投稿者「sakuma」のアーカイブ

認知症の語り

最初のケアマネは困っていることを一緒に背負ってくれる感じではなく、住宅改修業者も勝手に選定されて信用できなかったので、包括支援センターに穏便にケアマネを交替してほしいと頼んだ

今の地域に行って、2人目の、ケアマネさんなんですね。当初のケアマネさんというのは、ちょっと高齢の方で、ちょっと、あの、マッチングというか。その、前の、前任者というか、のケアマネさんとの意見がちょっと合わなくって、ほんで、あの、何ていうかな、地域包括支援センターだったかな。そこへ、ちょっとご相談に行って、何とか、その、できれば、穏便にケアマネさんの変更をお願いできないかっていうか、ええ、お願いに行ったこともあって。
 前のケアマネさんと合わないっていうか、直接、そのケアマネさんに対して口頭で「あなたとはちょっとやっていけそうにないので」っていうのを、ちょっと言い出しにくかったもんですから。それで、あのー、変更になって、まあ、今の、その、何ていうかな、とてもフレンドリーに話ができるケアマネさんと会うことができて、ほんで、何ていうかな、まあ、ほんとに困ってることもちょっと一緒に背負ってもらえるというか、ええ、一緒に考えていただける、その、ケアマネさんの存在っていうのも大きいなと思ってます。

――その、前の方はやっぱり、そういう一緒に考えてくれる感じではなかった?


うーん、一緒に考えるとか、それ以前に、何ていうかな、あの、住宅改修というか、手すりを付ける、その、費用の――何ですかね、申請?――町に出す書類を書いていただくっていうことになったときに、うーん、こんなこと言ったらあれなんだけど、業者をもう選定されたっていうか。もう、悪い話言ったら、その、裏取引じゃないけど、自分のちょっと声の掛かる所っていったらおかしいかな。そういうところが見えたので、ああ、この人ちょっと信用できないなっていうか、そういう思いがあって、ええ。それきりになりましたと。

認知症の語り

心が折れることもあるが、納得のいかないことや疑問には声を上げていろいろ助けを求めていくことも大事だ

私の友人、お友達でも、あの、介護、同じレビー小体のお母さまを、あの、見られている方もいるんですが、やはり皆さん、介護保険に申請に行かなかったり、あと、うーん、認知症だということをやっぱり近所に言いたくないとか、そういう方もいらっしゃるんですけど、気持ちは私も分かるんですが、あの、私は区役所に行ってもう泣いて訴えたり。とにかく、あの、包括(支援)センターに電話したり、あの、とにかくたくさん電話して、いつも、あの、たくさんの人に助けを求めてます、あの。
 なので、あの、あの、いろいろ大変な方もいらっしゃると思うんですけど、やっぱり声を上げていろいろ助けを求めていくことも大事だなとは思いました、今回。はい。

――そのいろんなところにご相談に行かれて、そのときの、その、何て言うんですか、地域包括(支援)センターであるとか、そこの対応というのはどんな感じでしたか。

えっとー、残念ながら私の、あの、母の近くの地域包括(支援)センターのケアマネジャーの方は、…「方向性も決まっていないのに電話してこられても困る」と言われてしまって、ちょっと私そこで折れてしまったんですが、ほんとはもうちょっと、ま、違う方もいらっしゃるとは思うんですが。うーん。
 そうですね、あと、ちょっと話が違っちゃうんですが、あの、ソーシャルワーカーの方が病院にいらっしゃると思うんですが、最初の精神科から出なきゃいけないと言われて、じゃ、老人施設にという話で、提示された金額がとても高かったんですね。そして、「ここ、こんな金額でしか世の中ありません」と言われて、でも、私、区役所に行ってこんなこと言われたと相談したら、「そんなはずはありません」と、きちんと、あの、金額に、「この、これぐらいの金額であるはずです」と言われて、もう1回戻って、「うちはこの金額しか払えない」ときちんとお話ししたら、あの、ま、結局見つかったんですけれども。
 そのときも実は、その、介護保険料の負担額が父が勘違いしていて、ま、1割か2割の負担で勘違いしていたんです。医療保険の負担と介護保険の負担の勘違いがあって、どうしても私たちも介護保険が初めてだったので、あと日々動揺しているのもあって、そこをソーシャルワーカーの方が確認していただけたら、その日も私、とても泣いていたので、その辺もやはり、あの、…そうですね、この先、私のような思いをする方がいたら、あの、負けずにきちんと聞いてもらいたいと思います。

――そうですね。遠慮することなく。

そうですね。

――きちんと、あの、納得するまで確認したほうがいいということですね。

そうですね。はい。

認知症の語り

何でも笑いに変えるのが毎日を穏やかに過ごすコツ。自分から笑いを誘うような言葉をかけると、夫も笑える言葉を返してくれる。笑いはすっと出てくる

――あのー、そうですね、ご主人がいろ、あのー、今、比較的穏やかに過ごされてるっていうふうに拝見してて思うんですけれども、それはどんなことが良かったっていうふうに思われますか。

笑いに変える。うん、ちょっとしたしぐさ、うん。で、お風呂あがってる、拭いたって言って来るんですよね。拭いてない、こう、体ね。「はい、自分で拭いて」って、お尻拭いたらお尻をぺたって触るとか。「お前、触りたいのか」とか言って、笑いに変える、うん。
 で、朝起きて、ベッドで、「今日、元気?」って言ったら、「うん、元気だよ」って言って。「ああ、今日も1日元気で頑張ろうね」とか言って、うん、笑いに、うん。笑いを、こう、起こせるような。「お前、またばか言って」って、すぐ、あのー、施設なんか行って、「うちの鬼ばばはね、鬼嫁がおるんだわ」とかいって言うんですね、うん。で、施設迎えに行くと、「鬼嫁が来ました」言うと、みんなが笑ってくれるから、うん。
 笑いに変えると、うん、あれですね。穏やかに、うん。だから、あのー、お花じゃないですけど、「奇麗なお花があったよ」って言うと、「私より奇麗?」って言ったら、「お前に、お前には負ける」って、うん、そういうことを言ってくる。
 あのー、結構、笑いは結構すっと出てくるので、うん。

認知症の語り

姑が尿とりパットをトイレに詰め込んで、詰まらせてしまった。便器に「トイレットペーパー以外流さないでください」と業者の名前を書いたら流さなくなった(テキストのみ)

――あのー、例えば、身の回りのことっていうか、そういうのはいつまでできてらっしゃったんですか。着替えとかお風呂とか。


あ、あのー、身の回りのことは、この、入所する前ぎりぎり自分でやってらしたけども、あと、やはり、デイに行っているときもうすでにおしっこのほうがちょっとあれだったので、あのー、……それは、ちょっと、あのー、尿取りパットとかをトイレに詰め込んで流れなくなったこともありました(笑)。あれは、ちょっとね、夜だったので大変で、で、その、ゴムのあれを探してもなくて、ほんとに、夜の10時か11時ぐらいだったかな、私、友達、近所にいるんで、友達に借りて(笑)それでも、やはり、あれはもう中でふくれてしまうからだめなんですよね、で、その日は夜だったから、みんな、すぐ近くにローソンがあるから、ローソンでトイレしてきなさいって(笑)、はい。そんな状態で、次の朝すぐ、あのー、来てもらって業者さんに。「これは仕方ないんだよ、これ詰めたらもう流れないからな」って言われて。それから、もう、どうしょうかなと思って、本人やっていると思ってないから、あのー、便器に(笑)、便器に、あのー、何か私書いたんですよ。「トイレットペーパー以外流さないでください」って、その業者さんの名前書いたんです。で、便器の上に貼って。で、しばらく(困ったことには)ならなかった。それから1回もないですけど。……。

認知症の語り

姑は通帳を自分で金庫にしまったことを忘れ息子が盗ったと何度も繰り返した。そのたびに一緒に探してあるのを確認したが、5分も経たずに盗ったと言っていた(テキストのみ)

あと、それと、そうね、一番大変だったのは、えーと、主人が還暦になったときに、あのー、孫たちが一緒に食事会、「ばあちゃんも一緒に食事会に行こう」って言ったときに、最初は「行く」って言っていたんだけど、さあ、行こうっていうの「行かない、あんたたち行ってこられ」って感じで、「あ、でも、行ってきこうよ、せっかく、ねえ、あのー、子どもたち言ってくれているし」って「ばあちゃん、息子の還暦だよ」って言っても「行かない」。で、がんと言うこときかないし。で、あ、その行く前に、あのー、やはり「通帳なくなった」って言って。そんときは、主人が盗って行ったっと。だったんですけど、ほいで「いや、ばあちゃん、私分からんし」、ちょっと、その、日中のことだったので、あのー、「じゃ、私、ちょっと出かけるから、お父さんも土曜日でいるし、一緒に探したら、部屋を探したら」って言ったんですよ。そしたら、「探さんだって、あのー、お父さん盗って行ったんだから」「いや、でも、お父さん盗ってってないって言うし、一緒に探され」って言ったら「分かった」とか言って。で、あのー、お父さんに「一緒に探してあげて」って。で、そんときまだ通帳しっかり持ってらしたんですね。で、部屋中探して、で、帰ってきたときに「出てきた?」って言ったら、主人に聞いたら、「ああ、出てきた、あった、あった。金庫の中にあった」って、「ばあちゃん、よかったね、あったね」って言ったら「え、どこにあったんけ、お父さん盗って行った」って、また、その繰り返しで。それで、一緒に「じゃ、ばあちゃん、あったって言うから、私ちょっと見ていい?」って「いっちゃ」って言われて、で、金庫をあけたらちゃんと通帳あって。「ばあちゃん、ここにあった、あった、よかったね」って言って。その足で、私、あのー、台所に来ようとしたら、うしろから追っかけてきて、バックを六つほど空のバックを持って来て、「どこに入っとるがけ」って言われて、えっと思って。「いや、さっき金庫の中にあった、ばあちゃん、バックの中にないない」って私言ったんですよ。そしたら「なあ、そんなこと、金庫の中にない」って、私もちょっと自分がおかしくなったかなと思うくらいに、「じゃ、もう1回見に行ってもいい?」って言ったら。「え、こられ」って言って、そしたら金庫の中にはもうないんですよ。その通帳がないんですね。おかしいと思って、いや、あったしって。でもそのときにベッドが横にあってベッドには、もう、物がいっぱい溢れているんですね。さっききれいだったのにどうなったんかなと思って、いや、私もちょっとキレ気味になって「さっき見たのにどうしてないの」ってそのベッド全部、あのー、どかして。そしたら、こんな小っちゃい箱の中に入れてあったんです。だから、私に見られたから隠したんでしょうね。嫁に見られたから絶対また盗って行くと思って隠したのかなと思って。そのとき一番びっくりしましたね。ほんの5分も経っていないうちにそういうふうに言って来られたので……。

――大変ですね。

あれは、ちょっとびっくりしましたけど。

認知症の語り

妻が家を空けると2-3時間でもイライラして、不機嫌になり口も利かなくなる。また、人前でできないことを指摘されるのを嫌がるので、外食時には気を遣う

4~5日前も、あのー、具合悪いからデイを休んだんですね。で、私は仕事、行かなくちゃいけないので、仕事行くのに、「1人でいるんだよ」って(夫に)言ったら、「嫌だな」って言ってたんで。で、まあ、私も仕事行って、あの、「主人が調子悪いので、きりがついたところで帰らせてもらいます」と言って、3時間ぐらいで帰ってきたんですね。たら、機嫌が悪いです。で、「どう、調子は?」言ったら、「俺はどこも悪くない」。
で、あのー、ちょうどあのー、血圧の薬がちょうどなくなってたんで、午後の、あのー、診察に行く予定だったので、ま、早めてお昼の診察に連れて行ったんですけど。「俺はどこも悪くない。何で行くんだ?」とか言って。まあ、「血圧の薬をもらいに行くから行くんだよ」とか言って。もう、口をきかないんですよ。機嫌が悪くて。

――先ほど見て、とってもにこやかにお話されてるので、そういう不機嫌な様子、想像がつかないんですけども、やっぱりそういうことが。

機嫌が悪いというか、もう、顔を見たら分かるんですよね。もう、口をぐっとつむんで、一言もしゃべりませんから。

だから、午前中でももう1人ではおれないから、午前中デイ、「デイで午前中預かってもらえないですか」って言ったら、「いいよ」って言われて。で、午前中預かって、午後から家族会に行ったり、うーん、そうしないともう、ほんとに2~3時間ぐらい1人でおるのも駄目なので。やっぱり、そうすると、もうイライライライラして。

――そういうところが、まあ、変化。

そうですね。

――一番大きな変化みたいなとこですかね。

だから、それを踏まえて、だんだんとこっちも、あ、こんなんしたら機嫌悪くなるなと思うから、もう先に先に、こういうことはやらないようにと思って。

――特に気を使、気にしてらっしゃるってか心配、あのー、これは絶対しちゃいけないっていうのは、今おっしゃったような1人で置く時間を無くす。

もう、無くす。

――一番大きな問題ですかね。

そうですね、うん。と、人前でできないことを、こう、指摘されるのが嫌みたいですね。
 あのー、食事してても、あのー、これを食べて、これを食べてとか、うん、外へ行って、外食してて。だけどあんまり言うと嫌がるので、もう先に、もう切りわけして、すっと食べれるように、うん。あのー、フォークとナイフは使えないとか、そういうのがあると、もう先に箸を用意しといてもらうとか、そういうふうに。人前であんまり指摘すると嫌がる。だから普通に、もう、普通に食べて、うん。まあぐちゃぐちゃでもいいやと(笑)。

認知症の語り

自分の親を他人に預けることには葛藤があったが、自分がつぶれたら在宅も何もない。老健は在宅復帰を目指す施設なので、時間的に短くても在宅でみる努力を続ける気にさせてくれる

ただ、その、ここ(老健)に入れる、入れるというか、空き待ちみたいな状況のときに、その、何ていうかな、自分で、自分の肉親を見られないのに、見られないっていうのが、面倒見切れないっていうのに、人さまにお預けするっていうか、すごいちょっと矛盾してないかなと思って、それについてのすごい葛藤みたいなものはあったんですね。
ほれで、あの、たまに私もインターネットとか見て、えーと、そういう専門サイトというか、あるんですけど、たまにそういうとこも見たりして、まあ、在宅で同居で介護しておられる方の、悩み事とか相談事みたいな、こういう現状、その、何ていうかな、介護日誌みたいなとこに、記載があるんですけど、それについてのコメントをたまに、書き込んだりもするんですけ。矛盾してるけど、だけど自分にとって手に負えなかったら、それもありかなと。
私は、まあ、今までは、その、何ていうかな、自分の親を、特に、その、体の不自由でもない、娘が見なくて、それも仕事を別に、何ていうかな、仕事を持ってるわけでないっていうか、まあ、家事ぐらいで、してることは家事ぐらいで。なのに、ちょっと幾ら、その、お金が掛かってでも、何ていったらいいんだろうな。うん、その、うーん。そういう所に預けるっていうことの矛盾をすごい悩んだ時期もあるんですけど。まあ、いいふうに捉えるようにして、今はそういう、預けることの不安とか、困ってるときはお互いさまみたいなつもりで。
 なんせ、その、自分がつぶれてしまったら、それこそ在宅も何もないっていうか。もともと老健施設さんっていうのは、在宅復帰を目指す所なので、まあ、1週間、10日、1カ月、在宅で見られる時期的にはちょっと短いかもしれないですけど、まあ、努力は続けようかなっという。それを、その、努力をしようかなと思わせてくれる、まあ、施設じゃないかなというようなつもりでいます。

認知症の語り

ショートに比べ老健入所は意外とすんなり行った。面会に行くたび「迎えに来てくれたのか」と言うが「仕事で用事があるからもう一回来る」といってやり過ごす(テキストのみ)

――ご本人は、ショートに入るときとかは、どうだったんですか。

いや、拒まれましたね、やはり。

――じゃ、ここ(老健)に入所するっていうのはどうだったんですか。

それは、意外とすんなりいったんです。

――そのときのことって覚えてらっしゃいますか。どんなふうだったか。

ほんとに意外と簡単にいったなと思って。あんまり…ほんとに、連れて来て、そのまま「じゃ、ばあちゃん、きょう、私仕事だから行くね」っていう感じで、そのまますっと帰ってきた感じ。はい。で、うーん、家も近いので、家が見えるので、3階からやっぱり「あっこがうちなんだ、うちなんだ」って、最初のころは言っておられて。

――で、ここにそのままいて、まあ、面会とか来られるじゃないですか。そんときに「帰ろう」とかっていうのは。

それは毎回でした(笑)。それは毎回で、「あ、迎えに来てくれたん?」とか言って「うん、ばあちゃん、迎えにきたんだけど、ちょっと私これからもう1件用事あるからもう1回また来るね」って、毎回同じ言葉で帰ってきていましたけど。それで……何とか出てくるっていうことは、ま、鍵もかかりますからね、諦めるのか、全然、毎回行ったら同じことの繰り返しなので。「今日迎えに来た?」「一緒に帰ろうか」っていう感じだから。

認知症の語り

老健に3カ月いて家に戻ることを繰り返すうちに認知症が進行してきた。何回目かに戻った時には自分の家も嫁の顔もわからなくなっていた(テキストのみ)

――老健は入所の期間が決まってますが、その辺の説明とか、どうなりそうかなみたいなこと、ご自分の中でどういうふうに受け止めてらっしゃったか。

やっぱり不安ですね。あの、3カ月間入っていることによって、やっぱり家にいるときと進み具合が早いので、やっぱり、ああ、刺激がないというのか、大丈夫かなと思って。返されたときに、どうしようと思って、それはすごく不安でしたけど。…最初はそうでもなかったですけどね、だんだんやっぱりひどくなってきますね。出るたんびに。

――ああ、じゃ、最初の3カ月間のときはそんな変化なくて帰ってきたという。

そんな目立たない、自分で自分の部屋で寝られるし、前のときとあまり変わらないですけど。やっぱだんだんひどくなってきますから。で、あるときに、何回かのときに、家帰ってきたときに、「ここどこ?」ってやっぱり言われるし。「いや、ばあちゃんのうちだよ」って「えー?」とか言って。で、玄関入るときに、靴の置くときに、こう、下向くじゃないですか。顔あげた瞬間に「あんた誰け?」って(笑)「あんた誰け?って、私だよ」って、「お嫁さんだよ」って「えー、おかしい」とかって笑って、で「ここどこけ」って「いや、ばあちゃんのうちだよ」って「あれー?」そんな状態でした。

――そちらのおうちは、その、三十何年間住んでらっしゃるおうちなんですか。

そうです。もっと、もっと。

――で、建て替えとかもされて。

あ、建て替えして30年ほどです。

――ああ。

30年も経たないかな。でも、建て替えじゃないんですよ。あの、半分昔のうち半分建て替えっていう感じなので。半分は自分の、おばあちゃんの、あの、部屋のほうは、もう、六十何年経っている、自分がお嫁に来たときからの部屋なんですよ。

――それでも、自分のうちじゃないような感じですか。

でしたね、はい。

認知症の語り

義母は3カ月老健にいて1カ月はショートステイとデイを組み合わせて、自宅に居るのは1週間程度。それを3年間繰り返してきた(テキストのみ)

――始めには、ほんとに、じゃ、丸3カ月したら退所してくださいっていうことで決まっていて。

決まって。

――ほんとに3カ月した人に、あのー、迎えに来てっていう感じだったんですか。

いや、それはね、あの、やはり、足とかの、ちょっと、何ていうか不自由の介護度のあがっている方と、うちのおばあちゃんの場合は認知のほうがひどいので、これは、あの、ショートステイとデイと繰り返してやりましょうねって。3カ月入って1カ月です、出るのは。認知のほう、ひどいのでそれ以上は無理でしょうっていう感じで。1カ月間だけ。だから、正味ほんとにいらしたのは1週間ぐらいだったと思います。

――おうちに。

おうちに、あと、あの、デイ。デイで、あの、何日か。あとショートで何日間っていう繰り返しで。正味いらしたのは1週間ぐらいだったので何とか我慢できました。もう、今度もう無理かなと思いますね、うち。もう、おしっこの状態、まあまあ、私たちみんな勤めているので、目離すことできないので、そうなるとどうなるんだろうという感じで、ま、主人と話しているんですけど。

――3年ぐらい前からですね、老健使われるようになったのは。イメージが湧かないんですけど、3カ月ここにいて、それで1カ月間ぐらいは、そのショートとデイをうまく組み合わせながらうちにいて。

繰り返して。

――で、また3カ月。

3カ月、また1カ月はそのショートで繰り返して。

――それを繰り返して。それで、大体、3年間今まできたっていう感じなんですね。

そうなんです。