投稿者「taguchi」のアーカイブ

認知症の語り

施設に入れることについて親戚は皆理解してくれているが、母親が壊れていくのを見るのが嫌なのか、夫は姑の世話は自分に任せきり、夫の弟も一回も面会に来ない(テキストのみ)

―― あのー、プレッシャーっていうか、うちでみなきゃだめ、長男なんだからとか長男の嫁だからとかそういうようなことってあんまり感じないですか。

それはなかったですね。意外と皆さん周りみんな理解されているし、あのー、それぞれ、皆、分かってらっしゃるのか、あのー、親戚の方たちも、1人、その弟さんの、おばあちゃんの弟さんのお嫁さんには言われたことはありますけども。それ以外誰も割りと理解してくださって。大体姪っ子さんがすごく理解のある方で、その、あのー、おばあちゃんのほうの、あのー、お姉さんの子どもさんなので、常に、結構「おばちゃん、おばちゃん」ってよく来てらっしゃったので、私とも交流あったりで、割りと理解していただいたので、はい。あのー、親戚の方もいろいろ言ってくださって「大変だね」って「仕事にも行っている、あんた大変だね」って感じで、意外と理解はありました。

ほんとに、やっぱり、自分の母親ながら、やっぱりああいうふうにだんだんだんだんはっきり言って壊れていくのを、すごく情けないんだと思うんですけどね。ですから、もう、全部、私に任せっきりなんですよ。

―― はあー。

(笑)全部、全部、あのー、この、あの、着替えとかも、「たまにも行ってよ」って、「私忙しいから行ってよ」って、もう、「別にいいわ」って。ああいう時間の合間って。やっぱりそうなると1週間取りに来れなかったとか、2回風呂に入るから。で、うん、そう、結構、そういうことあります。で。

―― それ面会に来られないということですか。

面会は、あのー、ここの、あのー、お祭りとかあるじゃないですか、施設の。そういうときは必ず、そういう、引っ張ってくるんです。さすがに、そのときぐらい「顔見に行ったら、ばあちゃんだいぶやせたりしているし」って。で、「何で来んがかかな」って、で、その姪っ子さんに言ったら、「多分、親の姿見るの嫌なんじゃない」って「よくそういうこと聞くよ」って言われて。そうかなと思うんですけどねえ。でも、確かに嫌なのかな。その、まだ、主人2人兄弟なんですけど、で、弟さんが、あのー、県外なんですよ、1度も来られません(笑)。1度も来られません。で、ここに、あの、お嫁さんも1回も。で、電話しても全然、あの、お母さんのおの字も言われません。あの、結婚式に行っても、「お母さんどうですか」でもないですし。弟さんも「ばあちゃんどうか」っていうこと一切ないです。私どうなっとんのかなと思って、自分の親でしょうっていう、あるんですけど。あんまり気にならないんですかね、離れていると。これだけ、長い間離れていると情もなくなるのか。…さすがに、ちょっと、私も何かおばあちゃんかわいそうになってきました(笑)。

認知症の語り

小学校高学年の頃父母と川の字になって寝ていた時に、病弱だった父が母に俺が死んだらどうする?と言っているのを聞いた。子ども心に母の面倒は自分が見るという使命感を抱いた

まあ、ちょっと話も結構さかのぼるんですけれども、私が小学校の高学年ぐらいのときに、父と母と川の字になって寝てたときに、結構父も病弱な人だったもんですから、そのー、自分が死んだらお前はどうする?みたいな、そんな会話、よくしてたんですね。私は多分寝てたからそういう、寝てたからというか、寝てるだろうという前提の下の会話だったと思うんですけど、「俺が死んだらどうする? どうする?」って。そしたらどうするか、まあ、いろいろ、まあ、そのー、父も悩んでっていうか、うーん、まあ、その、長男は当てにならないし、そしたら姉のとこ、長女のとこへ行くか、ほれか、そのー、まだ小さかった私のところへ行くかとか、いろんな思いを、まあ、思いの丈というか、話をしてたのを私が、そのー12歳、13歳ぐらいの私がずーっと横でじって聞いてたときに、母は…何か情けないというか、わびしいというか、母の面倒は私が見るかなっていうか、そのころから何か、何ていうんだろう。まあ、使命感みたいなもんで、何か聞いてて。まあ、現実の下に、まあ、たまたま私が見ることになったんですけれども。

―― そういう昔の、そういう出来事もねえ。やっぱり運命みたいな感じですよねえ。

何か…。いや、私は運命だったんかなという思いはあります、ええ。結構、あのー、兄とも姉とも、まあ、行き来はあるんですけれども、兄は、あのー、難病で今寝たきりになってますし、姉も、まあ、弱いので、病院、入退院をしてますし。ほれで、まあ、私も元気かって言われたら、まあ、太ってはいるんですけれども、先日も大腸がんじゃないかとかって言われて、で、まあ、ポリープで済んだんですけれども。
 あのー、母は結構、天真らんまんっていうか、AB型ってあんなもんかなあって思うんですけど。妙にテンションの高いときと、ふと。あのー、一番最初に入った、あのー、施設でもそうだったんですけど、私の顔を見ると、何ていうかな、ものを見通すというか、何か困ったときに母のところへ行くと、「何かあったんか」って。すぐに何か状況を察するというか、まあ、親子だからっていえばそれまでなんですけれども。何かすぐに、その場の雰囲気を読むというか、随分母には助けてもらいましたけど。

認知症の語り

単純な作業をしてヘルパーに「上手にできましたね」といわれたときはショックで、担当を替えてもらった。人に助けてもらってばかりの自分の存在価値があるのか悩んでしまった

わたしがね、あのー、ヘルパーさんを頼むっていうことになったときに、あのー、いろいろいるじゃないですか、ヘルパーさん。で、その、来てもらって、いいヘルパーさんもいたんですけれども、あのー、だから、多分、その、わたしのことを知らない、だから、若年認知症っていうことは知っているんだけども、普段、そのお年寄りの方を相手にしているもんだから、もう、それと同じ感覚でお話されるんですよ。で、わたしが何かやると、何か1個やれたら「あ、ああ、上手にできましたね、そうです、そうです、ああ、そう、いいですよ、上手ですね」って、それを言われたときは、ショックで、最初ちょっと我慢していたんですけど、もう毎回、「ああ、いいですよ、いいです、いいです、あ、今度こちらにしましょうかね」分かっているのにそういうふうに言われたときには、何も、「ちょっとこの人とは合わないから」って言って替えてもらいました。ちょっと、その、言いづらかったんだけども、でも、それは、まずケアマネに言って、で、ケアマネさんが、その、連絡してくれて、それで「分かりました」って言って、ちょっと担当変えてもらって。ほんとに何かね、もう、えーって、毎回、「そうです、そうです、そうです、あ、はい、今度こちらです」って。もう、だから、そういうお年寄りさん向けの言葉なんですよね、でも、わたしは若いし、まだ、これも分かるしこれも分かるし、こっちのここのこのりを貼るぐらい、何でそんなそれやっただけでほめられるのみたいな、そんな感じもあったんだけども。うーん、ですね。

だけど、その、その、ほめられて嫌なわけじゃないんですよね。その、ま、だから、うれしかった、うれしかった、ほめられてうれしかったときの話もあるんですけども。あのー、クリスマス会があったときに、そんとき、もう、わたしも、休職に入っていたときぐらいで、もう、あのー、仕事もせずに家にずっといて、その話もすることもなく、もう、ただ、その家族とかそういう、ね、人たちに助けてもらうばっかりで、あのー、何か、自分の存在って何なんだろうって。自分で何なんだろうって。自分の存在価値って何なんだろうとかって。そういうふうに考えるようになっちゃって。ちょっともんもんとしていたときがあって。で、そのときに、あのー、うーんと、クリスマス会があったときに、あのー、作業療法士さんが、その、あのー、何、色紙を切るっていう作業を、「じゃ、これやってくださいね」って言って、わたしがそうやって、ね、切っていたら、その、切っていただけで、もう、そのときに切っていただけなのに、来て「ありがとう」って言われたんですよ。それが、もう、何日かぶりの、何日かぶりっていうか、もう何十日かぶりの「ありがとう」で、もう、それを言われたときが、すごくうれしくって。ありがとうっていう言葉ってすごい大切なんだなって思って。

認知症の語り

以前はデイサービスの送迎車や捨てた薬の包装から認知症だと知られるのが恥ずかしいと思っていたが、今は人に助けてもらいたければ「言ったほうが勝ちだ」と思う

その、最初は、わたしも、あのー、やっぱり認知症っていうふうに診断されて、やっぱり恥ずかしいっていうのがあったから、あのー、ね、その、友達には言って、友達とか会社の、あのー、職場の人には、ま、もちろん言わなくちゃいけないから言ってはいたんですけども。あのー、ね、いざ、ほかの人っていうと、その、自分から認知症っていうのは言いづらくて、言いづらいどころか隠したいっていう気持ちがまだいっぱいあったんで。あのー、うーんと、デイサービスのときでも、車が来たら、あ、こんな、この、この、ね、あのー、施設の名前が書いてあると、ああ、あの、で、わたしがこうやっていると、わたしが、何かそういうの使っているって分かっちゃうから嫌だなって、そういうふうに思っちゃたりとか。あと、あのー、ゴミとかでも、あのー、あのー、薬、薬が、こう、入っていて、あ、こんな薬を使っている人が、もう、あのー、いるんだって思われちゃ嫌だなとか、もう、被害妄想なんだけど。誰も、そんな、ゴミ見てそんなこと思う人なんかいないんだけど。で、それで、嫌だなと思って下のほうにぎゅっと隠しながらゴミを出したりとか。そういうふうにしていたんですけれども。
でも、やっぱり、その、1人、その、スーパーの人なんかもそうですけども、その、人に言うことによって、簡単に助けてくれて、自分も助かって、で、向こうの人も言わなくちゃ分からないわけだから。

だから、郵便局に行ったときも、あのー、話したら、あのー、あ、「困ったときはいつでも、あのー、あのー、ATMで困ったときは、いつでも、あのー、声かけてくださいね、そちらのほうに行きますから」っていうふうに言ってもらえたりとか。もう、みんな優しい人ばっかりで。で、これは、言ったほうが勝ちだって。それで、もう、ね、その、病気、若年認知症だけど、別に何も悪いことしていないし、別に悪い隠す病気でもないし。あのー、言った人に、たまにびっくりされて。「え、かわいそう」って言われたことはあるけども、え、わたし全然かわいそうじゃないしって自分で思いながら、そういうこともあって。でも、ね、言ったことで、あのー、助かっていることがいっぱいあるんで、どんどん言って。で、それで、ね、そうやって、またほかの人にも、そういうふうに助けてくれる人が増えればいいなって思って。

また、どんどん何か、そしたら、子どもに、「お母さん、そんな言う言うって言ってもさ、そんなみんながみんな言わないほうがいいと思うよ」とかっていうふうにも言われたんだけど。その、その、そういうので、その、「あ、あそこは認知症の人がいるから」って言って、そういう、何か、例えば、事件とかそういうのに巻き込まれる、そういう、そういうこともあるっていうこと考えて、そんなしゃべらないほうがいいんじゃないっていうことも言われたことがあるけど。まあ、でも、そんなに、まあ、娘はわたしを心配して言ってくれたことだから、「ああ、そう」とかっていうふうに言うんだけど。
でも、そんなに悪いことはないと思うし。もし、まあ、どっかで、何かわたしのこと言われていたら、それはそれでわたしの耳に入らないことだから、まあ、いいやと思って。とりあえず、自分が、ね、助かることだから、もうしゃべっちゃうって平気でしゃべっています。

認知症の語り

認知症になったことをカミングアウトして、本音で愚痴を言えるパートナーが1人でもいたらいい。そこから仲間の輪が広がっていくと思う(テキストのみ)

とにかく、認知症になったらば、何でも話せるパートナー?いたらいいな、と思うんです。愚痴も言って……本当に……本音で言える愚痴が。で、本音で言ってることを本気で聞いてくれる人、1人でもいて、カミングアウトができたならば、その人は第一歩が始まれると思ってるんです。

それは家族でもなく。家族の身内だと、やっぱり感情が入ってしまいますよねー。じゃなくて、お友達とか、そういう専門職でもいいですし、どんな形でもいいと思うんです。ただ、本音で心を分かち合える人がいて、その人にきちんと病状を言って、カミングアウトしてね。「じゃ、一緒にがんばろう」って言ってもらえる人が見つかったならば、その人はすごく強くなれると、私は思ってます。

だから、そういうふうに、あの、仲間を。仲間で手をつないでいけば、どんどん広がってくと思うんですよ。私はあなたとつなぐ、あなたはあなた、こっちとつなぐ。で、次は次とつなぐ。そしたら輪になってくじゃないですか。うん。そうしてけば。

で、私の講演聞いて、「認知症は怖くない」って言ってくださった方がいたんです。で、これから応援してくれるって。初めて会った方で。うん。「またお会いしたい」って言ってくれたりとか、必ず、本当に握手求めてくれたりとかしてくれて。私は、そういう人に力をもらってるんです。特別なことは何もしてなくって、うん。

認知症の語り

インディアカもミスが多くなってきているが、仲間は夫が認知症であることを知っているので、さりげなくサポートして居場所を作ってくれるので、介護する方も楽だと思う

インディアカ*も、やっぱりだんだんとやれなくは、本人の前では言わないですけど、やれなくはなってます。迷惑はかけてると思うんですけど、みんなが、「いいよ、来て、来て」って言ってくださるから、うん、行って、楽しく、うん。みんなにはほんと、迷惑かけてると思います。

 で、このー、認知症になる前は、内緒にしてたんですけど、やっぱり、ある程度いくと、やっぱりミスが多くなると、「○○さん(ご本人の苗字)、変ね」「変ね」って言うので、で、帰るときに「俺って変かなあ」とか言って、うん。で、「うーん、今日はちょっと疲れてたんで、変じゃない?」って。で、今度行ったときに、(本人には)内緒で、「こうなんです」って言ったら、みんなが、「うん、分かった」とか言って。それからは何も言わない。で、普通に、うん。「来てね」「来てね」って言ってくださるから、うん。

 ほんとに、すごく、あのー認知症っていうのは、こう、ちょっと、こう、視野が、何か少しずつ狭くなってるみたいなのね。だから、食べるのにも、こう、目の前にあるものはすっすっと食べるけど、ちょっと横にあると分かんない、うん。だから、ミスが多いけども、やっぱり、うん。ラインを、こう、サーブするラインを間違えたり。するとみんなが、「そこじゃないよ。はい、もっと、後ろ、後ろ」とかいって、声かけてくださるし、うん。ミスしても、笑って過ごせる。
 だから、みんな、周りが、こう、サポートしてくださるから、うん、スポーツでもご近所さんでもそうです、うん。だから、やっぱり、公表して、周りに、うん、サポートしてもらえれば、介護するほうも楽だと思います、うん。
 それが一番。うん、隠して隠してね、サポートする、介護する人がすごくストレスためて、体調崩すよりいい。そのほうがいい、いいんじゃないかなとは、私は思いますけどね。

 で、インディアカのこう、あのー、試合はもう主人は出ないんですけど、うん、私が、あのー、他のチームで出たりすると応援に来て、うん。で、みんなが「○○さーん」とか声かけてもらえるので、うん。普通に、うん。

―― そういう居場所がいる、あるってことでしょうね、要するにね。

そう、そうです。外に出て、居場所がある。

*バレーボールコートを使って4対4で羽の付いたボールを打ち合う競技

認知症の語り

日頃インディアカという球技を楽しんでいる。診断を受ける前からやっているので、チームの人たちは気心が知れている。それほどハードではないので長く続けられそうだ

―― まあ、毎日、何か決まった習慣とか、お散歩するとか、何か決まった、体操するとかありますか。

インディアカ*という、あ、そうですか、あのー、体操ですけどね。体操っていうかな。

―― 運動。

運動ですね。

―― どんなものですか。

えーと、インディアカ、きゅう。

―― 球技。あ、ボールを使う。

球技ですね、ええ。

―― あ、どんな大きさのボールですか。

えーと、どれくらいのかな。

―― 割と小さい。

いや、これぐらいかな(両手の指で輪を作る)。

―― ああ、はい、それを投げるんですか。

そうです。

―― 投げる、取って投げたりとか。

そうです、そうです、ええ。

―― で、点数を競う。

そうですね。

―― ああー、どこでやっているんですか。

えーと、…どこ。

―― 近所ですか。

近いところですけど。

―― ああ、そうですか。で、お仲間がいらっしゃるんですね。

ええ、あのー、…友達がいっぱい、いっぱいということもないけど、ええ。

―― 何人ぐらいでやる競技ですか。

あ、競技は、4人、…4人、もっとかな、5人ぐらいかな。

―― 4対4とか、4人でやる。

4人から5人か、そんなもんかな。

―― で、その、インディアカのお友達。あ、そもそも、インディアカは、えーと、その、ご近所だからっていうことで始められたんですか。どなたかのご紹介いただいたんですか。

最初はどっから始まったのかね。ちょっと、もう(笑)。

―― 覚えていないかな。

うん、もう、うーん、だいぶ前からやっているから。

―― だいぶ前から、そのくらい昔からやっているんですね、もうずいぶん前からね。

ええ、ええ。

―― で、じゃ、その仲間に、特に、その、えーと、ご自身から、あのー、こういう病気の診断があるんだよっていうふうに説明したりしなくても、皆さんは、大体分かっている。

大体、分かっていると思います。ええ。

―― ああ、そういうことですね。はい、別に、でも、そのインディアカをやる上で、ご病気が、で、その認知症であることで難しくなることとか何かありますか。それ…。

あ、それはなかったですね。まあ、それで、みんな仲良くそれやって、うん、いたんで。

―― じゃ、楽しくできるスポーツなんですね。

そうです、ええ、ええ。

―― それは、とってもいいですね、そういうのがあるのね。

楽しみにしています、いつも。

えっと、友達が、やっぱりインディアカが好きな人しか、で、やっているんで、余計、あのー、楽しいというか、ええ。

*バレーボールコートを使って4対4で羽の付いたボールを打ち合う競技

認知症の語り

地元に小学校の同級生が大勢いて皆商売をやっているので、顔を見たいと思ったら行けば必ずいるし、集まってちょっと一杯やったりして、寂しさを感じることはない(音声のみ)

まあ、この辺だと地元ですから、小学校の同級生がごろごろいるんですよ。で、ちょうちん屋やっているやつはいるし、それから、文房具屋やっているやつもいるし、……あとは、ま、もう、おばあちゃんになっている同級生もいるし(笑)、そういうのがね、ごろごろいるもんですから、たまに、こう、顔出して「元気?」とか言って「おう」とか、それぐらいで終わりなんですけど。ま、そんなような、あの、何ていうの、目的を持ってっていうわけじゃないんですよ。歩ってるとぶつかるんですよ、いるわけですよ、家があるから。どこでも「おう」とか言って。ま、そういうようなコミュニケーションがね、あの、あるだけでも、やっぱり、ちょっと、あれですかね、……何って言ったらいいんだろう。……あー、気分がいいっていうのかな。ああ、いたいた、と安心、ま、ちょっとした安心感が出ますよね。

やっぱり、生まれてからずうっとここに住んでて、同じような年代のやつが、ま、周りにいて、それが、近くで大体みんな商売やってたりなんかして、おれのはサラリーマンですけど。まあ、向こうは、ま、ずうっといるわけですよ、家に。だから、いつでも、顔、み、み、見たいなと思ったら、行けば必ずいるという。そういうところが、まあ、こういう、この町のいいところかなと。で、それが、やっぱり、何つったらええかな、ま、寂しさみたいなものが、ここに住んでいるだけでないと、うん、そういう寂しさみたいなものは、あまり感じたことはないですね。

何か……「同級会やろうか」なんつうのは、ちょっと行けば、「おう、そんじゃ、来月やろうか」とかさ。全員じゃないですけどね。でも5人でも、ね、7~8人でも集まれば、ちょっと一杯やるかとか。そんなことが気軽にできる町ですから。