投稿者「hanaoka」のアーカイブ

認知症の語り

子供がまだ小さく勤めに出ずにいた娘に「家での待機も仕事の内だから、お母さんのお給料を半分受け取って」と懇願し、介護に協力してもらった

最初は、あの、そんな人の手も借りなくても、ほんとに(夫は)何でも言ってることは理解できるし、「今日は私、出掛けるから、お留守番しててね」って言えばできるし。それで、ほんとに不幸中の幸いっていうか、本人はかわいそうなんですけれども、足から駄目になったのでね、徘徊とかそういうことが全くなかったんですよ。どこかにいなくなっちゃうとか。一度だけ、まだ足が動く頃に、1人で食事に出てって迷子にはなったんですが、それ以後はもう、足がもう駄目なので、1人で出ていくっていうことが全くなかったのでね。お食事さえこう、1、2、3、番号振って置いていってあげれば、それを見て食べられる状況であったので。ほぼ、あのー、出掛けてまだ外食をしてる頃は、娘が連れて行ってたんですが、それ以外はもうほぼ1人でお留守番できてたのでね、大丈夫だったんです。

娘がもう子どもがまだちいちゃかったので、おうちにいたんですよね。それで娘にお願いして、あのー、お母さん仕事してるので、お給料半分あげるから、あなたは自宅待機のお仕事っていうことで、私の、あのー、要求を受けてくれないかって言ったら、「ええっ、そんな、たまに見るぐらい、私、見るわよ」って言ってくれたんですけれども。
いや、それじゃね、あなたも仕事に行きたいって言ってるのに抑え付けてるんだから。お父さんもたまにね、私じゃ駄目なときに頼むために、家にずっといてもらうんだから、私はお給料をね、半分、あなたにその分あげるから、待機料って。待機も仕事って言ったんですよ。そしたら「ええっ」とか言いながら、あのー、「えー、じゃあ、それでいいの?」って言うのを、「それでいいのじゃなくて、そうしてほしいの」ってお願いして。
それで私と娘で、私が旅行に出る、それからゴルフとかに行くっていうときには娘に来てもらって。で、ずっと見てもらった。だから、それでうまく。で、娘は「そんなたまにしか来ないのに、こんな悪いから、そんなもらえない」とか言うんですけど。だって、それはよその他人を頼んだら、もっとね、時間でこう、払わなくちゃいけないんだし、だから、それはいいのよって言ったら、本人も納得してくれて。

認知症の語り

タバコをやめさせるため、薬を使ったら寝たきりになったが、火事を出されたら困るので全介護を覚悟で禁煙を優先した

たまたまだったんですが、タバコを主人が吸ってて、火の付いたタバコをごみ箱に捨てたんです。それでもう、うわあと思って、「お父さん、どこにタバコ捨ててるの」って言ったら、「だってもう吸い終わったからごみだよ」って言うんですよ。だから、ごみ箱だって言うんですね。ああ、やっぱりこういう感じよみたいな感じで。それで、もうすぐ、あのー、認知症の専門の係してる(かかりつけの)先生に相談しまして。実はもうタバコの、火の付いたタバコをごみ箱に捨てたと。「何とか、先生、タバコをやめさせる方法を、お薬を使ってでもいいから考えてほしい」と。そしたら先生が、あのー、じゃあ、お薬を出しましょう。それで、そのお薬を飲んだら、あのー、意欲の多分低下するお薬だったんですよね。
それで、それを飲み始めて1週間くらいしてからかな。歩けなくなったんです、まず全く。歩けなくなって、それで下のほうも全く行こうと(しない)。今までは、あの、行きたいっていう気持ちがあると、あの、とぼとぼ歩いては行ってたんですが、それをもう一切行くこともなく、寝てばっかりいる。で、ベッドから起き上がらない。で、そういう状況になってしまったので。先生に、全く今度は動かなくなってしまったので、こうなると今度お風呂に入れたり、あの、いろいろ大変なので。見るほうが大変なので、もうちょっと動けるようにしながらやめさせる方法はないかというあれで、先生にまた相談したんですね。
そうしましたら、先生が「どっちを取るかなんですよ」って言うんです。うん。で、中途半端にやってもやめられなかったら一緒だし、で、あのー、そのタバコをまずやめさせるのが先なのか、動かしてタバコは吸わせるのか。それは家族が選ばないと、どうにもならないっていうことだったんですね。で、そこで私ももう考えて、いや、これはでも火事を出されたらもっと困るので、まあ、しばらく動けなくても仕方ないと思いながら、私も覚悟を決めて。ああ、もうまるで、この人はもうほんとに全て100パーセント介護だなと思いながら、私が「もう、じゃあ、先生、タバコをやめさせるほうを取ります」と。

しばらくは「たばこをおくれ」とか何度も何度も言ってましたけども、そのうち、もうそれも忘れてしまって。もう全く言わなくなったので、「先生、もうたばこもどうにか忘れたようなので、お薬をまた元に戻してください」と。今までどおりのお薬にしていただけますかって言ったら、先生が「分かりました」と。

認知症の語り

介護のために家の改築を考えた時に、「僕の退職金をお前が全部使うのか」と、夫が言い出したので、建替えに踏み切った。新しい家でも夫がトイレに迷うことはなかった

建て替えたほうがいいかなって思いつつ、あのー、奇麗なおうちになって主人に汚されたら、怒りたくなるだろうなっていう葛藤があってちゅうちょしてたら、主人が、お向かいのおうちがやっぱり築、同じぐらいの築だったんですよ、向かい側の家がね。で、そこのお宅のご主人が「建て替えます」って、なんかごあいさつに来て。そうしたら、「ほら見ろ。うちも建て替えろ」って今度、主人が、その、言ったんです。

それで、やっぱり暖房がないお風呂だったので、冬入れるときに温風ヒーターを、あのー、何ていうのかな、脱衣所に置いて。温風ヒーターをつけて、あのー、浴室を温めながら入れてたんですよ。で、そういうのを考えたら、もうちょっとこれは厳しいかなって思った段階で、やっぱり建て替えかなって思ったんですよ。で、主人もお金にその頃こだわりがあって、「僕の退職金もおまえが全部使うのか」ってこう、毎日のように言い出したんです。「そうだよね」って言って、「そうか。じゃあ、やっぱりお父さんのお金で建てようか」って言って、そうやって決断したんです。もう毎日それを騒ぐのに、もううるさくて。そう。
それで一番心配だったのが、あの、仮住まいに行くのと、あと、その、帰ってきたときの、その、ギャップに戸惑ったらどうしようっていうのがあったんですね。でも、やっぱりそこがアルツハイマーと前頭側頭の違いかなって思ったんですけれど、トイレが新しくなっても迷うこともなく、うん、もう普通です。それで借りてたお宅も、もう全く大丈夫です。だから、ほんとに、あのー、自分が言い出して、あのー、引っ越したから、そこのお宅に行っても、しばらくは仕方ないっていう感じでいますしね。うん。だから戸惑うこともなかったです。トイレも何とか歩いて、その頃はつかまって何とか歩いてたんです。

認知症の語り

近くに越してきた娘の家への行き方を教えたら、道の名前は分かるが、どう行くのかが分からないと言う。行く気がないから分からないのだと思ったが、それが病気だった

うちの娘がやっぱり埼玉 に住んでて、あのー、ちょうどうちの主人が病気になるちょっと前に、あのー、近くに引っ越してきたんですね。それで家を、まあ、中古だったんですけれど、買って。で、主人が見に行きたいと。で、私はもう(主人が仕事を)辞めた時点で一切行動を共にしなかったので、同じ車に乗って出掛けることもなかったんですよね。で、そのときに、「家を見に行きたい」って私に言ったんですけれど、道を説明するんですよ。で、うちの主人は生まれ育って、この県から出たことがない人ですからね。それで、あのー、地域の社会で働いてた人が、この何号線とか、この道が分からないはずがないんですよ。それをいくら説明しても、「いや、分からない」って言うんです。「あの道をこう、真っすぐ行って、どこどこの所、あるでしょう」って言うと、「分からない」。で、道は分かるんですよ、その道の名前とかは。でもその道に行く、行き方が分からないんですよね。
それで、お父さん 、私はね、そんなに「分からない、分からない」言っても、もう一緒には付いていかないよって。もう一緒に行かないって決めたんだから。で、もう行く気がないから、お父さん、分からないのよって言ったんですけど、それがだから病気だった。だから道の名前とか何号線が分かっても、それがどこにあって、どうやっていくかっていうことが見えない(分からない)。で、はさみって思っても、「はさみですか」、使い方が分からない。はさみって言っても、「これ、どうやってやるんだ」みたいな、そういう感じですね。「はあ?」っていう感じで、うん。

認知症の語り

寝たきりになった夫が高熱を出したため腸の病院に相談に行くと、「そんな時には救急車」だと言われ、総合病院の地域連携室を紹介してくれた

脳梗塞じゃないと診断を受けた後に、一月後ぐらいに今度、高熱を出したんですよね。で、高熱を出したので、いや、これは、またおなかも痛そうにしてたので、また腸の病気かなと思ったので。今度、腸の病院に私が1人で診察券を出して、主人、連れて行けなかったので。腸の病院に行ったんですね。で、高熱を出して、またおなかの辺りを触るので、おなかが痛いのかもしれないんですがっていうことで。で、そこの先生に相談しましたら、「そんなね、お母さん一人で来たって、僕は見ないよ」って言うんですよ。それで、「その熱が何から出てるか分からないから、そんなときは救急車、呼ぶんだよ」って言われたんですね。

腸の病気もあるけれども、あの、頭の病気があるのでね、これからはうちよりも、あのー、こっちの病院のほうがね。あのー、そこは脳外科の先生もいらっしゃるし、腸もあるし、全般的に全部が見られる病院なので、うちに来るよりも今度そちらへかかったほうが、これからはいいんじゃないかっていうアドバイスを、そのー、あの、院長先生にしていただいたのでね。まあ、腸のときも、脳、脳のほうの検査をアドバイスしてもらったんですけれども、次は今度、あの、腸の病気と頭の病気もあるので、また別の病院を紹介してくださったんですよ。で、そこの、あのー、地域連携室っていうところに電話してちょっと相談してみなさいということで。
 それで私もその病院から帰ったときに、すぐに今度、そちらに今度お電話して。

で、そんな相談をしてるもう矢先にまた熱を出しまして。それで、今度はほんとに、あのー、救急車、呼びました。

認知症の語り

腸の持病で入院中に、「院内を徘徊して困る」と夜中に呼び出された。点滴の棒につかまりながら、「俺は何でこんなところにいるんだ」と、言い出す夫はやっぱりおかしい

現職でいる頃からちょっと腸の憩室炎っていう病気があって、何度か入院したりしたこともあって。で、この病気ってやっぱり便秘をしたりすると繰り返す病気なんですよね。

それで入院して3日目ぐらいに、あのー、「ご主人が院内を徘徊(はいかい)して困るので、あの、ちょっと奥さん、顔見せてくれたら、あの、落ち着くかもしれないので。あの、一度病院に来てくれますか」っていう電話が夜中の3時にありまして。それで、「え、徘徊?」って思って、私もびっくりしたんですよ。で、日頃ちょっとここんとこ、おかしいなっていうのはあったので、や、ほんとに頭おかしくなっちゃったのかなっていうのがありましてね。私もすぐもう起きて、車で病院に飛んでいきましてね。それで、あのー、エレベーターに乗って、入院してる、あの、階まで上ったら、点滴の棒につかまりながら、入院したグッズを全部紙袋に詰め、「ああ、おまえ、来てくれたか。俺は何でこんなとこにいるんだ」っていきなり言うんですよね。それで、ああ、やっぱり主人おかしいって、そのときに思って。

もうほんとに辞めて7年もたってたんですけれども、そこまでほんとに会話も、会話も普通。時計とかお金の計算もできる。まあ、ほんとにおかしいと思ったのは車を何度もぶつける、歩き方が変、せめてそれくらいだったんですよね。それで、いよいよこれはもう病院と思って、でもやっぱり頭の検査となると、主人をどういうふうに説得して連れて行こうかと思いまして。正直に「ちょっと頭がおかしいから病院に行ったほうがいい」と言ったら多分、絶対怒り心頭ですからね。それはもう無理と思いまして、あの、入院してる病院のね、主治医の先生、院長先生にね、相談しまして。
いや、入院する前からちょっとうちの主人、最近おかしいんですけれど。やっぱりこの徘徊っていうことは考えられないことなので、今まで入院してもこんなこともなかったし、ちょっとやっぱり私には信じられないことがいっぱい多いので。先生から、申し訳ないんですけれども、あのー、年齢も年齢なので、この機会に腸だけじゃなくって頭のほうから足の先まで、検査してみてもらったらどうかというのを先生から勧めていただけないでしょうかっていうことで、院長先生にお願いしたんですね。そしたら、「よし分かった」と。「じゃあ、それで僕から伝えるよ」っていう話になって。

認知症の語り

夫は座っているとき、立ち上がるのにテーブルを引いてその反動を使わないと立ち上がれず、前こごみでおじいさんのように歩くようになっていた

それで、まず最初に気付いたのが、あのー、下に座ってると、あの、椅子を使わないで下に座った場合に、立ち上がるのがだんだん何かおかしくなってきて。テーブルをこう、引きながら、引っ張りながら、その反動を利用して立ち上がるような状況になってきたんですね。で、私が「あら、お父さん。何やってるの」って言ったら、「いや、最近、立ち上がるのが大変なんだよ」って言うんですよね。だから、「お父さん、運動もしないで毎日ごろごろ遊んでるからね。だから筋力は落ちるし、運動不足だからよ」って言ったんですけど、まあ、そういうことに対しての反応は全くなくって。

いくら運動しないからといって、こんなに立ち上がれないし、前こごみでおじいさんのように歩くようになっちゃって。その時点でまだ50ちょっとすぎで、何かおかしいなとは思いながら、まあ、言ってもまた聞かないだろうなっていうのがあったので、それももうあえて言わず。

認知症の語り

結構大きな冷蔵庫にチョコレート、大福やケーキ類がたくさん入っていた。明らかに食の好みが変わっていたようだ

警察の方に保護される前に、あのー、チョコレートとか、あとは何か大福、あんことか、そういう甘いものが冷蔵庫に満タンに入っていて、…甘いものをとにかく1日にものすごい量食べ、食べてたみたいです。うちの祖母も「おんなじものばっかり買ってきて」って、「で、私には一つもくれない」っていうのを言ってましたね(笑)。
もともと母はそんなに甘いものを食べるほうではなくて、あの、よくアーモンドチョコレートをその一箱を何日もかけて食べ切る。ま、1日1粒、2粒ぐらい、ぐらいしか食べなかったんですけど、冷蔵庫開けたときに、あの、結構大きな冷蔵庫なんですけど、そこにチョコレート、大福、それから、…ま、えー、生クリームの入った何かケーキ類っていうんですか、シュークリームとか、そういった甘いものがたくさん入ってました。もう賞味期限も切れてるものとかもたくさんあって、うん、…明らかに食の好みも変わっていたみたいですね。

認知症の語り

ピック病を疑うも、母の激しい抵抗に遭い受診させることができなかった。その直後、母は万引で警察に保護され、起訴・裁判にかけられることになった

――で、そのピック 病かもしれないなっていうふうに思われて、例えば医療機関にちょっと相談に行くとか、何かそういうふうなことって考えられましたか。

はい。あの、まずは病院に、あの、電話をして、「私の母がこういう状態なんですが、あの、診ていただけますか」という電話をして、で、説明をしている時間がないと思ったので、母を連れて行ったらすぐ診てもらおうと思って。で、母に「ちょっとお母さん、ちょっと最近様子おかしいから病院行こう」って言うと、あのー、ものすごく怒りだして、ちょっと尋常じゃないぐらいの怒り方なので、あのー、どうしようかなと思ってたんですけど、最後は、あの、私にはさみを向けたので、ちょっとこれは一人では連れていけないと思いました。
で、母も車を運転できるし、あの、自分でやっぱり自由に動いていたので、そのときは、なので、で、力もものすごく強く、強くなってたんですね。ま、火事場のくそ力ってよく言うと思うんですけど、あのー、とにかく目がつり上がっていて、あの、優しい母の顔ではなくなっていたので、…で、私も体は大きいですけど、やっぱり女なので、大人の人をこう、あの、おさまえて無理やり連れていくっていうことがやっぱり難しくって、で、えーっと、ちょっと頼れる親戚もなかなかいないので、遠方なので、え、どうしようかなって思っているうちに、あの、コンビニエンスで万引きをして、えー、警察の方に保護されたので、はい、そこ、うーん、ま、保護されて今は良かったなと思ってますけど、そこから、あの、病院には連れてく前に、あの、警察の方に保護されて、ま、そのままその後裁判にまでいくんですけど、はい、…ま、連れていきたかったんですけど、あ、事実上連れていけなかったです。

警察に拘留されて、えー、で、裁判が終わってそのまま病院に連れていって、でー、入院になりましたので、その日以降一度も家に帰ってきてないので、はい。

――あの、入院されたっていうのは、それは、うーん、どういう病気でっていいますか。

あ、はい。あの、そのとき行った病院の先生からは、えーっと、え、前頭側頭型の認知症と、あとはもう1つ、大脳皮質基底核変性症*の疑いというふうに言われました。うん。

――もう入院されてすぐ、体調がやっぱり悪かったから入院っていうことになったんですか。それとも、その。

いや、もうこのピック病で、何を言っても、やっぱ押さえつけてももうやっぱり駄目なので、「これを家で介護するのは無理ですよ」というふうに先生に言われて、えー、「施設を探す間、入院したらいかがですか」って言われたので、で、私もちょっとそのときの母の状態を見て、とてもじゃないけど私にみれないと思ったので、はい、入院をお願いしました。

難病支援センター「大脳皮質基底核変性症」の項を参照

認知症の語り

うつの症状がひどく大学病院の精神科を受診したところ、解離性障害と診断され、5年の間、月に1回、近くの内科で治療を受けていた(音声のみ)

えーと、(平成)1 9年、18年、もっと前からかもしれんけど、最初、あのー、何やったかな、更年期かなっていうことで、ま、内科に行ってまして。で、その後、あのー、うつやないやろか、いうことで不眠とか、食欲低下とか、意欲低下とか、「死にたい」とか、ま、いろいろ、うつの状態の、あのー…まあまあ、ひどかったんでね。で、それまで。
(認知症本人:妻) お母さんが邪魔になったと思ったんだ。
えー、内科にかかってたんですけども、その、内科で、あのー、えー、あれ、何だ、紹介状書いてもらって。で、あのー、A医大のB病院の精神科を紹介してもらって、あの、まあ、連れていったんですけどね。その19年のそのときは、隔離性 (解離性)障害*っていう診断やったので、えー、ま、大学病院では、あの、普通の通院はしてないからいうことで、また内科で近くの、あのー、C医院を紹介してもらって、そこで薬ずっともらって。あのー、月に1回ぐらいですかね、ずっと診察を受けてたんです。(記録を見て)平成19年から23年てなってるんだけど。
で、一度、認知症の心配もあるんで、検査して、入院検査してみて、ま、何もなければ安心やから、あのー、検査して、入院して検査したらどうですかって言われて、入院したのが23年の2月の15日から3月10日まで。
恩賜財団済生会 症状別病気解説「解離性障害」の項を参照を参照