つ目の病院で前頭側頭型認知症だと診断された(テキストのみ)

低血糖とか高血糖で教育入院っていうのがあるんですね。それで、糖尿病で入院して。まあ何回か入院して、ある時から、大声を出したりじっとしていられなくなったりして看護師さんなんかにみんな迷惑掛けるような感じになってきたんですね。そういうことで先生からこれはやっぱり認知症じゃないかって。それで21年かな。平成21年。その時にアルツハイマー認知症で治療ということでやっていきましょうというようなことで、退院したんですね。それで同時に糖尿病のほうも大学病院の外来から抜けて市内の個人病院があるでしょうから、そちらのほうに通ってくださいと。治療方法はもう大学病院に来るようなものじゃないからっていうことで。まあ不安定ながらも、調整してもらってくださいっていうようなこと。

それで、神経内科のほうの先生は探してたんですけども、いい先生いらっしゃらなくて、糖尿病の先生からも紹介状書いていただいて。それで、K先生というところに行って、診てもらうようになったんですね。その先生、よく人の話を聞いてくれまして。最初は一応検査ありましたけども、その次からはその、20分ぐらいは1人1組話を聞いてくれてるんですね。で、付き添いは必ず付きますから、その人が結構いろいろ状態を告げるっていうことでやってたんですが、それにはもうほんとに感謝で。治療は特になく、薬も特になく。まあ、少しずつアルツハイマーでのお薬が少しあるからというようなことで飲みながらっていうことで。

そういうことをやってるうちにK先生のところでまた検査があって。アルツハイマーも多少あるけれども、前頭側頭型認知症だっていうことで。それは頭部の前に隙間ができはじめてる。左の脳のほうがちょっと多く減ってる。何か海馬の周りが少し透けてる。そういうような診断が出て。で、前頭側頭型だっていうことなんですね。

認知症の語り

本人は混乱していく怖さの中にいる。穏やかに過ごせる環境づくりのために、働いている人がやさしい気持ちで見守っていける態勢がもっとできるといい

ちょっと私には分からないんですけど、認知症だから精神科に行くという、うーん、それが、うーん、必要なのかなっていうのは正直、誰でも多分、あの、母もそうなんですけど、忘れていくとか、頭が混乱していくのは怖いと思うので、その怖いと思う精神状況の中で、えー、拘束するとか、たくさん薬を飲ませるのではなく、ま、私はできなかったんですけど、そのー、…穏やかに過ごせる施設で治療できたらいいなっていうのが私の願いです。はい。希望です。

――……やっぱりこういう状況を変えるには、何か、何か気付かれることってありますかね。

そうですね。…うーん、難しいと思うんですけども、うーん、ま、一番つらいのは、やはり、その、認知症になってる本人の、病気になられた方がつらいと思うので、それを支える家族の人とか、あの、介護してくださる方々が、の気持ちがまず穏やかでいるというか、その、支えてあげられる気持ちでみんながいたら、もうちょっと違うかなとは思います。ま、私もそうなんですけども、…それで働いてる方たちも、あの、優しい気持ちで見守っていけるような態勢がもっとできたらなとは思います。

認知症の語り

精神科の病棟では、いきなり口に歯ブラシを入れられるような感じで、母は触られると「いやー」と叫んだりしていて、正直人間として扱って欲しかった

私たちも精神科の入院病棟には初めてだったので、荷物チェックがあり、あの、ドアも二重にあって、あの、うーん、来て、寂しい感じがしたんですけれども、うーん、…そうですね、もう少し穏やかに、母が穏やかになれるような病室と雰囲気であれば、もう少し穏やかに過ごせたんじゃないかなとはいつも思ってました。はい。やはり、あの、介護とか、看護師さんたちにはとても感謝しているんですが、やはりまだ、あのー、…母も症状が始まって混乱しているときだったので、やはりちょっと細かい声掛けをいただけたら、母もあんなに怖がらずに過ごせたんじゃないかなとは思いました。はい。

――実際、あの、入院してるところに、ま、行かれると、普段、その前とは違ってるような、やっぱりこう、お母さまの様子が見られたっていうことでしょうか。

そうですね。あの、人に触られると「いやー」ってもう叫んだり、母はそういう人ではなかったので、怖い思いをしているなというのは感じました。

――…その、普段は穏やかなお母さまが奇声を発したりとか、そういうふうな姿をされているのを見て、ご家族はどんなふうに感じられたんでしょうね。

正直、1日でも早く出してあげたいという思いでいっぱいでした。はい。

――……そうですね。何か具体的に、あの、こうじゃなくて、もうちょっとこういうふうな接し方っていいますか、何かそういうふうなことって具体的にありますか。

ま、やはり声掛けですかね。おむつを替えるときに、「今からおむつを替えます」と、この一つの日本語だけを言っていただけたら違ったのになとか、あとは、ま、母は言い方あれですけど、こう、ぼーっとしているときも多かったので、いきなり口に歯ブラシを入れていたりとか、もうほんとに、あの、ただ皆さん、働いている方は忙しくて、次から次と回らなければいけない状況はとても分かっていたんですが、あのー、ほんとにそこがつらかったです。ま、正直、人間として扱ってもらいたかったです。……なので、あの、…A4の紙に私は母が家族と写ってる写真をたくさんプリントして壁一面に貼りました。母は、あの、こういう人だということを病院のみんなに知ってもらいたくて……。

認知症の語り

同じ認知症でもアルツハイマーの家族会だと自分にはメリットがない。同じ病気の家族と話すことで共感と安らぎを感じた

ほんとにいろんな集まりがあっても、アルツハイマーとかレビーとか、いろいろあって。あのー、アルツとかの方と一緒の集まりの中のお話だと、私にとっては何のメリットもないんですね。だから、そういう集まりに行ったときも、できれば私はおんなじ病気の方と話がしたいっていう提案をしたんですね。そしたら次に行ったときに、それを受け入れてくださって。同じ病気の方のグループをつくってくださったんですよ。で、そこで初めて私は、その、主人と同じ病気の方たちに、5~6人に会って、いろんな話をしたときに、「ああ、やっぱりそうなんだ」と。出方はいろいろなんですけど、そのこだわりに対しての考えはみんな一緒だったんですね。
それでいろんな 話をすると、やっぱり病気っていうことが分かる前から、性格的にやっぱりちょっとっていうところが、やっぱり皆さん、あったって言うんですよね。で、うちの主人もそういうことがたくさんあったので、いや、そんな最近じゃなくって、昔から病気かしらっていうのがあったんですね。だから、こういう病気って、もうほんとに若い頃から何かあるのかなっていうのがあって。で、やっぱりそういう話が皆さん一致したのでね、それをまた、あのー、1カ月に1度の診察のときに主治医の先生に伺ったんですね。
そしたら、「いやいや、それはやっぱりね、生まれ持った昔からの性格っていうのもあって、そんなに早くからじゃないと思いますよ」って、先生もおっしゃってね。いや、でもそういうグループで話し合ったら、なんか皆さん、そういうのがね、若い頃からあったっていう話がなんか一致したものでね。なんか、うちの主人もそういうことが若い頃にね、あったので、そうかなって。もう昔から病気かしらって思ったんですけどって言ったら、「それはやっぱ違いますよ」って言うんですよね、うん。だから、やっぱり、その、おんなじ病気の方と出会って話したことが、ほんとに私には安堵感というか、今まで、「えっ、何なの」っていう感じがあったんですけれど、ほんとにそれはね、あの、安らぎでした。うん。みんな、それは多分そう思うと思うんですが。